3 儚き希望/果てなき地獄

 扇奈がその変化に気付いたのは、それからしばらく後だった。


 終わる宛のない地獄で歯を食いしばり、オニの円陣の中心で声を上げ、あるいは突破されかけている味方を助ける為に前線に出て押し返し、戻って別の方向の竜に対処し――。

 それをしている時に、だ。


 援護射撃が届いたのだ。


 円陣の内側の、オニの手によるそれではない。

 背後、帝国の陣地の側から――重苦しい火砲での射撃が、竜を襲う。


 弾幕、に近い。それも20ミリと言う大口径で実施される、洗練された制圧射撃だ。

 真横から降りしきる弾丸の雨が竜を飲み込み、それに打たれた竜が、真っ赤な絨毯のように倒れ込む。


 視線を向けた先には、軍隊、があった。

 布陣を敷き、陣形を整え、射撃をしながら前進してくる友軍。


 壮観でもある。鋼鉄の鎧が、生身では扱いきれそうもない火器を手に、制圧しながら前進してくるのだ。それも、どの鎧も返り血や傷で汚れている。


 威圧された、に近い感想を扇奈は持った。この戦域の初めで特任大佐殿が意図したような、威圧。

 だが、それが味方となれば、これ以上心強いこともない。


 どうにか機能を回復した帝国軍は、集団戦術で、彼らの側にいた竜をあらかた掃討したらしいのだ。


 こうなればもう、挟撃を受けている訳ではない。十分な火力支援を受けられる、勝ちの目のある戦闘だ。


「ふゥ………」

「やっと、っすね。姐さん」


 思わず大きく息を吐いた扇奈に、部下がそう声を掛けてくる。

 それに、扇奈は肩を竦めた。


「よその事情も仕方ないさ……後ろは味方だ!前だけ見てな!」


 そう声を上げて、扇奈は、太刀を手に、最前線へと躍り出た。

 その戦場を制圧し切るのに、そう、時間はかからなかった。


 *


 最後の一発――銃声が鳴り響き、それで、その夜は静けさに包まれた。

 硝煙の上がる銃を手に、一鉄はスコープから視線を外し、周囲に視線を向ける。


 動いている竜は、もう、いない。襲って来た竜の最後の一匹を、今、撃ち殺したのだ。


 視線の先には、FPAとオニの一団があった。一様に気を抜いたように、お互いに視線を向け、その輪の中心で、一機の“夜汰鴉”と扇奈が、何がしか話し、握手をしている。


 “夜汰鴉”の方は統真だろうか。宣言通りに口説きでもしたのか、扇奈が可笑しな、呆れたような顔をしていた。それから、扇奈、そして統真の視線が一鉄の方を向く。


 と、そこで不意に、隣から、淡々とした呟きが一鉄の耳に届く。


「……大活躍だな」


 奏波、だ。普段通り、あまり表情の変化は見えないが、心なし嬉しそうな顔をしているようにも思える。


「はあ………」


 活躍、と言われても、一鉄にはいまいち実感はわかなかった。

 ただ、狙撃しただけである。むしろあそこから巻き返せた帝国の兵士たちが、あるいはあの状況で堪えていたオニたちが凄いのではないか、と一鉄は思うのだ。


 だが、まったくなんの役にも立てなかった、と言う訳ではない。それは、確かだろう。


 漠然とした、達成感。とにかく、これで、目の前にある窮地は抜けた。

 まだ、戦域を抜けた訳ではない。被害は甚大だ。けれど、オニとヒト、手を組み始めることは間違いない。そうなれば、生きてこの場所を脱出できる可能性も、高くなる。


 鈴音の最後の願いの通りに、帰ってやることが出来るかもしれない。

 何所か、放心していたのか。暫く静けさに身を浸し、それから、一鉄は、漸く立ち上がった。


 そして、仲間たち――帝国軍に、オニに、合流しようと、歩き始める。

 ――と、そこで、だ。


 一鉄は、気付いた。セミの声の中に、苦し気なうめき声が響いていることに………。


 帝国の陣地の方だ。生き残りが居たのか………そう、視線を向けた直後、一鉄は息をのんだ。


「な、………」


 生き残りは、確かにいた。それも相当数だ。

 竜の死体が折り重なるその中を、相当数のヒトが、大けがで満足に動けないようなヒトが、血と泥にまみれながら、蠢いている………。


 誰しも、今生きているのが奇跡のような、少なくとも戦闘に参加することは出来ないような、そんな大怪我だ。そんなけが人が相当数――あるいは、未だ健在な兵士と同数程に、……うめき声をあげ、這いまわっている。


 戦闘中は騒音で気づけなかった。だが、静かになったからこそ目に付く、地獄。


 戦闘の後の地獄。それも、異常な、重傷者の生存率。

 同じ光景を見ているのだろう。奏波が顔を顰め、呟く。


「……生かされたのか?竜に?」

「生かされた………?」


 惨状を前に、一鉄は鸚鵡返しにつぶやくばかりだ。生かされた。竜がそんな事をする理由が、一鉄にはわからなかった。


 ただ、……戦術のセオリーとして、知識としては、ある。

 死者が多い軍隊より、負傷者が多い軍隊の方が、苦しい。冷たい言い方になるが、生きていては、……その世話に物資も人手も掛かるのだ。


 部隊の半数が死んだら、残りの半数は敵討ちで襲い掛かってくる。

 部隊の半数が負傷兵だったら……負傷兵を抱えて機動力は落ち、物資の消費も多く、その姿に士気も下がる。


 倫理を完全に無視すれば、敵兵を殺さず、だが二度と戦えなくする、と言うのは、理に適っている。



 ………一鉄は、知らない。

 オニたちの行動を、知性体がずっと観察していたことを。

 負傷兵を抱えた軍隊が、どう動くか、見て学んでいたことを。


 結果として、使い物にならない兵士なら生かしておいた方が得になる、人間はそこに物資を投入する、戦域から逃がそうとして、……楽に分断できる。生かした方が楽に戦力を削げる。そう、知性体が学んだ事を、知らない。


 だが、わかることもある。

 これは、手心などではない。倫理のない知性によって形成された、最低最悪の、嫌がらせだ。


「………知性体……」


 思い出すように………思い至った。

 知性体はまだ、この戦場に残っている。あの、昆虫みたいな奴がいる限り、こういう嫌がらせは続くのだろう。そう、あの、鈴音を殺した奴が、まだ、生きている。


 扇奈が、こちらへと視線を向け――一鉄の横にある地獄に気付いたのだろう。顔を顰めながら、こちらへと歩み寄ってくる。


 一鉄は、嫌な予感がした。知性体は、こういうタイミングを狙って、動いていた。

 この間、オニのトレーラを奪取した時は、扇奈を狙っていた。その扇奈が、今、仲間の輪から外れてこちらへと歩んできている。


 手を振ってきた、振り返せなかったあの時を思い出した。

 警戒するべきだ――。


「け―――、」

 ――そう、声を出そうとした。けれど、声が出なかった。不思議と、口の中が鉄臭く、視線を向けた先で、扇奈が目を見開いている。


「一鉄!………ッ、」


 真横で奏波が声を上げ、けれど直後、何か、衝撃に弾き飛ばされたかのように、その体が吹き飛んでいく。

 それを視界に捕らえ――一鉄の意識が揺れた。いや、身体が、か。


 何かに持ち上げられ、ゆすられたように――ずる、と剣が抜けたような音が、自分の身体から響いてくる。


 放り投げられた一鉄は、地面に倒れ込んだ。倒れた自分を中心に、赤い液体が広がり、地面に吸い込まれて行く――。


 朦朧とし始めた意識、視線を上げた先に、何かが居た。

 透明な、だが、確かにそこにいる、妙に月明りが屈折している、そんな何か。

 直後――それが色を持つ。


 黄色のような、緑のような、青のような。気色悪いてらてらした鱗に、液体に覆われた身体。普通の竜より一回り大きい、身体。昆虫のような色合いの、竜。



 知性体。

 そいつが、嗤った。

 直後、その、知性体の背後で、林の中から、多くの単眼が、オニを、鎧を射すくめた―――。


 *


 銃声が、悲鳴が、うめき声が、響いては地鳴りにかき消されて行く――。

 敵の、竜の増援。いや、追撃か。先ほどよりも多くの竜が、完全にオニを、帝国軍を包囲して、飲み込もうと迫っている――。


 地獄を抜けたと気を抜いた矢先だ。弾薬を使い切っていた者もいたのだろう。

 あまりに、あまりに凄惨な地獄があった。蹂躙があった。


 心理的にも、物理的にも、あまりにも――そう、性格の悪すぎる嫌がらせ。

 それをやっているのだろう、昆虫のような知性体は、高見の見物を決め込むように、その輪を遠くから眺め、嗤っていた。


 その真横には、血みどろの、元から入っていた赤い装飾を、本人の血で塗り替えた、腹に大きな風穴の空いた、そんな、死に体の鎧が………。

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