07 小雀、イケメンに恋をする
のちに藤先生と呼び慕い「私の落語を聞いてください!」と縋り付くことになるその男と出会ったのは、私が高校二年の時だった。
初めて会った場所は、カルチャーセンターの一室だ。
高校で
でも諦めきれず、その後アルバイトでお金を貯め、近くのカルチャーセンターで月に二回開催される『落語教室』に入門を果たしたのである。
正直にいうと、教室に入るなり私は入門したことを後悔した。
教室には落語を学び、噺家について語らいたい者が集い、談笑しているとばかり思っていたのに、教室に入るやいなや向けられた視線はものすごくとげとげしかったのだ。
年齢層も若く、女性が多いと聞いていたが、教室の張り詰めた空気はまるで戦場である。
そしてその理由は、すぐに分かった。
「今回講師を務めさせて頂きます、『藤龍介』です。よろしくお願いします」
飛び交う拍手と黄色い声援。それを一身に受け、完璧な笑顔を崩さない藤先生の顔面偏差値の高さは凄まじかった。
その上彼は和装である。初回の授業でやったのは芝浜である。
少々色気がありすぎるのではと思いたくなる声と表情で、魚屋の女房をやるのである。
最後の罪を告白する所は、あまりにしとしとと泣くのでなんだかこっちまで泣いてしまう有様である。
そして一回目の授業を終えたとき、私は教室が戦場と化した理由を理解した。
それと同時に、気がつけば私の中の好きな男が小遊三師匠から藤先生へとするっと入れ替わっていた。
とはいえ高校生の自分が、当時大学院生だったスーパーイケメン藤先生のお眼鏡にかなうわけも無いとわかっていた。
自分で言うのも何だが私の顔面偏差値だってそこそこ高い。高いがだがしかし、周りは藤先生に気に入られようとバッチリ武装した乙女とおばさまだらけなのだ。
一方当時の私は家庭の事情で少々懐が寂しく、小洒落た私服なんかも無かったから、くたびれた高校の制服かジャージという有様である。
唯一の武器は得意の落語だが、それを披露する機会もなかなか訪れなかった。
二ヶ月目までは講義で、実習は夏からだったし、生徒が多すぎるため披露の機会が回ってくるか怪しい。
だがそれに焦る気持ちが、当時の私にはまだ無かった。
この教室が終わる前に、当時から得意だった初天神で先生を笑わせられたらいいなぁなんて、暢気なことを考えていた。
だが、そうとも言えない事情が出来た。
近いうちに目が見えなくなると、医師に宣告されたのである。
ショックだったし当時は人並みに凹んだ。そのときの辛い気持ちが蘇ってくるから、医者に宣告された時のことはもう思い出したくない。
でも視力と引き換えにひとつ良いことがあった。「いつかなんとかなるだろう」と物事を後回しにしがちな考えが、改まったことである。
なんとかなるだろうと待っていても、何とかならないことはあるのである。
だから当時の私は心を入れ替え、目が見えなくなる前にとやりたいことを全てやろうと決めたのである。
そしてその中でも一番大きな項目だったのが、藤先生に落語を聞かせたい。あわよくば笑わせたいという思いである。
故に私は一大決心をした。先生をストーキングし、家に押しかけ、彼だけのために初天神をやると決めたのである。
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