4 怨嗟に縋り/彼岸の果てに華を見て

 …………後悔しか、ない。

 あまりにも、あまりにも、果たせなかった事が多すぎる。


 犠牲はあった。それでもやっと、オニとヒトは合流して、真っ当に手を組めるはずだった。

 蛮勇を誇れずとも、その一部として、自分は生きて、帰れたかもしれない。


 帰ってあげて。

 やっと気づけたその願いにも、この傷では応えられそうにない。


 失って初めて大切と気付く?そんなことは、ない。失う前から大切だった。大切な願いだった。ただ、それを果たせないだけだ。果たそうと思った時に、いつも、それが失われてしまう。ただ、それだけ。


 銃声が遠い。地響きが、悲鳴が、うめき声が遠い。

 世界が遠くから聞こえてくる――不思議とセミの声だけが、夜なのに、おかしい話だが、とてもよく響いてくる。


 狂気ばかりだ。狂気ばかりこの場所に詰め込まれている。あるいは、セミすらもそれに当てられていたのか。


 冷たくなっていく身体。熱が抜け落ちていく身体。すぐそばを竜がはい回るが、もう死に身体と判断されたのか、この、呻くばかりの鎧を襲ってくることはなかった。


 滲み、霞み始める視界―――それが、昆虫のような、玉虫色の、てらてらしたトカゲを見上げる。


 こいつに、殺された。何もかも、こいつが奪い去って行った。

 そうわかっても、復讐とまで、仇討ちとまで、命の最後が燃えることもなかった。


 結局、その程度の横恋慕。碌に時間も思い出もなかった。あるいは、死ねば逢えるか、ここで倒れた後に、優しい夢でも見られるのか。失血の感触は酩酊のように甘く――

 ――手を振っている。


 初め、その、霞んだ視界で動くその光景が、鈴音のモノかと思った。あの世が見えたかと。だが、違う。そこはどこまでも今生。


 手を振っているのは、竜だ。目の前にいる、竜。虫のような色の、感触の、竜。

 それが、こちらを見下ろして、手を振るように、傷で膨れたその腕を振ってきている。


 単眼。嗤ったような顔。いや、明らかに、嗤っている――。

 この知性体は、トカゲは、クソ野郎は、わかってやっているのだ。


 こいつはずっと見ていたはずだ。鈴音を殺したのもこいつだ。殺す直前に鈴音がどういう仕草をしていたか見ていた。それを、真似している。


 何を意図してか――ただ煽っているだけか、それが勝利の仕草だ、とでも学んだのか。


 どちらでも、構わない。どうだって良い。冷めた身体が、死んでいる、数秒先に動きを止めるだろうその身体が、熱を持った。





 ―――この野郎、嗤いやがった。

 怨嗟か。復讐か。怨念か。――それが今生での、月宮一鉄の、最後の足掻きだ。


 ……このクソ野郎も連れて逝ってやる。


「――がァッ!」


 声にもならない、絶叫と共に、最後の力で、もう死んでいる身体を、鎧を動かし、知性体クソ野郎へと飛び掛かる――。


 もう動かないとタカを括っていたのだろう。知性体は驚いたように身を引き、だがそれと同時に反射のように、その、巨大な尾が蠢く。


「グッ、あァ………」


 衝撃が、身体を貫いた。見下ろした視線の先で、……自分の体に二つ目の大穴が空き、そこに、血みどろの尾が、突き刺さっている。


 宙を浮いている――失血で意識は浮き、尾に貫かれ宙づりにされ、身体は浮き上がり……そんな視界の先に、けれど、武器を見た。


 太刀、だ。FPA用の、太刀。使う気のなかった月宮の飾り。だが、確かに、それは武器だ。


「――――アアッ!」


 咆哮と共に、抜き打つ――。軍隊の、いやその前に武人の家系の生まれとして、その技能は習得している。ただ、この状況ではあまりに無力な一閃だった。


 カン、と、そんな軽い音を鳴らして、決死で振り回したその刃が、折れた。視界の端を、折れた刃が飛んでいく――。


 目の前の知性体。その、頭を確かに切った。だが、オニの異能など持っているはずもなく、宙づりにされて碌に踏み込みも出来ず、腕のみ、それも死んだ躰から繰り出される一閃は、竜の外皮を貫くには非力過ぎた。


 刀傷は、浅く、単眼の横に模様が増えた、ただそれだけの傷。

 これで、一矢報いた。それで、満足して逝くか?合わせる顔が、あるのか………?


 知性体が、虫のような、トカゲ野郎が、嗤っている――笑うようなその単眼に、あまりにも情けなく、折れた太刀を手に、夜空を背に、うなだれるような“夜汰鴉月宮一鉄”が写っている――。


 気に食わなかった。諦めたような自分自身が。どこまでも人を嘲る、目の前の、クソ野郎が。

 だから―――。


「………ァ、」


 もはや声を上げるだけの機能も、この身体には残っていない。それでも、それでも……殺意は腕を動かした。


 突き立てる。単眼に、そこに映る自身に、煽るように間近まで迫っていたそれに、折れた―――折れて尚鋭敏に、確かに残っていた太刀殺意を。


 苦悶の絶叫が響き渡る。知性体は、自身の顔を、折れた刃を付きたてられたその目を覆い、返り血が降りかかり、―――宙にある鎧が、投げ飛ばされた。


 受け身を取る力すら、残っていない。ただ、自身の傷から血をまき散らしながら、トカゲの目を奪った、その返り血を全身に浴び、自身の血と混ぜ合いながら……どさり、いや、ぐしゃりと、地面に落ちる。


 もう、碌な意識は残っていない。意思も、無い。

 向こうでは、ヒトが、オニが、未だ竜へと抗っている。あちらは、彼らは、きっと、何とかするだろう。そう、想うほかにない。


 目の前では、鈴音を殺したトカゲが、痛みにのた打ち回っている。

 あの知性体も、殺せたわけではないだろう。だが、目は奪った。もうこの先、今回ほどの嫌がらせも、暗殺も、出来ないはずだ。


 新兵にしては、つい数日前まで、竜が怖くて引き金すら引けなかった男にしては、上出来な、道連れだろう。


「……ハ、ハハ………」


 乾いた声はもう、笑い声とは聞こえない。

 セミの声ばかり聞こえ、目の前で痛みに狂うクソ野郎を眺めて、一鉄の意識は、今度こそ、眠るように、遠ざかっていく――。


 意識が遠ざかる――視界が赤く、赤く染まっているのは、出血で目がおかしいからか、本当に赤い光でもあるのか。

 それすらわからず、わかる必要もないと、そう一鉄は瞼を閉じた。


 想ったのは、鈴音の事だ。


 逢えるだろうか。何を言うんだったか。感謝と、謝罪と、あと、それから………。

 眠るように………月宮一鉄は、そこで終わった。



















 *


 気付くと、夜空を見上げている。セミの声が酷く良く響く、静かな夜。彼方の空が紅く、輝いているように見える。


 そこは、先ほどまでいたはずの、あの地獄ではなかった。


 呻く、生かされた重傷者はいない。戦っているオニも、FPAも、竜の絨毯も知性体も、ない。


 だが、竜の死骸はあった。3つ、だ。一つは脇差しに目を抜かれ、他の二つは太刀で両断されている。そんな――どこか見覚えのあるような、風景。そう、初めて会った時、一目ぼれしたその時の、風景だ。


 そこに、女神が立っていた。角の生えた、女神。また、目にしても、やはり女神だと思う。

 背が低い。顔立ちがどことなくあどけない。年若い、オニの少女。もう、死んでしまった彼女。白い、綺麗な羽織を羽織っている、綺麗な少女。


 彼女は脇差しを、竜の頭から乱雑に引き抜き、それを納め……その拍子に顔にかかったのだろう、黒い長髪を掻き揚げる。


 彼岸で、会えたのか。あるいは、末路に見たただの夢だろうか。

 どちらでも、一鉄は構わなかった。ただ、また、会えて、それだけで嬉しかった。



 この先が、欲しかったのだろう。

 もっと、語らいたかったのだろう。


 その通りだと、想う。彼女の事は、名前も含めて、後から知ったことばかりだ。

 だから……そんなことを思ったから、こんな夢を見てしまうのだ。こんな、幸せな夢を。


 まさしく、夢見心地かもしれない。髪を掻き揚げていた彼女が、不思議そうに、視線をこちらに向ける。それに、一鉄は笑い掛けて――今生では一度も呼びかけることの出来なかった、名乗って貰う機会さえ失われた、その名前を、呼んだ。


「鈴音さん………」


 不思議そうな表情をする彼女が、美しい。そう思って、一鉄は願った。

 美しい光景の中、夢の中、今生で果たせなかった、この続きを、と………。

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