08 圓山、運命の再会を果たす

 

 ウズラが小雀と名前を変え、俺の髪の毛が寂しさを増した頃――。

 煌びやかなシャンデリアが輝く高級ホテルロビーで、俺は奴と再会をした。


「圓山師匠……ですか?」


 どこか戸惑う声に振り返ったとき、俺は自分を見つめる男が顔なじみだとすぐに気づけなかった。


「……お前、藤か?」


 思わず尋ねたのは、かつて家に出入りしていた頃の藤とは別人にしか見えなかったからだ。


 その日、俺は親友の誕生会に呼ばれていた。親友といっても彼は今や財界の重鎮で、誕生会といっても暢気に歌を歌ったりろうそくを吹き消すようなものではない。

 彼に縁のある者たちは金持ちばかりで、中には旧華族様やら財閥の御曹司様といった奴までいる。

 正直、自分には縁遠い世界だと思っていた。芸の道で名を上げ、人よりは裕福ではあるが、それでも俺はこちら側の人間では無いなと思っていた。

 もし親友が余命宣告をされていなければ――そして「最後の願いだから誕生会で落語をやってくれ」などと言われなければ、絶対に来ることなど無かった場所だ。


 その場所に、奴は完璧に溶け込んでいた。


「まさか、こんなところでお前に会うとはな」


 こんなところで、こんな顔をしたお前に会うなんてと思いながら、俺は周りで談笑している華やかな人々と藤を見比べていた。


「ご無沙汰しております」


 奴の立ち居振る舞いや表情は、最後にあったときよりずっと洗練され大人びていた。細やかな仕草にさえ気品があり、動きや言葉の端々からは優雅さがあふれている。

 それでも、向けられたその声も顔も、よく見れば藤だ。

 俺の弟子になりたいと追いかけてきた、あの青年と同じ容姿をしていた。


「お元気そうで何よりです」


 けれど今の奴は――あまりに完璧で、紳士的なその男は――もはや藤ではなかった。小雀にふりまわされて、微笑んでいた頃の暖かさは欠片も残ってはいなかったのだ。


 笑っているのに、その笑顔は人間くささが消え、奴からは落語の香りが完全に消えていた。まるで安っぽい恋愛ドラマに出てくる登場人物のように現実感がなかった。

 同じ場所にいるのに、大きな隔たりが出来てしまったのだと、顔を合わせてすぐに俺は気づいた。


 そんな奴と何を話せば良いのかと迷いに迷ったあげく、俺の口から飛び出した言葉は自分でも意外な物だった。


「お前、なんであいつの初天神を聞きにこなかったんだ」


 まるで小雀が乗り移ったように、拗ねた声でそう聞いてしまった自分に俺は自分で驚いた。

 そして驚いたのは俺だけでは無かったのだろう。


 俺を見つめる完璧なその顔が、ほんの一瞬だけ苦しげに歪む。


「……雲雀は、怒っていましたか」


 言葉を溢し、そこで彼は慌てたように口をつぐむ。


 でも俺はそれに答えられなかった。奴もそれ以上何も言わなかった。

 そのあとすぐ、藤は見知らぬ男たちに声をかけられ、彼らと共に遠くへと行ってしまったからだ。

 俺の方もファンだという奴らに声をかけられ、藤のことばかり考えている暇は無かった。

 だがそれでも、奴の姿がずっと脳裏に焼き付いて離れなかった。




「……藤龍介って男、知ってるか?」


 だから俺は、誕生会の終わりに親友を捕まえてそう聞いた。


「藤? しらないなぁ」

「もっとちゃんと思い出せよ、ぼけるぞ」

「あんた、竹馬の友に酷いこというね」

「ひどいことも言いたくなるわ。俺の貸した十万、返さなかったくせに」

「そのぶん落語協会に多額の寄付したじゃん」

「落語協会じゃなくて、落語芸術協会の所属だって言ってんだろ!」

「名前似てるからややこしいんだよ」

「どちらにしろ、俺の金は俺に返せよバカ! ……まあそれはいいよ。水に流してやるから、必死に思い出せ」

「藤……ねぇ……」


 鼻からいれたチューブをいじりながら、親友はあっと顔を上げる。


「龍介くんのことかなぁ。黒峰龍介くん」

「黒峰……?」

「黒峰グループの御曹司だよ。芸能関係の事業もやってるから、圓山もしってるでしょう」

「いや、黒峰は知ってるよ」


 エンタメ事業や不動産、飲食からITまで、幅広い事業を行う一大企業グループの名前くらいさすがに俺だって知っていた。


「待て、その御曹司だと?」

「ちっちゃいころから有能な子でねぇ。黒峰の所はお家騒動の影響で一部関連会社の業績がやばかったんだけど、龍介くんが再建に乗り出して、最近は絶好調なんだよねぇ」


 ああいう孫がいたらなぁと暢気に言い出す親友の顔を見て、俺は藤が変貌した理由を知った。


「じゃあ、あいつが次期グループのトップってことか?」

「そこらへんは、色々と揉めてるみたいだよ。黒峰の男って昔っから手が早くてさ、龍介くんも愛人の子だとか色々言われてるし」

「そういうのって、ドラマの中だけじゃねぇのかよ」

「むしろそれが普通だよ。金が絡むと人間おかしくなるんだよね」


 ああいう家には生まれたくないねと、自分の総資産を棚に上げて友人は言う。


「そのなかでは、龍介くんはまともに育ったと思うよ。優秀だし、柔軟だし、彼がいなかったら黒峰グループ本気で傾いてたと思う」

「……あいつ、凄い奴だったんだな」

「だから可愛そうだよね。彼ならどこに行っても成功するだろうけど、父親が飼い殺しにする気満々だし」

「飼い殺しってなんだよ。親子だろ」

「この業界はね、創作落語にもならないドロッドロな親子関係ばっかりなのよ。気に入らない物は家族だろうと恋人だろうと、金の力でぶん殴る世界なの。さっきあんたがやった『子別れ』も、ちゃんと理解して笑ったり感動してるの、たぶんこの場じゃ私くらいのもんだよ」


 確かに、返ってくる笑いは作り物じみていてやりづらかった。そしてその理由に、俺は薄ら寒いものを覚える。


「それにしてもどうしたの? 龍介くんと知り合い?」

「まあ、その、昔ちょっとな……」

「事情は知らないけど、会いたいなら呼ぼうか?」

「できるのか?」

「私を誰だと持ってんのよ。あんたから失敬した十万で、財界のトップに上り詰めた男だよ」

「やっぱり、盗んだ自覚あるんじゃねぇか」


 思わず呆れたが、それでもまあ、恩を返そうとしてくれているなら乗っかってやろうと俺は決めた。


「あとそうだ、龍介ってまだ結婚してねぇよな」

「してないとおもうけど、どうしてそんなことを聞くの」

「大事なことなんだよ」


 何より大事なことだと言うと、彼は「してないよ。保証する」と断言する。

 その上で、彼は「あんたも隅に置けないね」となにやら不敵に笑った。

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