4 繕えるモノ、繕えぬモノ/凶弾
オニの陣地の中心。
この数日で定位置になりつつある朽ちた大木に腰かけ、頬杖を付き、月明りとオニたちの談笑に包まれながら、扇奈は周囲の林を眺めていた。
いつ竜が襲ってくるかわからない……と言うのもあるが、それよりも送り出した部下を心配しているのだ。
一鉄と鈴音が、どうなったか。帝国と合流できたのか、それとも見つけられなかったか。
どちらであれ送り出して半日、だ。一鉄の前世、の話を信じるなら、昨夜にもう合流できる、それくらいの位置に帝国の部隊はいたのだろう。だとすれば、合流できたのなら、もう戻ってきてもおかしくない。合流に失敗したか、あるいはもっと悪い状況になっているか。
心配しながら――それだけ考えていられるわけでもない。
帝国軍がいなかった時どうするか。二人が戻ってこなかった時どうするか。その決断を扇奈は下す必要がある。
撤退するべきだろう。だが負傷兵が多すぎて撤退すら安全に出来る状況でもない。だとしてももう、増援を期待できないならそれ以外の選択肢はなくなる。
先々を考え、どう転んでも対応できるように……そう、思考を続ける扇奈の視線の先で、不意に林の一角が騒めいた。
その位置の周辺にいたオニが、警戒するように身を固めている。
林の、木々のざわめきは大きくなっていき……やがて、そこから、人影が現れた。
鎧、だ。FPA。見慣れた“夜汰鴉”とは違って、灰色で装甲の厚い、鎧。
その鎧は、突如開けた視界と、オニを前に、竦んだように足を止め……だが、直後せかされるように、歩を進めてくる。
背後から現れたのは、また鎧。ただ、そちらは“夜汰鴉”だ。20人程度だろう、帝国の兵士が現れ、その中に………扇奈が送り出した部下の姿があった。
鈴音がいる。一鉄の、赤い模様の入った“夜汰鴉”もある。鈴音はどこか俯いていて、一鉄の鎧にも亀裂や血がついているように見えるが、それでも、二人とも無事に戻って来たようだ。
小さく、扇奈は安堵の息を吐いた。
だが、そんな安堵に囚われ続けている訳にも行かない。歩み寄ってくる帝国軍……その中から、一機の“夜汰鴉”が進み出ていた。指揮官、だろうか。あの灰色の鎧は、ただ前を歩かされていただけなのか……。
そんな思考を頭の片隅に、扇奈は、腰を上げた。
*
「大和帝国軍、久世統真大尉です」
“夜汰鴉”を脱ぎ、生身、無力にまずなった上で、オールバック、が乱れている帝国軍兵士、統真はそう、敬礼する。
その姿を、背後から、一鉄は見ていた。
無事、オニの陣地へと辿り着けたのだ。一度も、竜と遭遇することもなく。
尾形が生かされていたことと言い、竜の妨害に逢わなかった事と言い、どことなくキナ臭い。そんな思いが一鉄にはあったが……とにかく、合流は出来た。
その証拠に、頼れる姐さんが、統真の前に立っている。
「扇奈だよ。ここの頭領……まあ、指揮官だね」
一鉄はチラリと、横にいる鈴音に視線を向けた。扇奈にあったのだ。飛びつく、ことはなくても、駆け寄ったりはしそうなモノだが、鈴音は今もうつむいたまま、動こうとしない。
扇奈も、そんな鈴音の様子に気付いたのか、僅かに眉を顰めている。
と、そこで、統真は驚いたような呟きを漏らしていた。
「指揮官……?あんたが?」
「あ?そうだよ……文句でもあんのかい?」
「いや………まさか美人にお目に掛かれるとは思ってなかったんで。生き延びといて良かったぜ」
軽口のように呟いた統真を前に、扇奈はどこか、おかしな顔をして……と思えば、呆れたように小さく笑った。
「器用な帝国のガキを初めて見た気がするよ」
「ガキって俺の事言ってんの?ええっと、扇奈ちゃん?」
「………ちゃん?ハハ、ハハハハハハ、……あ~あ、気ィ抜けるよまったく」
眉を顰め、笑って、その後呆れて。それから、扇奈は言う。
「詳しい話は後だ。とりあえず、よく来たね。歓迎するよ、帝国軍。まずは休みな。食いもんと、ちょっと酒もある」
「お、扇奈ちゃん太っ腹じゃん」
「器の広さには定評があってねェ……。けど、ちゃん付けは止めな」
「はッ!指揮官殿!」
どこまでも道化を演じるように、統真は軽い調子でやり取りを続けていた。
その甲斐あってか、帝国の兵士たちの間にも、僅かに気が抜けたような雰囲気が漂っている。
その後扇奈が指示を出し、オニが歓迎の用意――が出来る程物資に余裕があるわけでもないが、陣地の中ほどにスペースを開け、そこへと、統真を先頭に“夜汰鴉”達は歩み出した。ちょっとしたパフォーマンスなのか、統真の“夜汰鴉”を数人のオニが素手で運んだりしながら。
と、そうやって動き出した状況の中で、扇奈の視線が一鉄と鈴音に止まった。
「鈴音。一鉄。良く戻ったね……良かったよ、」
「はッ!ありがとうございます!」
即座に敬礼した一鉄の横で、鈴音はまだうつ向いたままだった。
扇奈の視線はそんな鈴音から一鉄へと移る。なにがあったんだい、と、問われるずとも聞かれている気がして、一鉄は口を開きかけ……けれどそれよりも早く、鈴音が、声を上げた。
「姐さん」
「……なんだい、鈴音」
柔らかく答えた扇奈へと、鈴音はようやく視線を上げ……何か言い掛け、けれど躊躇い……その末に、こういった。
「麻酔と、医薬品。針とか、残ってますか?」
「……ああ。まだあるよ。あんたらのおかげで物資回収できたしね」
「じゃあ、……テント。使います。応急処置しか出来てないから」
そう言った鈴音の視線は、一鉄、その肩の傷へと向いていた。
*
そういえば、オニに治療を受けたことはなかった。そう、狭いテントの中で胡坐を掻き、一鉄は思った。
漢方のような医療品やらもしかしたらお祈り、はなくても異能でどうこうなってしまうとか、そういう感じかもしれない……と、一瞬一鉄は危惧したが、どうもそんな訳ではないらしい。
鈴音の手には注射器があった。麻酔、らしい。その分量をチェックしているようだ。
どうも、近代的な医療が受けられるらしい。ではなく、鈴音がやるつもりなのか。
「あの、」
処置ができるのか、と問いかけようとした一鉄へ、鈴音は不意に布を差し出した。
「……なんですか?」
「噛んでて。輸血は平気って聞いたし、多分大丈夫だと思うけど、ヒトにどのくらい麻酔が効くのかわからない。抑えめにしとくから、多分ちょっと痛いよ」
ちょっと、で済むなら布を噛んでろとは言わないだろう。若干青ざめつつ、けれど文句は言わず、一鉄は布を受け取り、噛んだ。
そして、鈴音が処置を始める。
応急処置を受けた時もそうだが、鈴音の手際は良かった。手順通り、迷いなく進めて行っているようだ。と……見惚れるのか感心するのか、そうやって眺めている余裕はすぐになくなった。
宣言通り、部分麻酔の利きは良くなかったのだ。激痛が襲い、布を噛み、脂汗を垂れ流し………ただ耐えるだけの時間がしばらく続いた。
痛みに悲鳴を上げかけて噛んで飲み込む。男児意地を張るべし。
気が遠くなるような時間が続いていく………。
「ハッ、」
気付くと、処置は終わっていた。結局痛みに気を失ってしまっていたらしい。
左肩を見ると、ついさっきまで包帯で止めていただけの傷が、糸で縫合されていた。今更麻酔が効き始めたのか、痛みは気にならない。
周囲を見ると、鈴音が今治療に使ったのだろう道具を洗っていた。
と、一鉄の視線に気づいたのか、鈴音は言う。
「……消毒と縫合しただけ。マシな応急処置だから、後でちゃんとした医者に診てもらって」
「はい。ありがとうございます」
そう、一鉄は応えた。やはり、鈴音はまだ沈んでいるようだ、と思いながら。
普段の鈴音なら、気絶したことをからかったりとかして来そうなモノだ。そう言うどことなく超然といた、子供っぽい子だ。それは、一鉄にもわかっている。
だが、結局業務連絡のような話ばかり。今する必要のある話しか、鈴音はしていない。
暫く、鈴音が処置の後片付けをする音だけがテントの中に響く………。
やがて、どこか意を決するように、一鉄は声を上げた。
「あの……凄いですね。ちゃんとした処置が出来るなんて。戦場で、覚えたんですか?」
「……元々、こっちに進もうと思ってたから、」
ポツリと、鈴音はそう答えていた。それは、……初めて知る話だ。
医者になりたかった、と言う事なのだろうか。
と、鈴音は一鉄の顔をチラリとみて、漸くだろう小さく笑った。
「そんなに意外?」
もしかしたら、一鉄は大分おかしな顔をしてしまっていたのかもしれない。それをごまかすように、どこかしどろもどろに、一鉄は言う。
「いえ、その……鈴音さんは、強くて勇敢だったので、えっと………。医者に、なりたかったんですか?でも、なんで……」
問いかけようとして、けれど一鉄の言葉は止まった。
道を変えた理由なら、もう聞いている気がする。鈴音の弟の、……双子の片割れの形見を、一鉄は受け取っている。どこかお守りのように、それは今も一鉄の腰にある。
「……弟が帰って来なかったから。追いかけたんだと思う。だから勉強は途中までしかしてない。縫合くらいならできる、とか、そのくらい」
後始末の手を止めないまま、どこか遠くを見るように、鈴音は呟く。
「弟はやんちゃで、だいたい止めても聞いてくれない。だから、よく怪我してたから……」
「似てたんですね」
「え?」
「……鈴音さんも、俺が止めてもだいたい聞いてくれなかったですし」
「そうだっけ?」
何所かごまかすように、鈴音は小さく笑った。少し自重気味に。それから、ぼそりと、呟く。
「……別に、怖くなかったから」
なかった、と過去形だ。今は、竜が怖くない訳ではないのだろう。いや、……怖くなったのか。ついさっき、初めて、竜に対して強烈な恐怖を覚えた。
奇襲を受けたせいなのか、あるいは、遠目とはいえあの地獄を、ただ殺されていないだけの人間を見たせいか。
鈴音が竜を恐れるようになった直接的な原因はわからない。
だが、身がすくむようなその恐怖は、一鉄も良く知っている。要は……鈴音はあれだけ強かったというのに、ついさっき新兵になった、と言う事だろう。
そんなことを思って、一鉄は、口を開く。
「最初に会った時の事、覚えてますか?」
その一鉄の問いを前に、鈴音は首を傾げ……やがて、そっぽを向いて呟いた。
「突然、お慕い申し上げられた」
「それは……まあ、その通りですが、そうじゃなくて……」
お慕い申し上げているのは事実だから別に、と開き直りつつ……一鉄が言いたいのはそれではない。
そう、今生ではない。前世の話だ。
「俺は、生まれて初めて竜に会って、追いかけ回されて……引き金すら引けませんでした。竜が怖すぎて」
一鉄はその時の事を思い出す。振り返るともう、ずいぶん昔の事のような気がしてきてしまう。恐怖に身がすくんで何も出来なかった。あのまま行けば死んでいただろう。
「そこを、鈴音さんに助けてもらいました。だから、生き延びられた。その後、竜に襲われた時も、鈴音さんが勇敢に戦っていたから、俺もその時頑張れたんだと思います。ただ………」
言葉を切った一鉄を前に、鈴音は僅かに首を傾げる。その姿を、眺めながら……。
「……その時、前世では、その恩を返せませんでした。でも、今回は……そこを乗り切った。さっきも、鈴音さんを守れた」
そう、守れたのだ。足を引っ張るでもなく、怯えるでもなく、鈴音を守ることが出来た。
代償として左肩が抉れたが、そんなモノは些事だ。生きていてくれさえいれば良い。
そう、思って、鈴音を見据えながら、一鉄は言う。
「怖いなら……戦わないでも構いません。俺が、鈴音さんを守ります」
言い切った一鉄を前に、鈴音は暫し黙り込んだ。それから、鈴音は僅かにうつむいて……呟く。
「私は……邪魔?足手まとい?」
「いや、そう言っている訳じゃ……」
「……そう言ってる」
それだけ言って、鈴音は立ち上がり、テントの出口へと歩き出す。もう話は終わりだ、と言わんばかりに。
「あ……待ってください!」
そう呼び止めた一鉄へと、鈴音は振り返り……どこか寂しそうな目で、一鉄を眺めた。それから、問いを投げてくる。
「一鉄。……一鉄が、私の事を気に入ったのは、私が、一鉄を助けたから?それだけ?」
「…………、」
どう、答えるべきなのか。一瞬、一鉄は迷った。そして、迷っている間に鈴音は結論付けてしまったようだ。
「……ただの、恩返しなんだ」
それだけ呟いて、鈴音はテントを出て行ってしまう。
追いかけるべきだ、くらいの事は一鉄にもわかる。けれど、足が動かなかった。
ただの、恩返し。その通りかもしれない。一目ぼれと言うほかにない。けれど、仕方がないだろう。
「……名前を聞く時間も、無かったんだ……」
そう呟いて、一鉄は一人、テントの中で頭を抱えた。
*
夜であっても、周囲にはまだ喧騒がある。
オニの陣地。テントを後にして、けれどそう遠くへ行ける訳でもなく……鈴音は周囲を見回した。
扇奈の姿を探したのだろう。だが、扇奈は今、何やら真剣に、帝国軍兵士――久世と話している。周囲にはオニの主だった顔ぶれと、帝国軍の集まりがあった。軍議だろう。
ヒトの集団の外れで、ふと、一人の、小柄な男と目が合った。多分、最後に合流した、一人だけ違う鎧を着ていた奴だろう。怯えたように、周囲をきょろきょろと見回している。
あれも、臆病者か。
(……私も、臆病者。で、色呆け。一鉄の事笑えない……)
自嘲するように、鈴音はそんなことを思った。
守る、と言われて嬉しくない訳ではなかっただろう。けれどそれよりも、寂しかった。
ただの恩返しと、そんな風に切って捨ててしまったのも、どこか甘えたかったのか、あるいは苛立ち紛れだったのか。
何もかも急に薄っぺらいモノに思えて、寂しかったのだ。
竜に怯えて、一鉄に怪我をさせた。足手まとい以外の何者でもない。あらゆる意味で、今、鈴音は、勇敢にはなれない。
何もかもが、鈴音にとって、時間が必要な問題ばかりだった。
竜に怯えてしまう事も。
一鉄に当たってしまった事も。
少し、時間を置けば。ほんの少しの時間があれば。そうすれば、……良い方向に向かったのかもしれない。
ふと、周囲が騒然とし出す。
銃声と声が、オニの陣地に響き渡る。『敵襲!』、と。
臆病者で居ることが許される場所でもない。色呆けてばかりいられる場所でもない。
……ここは、戦場の、ど真ん中の、野営地だ。
周囲で人影が動き出す。扇奈は腰を上げ指示を飛ばし始め、オニたちは武器を手に陣形を作り、帝国の兵士は鎧へと駆けていく。
銃声が響く。そちらに目を向けた先で――黒々とした夜の森が騒めき、恐ろしい生き物がこの陣地へと殺到し始めている。
いつもの鈴音なら、もう、その竜の元へ駆けていただろう。勇敢だったから。
あるいは、片割れを追いかけるように、生き急ぎ、死に急いでいたから。その蛮勇の理由もまた、寂しかったから。
けれど、今、竦んだ身体が動かなかった。臆病になった。
小刀を――形見を渡したせいかもしれない。ふと、鈴音はそんな事を思った。
あるいは、渡しても良いような気がする、そんな相手に会ったせいかもしれない。
多分、この数日で鈴音は、生きていたくなったのだ。どことなく抜けた色呆けのせいで。
周囲が忙しく動き続ける。そんな中、道に迷うように立ち尽くして、助けを求めるように、鈴音はテントへと視線を向けた。
ちょうど、一鉄が出てくる所だ。竜の襲撃、とわかったのだろう。鎧を着れば良いのに、それよりも鈴音の方へと駆け寄ろうとしている。
鈴音も、都合の良い話だとどこか自嘲するような心持で、それでも、竜を見た瞬間からもう怖くて、助けてもらいたくて、一鉄の元へと駆け寄ろうとして――。
――すぐ、近くから。銃声が聞こえた。
その直後、鈴音の身体が重くなる。地面が近づいてくる。受け身を取ろうにも、身体が上手く動かない。地面に、倒れる。不思議と涼しくて、同時に地面が生暖かい。
呟きが、聞こえた。
「羽織の、女の、オニ………」
視線を真横に向ける。
そこに、ヒトが立っていた。正気を失っているとしか思えない目で、硝煙の上がる拳銃を震わせながら、うわ言のように、………。
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