07 圓山、弟子を酔わせる
「師匠と小百合さんはずいぶん年が離れていますよね」
ある夜、藤と二人で晩酌をしていると、不意に奴がぽつりとこぼした。
俺は色恋沙汰に察しの良い方ではないが、さすがにその言葉の裏に隠された奴の気持ちには気がついた。
「ウズラを抱く気になったのか?」
尋ねた瞬間、藤がビールを噴き出しむせた。
いつも冷静な男の動揺が、可笑しかった。
「年の差婚について聞きたいって事は、そういうことだろう」
「勘ぐりすぎです」
「お前も素直じゃねぇな」
呆れつつも、気持ちを悟らせるような言葉をうっかりこぼすくらい、奴の中でウズラの存在が大きくなっていたのが嬉しかった。
「好きになったら、年の差なんて関係ねぇよ。そもそも、ウズラがそんなこと気にするかよ。つきあっちまえよ」
「つきあいません」
「だってあいつ、顔は可愛いじゃねぇか。性格はまああれだが、とにかくつきあっちまえよ」
「そんな軽い気持ちでつきあえません」
「じゃあ重い気持ちでつきあえ。いっそ責任とって結婚しちまえ」
家族にでもなっちまえと、酒の勢いで俺は背中を押す。
半ば冗談のつもりだったが、俺の言葉に藤の表情は苦しげに歪んでいた。
「俺と家族になったら、きっと彼女は後悔します」
「そんなことねぇだろ。ウズラなら『毎日藤先生の顔を見られるやったー』とか大喜びするぞ」
「今の、びっくりするほど似てませんね」
声は呆れていたが、藤の顔には少しだけ笑顔が戻っていた。
「確かに彼女なら、言いそうな台詞ではありますが」
「『先生の乳首見放題ですね!』とかもいうな」
「言いそうですけど、やっぱり似てませんね」
「いや、結構似てるだろう」
「雲雀は、もっとかわいいです」
言いながら、藤がビールをあおる。失言に気づいた様子がないのは、酒に強い奴にしては珍しく、酔っていたからだろう。
だからついからかいたくなって、俺は藤に酒をどんどん飲ませ、質問を重ねた。
「で、どこが可愛いんだ?」
「全部です」
「おまえ、冗談が上手くなったなぁ」
「本気ですが」
言い切られ、俺は言葉を失う。
藤の目と頭が、割と本気で心配になった。
「笑顔も、性格も、仕草も、全部可愛いです」
「でも、乳首連呼する女だぞ」
「それが、あいつの最上級の告白ですから」
藤の言葉を聞いて、俺はふと数日前にウズラがやった創作落語を思い出す。
題材は彼女の両親の出会いについてで、そこでやたらと『乳首』という単語が出てきたのだ。
どこまでがフィクションかはわからないが、落語の中では彼女の父親は画家で、母親はヌードモデルだった。
二人はウズラと違い凄まじく口下手で、お互いがお互いに一目惚れしたが想いをなかなか口に出来ない。
そのせいで二年もの間、「また乳首を見せてください」「はい」と言うやりとりしか出来ずにいたというから笑ってしまう。
その後なんとか交際にはこぎ着けたが、乳首のやりとりが染みついたせいで、彼の父親はプロポーズで盛大にとちった。
俺と結婚してくださいと言うところで、『俺に乳首をください』と言ってしまい、それに母親が『子供が生まれるまででいいのなら』と笑うのがオチだった。
「あれ、フィクションじゃないのか」
「両親の顔も思い出せないのに、その話だけは覚えてるんだって、笑ってましたよ」
だとしたら、確かにあの奇妙な発言も、ウズラにとっては特別な意味があるのだろう。
「そうやって、どんな出来事も笑い話にで来る強いところも、好きなんです」
「そこまで言うなら、お前も笑えるような告白をしてやれよ」
「無理です。俺は、笑いを取れるような人間じゃないから」
「噺家を目指していた男の台詞とは思えんな」
「もう、その夢は諦めたので」
藤の言葉に、俺は罪悪感を覚えた。
いっそ、お前も弟子にしてやると言うべきかと悩んだ。
だが結局、その決心がどうしてもつかなかった。藤は優秀だが、ウズラにさえ手を焼いている今、二人も面倒見きれるのかという不安に俺は負けたのだ。
「それに雲雀には、暖かい家庭を築いて欲しいんです」
「心配しなくても、あいつとお前だったらそうなる」
「でも、結婚したらお互いの家族も関わってくるでしょう」
藤の言葉を聞いて、俺はこの男の家族について何も知らないことに、このときはじめて気がついた。
いや、知らないと言うより、あえて奴は口にしていなかったのだろう。
家族の話題に及ぶと、奴は上手く俺を煙に巻いていた。
「まあ、あいつの性格は、親受けするもんじゃねぇけどよ」
「雲雀でなくとも、家族は認めないと思います。そもそも、俺すら家族とは認められていないくらいですから」
「もしかして、噺家になるって言い出したせいで、勘当でもされたのか?」
「いいえ。そもそも俺は……」
まだ話の途中だったが、酔いが限界に来たのか、藤の言葉は小さくなっていく。
そして奴は身体がソファに深くもたれ、ついに意識を失った。
寝ている姿さえ絵になる藤の横顔をぼんやりと見つめながら、俺はかき消えた言葉を反芻する。
――一度も、家族に愛されたことがないんです。
奴はそう言った気がした。
だが俺はその言葉を、空耳だと思ってしまった。
だって藤はこんなにも完璧な男なのだ。そして優しく、面倒見の良い男なのだ。
そんなこいつを愛さない家族がいないわけがないと、俺は思っていた。
俺は噺家のくせに、想像力が足りなかったのだ。
そして奴が無意識のうちに救いを求めていたことに、気づけなかった。
それどころか、脳天気すぎる言葉で藤の心を傷つけていたに違いない。
弟子にする気も無かったくせに散々利用して、奴の抱えた悩みにもあまりに無頓着すぎた。
――そしてその二ヶ月後、藤は突然俺たちの目の前から消えた。
幽霊のように消え、その後長い時間をかけて、藤という男の存在は我が一門から一度消え去った。
けれどそれから十年たったある日、奴は俺たちの人生に現れることになる。
後に小雀が「そういう展開は、普通、私の担当でしょう!」と悔しがられるような運命の再会を、俺と藤は果たすのだ。
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