4 ひと時の休息/寂寥に暮れの音
戦闘の後は、作業に追われた。
トレーラの修理とチェック、だ。どうやら、オニの技術士官はもうほとんど残っていないらしく、そこで一鉄に白羽の矢が立ったのだ。一鉄もメカニックのプロ――と言う訳ではないが、訓練で多少の知識はある。
真面目に授業を受けた成果、とも言えるかもしれない。新兵である、そんな自覚しかない生真面目な一鉄が、そのほとんど雑用のような仕事に文句を言うはずもない。
倒れたトレーラはオニ達が起こし、一鉄は一台一台、そのトレーラの状況をチェックした。
惨状の中で形見を拾い上げていくオニ達。あるいは、この本陣に残っていた火器のチェックをするオニ達――その中には奏波の姿もある。それ以外にも、残っている使えそうな備品を集めていくオニ達。それら全部を眺めて、トレーラの荷台の上に座り込んで、なにがしか思案している扇奈。
そんな光景の中一人忙しく、一鉄は一つ一つトレーラをチェックしていく。
まだ動くのは、半数にも満たなかった。あるいは、竜に占拠されていたのだから、動く物があるだけ上々なのか。
とにかく、そう言った作業を終え、一鉄たちはそのトレーラに使える荷物や、置いていくには忍びないモノを積んで、そうして、元のテント群、けが人たちがいるその場所へと戻った。
テント群に戻ってからも、作業は続いた。
このトレーラでは、この場にいる全員が戦域を脱出するには数が足りないらしく、扇奈は負傷者を最優先にする方針らしかった。負傷者と、その護衛。戦えるものは半分、この戦域に残るようだ。その割り振りは、扇奈が既に決めていたらしい。異論を上げる者もなく、オニ達は、そして一鉄も、その作業を続けていく。
いつの間にか、夕方近くになっていた。ほとんど、作業が終わっている。
一鉄が扇奈に呼び止められたのは、そんな時だった。
*
「端的に言うよ。あんたが決めな」
テント群の中心。朽ちた大木に腰かけて、扇奈はそう、一鉄を見上げた。
「はッ!……えっと、何を、でしょうか?」
「………行くか残るか、だよ。あんたはお客さんだ。あたしが命令できる身の上じゃない。あたし含めてここに残る奴らは、帝国との合流を目指すよ。一応、ね。だから、帝国軍の兵士として、あんたがここに残るのは間違ってない。うちとしても、まだ戦力は欲しいしね」
そう言って、扇奈は視線を逸らす。その先にあるのは、一鉄の“夜汰鴉”だ。
先ほどの戦闘で、ある程度の活躍は出来た、のだろうか。戦力として数えて貰っているらしい。
本陣からの補給が出来たオニとは違い、一鉄の銃は尚残弾に不安がある。だが、まだ少しなら、弾も残っている。“夜汰鴉”も、まだ動く。
そんな事を考えた、一鉄に、扇奈は続ける。
「……けど、あんた脱走兵なんだろ?そう言ってたよね、確か。だったら、あんたが生きてる目的のためには、帝国と合流しない方が良いんだろうし、あたしとしては、あんたが負傷兵の警護としてオニの国に行くのも良いと思ってる。口利きはしといたげるよ。あたしが直接行ける訳じゃないけどね」
逃げても良いと言っているのだろう。
脱走兵である事実から。この戦場から。
鈴音の弟に形見を届け、感謝とわびをする。その為には、確かに、付いて行ってオニの国に行くのが最も早い道だろう。帝国と合流すれば、一鉄はおそらく拘束されるのだ。
選択肢はないように思われる。だが、………一鉄は迷った。
そこまで好意に甘えて良いモノか、と。
それに、………別の事も思う。
「………頭領。あの……先ほど、知性体と思わしきモノに、襲撃を受けていたと思うんですが」
「ああ。あれね。……姿が見えない奴だろ。あいつが?」
「……あいつは、死にましたか?頭領は、倒しましたか?」
「いや。取り逃がしたよ。ホント、碌なのいないよねぇ、知性体って奴は」
「なら………自分は、……まだ、残りたいです」
まっすぐ扇奈の目を見ながら、一鉄は言った。
アイツは鈴音を殺した。復讐したい――と、短絡的に、情熱的に、そう、想えている訳ではない。だが、……そう想えるように、なりたい。そう、思った。
扇奈は頬杖を付き、暫く一鉄を眺めていた。
それから、……扇奈は小さく息を吐き、立ち上がる。
「……あんたがそうしたいってんなら、あたしには止める権利はないね」
そう言って、扇奈は一鉄の肩を軽く叩き、言った。
「来な、」
その言葉と共に、扇奈は歩んでいく。疑問をさしはさむことなく、一鉄は背筋を伸ばし、その後をついて行った。
暫く歩み、やがて、扇奈が足を止めたのは、一台のトレーラの荷台だ。
そのトレーラが何か、一鉄は知っている。……手遅れになってしまった者達の、棺桶、だ。一鉄が、どこか避けるように、作業中近づかなかった場所でもある。
夕陽の中、それを眺めて、扇奈は言う。
「………夏だしね。中を見んのは、止めたげな。けど、ここには確かにあの子がいる。あんたが連れて来た。あたしには、それを無碍にするってのは、出来ない相談だ」
「…………」
呟く扇奈を横に、一鉄は俯く。
「あたしにわざわざ言われないでも、忘れやしないだろうけどさ。残るってんならよく覚えときな。あんたが誰に救われたのか。何のおかげでその命繋いだのか。拾った命を何に使うのか。よく考えて、ちゃんと決めな」
それだけ言って、扇奈は一鉄に背を向ける。
「暫く、近づかないようには言っとくよ。……気が変わったらまた声かけな、一鉄」
そうして、扇奈は歩み去って行った。
その背中を、一鉄は暫し眺めて……それから、トレーラの荷台に視線を向ける。
一鉄は懐から小刀を……託された形見を取り出した。
涼しくなり始めた夕暮れに、寂しい、蝉の声だけが響いていた………。
*
月明りの夜の最中。トレーラが、夜道を進んでいく。
夜に行動する危険、よりも、早くこの戦場を脱出することを選んだのだろう。負傷者には予断を許さないモノもいるはずだ。
オニ達は――そして一鉄も、それを見送った。形見の小刀を握りしめ。
……残ることに決めた。それは変わらない。けれど、死ぬために残るわけではない。
全て、背負おう。そんな気分だったのかもしれない。
トレーラを、鈴音を見送って、一鉄は形見の小刀に視線を落とす。
そんな一鉄の肩を、奏波が軽く叩いた。
奏波は、特に何も言わない。ただ、視線を向けた一鉄に頷いていた。一鉄もまた、それに頷き返し、周囲を見回す。
元々、100人ほどいたのだろうか。その内負傷者と、負傷者の警護が抜けて……残っているのは半分以下。昼の戦闘に参加した分の兵士がほとんど残った形だろう。扇奈は、その一人一人に声を掛けて、意思確認したらしい。
残ることを自身で選んだ、士気の高い精鋭、とも言えるかもしれない。
と、トレーラが見えなくなってから、そんな一堂の前に、派手な羽織の女が立った。
「……行っちまったね。これで晴れて、あんたらは、地獄に取り残された訳だ。物好きが多いね、まったく……」
演説でも始めるのか、と一鉄は思ったが、それに近い別の何か、らしい。
「勇敢なる兵士諸君を、あたしが手ずから、ねぎらってやっても良いんだけど……流石に一人じゃ手が足りないしね、」
冗談めかすように、中々な軽口を叩く扇奈を前に、一鉄は若干硬直し、周囲のオニ達は笑っていた。……地獄に取り残された、とは思えない雰囲気で。
そんな視線を前に、扇奈は続ける。
「けど、何のねぎらいもないってのはあんまりな話だろう?てなわけで、例のブツを!」
そう声を上げた扇奈の元に、扇奈の直属の部下だろう、オニがすぐさま駆け寄っていた。
その手に、……何か液体が入った瓶を持って。
扇奈はそれを受け取ると、どっかりと、その場に腰を下ろす。そして、その瓶――おそらく酒が入っているのだろうそれを手に、言った。
「本陣からの補給、だ。ありがたく頂戴しようじゃないか。わかっちゃいるだろうけど、飲まれるまで飲むんじゃないよ?」
その声に、オニ達は歓声なのか、それでいてどこか気が抜けたような、そんな声を上げた。そして、各々、歩き出す。
本陣から回収したのだろう。傍に酒瓶が幾つかまとめられていて、オニ達は一様にそこへと歩んでいく。
一人、直立不動のまま、その流れに取り残され……一鉄は呟いた。
「酒を、呑む?ここは、まだ、交戦区域では……」
と、その呟きを耳ざとく聞きつけたのだろう。扇奈が言った。
「そうやって気ばっか張っても保ちゃしないよ。生きてるんだ。楽しめる時は楽しむべきさ」
そんな風に言いながら、扇奈は瓶を開け、何かに注ぐ事もなく直接、その中身を傾けていた。
生真面目な新兵は、その状況に、どうしたものかと立ち往生し続け……そんな一鉄へ、扇奈は問いかける。
「あんたは呑まないのかい?」
「自分は………未成年ですので」
「あ、そう。……帝国にはノリ悪いガキしかいないのかねぇ、」
そんな風に呟いて、扇奈はまた、瓶を傾けていた。一鉄は、どことなく釈然としないまま、その場に立ち続けていた。
*
地獄の中で始まった飲み会、は………思いのほか静かだった。
飲んではいるらしい。けれど、呑んでも一杯、とかだろう。すぐに水に切り替えているオニがほとんどで………その中で一番、酔ったような動き方をしているのは扇奈だった。
酒瓶を片手に、それをあおりながら方々歩き、オニ達に代わる代わる声を掛け、楽しそうに笑っている。
(……あの人は、自分が呑みたいだけなのでは?)
水を手に、一鉄はそんなことを思った。そんなことを思う一鉄の周囲には、盛り上がりに欠けるような集団があった。
狙撃班、だろうか。どうも、奏波を筆頭に、寡黙だったり真面目だったりな人物がほとんどなようだ。別に何も話していないというわけではないが、派手に笑っている訳でもない。
一鉄もまた、派手に笑うでもなく、だが奏波やほかのオニと、話す。
話の内容は、ほとんど、戦友の話だった。こいつはこんな奴だった、あいつはどんな奴だった、こんなことがあった、誰に命を救われた。
つい数日前までは、確かに生きていた誰かの話だ。思い出に変わってしまった誰かの話。
その話が静かな夜に続いていく………その片隅で、隣に腰かける奏波が、不意に視線を一鉄に向けて来た。
何か言いたげで、だが言い方を探しているような雰囲気だ。やがて、奏波は言う。
「鈴音は、……どう死んだ?」
淡々と……口下手らしい、と知らなければ、責められているような気になりそうな問い掛けだった。
一鉄は暫し口を閉ざし、温い水で口を潤し、それから小声で応える。
「知性体に後ろから襲われて……その時、鈴音さんは、自分に手を振っていて……」
説明しようにも要領は得ない。口下手は一鉄も大して変わりはないのだ。それでも一鉄は、手に持つ水を、そこに写る自分を眺めながら、続ける。
「鈴音さんは勇敢で、強くて……美しいと思いました。自分は臆病者で、鈴音さんに命を救ってもらって。最後の、その、少し前も、竜の群れに襲われて。その群れに、鈴音さんは挑んで行って。自分は臆病で……後ろから、少し手助け出来たと、やっとその竜を退けた時に………」
ぽつぽつと語りながら、一鉄の脳裏にその光景がよみがえってくる。
手を振っていた。子供っぽいのかもしれないと、漸くそんなことを思った直後。
―――ただそれだけで、終わってしまった。
「……自分は、鈴音さんの事を、ほとんど知りません。名前だって、ここに来てから知りました」
一鉄の手にある水が、震えている。怒りに震えているのか、悲しみに震えているのか、恐怖に震えているのか、思い出してどの感情を抱いているのか、一鉄自身にもわからなかった。
これ以上、思い出させることはない。あるいは奏波は、そんなことを思ったのかもしれない。「そうか、」とだけ呟いて、たった一杯の酒を、少し舐めていた。
そんな奏波に、一鉄は視線を向け……好奇心から、尋ねてみた。
「奏波さんは、鈴音さんに恩があるとか……さっき、」
「……ああ。あの子に恩がある。竜の襲撃を受けて、ちりじりになった後、鈴音が大群を引き連れて行ったから俺は生き残った。ほかにも、同じ恩を受けた奴はいる」
その奏波の呟きに、一鉄は周囲を見回してみた。静かに――奏波の声が聞こえていたのか、頷いているオニが何人かいる。やはり、鈴音は特別だったのだろう。
奏波は、淡々と続けた。
「俺は……あの子の兄にも恩がある。この戦場の前だ。あの子の兄も、勇敢な奴だった。アイツの、無茶に、何度も助けられた」
「鈴音さんのお兄さん、ですか?弟さんがいるとは、少し、聞きましたが……」
兄もいたのか……そんな風に思って問いかけた一鉄に、奏波は小さな笑みを浮かべた。
「アイツは、鈴音を妹と呼んでいた。鈴音の方は、アイツを弟と呼んでいたらしいな」
「それは………」
一鉄にも双子の妹がいる。ほんのじゃれ合いのように、お互いのどちらが年長か、そう言い争うことはよくある。
だから、その相手は、鈴音の片割れなのだろう。……一鉄が感謝を告げ、謝りに行く相手だ。一鉄には、そうとしか思えない。だから、一鉄は問いかけた。
「……その方は、今、オニの国に?」
「いや。……無茶が過ぎるのは、同じだったんだろう。双子だと聞いているしな」
「………………」
濁したような言い方だが、その意味は分かった。わかってしまったからこそ……一鉄は道に迷ったような気分になった。
そんな一鉄に気づいていないのか、奏波は続ける。
「俺は、頼まれたんだ。アイツに。妹と会ったら面倒を見てやってくれ、と。この戦場で会った。形見も、届けられた。だが、俺が助けるでなく、結局助けられてしまったな」
その奏波の言葉を聞きながら、けれどほとんど頭に入ってこない。
一鉄は、どこか縋るような気分で、鈴音から託された、これから弟さんに渡すはずの形見を、小刀を、取り出していた。
それを見て、奏波は、呟く。
「……アイツの形見か。鈴音に渡されたのか?」
アイツの、形見。鈴音さんの形見、ではない?
「……………」
一鉄は、何も言えなかった。
目的が失われた……そんな気分だったのだ。
この形見を弟さんに渡し、鈴音さんに言えなかった感謝を、謝罪を……。
罰を受けたいような、そんな想いを目的に、一鉄はこの場にいるのだ。だが………弟さんがもういないのであれば、自分は、何のために、生き延びたのだろうか?何を目的に空元気を吐けば良いのか。
すぐには、答えが出ない。ただ、失われた目的を握ったまま、一鉄は俯き続ける。
そして、騒ぎは、そんな時に起こった。
*
単眼。
一つの、ただの一つの、眼。
昆虫のように無機質で光沢ある身体を月明りに照らした、竜。知性体。
それは、遠目にオニの陣地を眺めていた。ずっと、だ。ずっと、人知れず、オニ達の行動を観察して学び続けていた。
何の気あってか、その腕――使わない翼に牙のついたそれ、一鉄に撃たれた傷で醜く変形しているそれを、口元に持っていく。
飲む仕草を真似るように。そしてそれから、嘲るような顔で、嗤う。
見ている。いつ、気を抜くのか。いつ、殺せるタイミングが来るのか。
何が戦術的に効率の良い集団の削ぎ方なのか、見ている。
知性体は見ていた。トレーラーが出て行くところを。それによって、あの集団が大部分、数を減らしたことを。なぜそうなったのか考えてみる。何がトリガーであの指揮官が配下を自分から減らしたのか、考えてみる。
学習する学習する学習する。
突然襲うのが効果的だと学習した。だから、初動でオニも――あるいはヒトもかなり削げた。
一旦自群が全滅すると、その直後に殺せるタイミングが巡ってくると、それも学習して、それによって派手な動き方をしたオニも殺せた。けれど、昼間。あの指揮官らしき紅いオニは、そのタイミングで殺せなかった。だからどうしようか。それを、考える。
と――考えているその時に、見ている先、気を抜いたオニ達の周囲で、……森が騒めき出した。
何かが動いているようだ。何が動いているんだろう。
好奇心でも持ったように……傷を負った自分の腕を噛み、よだれをたらしながら……知性体はそれも観察していた。
*
その物音に、最初に気付いたのは扇奈だった。
このオニの集団、この陣地、その周囲に……何かがいる。物音を聞いたのだ。
竜か、あるいは………。
扇奈は瓶を置いた。そして太刀の柄に手を伸ばしながら、呟く。
「………警戒」
呟いた瞬間に、オニ達は顔色を変え、武器を手に取る。一瞬反応が遅れたのは一鉄だ。こういう場に慣れている訳ではないのだろう……それしか、扇奈には知りようがない。
それから、とにかく行動しようとしたのか、一鉄はFPAの元へ駆けようとするが、それを扇奈は手で制した。
“夜汰鴉”は少し離れた場所にある。そこまで単身駆けさせるのは危険、と考えたのだ。
と、そこで――扇奈の睨む先、森が大きく騒めき、そこから、影が姿を見せる。
竜――ではない。人型の影、だ。黒、と言うより灰色の鎧。
“夜汰鴉”とは形状が違う。指揮官機なのか、“夜汰鴉”よりも装甲が分厚く、鈍重そうに見える。そんなFPAがまず姿を現し、それに続いて、他にも何機か、いや何機も――そちらは見慣れた“夜汰鴉”。
性能と腕が良いのか、あるいはまったくその逆か。指揮官らしい灰色の鎧は綺麗なもので、直掩らしい“夜汰鴉”は皆、傷つき、泥にまみれている。
帝国軍の生き残り、だ。どうやら、合流できたらしい………そう、気を抜く気は扇奈には起きなかった。
警戒しながらも、扇奈はそのFPA達の前へ歩んでいく。
と、そこで、向こうの先頭――灰色の鎧の、中身が言った。
「……この状況で酒宴とは。
何所かかすれたような、甲高い声だ。帝国軍の士官、だろうか。
……
「こっちはこっちで大変だったからねぇ。たまには気ィ抜かないと、生きてても意味ないよ。……帝国の奴かい?」
ある程度予想はしていた。こういう奴もいるだろう、と。
扇奈はそう嫌味を流して、そう問いを投げる。
返答の代わりに、灰色の鎧は扇奈に銃口を向けて来た。その銃口に、扇奈は眉を顰めた。
……苛立った、訳ではないにしろ、動揺したのはあるいは、帝国の別の兵士も同じだったのかもしれない。
灰色の鎧。その直掩が、戸惑うように、視線を灰色の鎧に向けている。
けれどその部下の不信感を気に留める様子もなく……灰色の鎧は言った。
「物資が必要だ。奉仕しろ亜人間。貴様らにはその義務がある。その従順さによっては、貴様らの罪を見逃してやっても良い」
「罪、ねえ……。何やらかしたってんだい?」
「義務の放棄だ。貴様らには我々を援護する義務があった。それを無視した。愚かにして矮小にも奸計を巡らせたのだろう」
無茶苦茶な論理、いや、論理にすらなっていない。
そもそも、合流地点まで来なかったのは帝国の――この灰色の鎧の方である。
だが、それすらも気に留めていないのだろう。灰色の鎧は続ける。
「その義務の放棄は、陛下の恩寵と寵愛を無視するあまりに時勢を欠いた決断だ。それが罪でなくて何になるのか?貴様ら亜人間には帝国に奉仕する義務がある」
この男は鏡を見たことがないのだろうか――と、言いたくなったが扇奈は飲み込んだ。
馬鹿なんだろうって事はよくわかる。かといってそれに付き合っていたら、どうにもならない。何も言わなかった扇奈へと、その灰色の鎧はまた、言った。
「それから、もう一つ。……貴様らは、こちらの脱走兵を幇助している。それもまた、帝国への明らかな反逆だ。……月宮一鉄少尉。その身柄を差し出して貰おう」
「………ッ、」
扇奈は歯を食いしばった。
そこに関しては、この、論理が全て破綻していそうな男の言葉の中で、唯一、正しい――筋の通っている話だ。
一鉄を庇ってやりたいのは山々だが、庇えば完全に越権だ。あるいは、扇奈の上にもっとちゃんとした頭領がいればなにがしかしてやれたかもしれないが、今、扇奈が私情で動くと、それに部下全員巻き込む羽目になる。それは、出来ない。
と、そこで、一鉄が声を上げる。
「……自分は、投降します」
その声に、扇奈はようやく、この状況になってから初めて、まともに一鉄の顔を、目を見た。
ついさっきまでは、使命に燃える、まで行かずとも、まだ前向きな目をしていたはずだ。それが、ほんの少し目を離している間に、酷く暗い淀みを抱えたように見える。
真面目な若者には、敵前逃亡、と言う罪が重かったのか。あるいは、もっと別なのか。
扇奈はその、死に急ぐような目を、よく知っている気がした。
「……自分のしでかした事です」
扇奈が何かを言う前に、一鉄はそれだけ呟いて、自分から帝国軍の元へと歩んでいく。
扇奈は、責任の多い現場指揮官は、苛立ちに顔を歪めながらも、それを見送るほかになかった……。
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