04 夜鴉、藤と猫の夢を見る
『藤先生。今いいですか』
「お前、今が夜中の三時だって知ってるか?」
雲雀から、夜中に突然電話がかかってくるようになったのは、彼女が弟子入りしてから三ヶ月ほどたったころのことだった。
秋の終わりに彼女の祖父が亡くなったあと、俺は彼女に携帯電話の番号を教えた。以来こうして、時々彼女は電話をかけてくる。
『寝てましたか』
「いや、圓山師匠のDVDをみてたらこんな時間になってた」
『よく見れますね、顔が五月蠅いのに』
「お前は相変わらず失礼だな」
圓山師匠に対する雲雀の物言いは相変わらずだが、何だかんだ稽古はちゃんとやっている。
その熱心さを側で見るようになったからか、近頃ではあまり雲雀に対して腹が立つことも減っていた。
『まだ起きているなら、あの……』
「今、布団に入ってるのか?」
『凄いですね藤先生。電話ごしにエッチな会話がしたいって、どうしてわかったんですか!? エスパーですか!?』
「そういう意味じゃない。お前この前俺と電話しながらこたつで寝ただろう」
それで風邪を引き、師匠に二人共々怒られたので、布団に入っているのか、暖かくしているのかと聞いただけだ。
「それに、お前が本当に聞きたいのは落語だろう」
『先生の喘ぎ声だって聞きたいです』
「切るぞ」
『いや、やっぱり猫の皿でもいい気がしてきました』
「じゃあ布団に入って、暖かくしろ」
慌ててもぞもぞと動く気配がして、俺は雲雀に聞こえないようにそっと笑う。
正直に言えばさっさと寝たい気持ちもあった。それかあともう少しだけ圓山師匠を見ていたかった。
でもこうして電話をかけてくる夜は、雲雀にとって何か嫌なことがあった後なのだとわかってからは、彼女を無碍に出来なくなった。
祖父が亡くなって以来、雲雀は良く夜に一人で泣いているらしい。でも師匠や奥さんが話しかけても笑うばかりで、弱音は決して吐かないらしい。
だから俺は、何かあったら電話しろと番号を教えたのだ。
正直最初は、かかってくるとは思わなかった。俺のことを好きと言いつつも、彼女は俺にもずっと甘えなかった。
祖父がなくなった日も彼女は一人隠れて泣いていて、それを見つけたのも無理矢理抱き寄せ慰めたのも、俺が勝手にしたことだった。
好きだと言いながら、肝心なところで彼女は俺を求めない。
故に電話もかかってこない気がしていたが、彼女の中で何かが変わったのか、着信の回数は少しずつ増えている。
そして悲しいとき、彼女は猫の皿を聞かせて欲しいとねだり、俺はそれを彼女のためだけに演じるのだ。
『やっぱり、藤先生の猫の皿……好きだなぁ』
聞き終わると、幸せそうな声が電話の向こうから帰ってくる。
「だからって、深夜の三時にやらせるな」
『昼夜を問わず、好きな人の落語は聞きたくなるもんなんです』
「だとしても、せめてもう少し早く電話しろ。そうしたら、目の前でやってやれるだろう」
言ってから、俺は失言に気がついた。
『藤先生、私は今、猛烈に愛を感じました』
「そんなものはない」
『いや、今のは愛ですよね! 俺の腕の中で聞かせてやるぜって意味ですよね』
「それだけは絶対にあり得ない。死んでもあり得ない」
『とかいって、頭の中では色々妄想してるく・せ・に』
「切るぞ」
『冗談ですよ、アメリカンジョークです。ボンジュール』
「噺家とは思えないギャグのセンスだな」
『じゃあ、先生が正しいギャグについて講義してください。寝るまでずっと』
もう深夜だというのに、雲雀は全く口が減らない。
それに呆れつつも、俺は携帯電話を持ったまま、布団の上で寝転がる。
「講義はしない」
『じゃあ、エッチな――』
「切るぞ」
『えっ、エッチはやめて、襟裳岬でも歌いましょうか。子守歌です子守歌』
言うなり響いた歌は耳が壊れるかと思うほど下手だったが、あまりに必死に歌うので、俺は段々おかしくなってくる。
結局、俺は雲雀のくだらない電話に朝までつきあわされ、翌日寝坊した。
生まれて初めての、寝坊だった。
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