3章 知り得ぬ綻び
1 捜索/墓標にお守りを
日が昇る。
陽光が頭上に、セミの声の厚い頭上の木々がそれを覆い隠し――。
――木陰から単眼が、牙が爪が、よだれをまき散らし突っ込んでくる。
「…………、」
冷静に20ミリ――弾薬の心もとないそれを構えた一鉄の真横を、白い羽織のオニが駆け抜けた。
一鉄に出る幕はない。現れた竜は一匹だけだったようだ。
舞うような一閃が現れた竜の首を軽々と跳ね飛ばし、首と同時に命を失った竜が崩れ落ちる。
それを見下ろして、鈴音は太刀の血を払い納め、一鉄へと振り返った。
「……いて良かったでしょ?」
たった今、竜に襲われる直前のやり取りの続きだ。
危険だから、ついてこなくても良かった、と一鉄が言って、それに鈴音が拾ったし、とそっぽを向いた、そのやり取りの続き。
弾薬の心もとない20ミリを片手に、一鉄は応えた。
「一匹くらいなら、自分でも対処できます」
「……臆病な弾無しなのに?」
意に返す様子もなく、どことなくからかう調子に鈴音は言った。それに、一鉄は鎧の中で渋面を作る。
「鈴音さん。そういう、品のないことは、」
「品がないと思う方が品がないと思います」
「……………」
言い返そうとしたが試みるだけ言い負ける気がする。
若干肩を落とした一鉄を眺め、からから笑いながら、散歩のような足取りで、鈴音は歩み出した。
翌朝、の話だ。……結局、一晩待っても、帝国軍が姿を現すことがなかった、その、後の話。
*
『今更、あんたを疑おうって訳じゃないよ。ただ……正直、宛にはしてたんだ。なんの話か、分かるね?』
日が昇り切った後。日が昇り切っても……帝国軍は現れなかった。
それを深刻に受け止めていたのは、一鉄と、扇奈だった。
なんだかんだと、扇奈は一鉄の話を信用してくれていたのかもしれない。あるいは、真偽が定かでなくても信じたいと、皮算用するくらいには未だ追い詰められたまま、と言う事だろう。
物資は手に入れた。怪我人だらけのオニの部隊は、確かに数日分、飢え死にの可能性を減らすことは出来たが……依然、具体的に脱出する手段を見いだせないでいる。
だから、増援が欲しかったのだ。だから、一鉄の話に、この後合流する帝国軍に、一縷の望みを掛けていた。だが、それが訪れなかった。
そして、だから……誰かが様子を見に行く必要があった。
『自分が行きます』
そう、一鉄が言ったのは当然の話だろう。そもそも一鉄は帝国軍だ。一鉄が行けば、帝国と会った時、無用にもめる可能性は減る。勿論、脱走兵云々でまた拘束される可能性もあるが、だとしても他のオニが行くよりはスムーズなはずだ。
扇奈も同意した。そして、鈴音もついてくると言い出した。
一鉄としては止めたかったし、事実止めようとしたのだが、鈴音は一鉄の言うことを聞かず、扇奈も認めていた。
その結果が、今、これだ。
また二人で竜の巣でデート。……デートと、華やげるはずもない。
*
一閃で鈴音が竜を切り殺す。竜とは、散発的にだが、遭遇の頻度が高かった。
それだけ、多くの竜がこの周囲にいるという事だろう。それだけ、多くの竜が帝国軍を襲っている、と言う事。
もう、生き残りはいないのか。あるいは、オニと同じように、負傷兵を多く抱えて動けないのか。
それを調べる為に、一鉄と鈴音は帝国側へと向かっているのだ。具体的な位置までは知りえないが、いるだろう方へ。
と、そこで、だ。太刀を納めた鈴音が、林の一点を見ながら、動きを止めた。
「鈴音さん?どうしましたか?」
「生き残り……じゃ、ないけど………」
何かを見つけたらしい。鈴音の視線の先を眺めてみても、一鉄にはわからないが……。
「……行ってみる?」
鈴音の問いに、一鉄は頷き………歩み出した。
鈴音に先導されて、林の中を歩んでいく。そうしていくうちに、すぐに、視界が開けた。
空き地、だ。正確に言えば、昨夜にでも空き地になった場所、だろう。
木々が薙ぎ倒されている。そこらに、何体か、竜の死骸がある。そして、その場所の中心には、“夜汰鴉”があった。上半身と下半身が分断された、“夜汰鴉”が。
鈴音が顔を顰めている。血の匂いが濃いのだろう。鎧を着ていてはわからない、匂いが。
一鉄は、その、亡骸の元へと歩み寄った。鈴音の声が後ろから届く。
「知り合い?」
「……わかりません。任官して日が浅かったので」
もしかしたら挨拶くらいは交わしたことのある相手だったのかもしれない。
竜に襲われ、部隊からはぐれ、一人竜に襲われて、抵抗した帝国軍兵士、だ。
……鈴音に助けられていなかったら自分もこうなっていたかもしれない、と言う姿である。
一鉄は亡骸に、その上半身に歩み寄り、外から鎧を操作した。凄惨な光景の最中だと言うのに、怯えて手が淀む、と言うこともなく。
思い返せば、だが。最初はこう冷静に行動できはしなかっただろう。慣れたのだ。特別アドレナリンが出ていなくても冷静に行動できるくらいには、惨状を見慣れてしまった。
一鉄は、その兵士のドッグタグを手に取った。
「それは?」
「ドッグタグです。認識票。死体を運べなくても、誰が………いえ。故郷に帰れるように、ですね。オニには、ないんですか?」
一鉄の問いに、鈴音は頷いていた。と、それから、鈴音は思い出したように声を出す。
「あ。でも、……代わりに持って帰って欲しいものはある」
そう言って、鈴音は自身の懐を漁る。そして、取り出したのは……見覚えのある短刀だ。
普段投げているものとは、違う。綺麗な鞘に収まったままの、お守りだろう短刀。
(……形見。ドッグタグの代わりに渡されたのか……?)
前回。それが形見になってしまった時、一鉄はそこまで考えられず……鈴音の亡骸を運んでいた。
振り返ると常軌を逸している。新兵には、理性を失う程強烈な状況だったのだ。
と、そこで、だ。何を思ってか、鈴音はその短刀を一鉄へと差し出してきた。
「これね。……弟。お兄ちゃん。双子。これだけ帰って来た」
「…………」
直接聞いたわけではないが、もう、知っている話だ。
依然、鈴音は一鉄へとそれを差し出したまま、言う。
「持ってて。もしもがあったら、……帰して上げて」
縁起でもない……と、一蹴する事は一鉄には出来なかった。そのもしもがあったことを知っているのだ。
一鉄は暫し迷って……自身の纏っている鎧を開いた。
そして、たった今回収したドッグタグをしまい込み、代わりに、手紙を取り出す。
妹から贈られた手紙、だ。それを前に、鈴音が言った。
「それ………こないだ読んでた奴?恋人から?」
聞き覚えのあるセリフだ。一鉄はふと笑ってしまって、それに鈴音は不思議そうに首を傾げていた。
「妹からです。いえ、姉かもしれない。自分も双子でして」
「……そう。じゃあ、やっぱり。帰ってあげなきゃダメだよ。寂しいから」
「前も、言われました」
「…………?ああ、前世?」
「はい」
一鉄は頷いて、その手紙を鈴音へと差し出した。そして、言う。
「もしもがあったら……ちゃんと読んだと、妹にそう伝えてください」
その一鉄の言葉に、鈴音は若干顔を顰めていた。それから、呟く。
「……縁起でもない」
「先に始めたのは鈴音さんです」
「…………」
そうだった、とでも思ったのか。鈴音は困ったように眉を顰め、けれど、それでもまた短刀を差し出してきた。
「……預けとく。うん。ここから帰って、その後。また会って、その時返して?」
形見ではなく願掛け、か。……この戦場が終わって、無事、帰れたとして、けれど帰る先はオニの国とヒトの国、か。
なんだか、……少しは気に入って貰えたのかもしれない。そんな事を思って、一鉄は短刀を受け取り、その代わりに、手紙を鈴音へと差し出した。
鈴音も、手紙を受け取り……だが、困ったように眉根を寄せる。
「……形見なら受け取らない」
「お守りなんです。無事、生き延びたら、返してください」
「……なら良し」
そう頷いて、鈴音はその手紙を懐へとしまい込む。それから、鈴音は言った。
「どうせなら、返事、書いたら?」
「……それはそれで遺書みたいですね。まあ、時間があったら、書こうと思います」
そう言って、一鉄もまた短刀を仕舞い込み、再び鎧を纏った。それから、一鉄は周囲を見回す。まだ、この場所は凄惨な、その最中だ。
ドッグタグは、回収した。ほかに………。
そうだ、と思い付いて、一鉄は近くに落ちていた、ここで倒れた帝国軍兵士の20ミリ機関砲を拾い上げた。弾倉にはまだ弾が残っている。予備弾倉も、幾つか、見つけられる。
「………借ります」
そう、亡骸に声を掛け、一鉄は弾薬を回収した。
そして、最後に二人、鈴音と共に手を合わせて……その場所に背を向けた。
*
また、暫く、林の中を歩んでいく。たまに竜に遭遇したが、やはり散発的で大した問題にはならない。
どうでも良い話をした。
弟さんの、あるいはお兄さんの話を聞いた。妹の事を聞かれた。この間、手紙を読んでいた時、やたらちらちらこっち見てた、と言われた。前回それに食いついていたから、と答えると、鈴音に馬鹿なの?と言われた。
返す言葉はなかった。
そうして、戦場とは思えない話をしながら、一鉄と鈴音は歩んでいく。
だが、それにも、終わりが訪れた。
竜が襲って来た、と言うわけではない。変化は、レーダー上に現れたのだ。
鈴音が気付いていない、一鉄の――FPAのセンサー、レーダーが捉える、信号。
足を止めた一鉄へと、鈴音が振り返る。
どうしたの、と小首を傾げた鈴音を前に、一鉄は、呟いた。
「……救難、信号……」
誰かが、おそらく今もまだ生きて、呼びかけているのだ。
………タスケテ、と。
*
さっきまでのように、軽口半分で進む……と言うわけには行かなかった。
鈴音は一鉄の後をついて、歩んでいく。
救難信号を受信したらしい。だが、通信には返答がなかった。
鎧だけ生きていて、中身はもう死んでいるかもしれないそうだ。
だとしても、捨て置ける訳はなかった。帝国軍がどうなったのかを調べる為にも、その救難信号の元へと向かうことにした。
何も、悪い話だけではない。ついさっき、倒れた帝国軍の装備を回収したことで、一鉄もまた、ある程度は弾薬を気にせず進めるようになった。
その、救難信号を探れるのはFPAだけで、位置がわかっているのも一鉄の方。お互いの得物の性質から言って、鈴音が前に出ていた方が効率は良いはずだが、こればかりは仕方ないだろう。ただでさえ迷いやすい森の中、でもあるのだ。
一鉄の後を歩みながら、周囲に目を配る。
この辺りは木々が密集しているらしかった。視界がほとんど通らない。
だが、鈴音には異能がある。視界が通らずとも、周囲の状況、竜がいるかいないかは、わかる。その感覚で言えば、周囲は安全な、はずだった。
けれど、……何か、嫌な感じがした。
たまに、周囲で木々が騒めくのだ。何か動物でも通ったかのように。
けれど、鈴音がそれを知るのは音が聞こえてから。動物なら、音を発する前に鈴音は気付けるはずだというのに。
思えば、この戦場でサバイバル染みたことが始まってから、数日だ。オニの本陣で多少休息は取れたとはいえ、疲労が抜けきっていないのかもしれない。
いやな予感を振り切ろうとでも言うように、鈴音は軽く頭を振る。
と、そこで……先導していた一鉄が、ふと、足を止めた。
鎧を纏っているから表情はわからない。だが、一鉄はしきりに周囲を見回している。
「………どうしたの?」
「妙です。……」
鈴音の問いに一鉄はそう言って、また数度周囲を見回した末に、言葉を継いだ。
「……さっきから、竜と遭遇してません」
言われて、鈴音も気が付いた。
救難信号を追う前までは、散発的に、竜が襲い掛かって来ていた。だが、救難信号の元へ向かい始めてからは、暫く歩いたはずだが、未だ竜に襲われていない。
偶然の可能性もある。竜の行動には大した一貫性はないのだ。
だが、同時に、知性体が相手側にいることもわかっている。何かしら頭を使っている、可能性がある。
「……罠って事?その、救難信号が」
「かもしれません。……重傷を負わせて、あえて生かすくらいだから、その位して来てもおかしくない」
呟き、一鉄は考え込んでいた。
罠だと言うなら、このまま向かっていくのは愚策だろう。かといって、救難信号の先にいるのは、帝国軍。一鉄の仲間だ。判断するのは、一鉄の方が良いだろう。
「……任せる」
そう呟いた鈴音に、一鉄は視線を止め、頷き……また暫し考えた末に、言った。
「迂回して、遠くから様子を見てみましょう」
そして、一鉄は周囲に視線を向ける。
森だが、起伏はある。崖のようになっている場所もある。見上げれば、見晴らしの良さそうな場所もある。
一鉄と鈴音は、目的地を変え、再び歩み出した……。
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