4 最期に響く声/形見

 月宮一鉄は、騒ぎを遠く聞いていた。

 ほかに、何も出来ない。何をする気力もない。


 明かりの差し込まないトレーラの最中、ただ、外で何かが起こったのだろう、それだけしか一鉄にはわからなかった。


 そして、その何かが、酷く恐ろしい事だろうと、それは、くぐもった悲鳴で、銃声で分かった。


 トレーラの隅に座り込む一鉄。歯の音が合わず、頭の中ががちがちがちがちと煩い。


 トラウマを思い出す。

 目の前に落ちてくる腕。

 むき出される歯。

 もう、手を振ってくれない、手を振っていた少女。


 ……臆病だと自分を笑う余裕すらなかった。ただただ恐怖に震えた青年がそこにはいた。


 だから、そう、臆病者は思ったのだ。

 トレーラが動き出した時。半狂乱のくぐもった笑い声が運転席から届く中。何が起こったのかわからなくとも、思ってしまったのだ。


 これで自分は生き残れるかもしれない、と。

 すがるような気分で、そう思ったから、なのか。


 衝撃が、襲い掛かった。


「ぐあ、うう………」


 暗い中、真っ暗闇の中、不意に天地がぐちゃぐちゃに、一鉄は真横の壁に叩きつけられた。


 呻きながら、身を起こす。――トレーラが倒れたのか、そう一瞬だけ思って、けれど直後には、恐怖が思考を塗りつぶした。


 銃声も悲鳴も、さっきまで聞こえていた笑い声も、聞こえない。


 ただ、音は聞こえた。

 ざりざりざりざりざりざり………。


 何かが、この、倒れたトレーラの側面を、撫でて、削っている。

 開けようとでもしているように。開ける場所を探してでもいるように。真っ暗い中で音だけが一鉄を襲い、一鉄の歯ががちがちがちがちがちと鳴り響く。


 一鉄は、暗闇の中、必死に――そう、銃を探した。けれど、そんなものは持ち合わせていない。ポケットをひっくり返すように、必死に探っても、出てくるのは、銃ではない。


 硬い何かが手に触れた。短刀、だ。オニなら、それでも、竜を殺せるのかもしれない。

 けれど、ヒトである一鉄に、それも生身では、そんなものがあったところで、竜に抗えるわけもない。


 一鉄は、落胆した。銃でないことに。そして、銃でないと、そう落胆してしまった自分自身に。


 幾ら威勢よくあろうとしても、幾ら想っていたと言い続けても、一皮むけば所詮この程度だ。


 ………いっそ。この小刀で、竜は殺せなくても、殺せる者はこの真っ暗な牢獄の中に一人いるのではないか。


 そんなことまでも考えた。

 考えた時、ふと、気が付いた。ざりざりざりと、さっきまで聞こえていた音が――消えている。


 助け出されたのかもしれない。そう、思いたかった一鉄の視線の先で、トレーラの扉が、


 尾で抉って。爪で抉って。その後、引きはがすように開かれた扉の先から、夏の夜の温い風と、狂ったようにうるさいセミの声と、月夜と――。


 単眼が、一鉄を見た。一鉄を笑った。


「………あ、………」


 一鉄は動けなかった。恐怖に竦みきったのだ。自刃、など考える余裕すらない。

 竜が、一鉄を見ている。嗤っている、そんな顔をしている。その爪が動く、尾が夜に踊る、牙がむき出される………。


 引き裂かれるのかもしれない。貫かれるのかもしれない。かじられて、上半身がなくなるのかもしれない。どれであっても、その未来を、一鉄は知っていた。


 最初に逃げた時、そこら中であったように。

 逃げた先で、女神だと思った、あの少女が、動かなくなったように。手を振り返せなかった時のように。


 死にたくないと、思うだけの気力もなかった。

 脱走兵。恩を返せず、死なせてしまった臆病者。届ける先のない形見。


 死ねば逢えるのだろうか。逢ってどうするのだろうか。無駄にしましたと詫びるのだろうか。いや、それは夢物語だ。


 死んだら終わりだと、つい数日前に突き付けられたばかりだ。

 なぜか。何故か、あの子の最後を思い出した。


 本当に心残りだったのはそれだったのかもしれない。最後の言葉が何か、わかってあげられなかった事が。


『おと…うと。かた、み………』


 届けてくれ。そう言われたのだと思っていた。だが、違ったようだ。もしかしたら、一鉄にくれていたのかもしれない。それは、もう、わからなかった。


『……か、お………』


 顔を見たいと言ったのだろうと、そう思っただけだ。わからない。見せようにももう、あの目は見えていなかった。


『かえ……、……て?……おにい、ちゃ………』


 最後のそれも、一体、何を言おうとしていたのか………。

 竜が、ゆっくりと、近づいてくる。


 月明りを背に、影がずれ、トレーラの中を、そこで怖けて固まる臆病者を照らし出す。


 ふと。一鉄の視界に、紙が見えた。捨てた、何の意味もない紙幣の中に……もっと別の、今気づけば、きっと上等な物を使ったのだろう、紙がある。


 手紙だ。双子の妹から、贈られた手紙。それを目にした瞬間――


『かえって、あげて?……おにい、ちゃん……』


 ――やっと。あの子が、鈴音が……双子の、片割れをもう亡くしていた少女が、最後に、何を伝えようとしていたか、一鉄は理解した。


「………ッ、アア!」


 声を上げる。まず、声を上げる。父の教えだ。気落ちした時に、あるいは怯えた時に、まず声を上げる。武人の家系の、先人の、戦を知っている先達の教え。声を上げれば躰は動く。


 一鉄は、臆病な自分を振り払うように、咆哮を上げた。

 だからなんだと、そう笑う前に動く。抗った所で意味がないと、そう諦めつつも行動する。立ち上がる。


 一鉄の手には小刀がある――託された、形見の小刀。それ以外の武器はない。……それ以上の武器は、必要ない。


 突然上がった声に、あるいは驚きでもしたのか。一瞬動きが止まった竜へ、一鉄は小刀を手に突進した。


 小刀でも竜に傷を負わせることが出来る。そう、鈴音に見せてもらっていた。流石に、投げてどうこう出来ると、一鉄には思えない。ならば捨て身で突っ込むのみ。


 突き進む一鉄へ、竜は尾を振り被る――だがそこはトレーラの荷台の中。閉所でそんな長物は無意味。


 がりと、音を鳴らし、尾はトレーラの壁に突き刺さる。

 ――その、隙に。


「ハアアアアアアッ!」


 蛮勇の声を上げ、一鉄は、竜の顔面へと、小刀を突き出した。

 血が噴き出る。返り血が一鉄を濡らす。小刀は竜の単眼、その中心へと突き立てられ、直後、竜が痛みに呻くように、身体をよじる。


 まさに野生動物、いやそれ以上の怪力だ。決して離すまいと、突き立てた小刀を握りしめる一鉄ごと、竜は体を振り身を捩り――。


 砕けたのは、小刀だ。振り回した一鉄の体重にたわみ、たわみ切れず、刃は圧し折れ、振り回された一鉄の身体は、トレーラの外へはじき出される。


 夏の夜の、ぬかるんだ地面に、背中から叩きつけられる。

 だが、呻くことなく、一鉄は身を起こした。


 頭上に満月。耳には、セミの声。大気は温い夏のソレ。


 その最中、手には圧し折れた形見の小刀があり、視線の先では、痛みに悶えるように、異形の怪物が暴れまわっている。


 一太刀、入れたのだ。殺せずとも、臆病者の自分が、生身で怪物に突っ込んで、その目を抉ってやった。


「……………良し、良ォし!」


 まず、声を出す。やってやれないことはないのかもしれない。もう武器もないが……抗ってやる。ああ、抗ってやろう。


 やはり生真面目に……一鉄は折れた小刀、大切な形見をポケットにしまい込み、それから、悶える竜を睨んで、両手を握り、ファイティングポーズを取った。


 竜は、痛そうに頭を振りながら、あるいは一鉄が声を出したから、その位置を察知したのかもしれない。


 牙を剥き出し、よだれをたらし、両手の爪で地面を抉り、一鉄の方へ頭を向ける。

 一鉄の手に武器はない。逃げて逃げられるか、それもわからない。ならば、抵抗する。


 覚悟を決めて、手負いの竜を睨んだ一鉄――不意に、その耳に、声が届いた。


「………素手では、無理だ」


 直後、重苦しい銃声が響き渡り………一鉄の視線の先で、真上から降ってきた大口径の弾丸によって、竜の頭がはじけ飛んだ。


 痛みに喚く時間もなく、頭部を失った竜は倒れ込み、地面に臥せってわずかに痙攣し、動きを止める。


 横転したトレーラ。その荷台の上で、ガチャンと、ショットガンの薬莢を捨てる音が響いた。


 一鉄のお目付け役の、オニ。角の生えた口下手な男が、安堵と呆れが混じったように、笑みを浮かべていた。


「奏波、さん………」


 呟き、一鉄は大きく息を吐く。一瞬前まで無理やり引き出していた蛮勇が、恐怖が、溢れたように。


 そんな一鉄の前に、奏波は飛び降りて、言う。


「……悪いな、一鉄。鎧は運べない。これで我慢しろ」


 その言葉と共に、奏波は自身の手に持っていたのとは別の、担いでいた散弾銃を、一鉄へと差し出してきた。


 息を吐く間はないらしい。だが、一息つくのは後で出来る。そうだ。生き延びれば良いだけの話だ。


 一鉄はその散弾銃を受け取り、敬礼した。


「はいッ!……素手よりはマシでありますッ!」

「……その通りだ」


 いつもの淡々とした雰囲気で奏波は言って、視線を陣地へと向けた。

 まだ、戦闘が続いているそこへ、奏波はすぐに動き出す。


 生身で戦場に行くことになる。だが、一鉄は怯えなかった。いや、恐怖は依然ある。だから、……一鉄は声を上げる。


「生き延びますッ!」


 形見を届けることは出来ない。

 けれど、その代わり、託された願いは理解した。


 だから、……月宮一鉄は、怯えながらも勇気を持って、前へと、踏み出した。

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