4章 破滅の夜

1 崩壊の最中/舞い踊る紅羽織


 若者が前を向く。決意を固め、覚悟を決め、決死で目の前の苦難へと挑みかかる。

 そして一つの死地を抜ける。だが………たった一つ拭った所でもう、取り戻しようがないほどにそこは地獄だった。


 あるいは、遅すぎたのかもしれない。

 あるいは、若すぎたのかもしれない。


 もはや、その夜は、………蛮勇でどうにかなる状況では、無かった。


 *


 地獄の最中で刃を振るう――竜の首を落とし、返す刀で尾を払い、その流れのままもう一匹を切り殺す――。


 派手な衣装のオニは、女は、狂気と先決に彩られたその舞台の最中で、破滅的に、美しく、舞っていた。

 けれど、………その顔には一切、余裕がなかった。


「………チッ、」


 切っても切っても竜は襲い掛かってくる。この戦域で起こった最初の戦闘、味方が散り散りに逃げるほかになかったそれと、同じ状況だ。


 竜の奇襲。出鼻をくじかれ、陣形も何も不安定な中、圧倒的な物量がただただよだれをまき散らし食い殺そうとしている――。


 乱戦になっていた。もはや、連携も何もあったモノではない。どちらを向いても竜がいる――。


 帝国の側が、竜に突破された結果だ。前にだけ集中していればギリギリの所で押しとどめられていたオニの部隊も、挟撃となっては手が回らない。


 背後から襲い掛かってきた竜へ、言葉の通りに、扇奈は対処した。だが、あまりにも手が足りず、とどめる為に深追いせざるを得ず、孤立し――。


「……クソ、」


 近づいてくる竜を片っ端から肉片に変えている。


 この状況下で生き延びられているのは、ある意味、扇奈が異常で、特別だからだ。身軽に爪を牙を尾を躱し、重い一太刀がトカゲを葬り続けている。返り血以外、一撃も喰らわずに、だ。

 けれど、部下はそうは行かないだろう。そちらを気に掛けてやろうにも、出来る状況ではなかった。


 味方がどの程度生きているのか、わからない。部下がまだ残っているのか。逃げろと命じるべきだろうが、こんな状況のまま逃げれば、それこそ背中を竜に晒して各個撃破されるだけだ。


「……失態だね、」


 帝国を信用しようと、あるいは利用しようと思わなければ、まだやりようはあったかもしれない。帝国の兵士を犠牲にして、おとりにして自分達だけ逃がす選択肢を取れば、オニの部隊は今も連携を取ったまま、分断されることなく、逃げ延びることは出来たかもしれない。


 扇奈は一人の兵士として優秀だ。遊撃部隊として、手の届く範囲の部下に指示を出す、前線指揮官としても有能だ。だが、一つの軍勢のトップになるには……情が深すぎた。

 ……優しすぎるのだ。


「クソッ!」


 どこまでも自分に向く刃を嫌がるように、扇奈は大きく毒づき、手近な竜の首を一つ落とし、――死んだその巨体が崩れる前に、その亡骸を駆けあがり、踏みしめ、大きく、跳ね上がる。


 夏の夜、狂気と熱気が渦巻くその最中で、幾つもの単眼が見上げてくるその頭上から、高く跳ねた扇奈は戦場を俯瞰する。


 やはり、乱戦模様だ。帝国の陣地はもう、完全に竜に呑まれていて、2、3小規模な集団があるばかりで、軍隊としてほとんど機能していない。負傷者を庇おうとしてまとめて食い散らかされた者もいるのだろう。


 FPAは、60はいたはずだ。けれど、奇襲を食らったせいか、まだ抗っている帝国軍は数える程――。

 部下は?オニは…………生き延びている。


 全員が、ではないだろう。だが、確かに残っている。陣形があった。銃を手にしたオニを中心に、刃を手に果敢に前線で竜を押し留める、円形の陣形。


 士気の高い精鋭だけ残った。地獄に慣れている者ばかり、オニの側は残っている。

 合流できさえすれば、勝利はなくとも、まだ生き延びる目はある――。


 問題は、扇奈がその部下たちから遠く離れている事だ。たどり着くまでに一体何匹竜がいるのか――。

 真っ当に地面を歩いて、果たしてそこに辿り着くことが出来るのか。


 俯瞰を終え、扇奈の身体は落ち始める――足元にいるのは何匹もの竜だ。その尾が、爪が、扇奈へと差し出されてくる――。


 扇奈はその最中へと飛び込んだ。太刀で尾を弾き弾いた反動で爪を躱し何発か、かすり傷にとどめるように身をひねりつつ躱し、着地と同時に目の前のトカゲを一匹両断―――。

 その最中で、扇奈はなぜか笑って………


「……乱戦でやる事じゃないねェ……」


 再び、思い切り、跳ね上がった。


 *


(……どれがミスだった……)

 久世統真は闘いながら回顧していた。


 “夜汰鴉”を纏っている。決して派手な動きはせず、だが緻密で合理的に、常に次がある動きをし続けて、効率的に、近づいてくるトカゲを20ミリでぶち抜き続ける。

 弾が切れたらリロードはせず、その辺に機関砲を拾う。リロードするよりその方が早い、と、経験則として知っているくらいに、統真もまたこんな地獄に慣れていた。


 周囲には何機か、“夜汰鴉”がいる。危ういながら小隊規模での連携は取れていて、ギリギリ、統真もその周囲も生き延びていた。レーダーを見れば他にも生き残りがいることはわかる。ただ、その他の生き残りとの間が、真っ赤に――竜を示すアイコンで埋まっている。


(指揮官のミスだよな………)


 すべては尾形特任大佐殿のせい。……と一概に切って捨てることも、統真には出来なかった。


 無能であることは知っていた。もっと早くに対処すればこうはならなかったかもしれない。


 襲われた直後も、だ。指示が甘かった。負傷者の援護、ではなく、退いて結集させるのが正解だった。非人道的であれ、そうすれば今ほどの被害は出なかっただろう。


 判断するほどの時間もなく、そもそも指揮系統を回復する時間もなかった。

 結果論だが、最悪のタイミングでクーデターを起こしてしまったのだ。


(……年貢の納め時か、)


 今、自分は指揮官だ。決して、口には出さない。だが、戦闘経験豊富だからこそ、どこか冷静に、統真はそう悲観していた。


 元々居た部隊、長くこういう地獄を共にしてきた戦友達がこの場にいれば、まだ生存の目は合っただろう。だが、階級が上がったせいで、――その他もろもろの政治的要因も絡んで、統真が率いていたのは、その、地獄に送られ過ぎたせいで結果的に化け物しか残っていない、信用のおける戦友ではなかった。勿論、新兵ばかり、なんてことはないが……この状況を単身で覆せるような化け物染みた人物達、でもなかった。


 冷静に、どうにか拾える目のある友軍を回収していき、他の帝国軍兵士の倍近いキルレートを上げながら、それでも悲観し続け――。


 そう闘っている統真の視線の先、夜空に、何か派手なモノが見えた。


 オニだ。紅地に金刺繍の、狙撃してくれと言わんばかりな羽織を纏った、女。

 それが、まるで八艘跳びでもするように、竜を踏み台に、傷を負いながらも倒れず、戦場を横断している――。


「……マジかよ、」


 その戦術は、知っていた。その戦術を利用する戦友バカの事も。


 竜は飛び道具がなく、ただ群がってくるばかり。正面から向かい合えばその勢いに飲み込まれるばかりだが、上を取れば比較的マシに戦場を移動できる。若干、竜の反応も遅れる。……らしい。

 あいつの証言は宛にならない。あいつに関して言えば、素の反応速度が異常な上に死地に飛び込むことで集中度が上がって相対的にそう感じているだけじゃないのか。


 着地の瞬間に竜が一斉に群がってくるから、跳び上がる度に自殺を図っているようなモノなのだ。とにかく、真っ当な神経でやる事ではない。やろうとして出来る事でもない。統真は、マネしたいと思った事はない。


 だが、そんな戦術を取る、常識的にはあり得ない生還率を誇っていた戦友を一人知っている。その後始末なら、やり慣れている。そして、その無茶の進む先には、大抵、味方がいる………。

 統真は、迷わず、通信機越しに全隊に呼びかけた。


「……跳び回っているオニが見えるな。その先が合流地点だ。まだ味方がいるぞ!」


 そして統真は、この地獄の夜でやたら派手に宙にある、その旗印へと部下を伴って動き始めた。



 ……この乱戦の中で、そのオニの行く先へたどり着ける帝国の兵士がどれほどいるか。いや、ほとんどいないと言っても良いだろう。


 だが、希望は必要だった。統真を含めて、完全に萎え始めている士気を上げる為にも――。


 *


 着地と同時に生傷が増える――。

 トカゲは、見えている標的に無作為に群がってくる。飛び跳ねて、注目を集めれば、それだけ大人気になるのだろう。


 尾が牙が爪が単眼が単眼が単眼が、逐一扇奈を捉え、あるいは捕らえようと伸ばされ――。

 そのたびに扇奈は神業を披露する羽目になった。


 差し出される尾を弾く。あるいは、弾かずその尾の傍に太刀を当て、這わせ、全方位から襲い掛かってくる殺意を、その太刀を始点に紙一重で躱し、あるいは躱しきれず傷を負い、それでも倒れず、再び着地する。そして息吐く暇もなく、再び跳び上がる。


 一瞬休めばその一瞬のうちに背後にいる竜に殺されるのだ。

 だから休まず、移動し続け、命がけのギャンブルをしながら周囲の状況を観察して比較的安全な着地点を即座に判断する必要がある。


 どれほど、それを繰り返したか。

 不意に、扇奈はかなり安全度の高そうな着地点を、見つけた。


 トレーラだ。一つは一鉄を乗せたまま走り出したが、残り2台はまだそこにある。

 横転しているそこへと、扇奈は着地し――ようやく、一瞬だけでも、息を吐けた。

 同時に、戦場を眺める。


 扇奈が目立ったからか。帝国軍がこちらへと近づこうとしてきている。

 部下たちの円形の陣も、まだ生き延びている。



 そして、その戦場の外れ辺り。散弾銃を手にしたオニとヒトが、走っていた。走る先にあるのは、“夜汰鴉”――一鉄の鎧だ。帝国に接収され、外縁部に放置されていたらしいそこへの道は、今扇奈が進んできたそれよりも大分楽だろう。


 ふと、扇奈はその光景に笑みを零し、また高く跳ね上がる。

 跳ねた直後、直前まで扇奈が居たそのトレーラを、尾が、牙が貫き、だが、扇奈自身は傷を負うことなく――。


 そして、ついに、その一足で、扇奈は部下たちの最中へと降り立った。

 円形に、銃を構え背中を合わせているオニたち。その視線の先で、太刀を手に竜を押し留めているオニたち。


 その、部下たちの中心に立った、紅い羽織の女は、血みどろの太刀を手に一つ息を吐くと、端的に、部下たちへと命じた。


「………生き延びるよ、」


 怒声と歓声の中間のような声が、オニの陣から上がる。

 明確に状況が覆った訳ではない。だが、指揮官の合流で、その部隊の士気は更に上がった。

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