02 圓山、弟子のありがたみを知る
今年の梅雨は、例年より気温も湿度も高く、不快な気候が続いていた。
そんな日は、家でダラダラしているだけでも気が滅入る物だが、これまでとは違い俺の気分は晴れ渡っている。
その理由は、いつになく片付いた室内と、目の前に用意された茶菓子のせいである。
「やっぱり、弟子っていいもんだな」
「師匠、そういう言葉は、私を見ながら言ってください」
「いいよなぁ。料理も掃除も完璧だし、寄席での雑用も笑顔でこなすし」
「だから、私の顔見て言ってください」
「見てないって、なんでわかるんだよ」
「だって先生、カーちゃんの方向いてるでしょう。視線は分からないけど、カーちゃんのいる場所は絶対分かるんで。そっちに声が向いてるのは、わかるんで」
どんな特技だと呆れる一方で、「カーちゃん」と言う呼び名は男としては複雑だろうから、止めてあげなさいと言うべきだろうかと少し悩む。
「『カーくん』とか、他の奴らみたいに『夜さん』とか『鴉さん』にしてやれ」
そして俺は優しい師匠なので、悩みながらも結局指摘してやった。
「いま、そういう話じゃないでしょう!」
「いや、大事だぞ。カーちゃんはまずいぞ」
「じゃあカーくんにしますけど、そういうことじゃないでしょう」
こういうとき、小雀は無駄な目力を発揮する。
何も見えていないはずなのに、とてつもない威圧感が迫ってくるのである。
「私だって、前座の頃はめっちゃ家事してたじゃないですか」
「そうだな。そのおかげで、かみさん念願のキッチンリフォームをすることになったんだよな。あいつほぼ使ってねぇけど」
ハンバーグを作ると言い出して、小雀がキッチンを黒焦げにしたのを俺は忘れない。忘れようがない。
「お茶だって、ちゃんといれてるじゃないですか」
「でも頼んだもんが出てきたことねぇだろう」
コーヒーを頼んでも、『今日は紅茶の日です』といいながら煎茶が出てくる。
そんな毎日に、俺は正直うんざりしていた。
「目が悪くて失敗するなら良いよ。でもお前のは、そういう次元じゃないから困る」
むしろ小雀は、目が見えないのが嘘では無いかと思うほど、日常生活に支障が無い。
それが訓練と凄まじい努力の賜であることはわかっているし、彼女の器用さには恐れ入るばかりである。
とはいえその器用さが、雑用や気遣いにちっとも反映されないのが問題だ。
「言われたことを言われたとおりに出来る。いい弟子って言うのは、そういうやつのことをいうんだ」
「でも言われなくてもやれ! とも言うじゃないですか」
「お前の場合は、やらなくていいこととか、やっちゃいけないことを、言われる前にやるのが問題なんだよ」
「私としては気を使ってたつもりなんですけど、駄目だったんですか?」
「その上無自覚なのが、更にたちが悪い」
「今自覚しました」
「あと10年早く自覚して欲しかった」
「でも今自覚したんだから、褒めてくださいよ」
「あーはいはい、お前はできた弟子だったよ」
「えへへ」
そして褒めると、本気で喜ぶところが、たちが悪い。
嫌みとか皮肉だと、こいつは気づいていないのだ。
ちょっとでも褒められると、それはもう可愛らしく喜ぶのである。
だからつい、良いところなど何も無いのに、褒めたくなってしまう。飲みたくないものや食べたくないものでも、持ってきてくれると褒めてしまう。
さすがに俺の嫌いな菓子パンや弁当を買ってきたりするときは怒るが、それでも一応礼を言うと、可愛く笑うのである。
それが見たくて、つい、苦虫をかみつぶしながらも「ありがとう」とか言っちゃうのである。
「弟子も弟子だが、悪いのは俺か」
「へ?」
「いや、なんでもない。ともかくせっかく出来る弟弟子が入ってきたんだから、お前は好きにしてろ」
元々好きにしてたけど、もう、お前はそのままでいなさいと言うと小雀は「わかりやした」と笑う。それがまた、たまらなく可愛いのが悔しい。
「コーヒーです」
そんなやりとりをしていると、夜鴉がコーヒーを持ってきてくれた。
頼んだ覚えはないが、飲みたいなと思っていたのでありがたい。
その上コーヒーは砂糖と牛乳がたっぷり入っており、一口飲めば俺の求める味と香りが口内に満ちていく。
「弟子って、いいなぁ」
「でしょー」
お前の台詞じゃなねぇだろうと小雀を睨んだが、言ってもどうせ理解しないので止めた。
かわりに夜鴉に視線をやれば、奴は苦笑しながら「わかっていますよ」というように頷いた。
視線を向ければ考えをくみ取ってくれる。そこもまた、奴のいいところである。
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