03 夜鴉、寝込みを襲われる


「カーくんの寝顔……やばい……」


 荒い息づかいと顔を撫でる指の感触に、俺ははっと目を開ける。

 すると目の前にあったのは、恍惚とした表情を浮かべる雲雀の顔である。


「あ、起きちゃいましたか」

「起きないわけがない……」

「寝起きの掠れた声、エロい」

「……」


 色々と突っ込みたかったが、何か言えば雲雀を更に興奮させてしまいそうなのでぐっと堪える。


 それから俺は彼女の肩をそっと抱き、自分の身体から遠ざける。

 時計を見ると、時刻は朝の五時である。そしてここは俺の部屋である。

 昨晩はちゃんと部屋に寝かせたはずなのにと思ったが、このところ毎日雲雀は朝になると俺の布団で寝ているから、今日も忍び込んできたのだろう。


 それを師匠に見られて慌てたこともあるが、怒りの矛先が雲雀に向いたあたり俺に非がないことは理解してくれているようだ。

 とはいえ、やはり同じ布団で寝るのはどうかと思うし何度も止めるよう言ったのだが、反省する様子はない。それどころか、俺が寝ている間に毎回はぁはぁしていたのかと思うと、頭痛がしてくる。


「部屋に戻ってください」

「戻ってもカーくんが寝たらまたきちゃうので、意味は無いと思います」

「開き直らないでください」

「っていうか、二人っきりなんだから敬語やめてくださいよ。叱るなら、昔みたいに叱って欲しいです!」

「……どMか」

「それ、その冷たい感じがいいっ!」


 キャーと言いながらちゃっかり抱きついてくる雲雀にあきれ果てつつ、俺は観念して、雲雀の身体からずれた毛布を掛け直してやる。


「部屋に戻らないならさっさと寝直せ。明日は新宿で昼から高座だろう」

「ぎゅってしてくれたら寝ます」


 呆れていると、それを察したように雲雀がふくれ面になる。

 一向に寝る気配がない彼女に根負けし、俺は渋々彼女を抱き寄せようとした。


「なんて冗談ですよ。仕方ないから、今日は一人で寝てあげます」


 だがそこで、雲雀の小さな身体が腕をすり抜けていく。

 そのまま布団を出て行こうとする彼女を見て、俺は直ぐさま細い腕を掴んだ。


「何かあったのか」


 再び抱き寄せた身体は、十年前より丸みを帯びている。でも甘え方が下手なのは、今も昔も変わらない。

 そしてあえて一人になろうとするときは、悲しい理由があるのも昔と同じだ。


「……何があった」


 尋ねながら、俺は彼女を腕に閉じ込めた。そうすれば彼女は観念することを、俺は十年前に学んでいた。


「怖い夢を見たんです。それで寝顔が見たくなったんですけど、もう見れたので十分です」

「そうか」

「でもカーくんが私のこと抱っこしていたいって言うなら、しててもいいです」

「わかった」


 多くは尋ねなかった。代わりに彼女の背中に回した手のひらで、肩や髪を撫でてやると、雲雀の身体からゆっくりと力が抜けていく。


「そうやって、不意打ちで優しくされると怖いです」

「もう、いなくなったりしない」

「じゃあ私が眠るまで、何かやってください」


 猫の皿が良いですと言う声は既に眠そうだったけれど、俺は彼女のためにゆっくりと口を開く。


 雲雀は昔から、この滑稽話がお気に入りだった。

 さほど長くもなく、筋立てもシンプルな話だがそこが好きらしい。


 主人公は、はした金で古道具を買いたたく端師だ。

 ある日立ち寄った田舎の茶屋で、端師は絵高麗の梅鉢茶碗を見つける。三百両はくだらない高価な一品にもかかわらず、あろうことか茶碗は猫の餌皿として使われていると気づくのだ。

 そして端師は店主が茶碗の価値を知らぬと思い込み、巻き上げてやろうと企むが、結局店主の方が一枚上手だったとわかる下げは小気味良い。


 派手な噺ではないし、大きな笑いを取るタイプの内容ではないけれど、クスリと笑えるおかしさが雲雀には心地が良いのだろう。


 眠そうにしながらも聞き耳を立てて、結局彼女は最後の台詞まできっちり聞いていた。そして楽しげにクスクス笑い、満足そうな顔で俺の胸に頬をよせたまま、眠ってしまう。


 穏やかな寝顔にほっと息をつき、俺もまたゆっくりと目を閉じる。

 さすがにしゃべり疲れたけれど、笑顔の雲雀を抱き締めながら眠るのは心地よかった。


 そして夢の中でも、俺は雲雀に『猫の皿』をやってくれとせがまれた。

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