03 圓山、鴉と出会う
今思えば、こちらの考えをくみ取るのが、夜鴉は昔から上手かった。
弟子にしてくださいと頭を下げられたのは、奴の大学でちょっとした講義をすることになった時である。
自分のような学のない男には縁が無いだろうと思っていた超有名大学だったが、『人間国宝』という下駄のおかげで特別講義をすることになり、それを聞いていたのが奴だったのだ。
せっかく良い大学に入ったのだから、落語家なんてやめておけと最初は断った。
でもどうしてもと食らいついて、「せめてチャンスをくれ」と言うから、家事手伝いをさせつつ才能があるかどうか様子を見ることにした。
どっかの小娘とは違い気が利くやつは、あっという間にかみさんの心を掌握した。
そして落語の方も、聞くばかりでやるのは初めてだと言っていたのに、俺が教えたことをあっという間に自分の物にしてしまう覚えの良さである。
俺ほどになれるかは努力次第だが、磨けば光るし、こいつは化けるというのは、すぐにわかった。
だから俺は、ある日言ったのだ。
「知人に落語教室の講師を押しつけられたんだが、お前代わりにやってくれないか」
「師匠が望まれているのに、俺じゃあ意味がないでしょう」
「俺は教えるの下手なんだよ。大学の時だってよ、食いついてくれたのお前くらいのもんだし」
「確かにあの講義は、色々とひどかったですね」
あのときはそもそも受講生の数も少なく、俺の名前を知ってる人もほぼいなかった。
それがなんだか腹立たしくて、つい下ネタばかり連発してしまったのである。反省はしている。
「あの二の舞はごめんだしよ……。大事な回の時は顔出すから、ちゃちゃっとやってくれよ」
「笑顔で無茶ぶりしないで下さい」
「やってくれたら、お前のこと、弟子にしてやるから」
困ったような顔が、その瞬間驚きへと変わった。
俺の言葉に目を見開き、そして奴は今まで見せたことのない顔で笑った。
どちらかと言えば無駄に大人びていて、品の良い笑顔しか浮かべない奴だったから、そのとき見せた笑顔に俺はちょっと驚いた。
庭先でカブトムシでも見つけたガキみたいな、はしゃぎようだったからだ。
こんな顔も出来るんじゃねぇかと、なんだか見ているこちらが嬉しくなるような笑顔に俺も笑った。
「むしろこれから大変だぞ。噺家は安月給だし、仕事もきつい」
「問題ありません。噺家になると決めた時、学生時代に起業した会社を全部売ったので」
真面目な顔で言われたとき、俺はそれを冗談だと思った。奴は良い大学を出ているので、高学歴ジョークだと思っていた。
「お前の場合は、噺家になるより金持ちになる方が簡単そうだな」
「でも、なりたいのは噺家ですから」
だから俺の言葉に、奴がどこか悲しげな笑みを浮かべる理由を、よく考えもしなかった。
「師匠は俺の憧れなんです。師匠の落語を聞いて、俺は初めて心の底から笑えたんです」
「世辞が大げさすぎるだろ。それが本当なら、お前さんの人生はどんだけつまんねぇんだ」
「死ぬほどです」
「じゃあお前さんは死んでんのか。あれか、ゾンビか」
「確かに、中身は腐りきってるかもしれません」
鴉はそういって笑っていたけれど、俺にはそう見えなかった。
奴の落語には、人を笑わせたいという気持ちがあった。何より自分が笑いたいという思いがあった。
子供のように純粋なその気持ちは、心が腐ってるような奴には絶対にないものだ。
だが純粋だからこそ、それに不釣り合いな奴の器用さが、少し気になっていた。
こいつは、あまりに要領が良すぎたのだ。何をやらせても完璧で隙がなく、まるでロボットのように難題も軽々こなしてしまう。
そういう人間は、周囲から過度な期待をされるものだ。俺自身がそうだったからわかる。
俺の場合は期待から逃げて、さぼって、やり過ごしてきたが多分こいつは違う。
期待を正面から受け、完璧さを追及し、そのせいでロボットのような人間になったのではという気がした。
そしてそんな生き方は、辛すぎやしないかと心配だった。
「まあゾンビでもなんでも、才能があるなら拾ってやる。俺は偏見がない男だからな」
「精一杯精進します」
「いや、ほどほどにしといてくれ。弟子が一生懸命だと、師匠も頑張らなくちゃいけなくなるだろう」
だからほどほどに頑張るくらいが丁度良いと言うと、奴は眩しそうに目を細め「はい」と笑った。
その後俺の代わりに奴を講師にすると言ったら、友人からは「こいつの方が客呼べそう」という失礼な発言をされた。
実際、広告に奴の写真を載せたらものすごい数の受講希望があったらしい。
それにちょっと腹は立てたが、真面目に講師をやっている奴を見て、これは良い拾いものをしたと内心ほくそ笑んでいた。
でも結局、俺は奴との約束を破った。
庭に無様なひな鳥が、落ちてきたからである。
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