彼岸の華を弾響に穿つ

蔵沢・リビングデッド・秋

序幕:初陣

1章 始まり終わる物語

1 月宮一鉄/初陣

 妙に明るいせいだろうか。夜の中、ひたすら蝉の声が響いている――。


 そんな月明りの雑木林を、黒い、巨大な甲冑が駆けていた。

 熊に比肩するサイズ、ヒトよりも一回りも二回りも巨大な、鋼鉄の駆動甲冑。


 “フルプレートパワードアーマー”――FPA。ヒトが別の種族と対峙するために開発したいわゆるパワードスーツであり、纏うモノを守り、纏うモノに力を授ける、兵器。


 “夜汰鴉”。それが、そのFPAの名前だ。汎用性と信頼性の高さから、大和帝国軍で広く、かつ長く採用されている一般的なFPA。けれど、その――今雑木林を駆けている“夜汰鴉”に限って言えば、他のソレとはわずかに意匠が異なっている。


 人になぞらえれば襟元に当るだろう首筋に、赤い文様、赤い三日月が一本。纏う者の家柄を示す特別な意匠。腰には、FPA用に特別にこしらえられた、太刀が一本。添えられるように並べられたヒト用の刀が脇差しか短刀に見えるような、巨大な刃だ。そちらにもまた家紋――。


 刃が抜かれる気配はない。“夜汰鴉”の手には巨大な砲門、20ミリもの口径を持つ機関砲が握られている。

 けれど、その火門もまた、開かれることはない。


 ――月明りの雑木林を、追手の音に、怪物の足音に怯えながら、黒い鎧は駆けていく。


 FPA。纏うモノを守り、纏うモノに力を授ける、兵器。

 けれど…………纏った途端に誰しもが英雄になれる訳ではない。


「……はあ、はあ、………クソ、」


 鎧の主は掛けながら、毒づいた。

 焦りと、後悔と………そして恐怖に彩られた声で。



 1か月前。

月宮一鉄つきみやいってつ。貴官の訓練課程修了をここに認める」


 帝都の外れ、設備の整った訓練学校、その片隅の式場で、青年はそんな言葉と共に与えられた書状を、恭しく受け取った。


 生真面目が服を着ているような、背の高い、短髪の青年だ。隣に並ぶ学友たちと同じ訓練生用の軍服をまとい、だが、襟元には赤い三日月、腰には帯刀。胸には、首席であることを示す勲章。


 月宮一鉄。軍人の家系、国の為に刃をとってきた血筋、かくあるべきと生まれ落ちた。そう確信して、彼は書状を手に直立不動の姿勢をとった。


 姿勢にも、目にも、よどみの一つもありはしない。

 彼も、あるいは彼の学友も、頭では確かに理解している。

 これで、いつ向かう先が死に場所になるかわからない身の上になったと。

 けれど、その理解は、式が終われば教官と訓練への愚痴を肴に、隠れて酒でも飲むような、その程度の理解に過ぎなかった。


 その程度の理解に過ぎなかったと、直面するまで、一鉄は気づけなかった――。



 FPAのモニターに、終わりのない暗がり、雑木林の影のみが映る――。

 視界の端のレーダーマップ。そこには、赤い点が3つ。敵を示す真っ赤な点が、3つ、一鉄を追いかけてきている………。


(くそ………何をしてるんだ俺は!俺は、この為に、戦うために、帝国の、大和の為に……恥をさらすためじゃ……)


 そんな風に自分を叱責しようとも、逃げる足は止まらない。

 そう、一鉄は逃げている。訓練を終え、尉官として戦場の一翼を担うべく、FPAも与えられ、そうして覚悟を持って戦場へと足を運んだというのに――。


「クソッ、!」


 毒づくばかりで、身体の震えは止まることを知らず、逃げる足は一鉄の意思に反して回り続ける――。


 と、不意に――、視界が開けた。

 雑木林を抜けたらしい。頭上には満月、目の前には森の切れ間の開けた荒れ地。


(視界が通る………ここでなら、)


 鳴り散らす歯を食いしばり止め、震える手を気合で押さえ、その荒れ地の中ほどで、“夜汰鴉”――一鉄は立ち止まり、振り向いた。


 緊張と恐怖に震える銃口、そんな自分に恥じながら、レーダーを見る余裕もなく、一鉄は目の前――追手が来るであろう雑木林を睨みつける。


 ざわざわと、風ではなく木々が揺れる――それを予兆と呼ぶには、変化も脅威も急で容赦がなかった。

 怪物が、目の前に現れた。歯を剥き出しによだれをたらし、その手の爪で木々をなぎ倒す、怪物。


 竜。ひねりも何もなく、そう呼ばれている人類の敵。その姿は、――一鉄も訓練資料でよく見ていたそれは、まさしく竜の形をしていた。

 足が2本。翼が1対――退化したそれは前足であり、FPAであろうと爪で両断する純然たる凶器。長い尾の先にもまた刃。首の先には頭、顎、剥き出しの牙――。


 一つ、いわゆる竜と違いがあるとすれば、その、目の数だ。

 頭の中央にたった一つ。理性も知性も感じないただ一つの目。

 単眼の怪物が、一鉄を睨み、一鉄を食い散らかそうと歯をむき出す――。


「…………、」


 撃とうとした。

 抗おうとした。

 覚悟を思い出した。責任を思い出した。

 ―――その全てに、恐怖が勝った。

「………クソ、」


 涙交じりの声を上げ、一鉄は、迫る恐怖に、背を向けて、また、逃げ出した――。



 1週間前。

「連合との共同作戦、ですか?」


 任官後、配属前。配属先を訓練校の教官から聞かされ、品の良いその執務室で、一鉄はそう問いかけた。


「そうだ。……時代が変わったな。陛下は他種族との共同戦線を望んでいる。殿下の努力が一つ身を結んだ形にもなる」


 他種族。この世界には、ヒトの他にもヒトに近しい種族が暮らしている。エルフ、ドワーフ、………この大和にはオニ。


 どれもヒトより強大で、中には呪力だの魔力だのの異能力を持つ種族もあり、それらほとんどの種族とヒトとの間には、長い戦争の歴史があった。


 FPAもそもそもは、歩兵力としてその他種族に対抗するために開発された兵器だ。

 けれど、30年少し前に、その情勢は大きく変わった。


 竜の出現だ。突如現れた“ゲート”と呼ばれる異界の門から、無限とも思える物量で現れ、周囲の生命体をひたすらに食い散らかす、人類共通の敵。


 その出現によって、人類はお互いに銃口を向け合っている場合ではなくなった。

 世界中で手を組み、刃を収め合う事態が起こり、この大和でも休戦、という形で、オニとの戦争は止まっていた。


 だが、遺恨の深い両陣営が即座に手を組むことなどできず、そのまま何年、何十年――ヒトとオニは、竜という共通の敵を得ながらも、手を取り合うことが出来ずにいた。


 けれど、その情勢もまた、今この世代によって変わろうとしていた。


 2年ほど前に起きた、軍事クーデター。そのクーデターを納め、即位した年若い現皇帝は、オニとの共同戦線の構築を求めていた。交渉の表舞台に、皇女――皇帝の実の妹が立ち、幾度も連合側へと訪問したことで、オニもまた本気だと理解したのだろう。


 オニと人との共同戦線。

 種族の垣根を超えた協力が、徐々に、そして散発的にではあるが、催されるようになっていた。

 そして――その一端に、月宮一鉄は配属されることになった。


「詳しい説明は現地で受けろ。私の仕事は、送り出すことだけだ」


 訓練教官――歴戦の勇であり、年齢を理由に一線を退いた男は、その言葉と共に一鉄を見上げ、言う。


「……男を上げて来い。土産話を待っている」

「はッ!家名に恥じぬよう、全身全霊を持って当たらせていただきます!」


 直立不動の姿勢をとった一鉄。その目に、まだ、淀みはない――。



 涙で滲み淀む視線で行く先のない暗がりを凝視しながら、一鉄は一人、荒れ地を駆けていく。


 ――背後からは、3匹の竜。

 逃げる逃げる逃げる――逃げることの他に、初陣の青年には考えられなかった。

 震えのせいか、足元すらおぼつかない。息が切れ、視界は狭まり――。

 愚かな、話だ。


 命がけの状況で、一鉄は、転んだのだ。何につまずくでもない。ただただ恐怖に足がもつれて、鎧を着込んだままに、一鉄は無様に地面に転がる。


 FPAを纏ったままでも、即座に起き上がれたのは、訓練でさんざん倒されてきた賜物だろう。

 だが、身を起こし、背後を振り向いた所で――青年の身体は、石のように硬直した。


「――ヒッ、」

 竜の単眼と目が合った。

 瞬間、つい数時間前の地獄トラウマが、フラッシュバックしたのだ。



 一晩ですべてが変わることがある。

 何もかもが終わってしまう、そんな光景を目にすることがある。

 つい、数時間前だ。

 つい数時間前。


 大和帝国の中隊――指揮車を中心に何体ものFPA、“夜汰鴉”が、夜の荒野を行軍していた。


 上が変わっても下がかわらないことはままある。


 帝国の威信を示すため、合流地点まで全軍で行軍。指揮官が状況を見誤っていたのだ。


 もはやそこは、帝国と連合国を分かつ竜の領域、交戦区域だというに、合流地点はその最中である。政治もあるのだろう、未だ事情は休戦のまま。

 だとしてもその道中の安全は確保されている。空映でもレーダーでも索敵でも、進路上に竜の姿は見受けられない。この道中には、まだ、死はない。危険はない。………はずだった。


 夜の行軍の最中に悲鳴が上がる。

 暗がりの向こうで、何が起きているのか、遠目に一鉄はわからない。即応できるモノ、対応できないモノ。


 一鉄が事態に気づいたのは、跳ね飛ばされたのだろう何かが、自分の足元に落ちてきたその時だ。


 腕。FPAの、“夜汰鴉”の腕。誰かの腕。断面が、断面から、赤い――。

 呆然と見上げた先に、奇襲を受けた友軍の――蛮勇を誇っていたはずの味方の――。


 ――地獄があった。


 一鉄には、悲鳴を上げることしか出来なかった。



 そして一鉄は逃げ出した。

 脱走兵になるとか、敵前逃亡とか、味方を置いていくとか、そんなことを考える余裕もない。


 ただ、恐怖に駆られて、闇雲に逃げ出したのだ。

 闇雲に逃げ出した末、竜に追われて、しりもちをついて、硬直して――。


「…………、」


 一鉄は、何もできなかった。考えることすらできない。

 すぐ目の前で、竜が大口を開けている――鎧越しでも、その牙にこびりついた血の匂いがわかるようで、だというのに、一鉄は一切動けない。


 涙がこぼれている。視界が滲んでいる。それすらも、一鉄には理解が出来ない。

 一鉄には、自分で期待していたほどには、いや、その欠片ほども、勇気がなかった。


 自分の死を見据える勇気すらもなく、滲んだ視界は救いを求めて―――。

 おぞましい夜の森。月明りの空が、あるいはその下の森の一角が、妙に赤く輝いて見えるのは、怯えで目がおかしくなったからか。

 見えるのは、それだけだ。救いはない。ただ牙と共に死が迫ってくるばかり――。


 不意に、思い出す。ここに至る直前に、妹からの手紙を受け取っていたことを。

 まだ、読んでいない。戦場を前に、妹とはいえ女から手紙など。そう、息巻いていた自分を、一鉄は………。


 なぜか、うらやましいと思った。

 滲んだ視界に、血が、赤が、広がっていく―――。













 ………月宮一鉄は、そこで終わるはずだった。

 けれど、いつになっても、終わりは訪れない。


 瞬きを数度して、ようやく、一鉄の視界のにじみが取れる。


 一鉄の目の前―――大口を開けていた竜が、倒れていた。銃撃を受けたかのように。


 飛来した何かが、竜の単眼を貫いたのだ。銃撃に比肩するような威力で、半ば弾き飛ばすように竜を貫いたのは、しかし銃弾ではない。

 白い鍔の、脇差しが、竜に突き刺さっている。


(……脇差しを、投げて、竜を、殺す………?)


 漠然と、ようやく思考が戻り始めた一鉄の目の前で、即座に次の変化が訪れる。

 雲で陰った月夜の中を、竜の首が一つ、撥ね飛んでいる……コロコロと転がり、それは一鉄の前で止まる。


 何が起きているかわからない。そう、視線を上げた一鉄の視界に―――女の姿があった。


 太刀を細腕に握った、和装の女だ。

 見上げる一鉄の前で、女は動く――目にもとまらぬ速さで。


 細腕が太刀を振るう。ただの一閃。躱すどころか気づくことすらできなかったのだろうか、残された竜、最後の一匹の首が、半ば笑うような顔のまま落ちる。


 それを前に、女は特に感慨も何もない様子で、太刀の血を払い納め、一鉄の方へと歩み寄ってきた。


 どこか朧げな輪郭をしているのは、満月を背にしているからだろうか。あるいは、身を包む装束、羽織っているそれが白く輝いているからか。


 もしくは、流れ落ちるつややかな髪が、月明りに照らされているか。

 角があった。額に角。ヒトではない、別の種族の、女。


(オニ………)


 背が低い。顔立ちがどことなくあどけない。年若い、オニの少女……いや、オニはヒトより長命だと聞いている。そう見えるだけで年上かもしれない。


 そう、思考も何も混乱したまま、ただ見上げるほかない一鉄の前で、オニの少女は、最初に投げた脇差しを、竜の頭から乱雑に引き抜いた。そして、血を払いそれを納め……その拍子に顔にかかったのだろう、黒い長髪を掻き揚げる。


 間近でそれを見上げた一鉄は、状況も忘れて、呟いた。


「………女神だ………」


 一鉄は、かなり本気で、その少女に後光が差しているような気がした。


「………?」


 不思議そうに、オニの少女は首を傾げる。それから、一鉄に対して興味を失ったかのように、特に何も言わずに、その少女は背を向け、歩み去って行った。


「あ……待って、」


 そんな言葉と共に、ようやく、一鉄は動き出せるようになった。

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