鴉と雲雀と藤の章

01 夜鴉、小雀を迎えに行く


『おいっ鴉。小雀が酔い潰れたから連れて帰ってくれるか』


 柳亭やなぎてい獅子猿ししざる兄さんにからそんな電話を貰ったのは、深夜2時を回った頃のことである。


「ご連絡ありがとうございます。そろそろかと思ったので、既にいつもの居酒屋の前にいます」


 言いながら入り口の暖簾を潜り店内を見渡せば、馴染みの顔はすぐに見つかった。

 噺家たちは寄席を出ると私服が多いので、この手の場所では埋もれやすいが、獅子猿兄さんの立派な体躯は和装でなくてもかなり目立つ。


「ほら、鴉が迎えに来たぞ」


 空になったビールジョッキを抱えたまま、テーブルに突っ伏している冬風亭とうふうてい小雀こすずめこと雲雀ひばりを獅子猿兄さんが軽く小突く。


「かーくんきた?」


 顔は上げず、もごもごと喋っている雲雀の横で俺は身をかがめる。


「帰りますよ」

「あと一杯のむ」

「駄目です」

「ひとくち、ひとくちで良いから」

「駄目です」

「じゃあチュウ、チュウしよう」

「駄目です」


 ケチだなぁというなり、勝手に店員を呼ぼうとボタンに伸びた雲雀の腕を俺は掴む。

 それから俺は側の伝票を確認し、飲み会の代金をテーブルに置く。


「おい、小雀の分だけでいい」

「今細かいの無いですし、迷惑料だと思って貰って下さい」


 そう言って頭を下げると、そこでようやく雲雀が顔を上げる。


「うん、もらっといて!」

「いやお前が言うことじゃあねぇだろ」

「いいのいいの。カーくんは、猿兄さんのなんっ倍も金持ちですから。お金儲けのプロですから」

「いやでも、今は前座だろう」

「いいのいいの。なんかほら、今も副業でカブの栽培やってるんだよね」


 そっちのカブじゃないと突っ込んでも良かったが、酔っ払いに言っても仕方がない気がして、「そんな感じです」と適当に話を合わせる。


 それから俺は雲雀の荷物を持ち、立てなくなった彼女を背に乗せる。

 驚くほど軽い身体に少し戸惑うが、「そこはお姫様抱っこしてください」などと不満げなことを言われたおかげで動揺は顔に出さずにすんだ。



 小さな身体を背に背負い、俺は圓山師匠の家に――今は自分の家でもある場所に帰る。


「あーあ、お前はまたそんなに飲んじまってよぉ……」


 夜更かしな師匠はまだ起きていて、俺が運んだ小雀の頭をコツンと小突く。

 だがそれに目も開けず、小雀は小さないびきをかいて爆睡していた。


「鴉も、いつもいつも悪いな」

「いえ、問題ありません」


 むしろこうして、酔い潰れた彼女を運ぶ権利があることが、今は嬉しい。

 それを師匠も察しているのか、微笑みを浮かべながら「俺もそろそろ寝るか」といって部屋に引っ込んでしまった。


 おやすみなさいと師匠を見送った後、俺は雲雀の部屋へと向かう。


「……ふじ、せんせ……」


 部屋に入り雲雀をベッドに寝かせると、懐かしい呼び名が彼女の口からこぼれた。


「せんせい……」

「どうした?」

「……よかった、いた……」


 寝ぼけた声で言って、雲雀が笑う。

 それを見ていると愛おしさがこみ上げ、俺は彼女の唇にそっと口づけた。


 藤先生――そう呼ばれていた頃、俺はまさか雲雀に恋をするなんて思ってもいなかった。むしろ彼女を恨んでさえいた。

 でも今は、誰よりも彼女を愛している。そう思えるようになったのはいつからだったのかと考えたが、はっきりとしたきっかけは思い出せなかった。


 けれどその晩、俺は久々に雲雀と出会った頃のことを夢に見た。

 懐かしくて、そして少しだけ苦い夢だった――。

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