恋と日常の噺
聖夜の小咄
クリスマスは、夜景が見えるホテルに恋人と泊まり、甘くてロマンチックな夜を過ごす。
それが夢なのだと、私は半年以上前から散々言い続けてきた。
『お前夜景なんて見えないじゃないか』
なんて師匠に呆れられたが、大事なのは雰囲気である。
素敵な恋人とロマンチックな一夜をすごし、あわよくば!! という恋する乙女の夢を現実の物とすべく、春先からずぅーっと私は憧れのクリスマスについて語ってきた。短冊にも書いたし、ハロウィンのカボチャにも彫った。残念ながら手元が見えないのでちゃんと文字になっていたかは分からないが、とにかく私はことあるごとにクリスマスに関する主張をし続けてきた。
そしてついに、クリスマスの晩――。
高級ホテルのスイートルームに、私と藤さんは二人きりだった。
「ここ、もの凄い高級ホテルなんですよね」
「そうだな」
「夜景とか、綺麗なんですよね」
「そうだな」
「クリスマスですし、きっとシャンパンとか用意されてるんですよね」
「頼めば来るな」
「……なのに、この有様はどういうことですか?」
二人きりなのに、クリスマスなのに、高級ホテルなのに、私はベッドの上で簀巻きにされていた。
見えはしないが、毛布の上から何かでぎゅっと縛られたのは感じる。
多分縄か何かでグルグル巻かれているのは間違いない。
「クリスマスなのに、何故ロマンチックの欠片もないんですか!」
「それはお前が、インフルエンザにかかったからだな」
「うううう、クリスマスプレゼントは私♪作戦をやるつもりだったのに!」
「どうせ失敗するんだから無茶せず寝ろ」
声の感じからして、多分藤さんは呆れた顔をしているに違いない。
だがこの状況に誰より呆れているのは私だ。
先週の寄席でゴリラがパンデミックを起こし、現在落語芸術協会に加盟する噺家が次々インフルエンザで倒れている。運良く例年よりは症状も軽く、藤さんと師匠を筆頭にピンピンしている者も多い。
しかし私はかかった。その上症状も滅茶苦茶酷かった。
けれど周りは私よりも側にいる高齢の師匠を心配し、病原菌まみれの小雀を隔離せよというお達しがきたのである。
まあ仕方がないことだとは思うが、こういうときに避難すべき実家が私にはない。
故に藤さんが急遽用意したこのホテルに、運び込まれた次第だ。
イブだったから高い部屋しかあいていなかったらしく、宛がわれたのはスイートルームである。
普通、こういう場所にはデートで来るものである。インフルエンザの隔離部屋に使うには、あまりに高級すぎるが藤さんのお財布的にはきっと痛くも痒くもないのが救いだ。
「恋人になって、初めてのクリスマスなのに……。綺麗な夜景とシャンパンが待っていたはずなのに……」
「そもそもお前、夜景は見えないしシャンパン飲めるほど酒も強くないだろう」
「雰囲気ですよ雰囲気! 雰囲気だけで喜べるおめでたい人間なんですよ私は!」
思わず怒鳴ると、その反動で咳が出る。
その途端、藤さんが慌てて側に寄ってくる気配がした。
「治ったら何でも言うこと聞いてやるから、今は休め」
「でも……」
「雲雀」
たしなめる声があまりに優しかったから、私はそれ以上の不満を言えなくなる。
「……何でも、ですか?」
「何でもだ」
「……乳首見せて欲しいって願いでも?」
「……」
「黙ったじゃないですか!」
「見せても良いが、興奮しすぎたお前がまた倒れる気がして心配になっただけだ」
「大丈夫ですよ」
「わかったから、寝ろ」
「寝たらクリスマス終わっちゃう」
「元気にならないと、乳首見れないぞ」
「ね、寝ます……」
というか、もはや体力はもはや限界だった。
「寝るけど、あの……」
添い寝をして欲しいと言いかけたが、あまり側に寄りすぎると藤さんにインフルエンザをうつすかもしれないという懸念が生まれる。
日頃から人の迷惑を鑑みないキャラだと言われるが、恋人を苦しめたくないと思う人間らしい心だってあるのだ。
それにこれから新春興行がはじまるし、藤さんまで倒れたら師匠もお客さんも困るだろう。
「……やっぱりいいです、おやすみなさい」
毛布の中から引っ張り出そうとした腕を、私はしまう。
そのまま素直に寝てしまおうと思ったとき、ベッドが大きく軋んだ。
「いいよ、ほら」
耳元で藤さんの声がして、私の身体がこてんと傾く。
見えなくても分かる。私は今、彼の腕の中にいる。
「私も抱き締めたいです」
「ダメだ」
「襲いませんよ?」
「お前が襲わなくても俺が襲いたくなる」
耳元でこぼれた囁きはいつになく甘くて、私は確実に熱が上がった。
「す、簀巻きのままでいます」
「いい子だ」
クリスマスの夜に恋人同士がするデートにはほど遠いけれど、大好きな人の腕の中で過ごす聖夜も悪くない、私はうっかりと思った。
聖夜の小咄【おわり】
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