4章 破滅の夜

1 紅色の旗/狼煙

 狂ったように、月明りの下、セミの声が響き渡る――。


 オニの陣地には、かつてないほど整備された陣形が構築されていた。


 全方位円形に10分割だ。最前列には射撃要員、負傷者の中では軽傷の、トリガーを引けるオニ達が油断なく目を光らせ、その背後にオニの前衛要員、そして各分割ごとに二人ずつ、帝国軍の残党――“夜汰鴉”がついている。


 そして、そんな円形の陣地のど真ん中、重傷者たちのすぐそばで、扇奈は堂々と腕を組んでいた。


 データリンクとレーダー。のぞき見させてもらったその効果は絶大だった。


 いつ、どのタイミングで竜が襲ってくるかに怯えずに済むのだ。そのレーダーを無効化する竜もいるらしいが、それでも竜の大多数に対してその兵器は有効だ。


 そして、設備と馴れの問題で、扇奈はそのレーダーを自分が扱う事を止めた。

 同時に、この戦場全体に扇奈が自分で細かく判断し指示を出すことも止めた。


 負荷を分割するのだ。10分割した陣形、各々の指揮を、レーダーを見ることに慣れた帝国軍の兵士たちに委ねた。適宜自己で判断して指示を出せ、と。


 生き残っている人材は、それが不可能でない程のベテランぞろいらしい。戦術のすり合わせが手早く済んだことからも、それがうかがえる。少なくとも目の前、自分が分担する範囲の敵と味方の状況を把握できるだけの人材だろう。そしてそこに副官として信用できるオニもつけてある。


 今更ヒトに指示を出されることを嫌がるオニもいなかった。一鉄が物資回収の時に立てた作戦がうまく行ったせいもあるだろう。統真を筆頭に帝国軍の残党がフレンドリーだったこともあるだろう。


 とにかく、扇奈は不慣れな全体の指揮をどうにかこなせたらしい。


 部下に助けられた形だ。一鉄が負傷兵を使うという案を出したから。帝国の残党が生き延びてくれたから。あるいは、オニ達がそれを疑わず信用したから。


 多少なりとも重荷を預けて、楽が出来るようになった。

 扇奈が細かく指示を出さずともある程度状況に対応できる部隊、が構築されたのだ。


 陣形を構築し終わった時点で、扇奈にもう、指揮官としての仕事はほとんどなくなった。今出来る中で最大限理性的な、ボトムアップな指揮系統の布陣を取れた、と言う事だ。


 流石に人員の限界はあって、遊撃部隊、呼び兵力は作れなかったが……あるいは、自身が指揮を執る必要がないのであれば。


 この部隊、この場所の最高責任者になって初めてだろう。扇奈は、どこか好戦的な笑みを浮かべる――。


 と、そこで、だ。防衛陣地の一角から、声が上がった。


「おっと……すげえ数だな。そろそろか?」


 声を上げているのは、統真だ。その鎧の近くには、鈴音の姿もある。


 指揮官として、鈴音の戦力を腐らせるわけには行かない。だが、放っておくとまた一人で突っ込むかもしれないし、この部隊にあるわかりやすい浮いた話だった以上、鈴音の怪我は全体の士気にも関わる。そう言うあれこれで、帝国の残党の中で、一番視野の広そうな統真の近くに置いておいたのだ。同じ個所には奏波も配置している。


 多少の特別扱いだ。大っぴらに惚れられた女の特権だろう。


 が、それが気に食わないのか、鈴音は若干浮かない顔をしている。あるいは、浮かない顔の理由は、あの子が特別扱いされる原因を作った馬鹿がまだ、この部隊に合流していないからか。


 そんなあれこれ、考えていると、声を上げた“夜汰鴉”――統真が、扇奈の方に視線カメラを向けて、呼びかけてきた。


「頭領!司令官!……そろそろっすよ!気合の入る一言をどうぞ!」


 どうも統真は、この状況下になってもまだ、扇奈やら部隊全体やら、とにかく様々な方向に気を回そうとしているらしい。


(……なんか、苦労してそうだね)


 どことなく自分を棚に上げたように、扇奈はそんなことを思い……それから、軽く頭を掻いた。


「気合の入る一言って言われてもねぇ……」


 小難しい話でもしようか。が、流石にすぐには思いつかない。

 結局、扇奈は肩の力を抜いて、声を上げた。


「……ああだこうだいちいち、あたしはもう指図しないよ。この場に集った帝国軍の諸君!戦況の判断はそっちに全部任せる。……信頼してるよ、」

「「おう!」」


 と、威勢の良い返事が、地獄を生き抜いてきた帝国の男たちから上がった。

 戦闘前に指揮官が一席ぶるなら、それは士気を上げることに直結しなければならない。


 扇奈はこの場の帝国軍の前で戦ったことはない。

 だから、この際扇奈は女で良い。シンプルに口に出してやればやる気も出るだろう。


 そして………。


「くたばり損ねた歴戦のオニの諸君!飛び切りの朗報だ!……このあたしが、なんと、暇だ。自由の身だ……」


 ……オニは扇奈の事を知っている。実際に戦いぶりを見た奴もいるし、仮にそれが無くとも、見ず知らずの若い女剣士が、喧嘩吹っ掛けてるくらいには名が知れてる。

 だから、


「……死にかけてもあたしが手ずから助けてやる。お行儀よく、無茶しな」

「「おう!」」


 今度は、オニから威勢の良い返事が来た。

 士気は……上げられただろうか。少なくともこの円形の布陣の中で、背後に怯える者はいなくなった。


 周囲の森が騒めき出す………振動のような地響きも、近づいてくる。

 ……統真の予想は正しいらしい。レーダーがあるとはいえ、確かに、竜が襲ってくるその直前を察知して見せたのだ。


 任せても問題ないだろう。……そんな思考を片隅に、扇奈は、シンプルに、その場にいるすべての人間に、声を掛けた。


「……生き延びるよ、」

「「「おう!」」」


 怒号のように、威勢の良い、士気の高さを表す返事が、響き渡った。

 直後、暗い、暗い森の一角が、全方位で、不意に、崩れる――。


 雪崩のように。爪が、牙が、尾が、単眼の群れが、この軍勢を飲み込もうと顔を覗かせる――。


 その瞬間に、弾丸の雨あられが、迫り来る怪物の雪崩を打ち据え、血の雨を月夜に降らしていく。



 銃声、怒号、気合の声。

 もはやセミの声も聞こえない程の狂気と熱気の戦場が、その場所に広がった。


 戦争が、闘争が始まったのだ。


 ―――同時に、扇奈の、指揮官としての仕事も、一つ、終わった。

 使えるモノはすべて使った。女も名声も知略も経験も。


 後はもう、出たとこ勝負。もしくは、個人の武勇の勝負。

 硝煙と血生臭さ、嗅ぎたくもない慣れ親しんだ匂いが届いてきて――。


 枷の外れた鬼は、嗤った……。


 *


 てっきり、鈴音は、一鉄がすぐに合流するのだろうと、そう思っていた。

 だが、どうやら違うらしい。統真は言っていた。


『寄り道するってよ』

『知性体狩りだそうだ』

『……狩りは男の仕事って奴か?』


 その言葉に、鈴音は顔を顰めた。心配半分、気に食わない言われ方半分。……鈴音が舐められてるのは一鉄のせいかもしれない。


 とにかく気に食わず、そもそも守られるだけの存在で居る気もなく、そんな鈴音に、扇奈はちゃんと役割を振った。


 ほかのみんなと同じだ。守備陣形の一部。前衛役のオニ。

 突っ込みすぎるな、と釘を刺された上で、同時に、周りの為に暴れな、とも。


『うまい事扱ってやりゃ良いんだよ、』

 だそうだ。


 そんな事言われてもいきなり出来る訳ない、と鈴音は思う。

 今度もうちょっとゆっくり聞かせて貰おう。そんな事を思う。

 その教えを一鉄辺りで実験してみよう。そんな事も思う。


 ………どれもこれも、この場所を生き延びたその後の話だ。


 扇奈の事は最初から信用している。まず間違いなく死なない。それから、一鉄の事も信用しよう。きっと生き延びるだろう。やる事やって戻ってくるのだろう。


 だが、鈴音は、ただ待っているだけで終わる性分でもない。

 鈴音は鈴音でやることがある。まず、当然、生き延びる事。


 それから………味方の信頼を得る舐められない事。


「……射撃中止、弾倉交換」


 そう、目の前にある味方の背中に声を掛けると同時に、月明りの下、前線へと躍り出た。


 同じ区域を任されている統真が、「おい、」と声を掛けているが、鈴音は聞かず止まらず、鈴音の声に、味方はちゃんと射撃を止めている。


 ――その横を、駆け抜ける。

 この陣地、この部隊にいるオニの中で唯一、鈴音は、レーダーに近い感覚を持ち合わせている。単独行動で生還率が高く、……部隊に指示を出す上でも鈴音のその異能は役に立つ。


 竜の動きは一定ではない。ただ突っ込んでくるだけではあるが、同時に何体来るか、の問題もある。いつ、敵の突撃が厚くなるか。いつ、緩むか。


 レーダーが、レーダーに近い異能がある鈴音には、森の向こうで視界が通らずともそれが分かった。


 今この瞬間の敵の密度は低い。逆にその後厚くなる。なら、低いうちに弾倉を交換させたい。


 同じ判断を統真はしただろうが、オニの射撃武器にまでは詳しくない。事前にすり合わせて聞いてはいただろうが、今この瞬間は鈴音の方が判断が早かった。


 だから、鈴音は前に出る。

 いくつか、竜の死骸が転がっている月明りの戦場の一角。


 突っ込んだ鈴音の前に、単眼の怪物が現れる。


 3匹、だ。3匹殺して戻れば良い。そんな計算を頭の中に、鈴音は短刀を投げた。

 手前、一番前の一匹ではなく、その右後ろの一匹へと。


 投げられた短刀は、弾丸に近いような威力で竜の目を抉り、その巨体が突進の勢いのまま倒れて滑る。


 それを横目に――

 一番手前にいた竜が、鈴音へと大口を開けて突進してくる。


 噛みつかれて、頭がなくなるか。突進の勢いに吹き飛ばされて、その退化した翼、爪で引き裂かれるか。ミスをすれば即、死につながることは間違いない。


 が、別にそれは今まで通りである。

 冷静に、特に怯えることなく――鈴音は、太刀を抜き打った。


 目の前で、竜の大口が上と下で分割され、鮮血がまき散らされる。


 返り血にも、寸前まで迫っていた死にも特に気を留めた様子もなく、鈴音はそのまま、さっき殺しておいた2体目へと歩み出した。


 ――その瞬間に、崩れ落ちる一匹目の死骸を踏み抜いて、3匹目の竜が姿を現す。


 一匹目の影になって察知が遅れる――と言うことは、鈴音に限ってはない。


 尾を振り回そうと、身体を沈めた3匹目の竜。その頭を、顎を、鈴音は蹴り上げた。


 竜の身体が思い切り跳ね上がり、鈴音の目の前、丁度良い位置に首が晒される。

 次の瞬間には、竜の首が撥ね飛んで、月明りの下に血の雨を降らす――。


 そんな中で、鈴音はさっき2匹目に投げた短刀を回収し、悠々と、味方のオニ達の背後、統真の“夜汰鴉”の真横まで戻ると、呟いた。


「……斉射」


 直後――鈴音の声に合わせて、オニ達は一斉にトリガーを引く。


 放たれた弾丸の雨は、今まさに森から飛び出て来たところだった何匹もの竜を、現れると同時に貫き、死体の山がその場に築きあげられていく。


 それを横目に、鈴音は澄まし顔で統真を見上げ、言った。


「おとなしく家守っときますね」

「…………どこにおとなしさがあんだよ。乙女だと思ってたのに……」


 ふざけているのか、あるいは本当に残念がっているのか……そんな風に統真――“夜汰鴉”は若干うつむき、と思えば、いきなり血相を変えて声を上げる。


「6番!大群だ!警戒を……」


 そして、統真は6番――そう番号を振られた戦域へと視線を向けていた。その場所の受け持ちの帝国軍兵士へ、警告を投げたのだろう。


 扇奈に通信機もレーダーもない以上、実質的にこの戦場の指揮官は統真だ。

 だが、逆に言えばその分、……重荷が減って自由に動けるようになったモノもいる。


 統真から一瞬遅れて――生まれ持ったレーダーのような異能で自身の受け持ちに気を裂きつつ――鈴音はその“6番”に視線を向けた。


 そこには、確かに結構な量の竜が迫っていた。

 そして、その最中で――紅地に金刺繍の、枷の外れた鬼が躍っていた。


 切って、切って、切って切って切って――危なげなく暴れまわっている。


「流石姐さん、」


 そんな事を呟いた鈴音の横で、統真は軽く肩を落としていた。


「……んな気はしてたけど、やっぱり……。オニの女ってそんなんばっかか、」

「女の前に兵士なので」

「気づきたくなかった………」


 そんな風に肩を落としながら、統真の“夜汰鴉”は引き金を引き、前衛射撃役の撃ち漏らしの竜を撃ち殺していた。


 統真も、ふざけているように見えるだけで腕は確からしい。

 とにかく、これでもう、やたら鈴音の事を舐めたりしないだろう。


 鈴音も、統真の事をやたら舐めたりしない。


 今、出来ることを。すべきことを。

 リン、と、太刀に付いた血を払い、鈴音はまた自分の受け持ち睨みつけた。





 銃声と、怒声と。地鳴りと歓声と軽口と。

 騒々しくも安定した戦場が、その場には広がっていた。



 だが……それも、長続きはしなかった。

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