終章 破滅の先へ/機械仕掛けの理不尽な道化
竜。
人類の敵。
その脅威の本質は、狡猾さでも、卑劣さでも、個々体の戦闘能力でもない。
………数、だ。
*
「一鉄っ!」
白い羽織のオニの少女は――濁流を腕づくで越えその衣を真っ赤に染めている少女は、けれどその穢れを気に留めた様子もなく、必死で、倒れ伏した鎧武者の元へと駆けた。
周囲には異形の死体が二つ、首を両断され転げ落ちている。敵の統率者を討ったのだ。
けれど、……少女の表情は冴えない。
今討った敵も、未だ続くこの場の地獄も、ただ身を案じ、ただ駆け抜けてここまで来た少女にとって、些事なのだ。
少女は穴を見る。
倒れ伏した鎧武者に空いた穴を。
戦場に怯えない少女の顔に、喪失への臆病さと恐怖が浮かび、けれど少女は唇を引き結び、耐え、やがて鎧武者の襟元を掴むと、ずるずる、ずるずると引きずり始めた。
その場を取り巻く暗い、暗い森は、酷く騒々しい。
指示を出すモノが消え。首輪が外されたことすらも理解する知能はなく。野に放たれた数多の竜は、全て、全て、すぐさま爪で地を抉り、牙を剥き、手近な獲物へと駆ける――。
躯を引きずる少女は、その、背後から迫る脅威に、気付けなかった。
巡り合わせだ。……近場で惑う竜はほぼすべて、レーダには映らない、少女には気づけない異形。
気づいた時には、もはや間に合わず――。
―――けれど、少女の頭が齧られる寸前に、突如、竜の頭がはじけ飛んだ。
ガシャン、と散弾銃をリロードする音が響く。
一拍遅れて、部隊に現れたのは、長身痩躯の、眼光の鋭いオニ。
「奏波………」
呟いた少女の元へと歩み寄り、歩みながら散弾を放ち、また近寄ってきていた竜を撃ち殺しながら、長身痩躯のオニは言う。
「お前の兄から頼まれてる。お前の特攻癖も知っている」
「でも、奏波も、怪我………」
呟く少女に、常よりも顔色の悪いオニは、けれど、それでも無表情に、倒れ伏す鎧武者を見て、言った。
「……それよりはマシだろう。鎧を脱がして運ぶべきだ。……カバーする」
その、味方の言葉に、少女は、すぐに頷いた。
その周囲の森の中では、今も、数多の、首輪の外れた竜が、餌を探して這いまわっている――。
*
統率者が失われた場合、いわゆる人間の軍はその機能を失う。
戦術的に、戦略的に、理性的に大勢が機能出来なくなった結果か。
否。
人間は、理解してしまうのだ。統率者を失えば、失うと同時にこの戦場で自身が、自軍が負けたと、そう理解する。
敗北を理解した上で、まだ抗おうとする者も中にはいるだろう。だが、誰しもがそう振舞う事は、人間同士の戦闘ではありえない。
敗軍の兵は形はどうあれ保身を考える。逃走。投降。あるいは殉死。命を守るか、思想を守るか、あるいは残存した友軍を守るか。
――竜には、その全てが存在しない。
思想はない。保身もない。イレギュラーな統率者がいなくなれば、シンプルな本能だけがそこには残る。
破壊だけが残る。
災害のような暴力だけが――。
*
この世の地獄を、紅色の羽織の女は見ていた。
竜。竜。竜。竜。竜。竜。竜………。
見渡す限りの光景の全てが、その異形で埋め尽くされている。
つい、先ほどまでは、目の前の異形には理性があった。統率があった。
それが失われた果て―――目の前にあるのは純粋な暴力の波。
周りで何匹倒れようと構わない。生きていようが死んでいようが、周りにあるすべてのモノを踏み越えて、すべての竜がすぐ目と鼻の先にある獲物へと血しぶきを上げて迫る――。
「諦めるな!知性体を殺ったって事だ!陣形を維持しろ!」
紅羽織の女は配下の背に声を上げる。その声に返事を投げる余裕すらなく、オニは鎧は、引き金を引き続ける――。
声を上げていなければ、対面の竜の狂気に、暴力に呑まれる。
声を掛け続けなければ、その狂気を目の前にする兵たちはすぐさま折れるだろう。それほどまでの暴力の嵐だ。
最中で、声を上げつつ、紅羽織の女は内心歯噛みする。
無垢な少女がその向こうへと飛び込んでいった事を知っているのだ。
長身痩躯、口下手のオニが、すぐさま追いかけたそれを見送ったのはいったいどれほど前か。
止めどない暴力の渦は、終わりの見えない破滅の濁流は、思考も、威勢も、時間の感覚さえ奪い去っていく………。
一人ならまだ楽だ。紅羽織の女は、仮にこの場に自分一人だけが取り残されていたのなら、幾らでも耐えただろう。抗い抜いただろう。
だが、紅羽織の女がそうと動いて、理性を捨てれば、配下の兵は蛮勇に習う。理性を失ってしまう。そうなれば――ここに残るのは破滅だけだ。
弾薬よりも。刃よりも。体力よりも。……あるいは、命よりも。
心が先に、折れそうだ。
そんな、開けの見えない夜の凶宴に、不意に、声が響いた。
「お……マジかよ……飛び切りの増援が来るぞ!耐えろ!」
一人の鎧、暴力の渦を正面に受け、尚抗っているその男の声に、紅羽織の女は、月夜を見上げた。
――何羽、黒い、烏が見える。否、それが烏であろうはずもない。
一羽。あるいは一機。逸るように先に出る烏、その
*
――心底、恐ろしいと思う。いつも、いつだって、いつまでも、いつになっても、竜が、恐ろしい。
だが、その恐怖は、同時に武器にもなるらしい。
恐れるからこそ命を惜しむ。
恐れるからこそ、生き延びようとあがく。
誰よりも恐れ続けるからこそ、誰よりも生にしがみ付くからこそ、恐れを乗り越える術を命がけで学んできたからこそ、
……結局は、他に生き方を知らないだけかもしれない。
先行した輸送機の腹の中。そこに収まった
瞼を閉じる男の耳に、パイロットからの声が聞こえてきた。
『中尉、ご注文通り先行、低空飛行に入ります。30秒後に指定のポイントに付きますが……本当にやるんですか?』
「ああ」
愛想悪く、ただ端的に応えた声に、パイロットは顔を顰めたのだろう……。
『今更止めはしませんが……技術部が言う理論上不可能じゃないはず、って要するに無茶って事ですよ?』
「問題ない。大抵の無茶は、しても死ななかった」
淡々とまた、そう言うと、パイロットは黙ってしまった。絶句、なのだろうか。
それに、少し、茶化すように笑って………。
「別に、もう、死にたいとは思ってない。少しでも早く、戦友を助けたいだけだ。……開けてくれ」
『……了解』
納得したのか、あるいは呆れたのか。
パイロットの返事の後、背後で、輸送機が開いた。暗がりばかりだった格納室に、月明りが入り込み、そこに立ち尽くす黒い鎧を照らし出した。
“夜汰鴉”、だ。年季の入った、ただの量産機。ただし、顔面の左側に、センサー類でも集中させたのか、割れた鬼の面のような、そんな意匠が入っている。
右手に、盾のようにも見える――だが盾ではない、何本もの杭の群れ、それを打ち出すいつの間にか気に入ってしまった
腰には野太刀が一振り。背中には20ミリの銃身とその予備弾倉。
そして、その両手に抱えるように――馬鹿みたいに巨大な砲身を握っている。
その“夜汰鴉”、その中にいる男の耳に、暫しカウントダウンが聞こえ……やがて、パイロットから最後の冗談が投げられた。
『……中尉。帰りはどうします?迎えに来ますか?』
「……這ってでも帰るさ、」
そう、答えた直後――“夜汰鴉”は
*
――鈴音は、夜の森の中を駆け抜けた。
背中が、温い。とめどない血が鈴音の背中を濡らし、けれどそのぬくもりに反して、背負っている一鉄の身体が冷たくなっていく――。
周囲では、首輪の外れた猛獣が無作為に動き回っている――そのうち、会敵する分を、先んじて奏波に伝えて、対処してもらう――。
だが、そうしながら、鈴音の表情は曇って行った。
一鉄の脈はまだ、かろうじて残っている。だが、本当に、かろうじて、だ。
一刻を争う状態である。だが、そうすんなり、陣地へと戻れそうにない。
異能があるからこそ、だ。その光景を見る前に、鈴音は気づいていた。
森が、開ける―――その先にあったのは、秩序のない地獄だった。
遮二無二暴れまわっている何匹もの竜。それに、どうにか抗い続けているオニ、ヒト。
かろうじて陣形は保たれている。だが、かろうじて、だ。今にもその場の人間はすべからく竜に呑まれそうになっていて、そして、一鉄の治療をするために、かろうじて残った陣形の内側に行くためには、その、竜の波を超えて行かなければならない。
あるいは、一鉄を背負っていなければ、鈴音はそこを抜けていくことが出来たのかもしれない。
けれど、それではなんの意味もない。
また寂しい思いをしたくないから、無茶を押して竜の波を抜け、一鉄がいるのだろうその場所へと向かったのだ。
ただ見送るだけでは、後悔しか残らないことを知っているから。
残されてはただ寂しいだけだと、そう、知っていたから。
「………ッ、」
鈴音は歯を食いしばり、不可能だろうとも力づくで、そこを抜けようと動きかけ、そこで、鈴音は見た。
空から、鎧が落ちてくる――。
“夜汰鴉”だろう。それが一体、高速で低空を駆け抜けてくる輸送機の腹から飛び降り――。
落ちながら、その手に持つ砲身を、そのトリガーを、弾いた。
―――あり得ない轟音が夜に響き渡る。
よほど反動の大きい武装なのだろう。自由落下し、輸送機の慣性もそのままに高速で地面に叩き落とされるはずの“夜汰鴉”が、一瞬、空中で静止した。
そして、砲口から放たれたのは――散弾だ。
バカげたサイズの。
バカげた拡散範囲の。
超々反動大口径散弾砲。
そこから放たれる、非常識な攻撃範囲の散弾の雨。―――受けた先にいた竜は、一瞬で散り散りに、粉々に、血しぶきになって乱れ飛ぶ――。
爆音なのか、轟音なのか、雷でも落ちたような音を鳴らし、それで器用に落下の勢いでも減らしているのか――。
理論上不可能ではないかもしれないが、どう考えてもあり得ない。少なくとも常人に出来る、いや、やろうと思う事ではない。
思わず絶句し、宙を見上げる鈴音の視線の先で――
――目の前を遮っていた竜の集団が、消えた。
地面が陥没したかのように、散弾の銃痕が地面を、竜の群れを抉り、竜だった破片が方々にはじけ飛び、血の雨が目の前に降りしきり――。
――その最中へと、“夜汰鴉”は落下した。着地、ではない。落下だ。いろいろ手を尽くしても結局勢いを殺しきれず、あるいは最終的に身体能力に任せでもしたのか。
それこそ爆音のような着地音を鳴らし、殺しきれなかった輸送機からの慣性で、地面に手を付けながら滑り、地面の破片なのか砂埃なのか、あるいはその落下に巻き込まれた竜の破片なのか、血煙のようなモノを周囲にまき散らす。
そうして、漸く、その鎧は、勢いを殺し切ったらしい。
「……俺じゃなきゃ死んでたな、」
そんなバカみたいな呟きを漏らしながら、その“夜汰鴉”は、担いでいた巨大な散弾砲を躊躇なく投げ捨てた。
そして、鬼の面のようなその貌を、鈴音と、それから背後にいる奏波に向けると、目の前の破砕された地面を指さし、言った。
「……
確かに、道は出来ている。まだ、竜はそこら中で暴れている。今ある道がいつまでもあるとも限らない――。
やっと、我に返り、鈴音は頷き、駆け出した。その後を、奏波もまた、鈴音をカバーして近づいてくる竜を撃ち殺しながら、駆けていく。
それを見送って、その、派手に登場した“夜汰鴉”は、けれど何事もなかったかのように、腰にあった20ミリを手に取って、竜の密集地帯へと自ら飛び込んでいった。
*
視界の端で、鈴音が一鉄を連れて陣形の内側に入り込み、そのまま医療テントへと駆けていく。
奏波は鈴音を送り届けると、そのまま陣形の一部に入っていった。
それを確認した末に、扇奈の視線は一点に止まった。
さっき落ちて来た“夜汰鴉”が、バカみたいに竜の頭上を跳ねまわっているのだ。
跳ねながら銃弾をばらまき、竜を踏み殺し、踏み殺すと同時に手近な竜を撃ち殺し、撃ち殺したと思った時にはまた跳ね上がって――。
竜は近くにいる敵を無作為に追いかける。その中を横断して行けば、多数の竜の注意を引きつけることもできる。そうやって一人が無茶すれば、他の味方の負担が減る。
先ほどまで瓦解寸前だった陣地、防衛線が安定し始めている。派手な登場と同時に相当数竜を殺したこともあるだろう。派手な登場で味方の士気が上がったこともあるだろう。
………とにかく、一山超えたかもしれない。
と、そんな扇奈の元へと、例の、跳ねまわっている馬鹿が、竜を踏み殺しながら近寄って来る。
瞬く間にやってきたその鎧は、扇奈の目の前に着地すると同時に、もう、空にしたらしい20ミリの弾倉を捨てていた。
「カバー!」と統真が声を上げ、陣形に入っているオニが、鎧が、一斉に銃撃の密度を上げる。
どうやら、リロードのついでに挨拶に来たらしい。
そんな事を思いながら見上げる扇奈に、“夜汰鴉”は弾倉を交換しながら、声を投げた。
「扇奈か……。地獄が好きな奴だな、」
「……あんた程じゃないよ、」
その扇奈の返答に、どうも、その鎧の中の馬鹿は笑ったらしい。
と、思えば、リロードを終えたのだろう。その馬鹿はまた、竜の群れへと突っ込んでいく。
「………まったく、」
呟く扇奈の視線の先で、馬鹿は元気に地獄で跳ね続け――その更に向こうでは、輸送機から降下した多くのFPAが、落下傘を開いて、この戦場へと降りて来ていた………。
まだ、竜は残っている。
まだ、終わった訳ではない。
けれど、………この戦場に、確かに終わりが見え始めた。
*
戦場の救護テントには、セオリーがある。
まず、軽傷者の処置だ。怪我の軽いモノは、治ればまた兵士として働ける。
けれど、逆に重傷者は……後回しにされる。
鈴音は良く知っている。……勉強したのだ。元々、……片割れがいなくならなければ、そっちの道に進んでいたはずだったから。このご時世で、医療を志す時はどうしても、戦場が前提の教育を受ける事にもなる。その場所に赴く、赴かないは別にして。
外が乱戦だからか。怪我人が多く、医療テントはほとんど満杯に近かった。手が空いている者などいないのだろう。軽症者が優先だ。すぐに治る可能性の高い者。あるいは、すぐでなくても、治る可能性の高い者。
医療テントの片隅で、鈴音は一鉄の傷を見る。
深い。すぐに治る傷ではない。いや、それ以前に、治らない可能性も………。
診ればわかるだけの知識が、鈴音にはあった。
医学の勉強は途中でやめてしまった。それでも、率先して、身を入れて、何なら学ぶ順番を変えてまで先に知っていた知識があった。
弟は昔から危なっかしい。いつの間にか追い越されてしまって、戦場へと見送ってしまって……いなくなったと聞かされる前も、どこか、気にしていたのかもしれない。
知識はある。………処置の経験はない。
応急処置くらいしか、やったことがない。
知識も経験もあるだろうオニは、他のけが人で手が回っていない。
そもそも、鈴音が今ここにいる事自体が私情だ。本来なら鈴音も前線に行くべきだ。それはわかっている。わかった上でまだここにいる。そのわがままを、他人にまで押し付ける訳にはいかない。
だが………一鉄を見捨てる気にも、なるわけがない。
ふと、……小刀が目に付いた。一鉄が、お守りのように、身に帯びている小刀。
鈴音が渡したものだ。
生きて返して、と、そう願掛けして渡したもの。
ついていくべき時に、ついて行かず。何もせず見送って、形見になってしまったモノ。
同じ想いをしたくはない。
今度は追いかけた。間に合った。間に合ったと、そう言えるように………。
「フゥ………」
鈴音は、大きく息を吐き、覚悟を決めた。
……こぼれかけの命を救い上げる、覚悟を。
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