3章 響き渡る亀裂

1 最高士官会議/愚者

 夜が明ける頃には、その森の切れ目は二つの陣営がにらみ合う冷戦地のような様相を呈していた。


 帝国は案外、余力を残していたらしい。100人ほどの兵士、うち、FPAは60程。トレーラも3台残っている。ただし……おそらくそれだけ生き残っているのは、末端の個々が優秀だからだろう。


 怪我に雑に包帯を巻き、顔色まで悪くなっている兵士が、寝ずの番で歩哨に立っている。トレーラはその広場の中心辺りに3台、オニと帝国軍のその中間あたりに位置していて、その内一つは補給庫として利用され、一つは指揮官様の寝室。一つは牢獄――として、一鉄が入れられているようだ。何とも、豪華な使い方だ。


 それだけではない。60いるFPAのうちの半数が常時見張りについているのだが、その配置が馬鹿としか言えない。


 この状況下で何を考えているのか、帝国軍は手厚く、そのFPAをオニとの境界線上に置いていた。そして、いつ竜が来るともしれない外縁の方には、小銃を持った負傷兵が哨戒している。あの様子では休息の順番も無茶苦茶かもしれない。


 扇奈にも理解できる。帝国の指揮官様はオニを威圧しなければ気が済まないのだろう。敵をはき違えている馬鹿なのだ。わりに、自分の住まいになる快適なトレーラは、この状況下で一番安心できるだろう中心に置いていた。


 何とも、絵に描いたような無能だ。

 そして、その絵に描いたような無能は――到底軍人とは思えない容姿をしていた。


 細すぎる。訓練を受けたとも思えない、それこそ文官、官僚のような小男。

 尾方准二特任大佐、だそうだ。


 あの邂逅から一晩たち、空き地の中心の朽ちた大木を挟み、始まった交渉の場で、扇奈はその金切り声の細い小男――どうあっても自分の身が大事なのだろう、貴重なはずのFPA3機を自分の背後に付けているその小物の言葉に、ついに、思わず、こういった。


「……あんた、正気なのかい?」


 尾方の要求が控えめに言って度し難かったのだ。

 要求の内容は二つだった。一つは、補給物資の帝国への提供。食料品や医薬品が足りていないらしい。それだけなら理解できるが、この小男は、全て提供し管理を帝国に委ねろと言って来た。要は、徴収だ。協力しようという態度ではない。


 かつ、その上で、尾方は別の要求もする。

 この戦場で勝利を収めるための絶対的な奉仕。前線でのオニの能力の活用。来る平和と協力へ向けた玉砕も厭わぬ絶対的な献身。


 もうここが負け戦であることを理解していないらしい。かつ、前線にはオニが出ろ、と言って来たのだ。なんなら、後ろから撃つ気ですらあるのかもしれない。


「正気、と問う事自体が烏滸がましい。亜人間の分際で。私は知性を買われ、陛下より特別に軍属と軍籍を賜った文化人だ。野蛮な貴様らと頭の出来が違う」

「確かに、出来は違いそうだね……」

「理解したのなら奉仕しろ、女」


 そんな事を言って、金切り声の小男は、扇奈を見ながらどこかいやらしい顔で笑う。


 皮肉すら通じないらしい。扇奈は呆れて物も言えなかった。それから、ため息一つ、扇奈は言う。


「……現状、交戦を続けるって選択肢はないはずだ。そっちも負傷兵を抱えてるんだろ?帝国に救援を求めることは出来ないのかい?脱出するための設備でも良い」

「脱出も救援もありえん!これは私の賜った勅命。逃げるという選択肢の方がありえん!」


 金切り声で尾方は言う。


「誇りの為なら死んでも良いってか……」

 ……部下が、だ。もはやため息すらも出ない。あまりにもあんまりなモノをつかまされた、扇奈はそんな気分だった。これなら、クーデターでも起こしてもらえた方が幾分やりやすい気もする。


「……理解したのなら協力しろ、亜人間。明日にでも反撃ののろしを上げる。が、まずは物資を提供してもらおう」


 尚も金切り声で、状況が見えていないとしか思えない調子で言い放つ尾方特任大佐殿を……扇奈は眺めて、やがて言う。


「……わかった」

「姐さん、」


 何所か咎めるように、控えていた部下が声を上げる。そこに流し目を向けて、扇奈は言った。


「……あたしらは帝国と協力するために来たんだ。困ってるってんなら助けたげないとねえ。全部くれてやりな。、全部だ。……わかってるね?」

「……へい。直ちに」


 即座に意図を組んで、部下は動き始める。

 それを前に、尾方は――おそらく何もわかっていないのだろう。満足そうに笑った。


「殊勝だな、亜人間」

「そりゃ、もう。帝国の知能って奴をあたしはよ~く理解したしね。いやいや、あたしには考え付かない次元で物事を考えてらっしゃるみたいだ」


 その皮肉は当然通じない。尾方は嫌らしく笑う。


「そうかそうか……。そうだ、そうも従順なら、私も態度を変えよう。全てでなくて良いぞ。そちらの事情もあるだろう」

「なんだ、話が分かるじゃないか」

「代わりに、減らないモノを提供してもらえれば、良い」


 そう言って、どこか舐めるような目で扇奈を眺めながら、尾方は言う。


「………女もいるだろう?」

「…………」


 絶句、と言うほかになかった。なぜ、この男は生き延びているのだろうか。なぜ、この男が相応の地位を占めているのか。帝国の人事はどうなっているのか。


 怒る気にすら、ならない。やがて、扇奈は言った。


「……目の前に飛び切りのがいるだろ?」

「ああ。確かに。指揮官同士、親睦を深めようか?」

「ハハハハハハハハハハハハ、」


 扇奈は大声を上げて笑った。笑いながら、思い切り――苛立ち紛れに、地面を踏みしめる。


 ドン、と、地団太とは思えない音が響く。扇奈の足の下、地面が、生身でやったとは思えないほどに陥没している。


 引き攣った顔でそれを見る尾方――そんな特任大佐殿を睨み、笑みを消して、扇奈は言う。


「別にヤっても良いけどね。こっちは結構頑丈なんだ。……夢中で楽しんだら、どうなるかわかったもんじゃないよ?」

「…………じょ、冗談だ……。とにかく、補給の件。直ちに提供したまえ」


 引き攣った顔でそう言い捨てて、逃げるように尾方は立ち去っていく。

 絵に描いたような、とは、あの男の事を言うのだろう。


 苛立ち過ぎて呆れかえり、FPAを伴って……何か怒鳴り散らしながら去って行く小男を眺め、扇奈は呟いた。


「難儀だね。……トカゲになりたいと思ったのは初めてだよ、」


 アレに連れていかれて、脱走兵扱いの一鉄はどういう目にあっているのか。憂さ晴らしに……そのために隔離されている、としても、おかしくない。


 そんなことを思って、扇奈はトレーラの内の一台、一鉄が捉えられているそこへと視線を向けた。


 何か、一鉄が一層抱え込んだらしいことはわかる。あるいは自分が何かミスったのか、そんなことも思う。目的が必要だと思ったから、鈴音が天涯孤独であると伏せたのだが……それを周りにまで言い含められる程、扇奈には今、余裕がなかった。


 一鉄の荷を下ろしてやろうにも、声を掛けてやることは出来ない。助け出してやろうにも、そう自由に動ける立場ではない。オニの台所事情だけでも十分頭が痛いというのに、その上宛にしたい帝国軍の頭が空っぽだ。


「…………チッ、」


 問題が多すぎる。扇奈は、舌打ちする以外に、何も出来なかった。

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