2 拭い得ぬ狂気/飼いならす恐怖
……やはり、奇妙だ。
竜が全く襲ってこなくなった。レーダーにも一切反応しない。集団でどこかへ移動したのか、泳がされているのか。
鈴音も似た不安を抱いているのだろう。しきりに周囲を見回している。
だが、進まない訳にも行かない。救難信号の先がどうなっているか、目視で確認できれば、罠かどうかもはっきりするだろう。
歩んでいく。歩んでいく。歩んでいく。
やがて、目的地にたどり着いた。小高い丘、崖のように片側が抉れている、そんな小さな山のような場所だ。周囲を見回すならそれ以上ないだろう、場所。
斜面の側から、その丘へと近づいて行く。
その丘の周囲も、妙だった。木々が倒れている。この場所で戦闘でもあったかのように。
だが、………死体は一切ない。ただ、戦闘の跡だけがそこにはあった。
この近くで竜に襲われた者がいるのか。その誰かが、逃げ出したのか。あるいは……。
「……これも罠かな?」
「……何もかもそう見えてきますね」
鈴音の呟きにそう答え、一鉄はレーダーに視線を向ける。竜の反応は周囲にない。
だが、あの知性体、姿が消せる奴は、レーダーにも映らなかったはずだ。それだけで安心できる訳でもない。
「どうする?」
「……ここまで来て、引き返す意味はないでしょう。罠なら、どっちにしろもう、包囲されてるでしょうし。何より救難信号の元を確認したいです」
その一鉄の言葉に、鈴音は頷いた。
一鉄も頷き返し、斜面を登っていく。
はじめは、森が、林が続いていた。上っていく毎に、やがてそれが疎らになっていく……。
日の光が降ってきた。丘の頂上辺りは開けていた。地面には雑草が生え、背後には森。足元、手前には、崖だ。
周囲の情景が、見回せる。こんな、戦場でさえなければ、綺麗な景色だっただろう。
青々と広がる森に、セミの声が響き続けている。
そんな、とても綺麗な、どこか澄んでいるかのように見える景色の一角に、………ソレはあった。
“羅漢”が、立ち尽くしている。救難信号を発しているのは、それだろう。
その周囲に、竜が何匹もたむろしていて、地面が、嫌に……赤黒い。
遠目に見ればそれこそ赤茶けて錆びた水の中を虫が這いまわっているようだ。
けれど………這いまわっているのは、断じて虫ではない。竜、でもない。
一鉄は、知っていた。見た覚えがあった。前回の、一巡前の、最後。
勝ったと思った後に目に付いた、戦場の跡。傷を負って、けれど死ねず、ただ呻き蠢くしかない兵士の群れ。
地獄、だ。……竜の奇襲を受けた、その中でもより狂気染みたこの戦域の知性体の奇襲を受けた、兵士の、部隊の馴れの果て。
「…………あれ、………え?」
鈴音の呟きが聞こえた。同じ光景が見えたのだろう。FPAと違って肉眼だから、望遠なんて出来ないだろうが……それでも、目が良いのか。見てしまったようだ。
呆然と、目を見開き、鈴音は立ち尽くしている。……理解を超えた狂気を目にしてしまったのだ。
何か声を掛けようにも、………声を掛ける間がなかった。
ざり、と、音が聞こえる。足元………垂直の崖を無理やり上って来た、何か。
何か、……と、問うまでもない。それが目に入った瞬間に、一鉄はトリガーを引いた。
放たれた20ミリが、今、崖から顔を覗かせた単眼を、果実のように弾き飛ばす。
やはり、罠だったのか。それも、二重の罠だ。
救難信号のその場所が、罠だとして。それに気づいて、近づく前に確認しようとして、まず目に付くこの小高い丘も、罠。
だが、そこまでなら、ある程度覚悟を決めていた話だ。問題は、
(……今の竜、レーダーに映ってなかった……?)
たった今撃ち落とした奴は、知性体じゃなかった。だと言うのに、足元まで近づかれたのに、レーダーに反応しなかった。
知性体の能力の一部が、ただの竜にも分けられているのか。
……レーダーは信用できないかもしれない。周囲に、視線を向ける。今の銃声が、引き金になったのか。背後の林が騒めいている。崖の下にも、何匹かの竜が現れて、崖を上り始めている。
やはり、あの知性体ではない。姿を消せるわけでもないらしい。だが、レーダーではとらえられない。竜の皮膚がどことなくテラついて見える……知性体についていた液体に、レーダーを無効化する力でもあるのだろうか。
そう、わかっても、ここを切り抜けられなければ、その知識を生かすことも出来ない。
「鈴音さんッ!」
声を上げ、一鉄は近づいてくる竜へと銃口を向けた。
だが、その横で……鈴音は、たった今竜が落ちて行ったそこを見つめて、固まったままだった。
「……鈴音さん?」
*
悲惨な光景は、見慣れている。ただ、ついさっき、今、見てしまったそれが、中でも指折りの地獄だっただけだ。
何も出来ないのにただ生かされているだけの兵士達。死ぬまで呻くしかない、人間の山。だんだんと力尽きていく人間。
けれど、それだけなら、鈴音は固まらなかっただろう。
問題は、同時に、別の恐怖が襲い掛かってきたことだ。
「……
呟いて、鈴音は、呆然と眺め続ける。たった今、一鉄が撃ち落とした、……そうするまで存在に気付けなかった、竜。
鈴音は勇敢だ。どこか死に急ぐように前線に立っている。だが、ただ勇敢だからそうできていたわけではない。
異能があった。オニの中でも特別な、天然のレーダーだ。常時全方位が見えているような、そんな第六感的な感覚である。それが、ただの竜に、無効化された。
戦場で突然、目隠しをされたような気分だったのだ。
頭の片隅に、知性体の事はあった。この異能が無効化される、その可能性も頭にあった。
けれど、突然目隠しをされたような心細さの中で……直前に見た地獄が脳裏をよぎり続けてしまう。
「鈴音さんッ!」
何所か叱責に近いような一鉄の声と共に、銃声が響く。
鈴音は周囲を見回す。竜の姿が目に入る。何匹も、近づいてきては一鉄に撃ち殺されている。
そのことに、目で見て初めて気付く。
背後を見る。竜はいない。けれど、いても、気付けないかもしれない。気付けないまま死ぬかもしれない。いや、殺されず、あの、地獄の中で呻くように、死ぬまで、何もできないまま………。
「………ッ、」
恐怖を押し殺すように、鈴音は歯を食いしばった。そして、太刀を抜き放つ。
いつもより、身体の動きが鈍い気がする。太刀が、重い気がする。だが、そんな事を言っていれば………ああ、なるかもしれない。
「鈴音さん?待って、」
「うわあああああッ!」
悲鳴のような雄たけびのような――それこそ新兵のような声を上げて、鈴音は駆け出した。
いつもなら、戦術的に動く。常時周囲を俯瞰しているような感覚を、生まれ持っているのだ。どれが味方に任せて良い敵か、どれがダメな敵か、どこから狙うべきか、竜の前に身を躍らせながらも、きわめて冷静に立ち回っている。
だが、今は違った。生まれ持った感覚を信用できなくなった。背後に怯えざるを得なくなった。
ただ、視界に入った一番近い竜へと、肉薄し、恐怖ごと切って捨てようとでもするように、刃を振るう。
一閃にいつものような流麗さがない。正確に目を突くことも、首を落とすことも出来ない。
自分から肉薄しておいて、けれどそのことに怯えるように、身体が硬直し、逃げたがる。
いつもなら見切って紙一重で躱す竜の尾を、切り落とす。自分へと振られる爪を、腕ごと、切り落とす。
最後に、近づいてきた口を――牙を、見開いた目で眺めながら、歯を食いしばり、子供がしゃにむに振り回すように、その口を上下に切り裂く。
おびえながらも一匹屠れたのは、完全に、身体能力のおかげだ。
けれど、だ。……一匹に時間を掛け過ぎていた。
目の前で、竜が崩れ落ちる―――その死骸を踏みながら、別の竜が鈴音へと殺到してくる。その尾が、鈴音へと、突き出される――。
「あ………、」
二匹目が
自分へと突き出される、鈴音を殺そうとする竜が、尾が、見えている。
けれど、竦んだ身体が動かない。
――視界に、赤い液体が待った。
奇妙にずれた、傾いた、宙にある、視界の中、だ。
衝撃が鈴音を襲っている。貫かれた、ではない。
………突き飛ばされたのだ。
「鈴音さんッ!」
そんな、叱責のような、必死な声と共に。
寸前で、一鉄が鈴音の身体を突き飛ばしていた。入れ替わるように鈴音の前に立ち、突き飛ばして伸ばした左腕、その方の部分を、竜の尾が抉っている。
「ぐ………」
激痛が走ったのだろう。くぐもったような声を一鉄は上げ、けれど、それにひるむことなく、一鉄の右手の銃口が動いた。
一番近くにいた竜。今鈴音を殺そうとし、一鉄に傷を負わせた竜が、頭部を吹き飛ばされ、……と思えば、一鉄は忙しく視線を動かし、その手の銃を方々に向け、的確に、近づいてくる竜を撃ち殺している。
一鉄の左手が、だらりと垂れている。けれどそれに気を留めた様子もなく、一鉄はトリガーを引き続け、そして、鈴音へと声を掛けた。
「鈴音さん!無事ですか!?」
「う、うん……でも、一鉄……」
「なら、下がっててください!」
「でも、」
「下がってろ!」
いつにない、怒気に近いような一鉄の声に、どこか呆然と、鈴音は頷いた。
*
(まずい………)
鈴音を庇うように前に出て、周囲に視線と銃口を走らせ続け、素早くかつ正確にトリガーを引き続けながら……一鉄は歯噛みした。
(左手が動かない……)
今、鈴音を庇った拍子に、左肩を抉られた。鎧を纏っている以上、まさかちぎれたとは思わないが、けれど、痛みのせいか左腕の感覚がない。
左手一本で鈴音を助けられたのだ。安い代償だと一鉄は思う。
だが、その自己犠牲でくぐり抜けられたのはその一瞬だけだ。周囲にはまだ竜が多くいる。
林から覗いた単眼を撃ち、崖を這い上ってくる単眼を撃ち、それらの死体を踏み越えてくる竜をまた撃ち。
レーダーに映らない、あの知性体と同じ特性を持った竜は、初めの襲撃でしか現れていなかったようだ。今はもう、レーダーに周囲の竜の位置が写っている。かといって存在してしまっている以上警戒しない訳にはいかず、いや、そもそも、そんな奸計が些事に思えるほどに………。
(……多すぎる、)
レーダーに映る赤い、光点の数がみるみる増えていくのだ。この周囲にいる竜が一斉に集まってきているかのように。
忙しく視線を走らせ、冷静に竜へと対処し死骸を量産しつつ、一鉄は軽く舌打ちをした。
竜の数は無限にも思える。弾薬は有限だ。さっき回収した分で多少の余裕はあるが、左手が動かないのではリロードすることも出来ない。
今、20ミリに詰まっている弾薬よりも、レーダーに映っている敵の数の方が多い。
あるいは、鈴音と協力できれば、それでも巻き返せる数かもしれない。けれど、今の鈴音にいつものような働きを期待するのは酷だろう。明らかに怯えてしまっていた。
酷い光景を目にしたからか、あるいは別の理由なのかはわからないが、今の鈴音に戦闘をさせる気にはならない。
かといって、手負いの独力で覆せる戦況でもない。
一鉄が竜を撃ち殺すペースは一定だ。全方位から襲ってくる竜へと最短かつ的確に弾丸を放ち、死体に変えていく。そうやって出来る死骸の円が、だんだんと狭まっていく……。
(………無理だな)
一鉄はそう、判断した。いよいよ、弾倉の中が空になりつつあるのだ。
だが、諦めたわけでもなかった。
前世では、一鉄は新兵だった。それを助けてくれたのが鈴音。恩返し、と言う思いもある。ここが罠だとある程度分かった上で突っ込む決断をしたのも一鉄だ。その責任感もある。それに何より……やっと、話せているのだ。やっと、仲良くなれている気がする。
こんなところで終わらせたくはない。だから、忙しく銃口を、銃声を回せながら、
「鈴音さん。……背中に乗って、しがみついてもらえませんか?」
一鉄はそんなことを言った。抱えてやれればそれに越したことはないが、あいにく左腕は動かない。右手で抱えては、竜に対して完全に無防備になる。
視界の端で、鈴音が頷いたのが見えた。
一瞬、一鉄は屈み――右腕だけ忙しく竜を撃ち殺し、そうしているうちに、鈴音が後ろから一鉄に、鎧にしがみ付いた。
後ろから抱き着かれているのだ。こんな状況でなければ嬉しかったかもしれないが……。
(……色ボケは後だ)
「行きます!」
「………うん、」
いつになくか弱い気がする声を背に、一鉄は、駆け出した。
上ってきた斜面とは別、崖の方向へ向けて。
レーダーを見て、竜に対処して、その位置分布は理解している。崖の方が、竜の数が少ない。罠に嵌め、崖へと追い詰めたのだから、そちらを手厚くする必要はない、と言う事だろう。
逆に言えば、崖から飛び降りた先は比較的安全なはず、と言う事だ。
斜面側の竜を無視し、崖の方にいる竜へと狙いを集中していきながら、一鉄は駆けていき――一切の迷いなく、崖から飛び降りた。
“夜汰鴉”のスペック的には、着地の衝撃を吸収できる高さのはずだ。流石に痛いかもしれないが、痛いだけで生き延びられるなら上々。最悪一鉄の足が行かれても包囲を抜ければ鈴音は逃げられるはず――。
眼下――遠い地面に3匹。崖を上っている竜が2匹。全部で5匹。弾倉に残っているのも、後5発。
(ちょうどだ………)
自由落下しながら、一鉄はそれらへと照準を合わせていく。
一発外せば対応できなくなる。ならば、外さなければ良いだけだ。
手近な、崖を上っている竜へと弾丸を放つ。単発の弾丸はその竜を崖のシミに変え、排出された薬莢が一鉄と同じよう速度で、一鉄よりわずかに高く落ちていく。
崖にもう一匹――そいつは、遠い。一端無視だ。足元の竜へと即座に狙いを切り替える。
一発、二発。地面に辿り着く前に、不安定な体勢とは到底思えない精緻な射撃で足元に赤い染みが二つ――。
地面にいるもう一匹を撃ち殺す前に、地面が一鉄へと触れた。
着地の衝撃に“夜汰鴉”の足が、その人口筋繊維が軋みを上げ、着地の衝撃を吸収する。
(………ッ、)
一鉄は歯噛みした。吸収しきれない衝撃が一鉄を襲い、左肩の傷が痛んだのだ。
けれど、気に留めてはいられない。着地の衝撃覚めやらぬ中、一鉄は右腕を真横へと伸ばし、即座にトリガーを引く。
今にも一鉄へと襲い掛かろうと尾を振っていた竜が、その頭が、はじけ飛び、一鉄の20ミリから空薬莢が吐き出される。
今、撃ったモノと、空中にいながら撃ったモノ。いくつかの空薬莢がほぼ同時に周囲に落ち、跳ね上がる。それを横目に、だがまだ動きを止めず、一鉄は崖へと振り返り、トリガーを引いた。
さっき見送った、崖を上る途中だった竜。その頭が染みになり、身体の方は崖から離れ、ぐしゃりと、地面に叩きつぶされて潰れた。
レーダーを見れば、周囲にいる竜は崖の上の見たくないそれだけだ。今すぐ飛び降りてくるかもしれないし、何よりレーダーに映らない奴が周囲にいるかもしれない。
警戒の意図を切らずに周囲を見回した一鉄の耳に、ふと、呟きが聞こえた。
「……よく、当たるね」
「どこに撃っても当たりますよ」
つい昨日。無茶の後のトラックの中で聞いたような返事を投げた一鉄。
その背から、不意に、鈴音は降りた。
そして、左手――しがみ付いた拍子に付いたのだろう、一鉄の血が付いたそれを握り、一鉄に視線を向ける。
「一鉄。逃げるなら、自分で走る。その位できる。………逃げたいし」
少しでも冗談めかそうとしたのか、鈴音は力なく微笑んでいた。
そんな鈴音に頷き、けれど見惚れている場合でもなくすぐに崖の上に視線を動かしながら、一鉄は言った。
「その前に、リロード、してもらえませんか?」
「……うん、」
やはりいつになくか弱く鈴音は頷き、それから、目の前に掲げられた20ミリへと手を伸ばす。
一鉄はそんな鈴音に弾倉交換の手順を指示しながら、崖の上を睨んだ。
竜の行動を考えれば、すぐにでも追いかけて来そうなモノだが……崖の上から竜が下りてくることはない。
それだけではない。レーダーで見れば……崖の上の竜は、一鉄たちとは逆の方向へ進み始めている。
(迂回してくる?もしくは、包囲を突破されたから、諦めた……?いや、そう思わせて奇襲か……)
安全だと思い始めた瞬間こそ、と、警戒を深め始めた一鉄の視界の端。レーダー上で、また動きがあった。
竜の反応が消えて行くのだ。それも、索敵範囲の外に出る、前に。
レーダーから消える能力?やはり知性体がいる?いや………。
「出来たよ、」
鈴音はそう言って、20ミリから手を離した。弾倉交換が済んだのだ。
これで、突然竜に襲われても対応できるようになっただろう。
「ありがとうございます。でも、……すぐには、必要ないかもしれません」
一鉄の言葉に、鈴音は僅かに首を傾げる。その顔を――どうにか守り切れただろう鈴音を見据えた、その視界の隅のレーダーマップ。
そこに、幾つか、友軍を――帝国のFPAを示す反応が現れていた。
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