3章 終局を得るが為

1 勝利条件/地図を手に、迷いなく

 月明りを木陰が曇らせる、暗い、暗い夜の森。


 その最中を、一機の鎧は駆けていた。黒い鎧。家名によって特別な赤い装飾を施され、腰には飾りの太刀を佩いた“夜汰鴉”。


 この戦域が初任務のはずの新兵は、けれど歴戦の兵士のように隙の無い動きで、方向も何もわからなくなりそうな暗い、暗い森の中を、けれど迷わず、駆けて行く――。



 ふと。

 駆け抜ける“夜汰鴉”の周囲で、森が奇妙に騒めいた。


 新兵であれば、ただのそれだけのことに、異様に怯えただろう。

 少し慣れた兵士であれば、多少警戒はして歩みを止めたりしたかもしれない。


 そして、何度もを経験してきた、森の中で奇襲を受けることに慣れ切った兵士は、足を止めずむしろ駆ける速度を上げて、ただ、冷静に、耳を澄ました。


 周囲のざわめきが心なし大きくなる――。竜も、追いかける為に速度を上げたのだろう。


 竜の身体は横に広い。森の中ゆっくり忍び寄ることは出来ても、早く動こうとすればその分音も大きくなる。


(3匹………)


 一匹は右。一匹はその少し後方。もう一匹は左。

 完全に経験則だ。何度も何度も何度も飽きる程やれば、たとえ視界の通らない夜の森の中だとしても、どこにどのくらいいるかあらかたわかるようにもなる。


 レーダーを見る。写っているのは左右の2匹。少し後ろにいる一匹は消える奴。知性体か、もしくはレーダーから消えるだけの、ただの竜か。


 どちらであろうと、もはや、大差ない。ただの気色悪いトカゲだ。一体何回、何匹殺してきたと思っているのか………。


 走る“夜汰鴉”の右手側。そこで、木のざわめきが大きく、近づいてくる。

 と、思えばだ。


 次の瞬間にそれは姿を現す。単眼の怪物。爪で木をなぎ倒し、枝を圧し折り、よだれをまき散らしながら大口を開け、その牙をむき出す竜。


 姿を現した瞬間に、引き金一つ、その竜の頭が弾けた。

 勝鬨を上げることもなく、ただ日常の延長線上のように駆ける足を止めず、“夜汰鴉”は硝煙の上がる銃口をそのまま左側に向けた。


 その瞬間、だ。まるで自分から撃たれに来たかのように、馬鹿みたいに大口を開けて、左手側から竜が顔を覗かせ――その瞬間に真っ赤な果実に変わり、血と脳漿を夜の木々にまき散らす。


 2匹、殺した。今の二匹は、レーダーに映っていた奴。後一匹は、

 と、息を吐く間もなく、最後の一匹が姿を現す。


 知性体、ではないらしい。ただの、竜だ。レーダーに映らないだけで。てらてらと、知性体がそうであったように、何か液体が身体にこびりついているだけの。


 “夜汰鴉”はすぐさま、銃口をその、最後の一匹に向ける。


 知っていなければ、対応が遅れたかもしれない。レーダーに映る2匹をデコイに、左右に意識を振らせた上で、銃口の向いていない方向、視覚になる背後から、レーダーに映らない仕留め役が襲ってくる。捨て駒前提ではあるが、戦術的な攻撃だ。ある程度経験を積んだ兵士であっても、対応できない可能性がある。


 が、………知っていれば対処できる。


 引いた引き金、銃口の先で、最後の一匹の目玉がぶち抜かれ頭が弾ける。


「……何回やれば気が済むんだ、」


 呆れたように呟いて、“夜汰鴉”――一鉄は、また、迷いなく森の中を駆けだした。


 目的地は、決まっている。決めてある。森の中だろうと、迷わず――。


 *


 勝利条件は、複雑だ。そもそもが何を勝利と呼ぶか、と言う話になる。


 大別して二つあるのだ。


 ループを抜け出すこと。

 そして、この戦争、この戦域の大局的な戦闘に勝利する事。


 同じようで違い、どちらも、かなり難しく、……かつ、両方を同時に達成しなければ何の意味もない。赤い知性体を殺し、ループを抜け出せたとしても、その後この戦域に数多いる竜にオニの部隊が、鈴音が殺されてしまえばなんの意味もない。


 同時に、たとえオニの部隊がこの戦域にいる竜を一匹残らず殲滅できたとしても、赤い知性体を取り逃していて、また初めからやり直しになれば、それもまた、何の意味もなくなってしまう。


 何度も何度も一鉄がやり直す羽目になってきたのは、仮に片方に王手を掛けることが出来ても、もう一つの方が達成できず、理想的なゴールにたどり着けなかったから。


『……だろう?』と、扇奈に言われた。前回だ。主観的には数か月振りに寝て、そこから目覚め、竜の大群が襲ってくるまでの間。


 いわゆる作戦会議をしたのだ。そして、その上で、いくつかの方針が立った。


 この戦域にいる部隊、オニも帝国の生き残りも含めてその全てに対して、一鉄は最低限だけ手を貸す。その上で、この戦争の勝利、に関しては扇奈や鈴音、統真、あるいは奏波達に丸投げして、一鉄はループを終わらせる赤いトカゲをぶっ殺す事に集中する。


 いくつかお使いをこなした後は自由行動、と言った話だ。洒落た遠足である。

 そして、まずはお使いを終わらせる。


 その為に――。


 *


「月宮一鉄少尉であります。久世大尉に、情報提供の為参りました」


 何度かの竜の襲撃を無傷でくぐり抜け、そこら中に落ちている帝国軍の落とし物――残念ながら弔う時間を惜しんでドックタグは置いて来た――によって、銃身の予備と弾奏を幾つも、それから生身用の拳銃も一つ、補給も終えて、その上で……一鉄は帝国軍の残党、と遭遇した。


 最短、最速、最効率での行動だっただろう。なんせ、何回こうやって統真を探しに来たかわからないのだ。途中に落ちている縁起の悪い補給所の数も位置も完璧に把握している。


 周囲にいる“夜汰鴉”は20程。明日会っても今日会っても、その生き残りの数は変わらない。生き延びた後最短で、自力で合流できるレベルの化け物だけ、生き延びたという事だろう。


「……情報提供?」


 野営、とまでもいかないほんの小休止なのだろう。統真たちは森の一角、僅かな空き地に留まってはいたが、FPAを脱いでいるのはほんの数人だ。


 統真自身も、“夜汰鴉”を纏い、その表情は見えない。だが、おそらく、眉でもひそめているのだろう。


 なんせ、敵前逃亡した名家の新兵が、突然目の前に現れて突然情報提供と言いだしたのだ。


 それはわかるが、詳しく話す気もその時間も、一鉄にはなかった。

 だから、単刀直入に話した。


「今、生き残っている帝国軍兵士は、ここにいるだけです。ほかは、もう、残っていません」

「……ずいぶんな事言うじゃねえか」


 鎧越しだが、統真の、苛立ったような声が聞こえてきた。

 ……前回、合流してきた統真とも話してある。統真がこの時点でどう判断しているか、も聞いた。


 生き残りがこれだけだろうことは、確証はないがわかっている。

 その上で、希望を捨てきれず生き残りを探していた。


 同時に、………そう、この後どちらに進むかに迷っていた。判断しかねていた。


 だから、一鉄は、データリンクを介して、一座標を統真の“夜汰鴉”に送った。その上で、半分一方的に、一鉄は言う。


「自分はオニの部隊と合流し、そこからの使いとしてここに来ました。この座標の位置に、オニの部隊は残存しています。早急に合流してください」

「…………」


 統真は黙っていた。疑われているのだろう。……これも、何回もやった。鈴音を連れて来ていれば、オニが生き残っていることの説得力に繋がる。


 鈴音がいたからこそ、一鉄のオニから帝国軍への使者、と言う言葉に説得力が出ていたようだ。


 だが、鈴音を連れてくるわけには行かない。死ぬか、生き延びても怯えて生存率が低くなってしまう。


 だから、一鉄が単身、行動した場合……説得できるか出来ないかは、これまでやってきた中で半々だった。様々な要素が絡み合って都度統真は判断を変えているのだろうが、流石にその全てはわからない。


 だから、うまく行くことを前提に、一鉄は一方的に話す。


「自分はこのまま、北方へと向かい、帝国本国との通信を試みます。大尉たちは、オニと合流し、増援の到着まで生き延びてください」


 ここで説得できようが出来まいが、……最終的にこの部隊はオニとの合流を果たすはずなのだ。


 だから、最悪、説得できなくても良い。出来たら扇奈も統真も、余裕が出来て生存率が高くなる、と言うだけの話。どう転んでも一鉄は信じるだけだ。


「………新兵を頼りにして、自分たちは仲間と合流しろ、か」

「時間が無いので、申し訳ありませんが、一方的に情報提供だけさせて頂きます。腕には自信があります。今更、ここでは死にません。疑われるのであれば、それでも構いません」

「……ずいぶん、偉そうじゃねぇか、“月宮”」


 家名を笠に、越権しようとしている。統真からすればそう見えるのだろうし、ある意味、その通りの状況でもある。そもそもこの統真は尾形に散々無茶苦茶にされた後、だ。権威を笠にされれば苛立ちもするだろう。


「軍法会議をお望みでしたら、生き延びた後、改めて訴えてください。これが越権である自覚はあります。ですが、だとしても……自分は可能な限り、多くの兵士に生き残って欲しいと考えています」

「……………、」


 統真は、まだ何かしら考えている。……これ以上話しても、仕方がないかもしれない。


「もう一つお伝えすることがあります。……尾形は自分が連れて行きますので、もう気にする必要はありません。また、これは頼みになりますが……今宵奇襲を受けた帝国の陣地に、未だ重症のまま生かされている帝国の兵士がおります。可能なら、回収していただきたい」

「はあ?」


 統真の返答は苛立たし気だった。無茶苦茶言われている、と、そう思ったのだろう。


 統真はこれまで、基本的に一鉄に寛容に接してきていた。統真から見れば部下、だったからだろう。


 だが、今、越権したら敵のようなモノ、か。


「……情報は以上です。命令する気もその権限も、自分にはありません。都度、最適の選択をお願いします」


 そう、最後に頭を下げ、一鉄は統真に背を向けて、次のお使い、へと向かおうとした。

 が、その背を、統真が呼び止める。


「待て、」


 振り返った一鉄の前で、……統真の“夜汰鴉”が腕を組んで考え込んでいた。


 いろいろと整理すれば情報は出るはずだ。本国から増援を呼ぶ、と言う統真の発想を一鉄が知っている事。あるいは、統真が結集させた中に月宮一鉄はいなかった。つまり、一鉄は自力でここまで生き延びたか、あるいは本当にオニと合流していた可能性もある。もしくは、その他諸々………考えた挙句、統真は言う。


「月宮少尉。……こちらから一つ質問がある」

「ハッ!」


 敬礼した一鉄を正面に、統真は問いかけてきた。


「………オニに、美人はいたか?」


 ……………。

 ……冗談めかした問いが来た、という事は、ある程度、信用されたのかもしれない。


 とにかく、一鉄は答えた。


「ハッ。扇奈さんと言う、紅い羽織の美人がオニの指揮官をやっております。後、白い羽織の、可愛い……」


 ……こういう話をしている場合ではないだろう。

 統真がわざとこう振舞っているらしい、と言うことはわかっても、どこか生真面目に、一鉄はそんなことを思い口を閉ざし……。


 それから、思った。個人的な、ちょっとした狡さだ。こういえば、統真も気に掛けるようになって、鈴音の生存率が高まるかもしれない、と、そんな言葉。


 使えるモノは全て使おう。うまく行くかどうかは、結果論だ。少なくとも、やらなければ何も変わりはしない。


「……鈴音さんと言うオニがいます。俺の命の恩人です。………です。余力があれば気に掛けてやってください。危なっかしいので」


 正確に言えば俺の女、ではないが、この際大差ないだろう。

 言った途端、笑い声が聞こえた。


「ハハハハハハ、……うらやましいな、まったく」


 疑いはまだ残っているのだろう。笑ってはいても、気を抜いたような雰囲気はない。

 やがて、統真は言った。


「……覚えといてやるよ、一鉄」

「ハッ!お願いいたします!」


 威勢よく答えながら……やはり、説得できたかどうかはグレーだ、と一鉄は思った。


 おそらく、統真は保留にしている。一鉄の指定した位置に本当にオニの部隊がいるまで、完全に信用するには至らないだろう。


 だが、完全に無視はしないだろう。多少、合流が早まるなら、それで十分だ。

 今度こそ、一鉄は背を向け、次のお使い、へと向かった。


 *


 一鉄が介入しなくても、扇奈達も統真たちも生き延びる可能性が高い。


 ただし、と条件が付く。

 ただし。一人。……癌がいなければ、だ。


 一鉄は森の中を駆けて行く。位置はわかっている。今宵絶対にしなければいけない事が、一つある。


 尾形特任大佐殿、の盤上からのだ。アレがいると、背中を撃つなり階級を笠に帝国軍をまるまる無能に巻き込んだりと、碌な働きをしない。


 と言っても、流石の一鉄にも、殺す気はない。たとえあれがこれまで数度鈴音を殺してきたクソ無能野郎だったとしても、だ。


 要は、あのクソ尾形が部隊と合流しなければ良いのだ。

 だから、一鉄が連れて行く。


 ……一鉄は覚えている。最初、尾形は、“月宮”の名前に異常に食いついていた。

 おそらく、だが、………一鉄が逃げると言えばついてくるはずだ。


 だから、まず、その前に………。

 ふと、一鉄の視界が開けた。


 同時に………地獄が目の前に写る。

 中心にあるのは、FPAだ。馬鹿みたいに突っ立ってる、かかしみたいな、ピカピカの“羅漢”。その周囲に血の沼と、蠢くヒトだったモノ。


 奇襲を受けた後。そのまま罠として残されている、帝国軍。

 鈴音に見せると、トラウマになるのか、怯えだしてしまう光景。


 だが、残念なのか幸運なのか……一鉄はもう見慣れている。


 周囲には竜がいる。何匹も、幾つもの単眼が一斉に一鉄を捉える。

 知性体の姿はない。最短でたどり着くと、知性体がここにいたりするが……あちらも行動を変えるのだ。確定ではない。


 そんな事を考える一鉄へと、周囲の竜が動き出す。牙を剥き出し、爪を、尾を振り回し、何匹も何匹も何匹も―――。


 だが、多くいようが、その対処にはもう、慣れ切っている。


 弾薬以下の数なら、何匹来ようが今更殺されるわけがない。殺されてやるわけには行かない。


 一鉄は、至って冷静に、引き金を引き始めた。


 *


 その場所にいた竜は、30匹ほどだ。

 30対1。普通なら、戦闘にすらならないはずのその蹂躙は、しかし、見ているモノの予想とは真逆の結末に辿り着いた。


 一方的な、蹂躙、だ。

 近い奴から、順番に、赤い装飾の入った“夜汰鴉”は鴨撃ちにしていた。


 弾幕、ではない。全て単発で、全て一撃で竜の脳漿を吹き飛ばし、ゆっくりと後退しながら、確実、かつ異常な速さで、竜を殲滅していく。


 その光景を眺める者は、陣営は、二つあった。


 一つは帝国軍。一鉄の腕と信用度を測るために、泳がせて遠目に“月宮一鉄”を観察した統真は、その戦闘を眺めた末に、呟いた。


「……怪我人を回収しに行くぞ。せめて、にはさせてやる。それから、オニと合流だ」


 そして、もう一つの陣営。2匹の竜。てらてらと月明りに輝く竜。あるいは、真っ赤な、尾が放射状になっている竜。


 知性体は、毎回自身を、あるいは片割れを殺していくそれを、“やり直し”に割り込んでくるようになった明確なノイズを、………赤い装飾の入った“夜汰鴉”を、遠目に、睨みつけていた。


 ………明確な憎悪を、その単眼に宿して。

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