4章 破滅の夜

1 愚者の蛮行/獅子身中の……

 その場所には民間人が壊れるには事欠かないだけの理由が山と詰まっていた。


 皇帝の機嫌を損ねて戦地に送られた。

 挽回するために帝国の威光を示そうと思えば竜の奇襲で死にかけた。


 辛くも生き延びたかと思えば、護衛として皇帝からつけられた兵士に殺されかけた。


 それもまた奇跡的に生き延びて、けれどその後はもう帝国軍の兵士はすべて自分に殺意を持っている敵にしか見えない。


 助けられても敵の中にいるような気分だ。周囲に高圧的に、自分に与えられた特任大佐と言う地位を喧伝し威圧しなければ正気が保てない。


 けれどそこも、竜に奇襲された。

 奇襲された後、なぜだか生き延びた。


 周囲で、ただ、ただ殺されていないだけの兵士が、人間が蠢く中で、それでも何故か生かされて、何の抵抗も出来ない状況の中で、ぐちゃぐちゃと酒の肴のように人間だったものを咀嚼する竜が、しゃべり掛けてきた。


 ざりざりと纏う鎧を削り遊びながら、しゃべり掛け続けて来た。

 その要求に頷いたら、また、生かされた。


 恐怖に正気を失った人間ほど扱いやすい存在はない。


 短絡的に思う。言う事を聞けば生かしてもらえる。周りの人間が好意的だったらまだこうはならなかっただろうが、半分以上自分のまいた種のせいでその民間人からすればもはやいっそ竜の方が味方に思えた。


 だから、尾形准二のあってないような思考の中ぐるぐると巡るのはただの一つだけだ。


(羽織の、女の、オニを、殺す………)


 一人はもう始末した。後一人……二人いるとは聞いていなかったからどっちからわからなかったから事が始まった瞬間にとりあえず一人殺した。


 もう一人も殺そう。もう一人も殺せば………。

(私は生き延びられる……生き延びられる………)


 血走った目で、恐怖から逃れる為に狂気に駆られ続けながら、尾形は拳銃を手に、オニの陣地の中を駆けていく。


 紅い羽織の、女のオニ。この部隊の指揮官だろう。指示を飛ばすのに忙しそうで、尾形には気づいていない。周囲に帝国の兵士はいない。あいつらは馬鹿だからそう馬鹿だからバカみたいなトカゲを殺すことしか頭にないのだろう私は違う智謀で出世して出世したから私は………。


 あってないような、何も見えていないような血走った目で、尾形は足を止め、拳銃を紅い羽織のオニへと向けた。


 そして、引き金を引く寸前――そのオニが、尾形を見た。


 *


 奇襲、と言うほどには崩されていない。


 自分の部下、自分の陣地、それらを見回し、指示を飛ばしながら、扇奈はそんなことを思った。


 竜が夜襲してくる、と言うのは扇奈の頭に常にあった。だから、この陣地では常に、歩哨とは別にを外縁に配置しても置いた。負傷兵の中で、まだ銃を手に取る力の残っていた者、だ。


 負傷兵ばかりとして碌に身動きできない、と言う状況が変わった訳ではない。

 だが、負傷兵の中にも、火力要員、支援要員としてなら働かせることが出来る。それは、昨日一鉄の提案に乗り、誘い込んでの竜の討伐を実施できた時点で、実証された。


 負傷兵と言うのは、厄介だ。物資の面でも、士気の面でも。

 酷い言い方になるが、戦略的には死んでくれた方が良いのだ。死人は飯を食わない。死人は医療品を消費しない。そして、死者が多ければ多いだけ、生き残った兵士は仇討に燃える。逆に負傷兵ばかり陣地にいると、自分もそうなるとどこかで考えて、士気は致命的に下がっていくモノだ。


 だが、今、その負傷兵たちが前線で懸命に働いている。そうなれば無事な者にも意地がある。怪我人が戦っているのだから、と、全体の士気が上がる。


 機動力が一切ない部隊で陣地にこもるのだから、事実上籠城のようなモノだ。何より士気は重要になる。それを維持できているのは、上々だ。


 更に、帝国軍との合流も果たせた。数はそう多くはなかったが、それでも、増援があればまた士気は上がる。兵科の性質として機動力と打撃力のある集団と言う、このオニの部隊で今喉から手が出る程欲しい遊撃要員が充填されたのだ。


 その上、地獄を生き抜いただけあってか帝国軍兵士の練度は高い。扇奈が頼む前に、突破されかかっている場所へと支援を行っている。


 戦線は安定している。安定、させられる。弾薬が持つ限り、耐えられる。

 耐えたところで救援がなければどうしようもないが、その宛もさっき、統真から聞いた。


 本国と連絡を取る手段が残っているらしい。今、この場で呼べないことは確かだが、この安定具合なら、誰かしら走らせる事も可能かもしれない。


 今も、竜の大群は目前へと迫っている。気が抜ける状況ではない。だが、希望は見え始めている――。

 そんなことを考えながら、扇奈はふと周囲に視線を向けた。全体の状況を確かめようと。


 と、その視線の端――すぐ近くに、ヒトが見えた。

 鎧を着ていない、血走った目の――ずっと、臆病さしか見えなかった小男。確か、尾形とか言ったか。


 その男の手に拳銃があり、その銃口は―――。

 銃声が、響いた。


 ギリギリで扇奈は躱そうとして、けれど――腹部に熱い痛みが走った。

 撃たれたらしい。味方に、背中から、だ。


 一瞬遅れて激痛が扇奈の身体を這いあがってくる。扇奈は顔を顰め掛け、けれどすぐに自分を諫めて平静を保った。倒れることも、自分に許さない。


 今、自分は、この部隊の指揮官だ。無暗に倒れ、慌てふためけばそれこそ士気に関わる。


 涼しい顔を顔面に張り付けたまま、――苛立ちと憤りは隠せずその目に宿り、扇奈は尾形を睨みつける。


「………どういうつもりだ」

「ヒッ、」


 尾形は甲高い声を上げ、恐怖と狂気に血走った眼で、その銃口を再び扇奈へと向ける。


 銃声が、響き渡る。

 ただし、放たれたのは、尾形の手の拳銃、ではなかった。


 周囲にいる部下が、事態に気付いたのだろう。四方からの弾丸が、竜の外皮を貫けるだけの威力のあるそれらが、尾形を貫いた。


 目の前で人間が引きちぎれる。その光景を前に、……思わず、扇奈は眉を顰めた。

 そんな扇奈の元に、部下が、あるいはこの騒ぎに気付いたのだろう“夜汰鴉”が駆けてきている。


 その最中、扇奈の耳に、腕が引きちぎれてはらわたの飛び出た、そんな尾形の最後の、呟きが聞こえてきた。


「羽織の、女……オニ……私は、生き……」


 こと切れたのだろう。続きはなかった。


「羽織………女?」


 そう、また眉を顰めた扇奈の元に、直属の部下がたどり着き、問いかける。


「姐さん!……無事っすか?」

「ああ、」


 扇奈は端的にそう答え、駆け寄ってこようとしてくる“夜汰鴉”――おそらく統真だろう帝国軍兵士を、手で制し、竜を指さす。


 それで、意図が通じたのか。統真は踵を返し、また前線へと戻って行った。


 通信機越しに、統真が何か言ったのだろうか。戦場にいた“夜汰鴉”が、より前に出て、竜の相手を始めだす。帝国軍兵の動きも、少し良くなったようにも見える。


 この、尾形と言う男は、よほどだったのかもしれない。民間人と聞いたが、割に大層な鎧を着ていた。訳ありなのだろう。


 そんな事を頭の片隅に、自分は無事だと周りに示すように、扇奈は腕を組んで部下たちに視線を走らせた。


 それで、こちらに注意を向けていたオニも、また竜へと視線を戻した。

 何とか、混乱が大きくなることは防げたらしい。こんなくだらないことで崩されたら溜まったモノではない。


 仁王立ちのように扇奈は堂々と立ち続けた。同時に、直属の部下へと、小声で言う。


「痛み止めと包帯」

「………ヘイ、」


 無駄な疑問をさしはさまず、部下はすぐさま駆けていく。

 ……こういう時、紅い羽織は便利だ。怪我をしても血が目立たない。


 扇奈は指揮官だ。倒れるわけには行かない。士気を崩すわけには行かない。

 立ち続けながら、扇奈はまた周囲に視線を走らせて――その一角で、見たくない光景を見た。


 一鉄だ。一鉄が、鈴音を抱えて、医療テントへと運んでいる。……点々と、では済まないような、血の足跡を残しながら。


(羽織の……女の、オニ………)


 該当する人物は二人いる。尾形が何を考えてたのか――帝国の策略なのか、あるいはもっと別なのかはわからないが、目印として、それに該当する人物を殺そうとしていたのだろう。


 おそらく、狙いは扇奈だ。

 だが、……扇奈になついて、あるいは真似るような格好をしていた少女も、その目印に該当してしまっていたのだろう。


「………ッ、」


 扇奈は、歯を食いしばった。

 はらわたが煮えくり返る。憤りが身体を支配しかける。気を抜いたら暴れ始めそうだ。


 憂さ晴らしに持って来いな獲物トカゲは、探すまでもなくそこら中にいる。


 だが、扇奈はその感情をどうにか呑み下し、立ち続ける。

 まだ、鈴音が死んだと決まった訳ではない。憂さ晴らししたって気が晴れないことはよく知っている。それよりも指揮官として、この場所が存続するよう、耐え抜くべきだ――。


 怒りにも。痛みにも。耐えなくてはならない。

 それが、この場所の全員にとっての、扇奈が演じるべき最良の役割だ。


 見え始めた希望を、こんなクソみたいな話で、失わない為に――。

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