20 小雀、笑顔を見る


『こんなことなら、おとっつぁんなんて連れてくるんじゃなかった』


 私の言葉と重なるように、低い笑い声が耳朶をくすぐる。

 それにこそばゆさと幸せを感じながら、私はイヤホンのコードに絡めた指をクルクルと回した。



「雀ちゃん、今日もそれみてるの?」

「うん。最近は毎日十回くらい見てます!」

「だから主人の機嫌が悪いのねぇ。小雀ちゃんが動画中毒だから、あの人拗ねちゃったのね」


 奥さんは笑いながら、「私にもイケメンを摂取させて」と近づいてくる。

 私はイヤホンの一つを彼女に差しだし、もう一度見ていた動画を再生させた。


 私が見ているのは、二日前に隠し撮りしてもらった弟弟子の動画である。

 初天神を披露したとき、舞台袖でそれを見ていた彼の姿を、獅子猿兄さんに土下座して盗撮して貰ったのだ。


「目が見えないのに何で動画なんてとるんだよ」


 などと怪訝な声を出されたが、見えないからこそ――この目では彼の笑顔を捕らえられないからこそ、文明の利器に頼ることにしたのだ。


「動画だと声とか衣擦れとかが入るからそれがいいんですよ! 見てる気分になるんですよ!」


 そう主張すれば獅子猿兄さんは、「お前天才だな」といたく感心していた。

 そしてこの作戦は上手くいった。気を利かせた猿兄さんが集音マイクを買いに走ってくれたおかげで、彼の笑い声はバッチリ収録されていた。


「あー、いつ見ても鴉くんはイケメンねぇ」


 そして奥さんのウットリした声から察するに、猿兄さんは盗撮の腕もなかなかの物だったらしい。


「相変わらず、格好いいですか」

「これは、人気出ちゃうわねぇ」

「同じ事、みんな言ってますね。むしろ人気にあやかろうと、来週には見習いから前座にするみたいですよ」


 既に彼は見習い以上の技能があるし、「あいつの名前が売れれば俺の名前も売れる!」という師匠の一存で、前座デビューが早々に決まったらしい。

 人間国宝だし十分売れているだろうと突っ込んだが、どうやら師匠は、現状が不満らしかった。

「俺は若い世代に売れたいんだよ! 同じ国宝でも、最近は人間より刀剣とかの方が人気があるから悔しいんだよ」

 などと言っていた。そしてその台詞を奥さんにばらしたら、彼女は腹を抱えて笑っていた。


「まあ確かに名前は広まるかもしれないわねぇ。鴉くんのこと、朝のワイドショーでも流れてたわよ。『イケメン社長が突然の辞任!!』『黒峰財閥のお家騒動再びか!?』って」

「うちにいるって嗅ぎつけられて、張り込みとかされそうですね」

「もう既に何人かいたわよ」


 そういえば、心なしか今日は家の外が騒がしい気がする。


 でも、ワイドショーが過熱するのも無理はない。

 私が二つ目として着々と腕を磨いている間、彼は全く別の世界で私以上に名をあげていたのだ。

 彼は本物の財閥御曹司であり、若くてやり手の経営者でもあった。そしてあの顔である。イケメンである。世間が彼を放っておく訳がないのである。


 そしてそのことを、私はずっと前から知っていた。

 彼の事を忘れようと決めつつも、どうしても今の彼が知りたくて、ありとあらゆるツテとグーグル先生を駆使して情報を仕入れていたのだ。

 彼が出たテレビ番組も全て録画してあるし、絶対に読めないのに、彼のインタビューが載っている雑誌や新聞も買ってしまった。そしてふと寂しくなって、読めもしない雑誌を抱いたまま布団に入ったりもした。そんな晩は、よく彼の乳首の夢を見た。


「あれ、隠しておかないとちょっと恥ずかしいな」

「隠すって、なにかヤラシい物でも買ったの?」

「奥さんに言えるわけないじゃないですかー」

「いいじゃないの、女子同士なんだし」

「じゃあ今度奥さんにはこっそり見せます。私のやらしいコレクション」

「それは楽しみねぇ」

「あはは」

「うふふ」

「うふふじゃねぇよ。いったい何の話してるんだよ」


 せっかく女子同士楽しく盛り上がっていたのに、師匠の不満そうな声が水を差す。


「つーかお前、またその動画見てるのか」

「何度でも見ますよ。何処ででも見ますよ」

「そんな物見なくても、本人みればいいだろう。なあ?」

 

 師匠がそう言って声をかけると、台所の方から困ったような笑い声が響く。


 それから彼の足音が近づき、大きな気配が私の横へとやってくる。

 奥さんと入れわかるように、彼は私の隣に座った。

 流れたままの動画を覗き込む気配がして、そこでぷつりと音声が途絶える。


「止めたって事は、動画より俺を見ろって事ですか?」


 返事はなかったが、私は気配を探り、すぐ側にあるはずの彼の顔に手を伸ばす。

 指先に髪が触れると僅かにたじろいだ気配がしたが、彼はもう逃げたりはしなかった。

 髪を撫で、それからゆっくりと耳の形を探ってから、頬をくすぐり、形の良い唇を指先で辿る。


「こそばゆいんだが」


 小さく弧を描いた唇をなで、私は思わずにやける。


「相変わらず、素敵な笑い方ですね。惚れ直しますね」


 顔に触れて、そして私はこの10年で少し皺の増えた彼の笑顔を見る。

 目にはもう映らない。でも触れて、撫でれば、私は彼が見える。


「そうだ、このまま初天神やっていいですか?」


 手は使えないから飴や凧揚げのシーンは臨場感に欠けるけど、そこは話術でカバーするからと言えば、彼の口角が再び上がった。


「こんな間近で、小雀の金坊が見れるのはお前だけの特権だな」


 離れたところで師匠が笑う気配がして、それが伝染するように彼の笑みが深くなる。


「私に笑って、惚れ直したら、乳首もまた見せてくださいね」

「相変わらずだな、お前は」


 素敵に笑う顔を手のひらで見つめながら、私もまた笑顔を浮かべる。

 きっと、私が落語をやればもっと彼の笑顔は大きくなる。もっともっと素敵に笑ってくれる。

 私の金坊を一番近くで見られるのが彼の特権なら、彼の笑顔を一番近くで見られるのは私だけの特権だ――。



小雀と恋の章【おわり】

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る