4 ひと時の休息/緩むほど迫る不安

 ………なんだか、うまく行きすぎている気がする。


 ふと、一鉄はそんな事を思った。


 一鉄の提案した作戦が上手く嵌って、本陣にいた竜を誘導し殲滅し、その後、本陣からの物資も回収できた。

 竜に、知性体に妨害されることなく、だ。


 前回、あの知性体は執拗なほどにこちらが勝った後を狙ってきていた。だから、作戦が成功した後も、どこかのタイミングで知性体に襲われるだろうと、一鉄はそう覚悟していたのだが………結局、襲われることがないままに、日が落ちた。


 そして、どこか警戒し続けてしまう一鉄とは裏腹に、このオニの部隊の指揮官は前回と同じような決断を下した。


「本陣からの補給、だ。ありがたく頂戴しようじゃないか。……まあ、酔えるほど多い訳でもないけどね」


 日が落ちた、オニの本陣。セミの声が響き、頭上に月明りが輝く中で、片手に酒瓶を持って、扇奈はその場にいる一堂に、そう、笑い掛ける。


 勝ったら呑む。前回と同じだ。ただ、周囲の様子や喧騒は、前回とは比にならない。


 人数が多いのだ。生き残りの数が多く、また今回、扇奈はけが人を逃がす、と言う選択肢を取らなかった。と言うより、とろうにも取れなかったのだろう。


 補給物資を手に入れただけで、人員の被害状況は変わらない。警護しながら移動させるのが不可能なほどに、多くのけが人を抱えてしまっている部隊。それが、このオニの部隊の現状だ。


 周囲のオニ達は酒を配られ、皆笑っている。状況を理解できていない、とも思えないし、あえて明るく振舞っているんだろうことは理解できるが……その集団の狭間で、一鉄はどこか渋い顔をしてしまっていた。


 一度よぎると疑念は絶え間ない。敵は姿を消して奇襲が出来る上に、……おそらく全開を知っているのだ。このタイミングで扇奈が酒宴を開くことも知っているかも知れない。そして、そのタイミングを狙ってくるかもしれない。


 と、そうやって立ち尽くす一鉄を目敏く見つけ、この場所の頭領は声を投げてきた。


「どうしたんだい、一鉄。浮かない顔だねェ。無礼講だよ?ヒトもオニもないさ。あんたは功労者だしね。多少怪しかろうが度胸あって働く奴をオニは歓迎するよ、」


 片手に持った酒瓶を傾けながら、扇奈はそんな声を掛けてきた。

 そして、その扇奈の言葉に、周囲のオニ達も歓迎するかのような、歓声に近い声を上げている。


 やはり、前回より騒がしい。それだけ、戦場に、多くの人間が未だ残っている、と言うことだ。


 周囲を見回す。最低限の警戒、はしている。この宴の外縁で、輪の外を睨み続けているオニもいる。だが、どうしても、一鉄には、十分な警戒には思えない。


 やがて、一鉄は言った。


「……やはり、酒宴は………ここはまだせんじょぐぼッ!?」


 ……正確には、言おうとした、だ。

 言い切る前に近づいてきた扇奈に、その手の酒瓶を、口の中に突っ込まれたのだ。


 透明な液体を無理やり流し込まれ、一鉄は咽せ、そんな一鉄を前に扇奈は酔ったような軽い調子で笑っていた。


(……もう、酔っぱらっているのか……。………?)


 ひとしきり咽せ終わって、それから、一鉄は気づいた。

 今、呑まされたモノ。前回と同じく、扇奈が握っている酒瓶の中身。それが、どうも、酒ではないようだ。


(………水、なのか?)


 怪訝な顔をして、一鉄は扇奈に視線を向ける。と、そこで、扇奈は「ハハハ、」とか楽し気に、やはり酔ったように嗤いながら、一鉄の肩を抱き、耳元で、囁く。


「……内緒だよ?あたしは酔ってる。そういう事にしときな、」


 やはり、扇奈は水の入った酒瓶を手に酔ったふりをしているようだ。もしかして、前回もなのか。だが、


「なんで………」


 思わず呟いた一鉄に扇奈は小声で言った。


「人間そう丈夫じゃない。気ィ張りっぱなしじゃもたないよ。どう頑張ってもね。で、あたしが呑まなきゃ誰も呑めないだろ?けど、こんな時指揮官が酔っててどうすんだって話。……あたしもそこまで図太かないんだよ、」


 そんな風に自嘲気味に笑って、と思えば扇奈は水の入った酒瓶をあおり、陽気そうに声を上げて笑って見せていた。

 そして、扇奈はまた囁く。


「呑みたくないんなら呑まなくても良いさ。ただ、周りにも自分にも、真面目さ押し付けたって碌なことないよ。ちょっとは気ィ抜きな。不測の事態って奴が起きても、あたしがどうにかしてやる」

「……はい、」


 小声で頷いた一鉄に、扇奈は満足そうに――やはり酔ったような笑い声をあげ、「わかりゃ良いんだよ、」と一鉄の背中を叩くと、歩み去って行く。


 歩んでいく先は、オニの元だ。前回はただ本人が呑みたくて呑んでるのだろうと、そんな事しか思わなかったが……どうもそういうわけではなかったらしい。


 声を掛けているのも、とりわけ暗い顔をしている者や、怪我の重い者を優先しているようにも見える。


 前回は、死地に残った小部隊。

 今回は、負傷兵ばかりで、戦場に残らざるを得なくなった集団。


 ………自分が道化になって、どうにか士気だけでも維持しようとしているのだろうか。

 と、そんなことを考えながら、扇奈を眺めている一鉄に、誰かが歩み寄ってきた。


 視線を向けた先にいたのは、鈴音だ。両手にコップを持っている。一鉄の分の飲み物も持ってきてくれたのかもしれないが………なぜだか、鈴音は一鉄を睨んでいた。


「…………」


 何所か拗ねたような表情で。


(……?まさか、やきもち?…………ああ、)


 やきもち、ではあるのだろう。

 だが、そう都合の良い話でもないだろう。そんな風に思って、一鉄は言った。


「頭領は、カッコ良いですね」

「でしょう!」


 鈴音の返事は食い気味で、目は輝いていた。

 憧れの姐さんに密着された事、がうらやましかったのだろう。


 そんな気の抜けたことを思って、一つ、一鉄は息を吐いて、その場に座り込んだ。

 …………気が抜けない訳ではない。むしろ、注意していなければ気を抜き過ぎてしまう。色ボケと揶揄されてしまうほどには。


 前回、この酒宴は……そうだ。鈴音を、だった。

 だから、それと比べるまでもなく………緩みすぎてしまう。


 一鉄は鈴音へと視線を向けた。見上げられた鈴音は、不思議そうに小首を傾げ、手に持ったコップを一つ、差し出してくる。


 一鉄は、少し迷った末、それを受け取ることにした。

 まだ、何も解決してはいない。だが、確かに前には進んでいる。前回よりも幸福な状況には、なっている。


 コップ一杯ぐらいの祝杯なら、上げても良いのかもしれない。生真面目な青年は、そんな事を思った。


 *


 最初は騒がしく、その後はやがて静かになる。人数が多くとも、その雰囲気は前回と近かった。


 聞こえてくる話の内容は、前とは違う。

 もういない誰か、の話も確かにある。だが、それだけではなかった。


 生き残りが多いからだろう。思い出話にする必要がなくなった、と言うのは、……知性体の趣味の悪い戦略の結果だとしても、悪い事ではない。


 何人かは歩き回っている。扇奈がそうで、あるいは扇奈を真似ているのか、鈴音も歩き回っていた。扇奈はまだしも、鈴音がどの程度わかってやっているのかは計れないが、美女が、それも腕の確かな兵士が声を掛けて行けば、士気も団結も上がるだろう。


 一鉄も少し歩いて、……結局おさまりが良かったのはとりわけ静かな集団だ。


 顔ぶれに覚えがある。……前回も残っていた、どちらかと言うと不愛想な方の、狙撃部隊。奏波の姿もある。挨拶をして、世間話……調子は変わらずとも前回より暗くないそれをして、静かに時間は流れて行き……やがて、奏波が不愛想に言った。


「月宮一鉄。……良い腕をしているそうだな」

「は?……あ、いえ。自分はまだまだです」

「鈴音がそう言っていた。……宛にしているらしい。宛にさせてやれ」


 奏波は言う。なんとも……当然の話だが、さかのぼっても人はあまり変わらないらしい。少なくとも、奏波の口下手は変わっていないようだ。


 そう思って、一鉄は、こちらも前回と同じように、威勢よく応えた。


「はいッ!」


 *


 緩やかな時間は、続いていく。まるで終わりなどないかのように。


 生き残りが多いから、一人頭の酒の量は少なかった。けれどそれに文句を言う者がいるはずもなく、だんだんと、そのまま眠りに落ちていく者の姿も見え始めて来た。


 陣地の中心で、もう、酔ったようなふりもせず、扇奈は陣地の中心、いつもの朽ちた大木に腰を下ろしていた。そして、どこかいぶかしむように、周囲の林、その一点を睨んでいた。


 周囲で、寝息が聞こえてくる………。

 と、そんな中、鈴音が一鉄へと歩み寄ってきた。


 鈴音は、しきりに周囲を気にしているようだ。竜に襲われると思っているのか……いや、鈴音が、どことなく警戒している風に見ているのは、周囲で寝ころんでいるオニ達らしい。


 やたらきょろきょろしながら歩み寄ってきて、やがて、鈴音は一鉄の正面に正座した。


 そして鈴音は一鉄を見て、と思えば何か照れているかのように、視線を逸らす。


(…………可愛い)


 大して飲んではいないとはいえ、酔いも入っていたのだろう。内心一切躊躇いなく色呆け始める一鉄を前に、鈴音はまた一鉄に視線を向け、躊躇いがちに言った。


「ねえ。……おし……その……」


 そこで、鈴音はまた視線を逸らす。何かに言いたいらしいが、何を言いたいのか一鉄にはわからなかった。


「なんですか?」


 素直に聞き返した一鉄に、鈴音はどこか拗ねたような、半分睨むような視線を向け、それからポツリと言う。


「前世」

「前世?が、どうしたんですか?」

「………なんでもないです」


 また聞き返した一鉄を前に、鈴音はそうなぜだか敬語で、そっぽを向いてしまった。


(………?おし?前世?……何が言いたいんだ?)


 一鉄は少し考えてみた。前世、と、言った記憶が一鉄にはある。前世に鈴音と会った、と、言った記憶が。正確に言えば、前回、だが。


 おし、は?………それも言ったか。ああ、そう言えば、最初に言ったかもしれない。

 おしたいもうしあげます、と。


 つまり、鈴音が聞きたかったのは、前世で何があって一鉄がお慕い申し上げているか、か。その話を、周りが寝静まるまで待って、照れながら聞いてきたのか。


 もはやわざわざ言うまでもなく一鉄の胸中に浮かんだ感想は一つだった。一鉄は少しにやにやして鈴音に睨まれた。


 とにかく、一鉄は答えようとして、けれど答えに窮した。

 そう、ドラマチックな話でもない。助けられて、少し話して、それだけだ。


 言ってしまえば一目惚れ以外の何者でもない。


 と、そんなことを考えている間に……やはり、鈴音は拗ねたような、照れたような、批難するような、そんな諸々が混じった視線を一鉄に向けながら、こう、言った。


「この後」

「はい?」

「……前世では、この後、どうなるの?」


 半分怒ったような調子で、鈴音は言っていた。


(………早とちりだったか……)

 もしくは、答えに迷いすぎたか。とにかく、質問の内容は変わってしまったようだ。


 この後、どうなるか。……正直な所、一鉄は前回投獄されてしまったから、周りがどうなっているのかよくわからない。気付いたら竜に襲われていた、そんな具合だ。

 だが、それでも答えられるのは………。


「この後、ですか。そうですね……この後、帝国軍が……」


 言いかけて、……一鉄は、言葉を切る。

 帝国軍が来る。帝国軍と合流する。この酒宴の後。いや、その最中に。


 そのはずだ。何もかもが前回の通りだったのであれば。

 一鉄は扇奈に視線を向ける。扇奈は、いぶかし気に林を睨んだままだ。そう、帝国が来るはずの、その方向を、いぶかし気に睨んでいる。


 だが、その視線の先に、帝国軍の姿がない。帝国軍が、現れない………?


 一鉄は、立ち上がって、林を睨んだ。睨めば見えるとでも言いたげに、けれど、帝国は現れない。もう、接触していてもおかしくない時間のはずだと言うのに。


「……一鉄?どうしたの?」


 不思議そうに、鈴音が首を傾げている。

 鈴音がここにいるように、前回と今回は、まったく同じ状況ではない。


 この、時間をさかのぼる現象で、より、アドバンテージを持っているのは竜、知性体の方だ。

 そして、前回見かけたタイミングで、あの、姿を消す知性体が現れることはなかった。


 ただ機会がなく見送っただけかもしれない。ただ、観察を続けていただけかもしれない。


 だが、別の可能性もある。

 足止め、と言う意味で、負傷兵を多く押し付けるというオニへの妨害はもうされている。


 同じことが、帝国軍に対しても行われたのかもしれない。あるいは、今日姿を見なかった分、その時間全て、帝国軍を襲っているのかもしれない。もう、全滅している可能性すらある。


 確定しているのは、一つだ。

 今、現れるはずのタイミングで、帝国軍が現れていない。


「帝国軍が………?」


 そう、一鉄が呟いた所で………彼方の空が、妙に赤く、輝いていた。













 *


 うめき声ばかりが、耳に届いている……。


 林の一角、だ。周囲には帝国のトレーラが何台か。月明りにセミの声にそれらを押しのけるような獣じみたうめき声……。


 帝国の簡易野営地――集結地点だ。最初の奇襲を受け、ちりじりになった帝国軍が、久世統真大尉の指揮の元集っていた、その場所。


 ………正確に言えば、そのなれの果て、だろう。


 うめき声が聞こえる。周囲の地面が、蠢いている。真っ赤に、赤黒く――月明りに照らし出されるのは、地獄だ。


 ただ、殺されていないだけの帝国軍兵士。傷に呻く他にない、何も兵士達。


 その、地獄の中心に、無傷のFPAがあった。

 灰色の鎧。“夜汰鴉”とはデザインが違う、この戦場に一機だけある、特任大佐の鎧。


 “羅漢”。その中身は、ただ、ただ怯え続けるばかりで、まるで身動き取れないまま、地獄の中心に座り込んでいた。


 尾形特任大佐にはもう、碌な思考は残っていない。

 ただただ怯えて、身動きできないままに目を見開くだけだ。


 周囲には、竜がいる。うめき声を上げる帝国軍兵士達。それを取り囲むように、トカゲがたむろしているのだ。けが人を、あるいは尾形を殺すことなく、だが、離れることもなく。


 尾形には何もわからない。何かを知っていたとしても、考えるだけの余力も気力もない。

 ただ、ただただ歯の音が合わないまま、その場で竦んでいる。


 と、そんな尾形の視界の端に……不意に、が姿を現した。たむろしているただの竜たちが道を開け、その中を、ぴしゃりぴしゃりと血の沼を踏みながら歩み寄ってくる。


 真っ赤な体色の、竜だ。明らかに、他の竜と違う。

 体は大きい割に、爪が、牙が小さい。そして、尾……ただの竜なら刃のようになっているその部分は、しかし全く別の構造をしていた。クラゲを逆さにしたような、いや……彼岸花のように、尾の先が放射上に細く分かれている。


 直接的な戦闘能力のない、あるいは低い、竜。

 だと言うのに、いやだからこそ、異様な、……知性体。


 それが、尾形を見ている。

 逃げ出そうと思った。けれど、恐怖に竦んだ身体は碌に動きもせず、……そこで、尾形はまた別の足音を聞いた。


 ぴしゃり、と血を踏む音が、尾形の真横から届いてくる。


 ゆっくりと視線を向ける……その先が、降り注ぐ月明りが、奇妙なシルエットでも作るように目の前で歪み、その歪みが晴れていく。


 ――気付くと、すぐ真横にも、単眼があった。


 黄色のような、緑のような、液体にてらてらと輝くような、玉虫色の、巨大な竜。

 それが、尾形の目の前にいる。覗き込むように、その単眼が尾形を捉えている。


(2体、いる………)


 リアクションを取る余裕すらない。なんの抵抗も出来ずただ眺めるばかりの尾形を、その、虫のような知性体は眺め……赤い、華のような知性体は歩み寄ってくる……。


 2匹の知性体に囲まれる。2匹は、観察するように、あるいは嘲るように、尾形をしげしげと眺めている。歩むごとに血の沼を踏み、うめき声が大きくなったり、あるいは一つ、潰れたように消えたり。


 と、そのうちにやがて、声のような、かすれた音が尾形の耳に届いた。


「タ、……タタ……ス……」


 音と共に、知性体の口が動いている。赤い方の知性体だ。それが、喋っている………?


 そう、尾形がかなり遅く気付いた後、その、知性体の声は、はっきりと、聞き取れた。


「………タス、ケテ、……ケケ………ケテ、」


 そして、赤い知性体は嗤う。それを真似するように、玉虫色の知性体も、似たような音を発音する。


 助けて。そう、訴えているとは思えない。ただただ嘲っているかのような調子で、


「タスケテ………」

「タスケテ………ケテ、」


 2匹の知性体は、怯える民間人にそう嗤い、囁き続けていた………。

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