2 想うも遠く/抗わばこそ喝采の武人
どう言えば、良かったのか。いや、なんでも良いから言えば良かったのだろう。とにかくすぐに追いかければ良かったのだ。
傲慢で、悠長で、色呆けに臆病で、現状への認識が何もかも甘かった。
医療テントに鈴音を預け、そのまま、そこに背を向けて、一鉄は“夜汰鴉”へとゆっくり歩いていく。
つくづく、自分は、動かないこの子を運ぶ羽目になるらしい。
前回もそうだった。前回は、最初からそうだった。だから、今回は――夢見心地だった。
ただの恩返し。恩返しは、その通りだ。前回返せなかった恩を返したかった。
だが、それだけじゃない。
死にかけて、そこにあの子が現れて、戦って、竜を倒して、その後、髪を掻き揚げる仕草を見て、女神だと思った。
その後の戦闘で、一鉄も何かを為せて、勝ったと思ったその時に、手を振ってきて、振り返すまで振っていて、子供っぽいのかもしれないと思った。
今回はその続きがあった。
庇おうとしてもほとんど庇わせてくれない。止まれと言っても止まってくれない。頑固でどことなく飄々としていた。
オニの部隊と合流するまで二人で歩いた。少し口が悪かった。妙なところで息があった。
合流してから、二人で、物資を確保するための作戦を考えた。一鉄は無茶を言ったはずだが、あの子は乗ってくれた。手を貸してくれた。ハイタッチした。
その後は、帝国軍を探しに行って……形見を受け取って、代わりに手紙を渡して……。
もしかしたら、碌な思い出ではないのかもしれない。けれど、今回は思い出がある。
もう、一目ぼれ、ではない。恩返し、と言うわけでもない。守りたかった。
だというのに……一鉄の両手には、今、あの子の血がこびりついている。
守ると、宣言した直後に、もう。
一鉄は、周囲の戦場、その音をどこか遠く聞きながら、鎧を纏った。
真っ暗な中、“夜汰鴉”の起動画面が目の前を通り過ぎていく――。
一鉄はただ、それを眺める。どこか、沈んだように、もっている弾薬の総数を思い出しながら。
(俺は、冷静なのか……)
激高するでもなく。ただ、淡々と、どこかに感情を置き忘れて来たかのように、一鉄はそんなことを思い――。
視界に、光が灯る。
FPAのセンサーが、周囲の音を届ける。銃声が、怒号が響き渡る。地鳴りのように大群が迫ってくる音が響く。セミの声も、――やはりセミも狂っているのだろう――月明りしかないその夜の中、耳鳴りのように一鉄の頭を揺らす。
負傷兵が戦っている。地面に寝そべり、銃を手に、引き金を引き続けるオニ。その横で別の負傷兵が、弾薬を交換した別の銃を射撃役に渡していく。
“夜汰鴉”が何機か、戦場を走り回っている。無駄のない位置取りで的確に、ペアで動いているのだろうか、2機ずつ。
最前線で太刀を振っているオニも、いる。全ての瞬間が命がけの大立ち回りだ。無事だったら、鈴音もそうしていたのか。それとも、怯えていたようだから、後ろにいたのか。
どちらであれ、支えるつもりだった。かばうつもりだった。………過去形だ。
一鉄は、歩き出す。歩きながら腰の20ミリを手に取る。手に取った直後に引き金を引く。
タン、と軽く指を動かすと、その視線の先で竜の頭が一つはじけた。
それを、無感動に、眺めるでもなく――すぐ次を照準の先に捉え、それが真っ赤な果実になる。
一鉄は、鈴音に邪魔だと言いたかった訳ではない。
自分も、怯えたことがある。引き金を引くことも出来なかった。そこを助けて貰った。
その後も、庇ってもらった。新兵を後ろに置いて、鈴音は一人竜の群れに突っ込んでいて、その姿に、意地のように、どうにか食らいつこうとして、……それがあったから、一鉄は恐怖に慣れた。
今度は自分が、慣れるまでサポートしようと。どうせ、止めても聞かないだろうから、と。
そんな風に言いたかったのだが、……うまく言えなかった。
静かに、そんな――後ろばかり見るような心持の中、一鉄はゆっくり歩いていく。
歩きながら、撃つ。撃つ。撃つ。撃つ。撃つ――。
やがて、一鉄は立ち止まった。そして、どこかに思考を置き忘れたような、そんな冷たい集中へと落ち込みながら、引き金を引き続ける。
機械的に、冷静に、冷淡に。
*
『朗報だ』
『特任大佐殿が殉職なされた』
『これでようやく真っ当に帝国軍だ。帝国の勇敢さを示せ!派手にトカゲをぶち殺せ!』
統真は、尾形が倒れた後、扇奈に歩み寄ろうとして制された後、部下に、そう言った。
まずは何よりも士気の維持だ。死んだと言われて士気が上がるのは、ある意味流石だろう。
とにかく、尾形が馬鹿な裏切りをした段階で、下手をするとオニと帝国で仲間割れに発展する可能性があった。
それを懸念したのだろう。扇奈はわかって、騒ぎを小さくしようとしていた。
久世もそれに乗った。今一番避けるべきなのは、尾形のせいで帝国全員がオニに恨まれる事だ。そうならない為に、味方だと示す為に、前に出ろと部下に言った。
とりあえずこの戦場だけでも良い。扇奈が尾形に撃たれたと、それに気づいたオニが、帝国は味方だと思うように行動させなければならない。
前に出る兵士は信用される。オニの間でも戸惑いはすぐに消えたらしい。扇奈が騒がなかったからだろう。
扇奈はまともな指揮官のようだ。尾形と比べる方が失礼だろう。
とにかく、統真としては、
(……やりやすいな、)
指揮も、戦闘も、だ。
指揮や陣形含めて全体の意地に努める指揮官が背後にいる。
部下は、数えるほどとはいえ経験豊富な兵士ばかりで、細かく指示を出さなくても自己判断で動く。
統真は戦場を俯瞰して、自分も走りながら、部下にヤバイ場所だけ伝えれば良い。
軍が、集団として機能している。その当然の話が、何より統真の――そして帝国軍兵士の士気を高めていた。
帝国軍を前に出させたのは、最初だけだ。その後は、オニの防衛状況を見て、手薄になり掛けた場所に部下を走らせ続ける。言うほどたやすくはないが、空っぽな頭の手足になってどうにか頑張るよりはずいぶんマシだ。
そして、更にそこに、ポジティブな要素がまた一つ増えた。
「………ん?」
全体の、竜の撃破効率が上がっている。帝国の兵士が足を止めて、近づいてくる竜を撃つだけになっている。
迫ってくる竜の総数が劇的に減った、と言う訳ではない。だが、統真がサポートに部下を走らせる必要もないくらいに、防衛火力が安定しているのだ。
全員、ただ、自分の方へ近づいてくる竜を一匹ずつ処理すれば良いような、そんな楽な対面の連続になっている。近づいてくる頃には竜の数がその目の前にいる兵士の数と同数かそれ以下になっているのだ。
竜が行動を変えた、訳ではないだろう。
味方が何かやっている。――支援、だ。
数秒後に処理しきれない数の竜が来る、その場所めがけて射撃して、近づく頃には容易に処理できる数まで竜を減らしているらしい。
統真は、周囲を見回し、それをやっている誰かの姿を探した。
そして、探すまでもなくその姿は目に付いた。
どことなく、サボっているようにも見える、陣地の中心で立ち尽くしたFPA。赤い総力の入った“夜汰鴉”。月宮一鉄だろう。
左手はだらりとたらし、右手には20ミリを持って、ひっきりなしにその銃口をさ迷わせている。狙いをつけられず、銃口をさ迷わせ続けているように、見える。
だが、その随所で引き金は引かれている。ほんの一瞬しか動きを止めない銃口は、放った直後――おそらく着弾前にもう別の竜へと動いているのだろう。
ひっきりなしに銃口はさ迷い続け、けれどその割に竜は次々と的確に頭を弾け飛ばされて行く。
「……それで当たんのかよ、」
思わず、統真は呟いた。だが、驚いてばかりもいられない。統真は、その、一鉄の異常な働きを前提に、部下へと指示を飛ばし始めた。
*
レーダーと肉眼。両方で戦場をつぶさに観察しながら、射撃の手を止めない。
総数として竜の方がはるかに多くとも、一瞬一瞬、会敵する数は限定できる。
竜の予測進路と分布、常時切り替わり続けるそれを確認しつつ、味方の分布や動きも予測して、その上で一定のテンポで一発も外さずにこなし続ければ、大群相手でも楽な戦場をずっと続けるだけになる。
だから一鉄は、機械的にその作業を続けていた。
弾薬が持つ限り、シンプルな状況の中での最適解を選択し続ける。
射撃技能は単純な訓練で磨き上げた。もう、外さない。この数日に何度も竜と戦闘した。もはや、怯えることも竦むこともない。根が臆病な分慎重に周囲を観察できる。
ただ、ただただ撃ち続け――やがて、一鉄は一瞬、その手を止めた。
リロードだ。弾倉を交換する必要がある――。
麻酔が残ってわずかに動きが鈍い左手で、一鉄は弾倉を交換する。と、その時だ。
『今だ!惜しむな!ぶち込め!』
通信機から、そんな、激のような声が飛んだ。統真の声、だ。
そして、それに呼応するように、帝国軍――“夜汰鴉”がそこら中で、フルオートで迫る竜へと弾幕を張っていた。
一鉄はリロードを終え、再び射撃支援に入る。すると、それを確認した後、だろう、また統真の声がする。
『良し、止め!単発だ、弾薬節約しとけ!』
号令に従い、帝国の兵士はフルオートでの射撃を止め、また、さっきまでと同じように、対面の竜を効率的に排除し始める。
――一鉄のリロードのタイミングで、押し負けないように、指令を出していたのか。
カバーされたのだ。集団から。そして、リロードを終えた一鉄はまた、集団全体をカバーし始める。
帝国軍は一鉄を信頼して、一鉄の働きを前提に置いて、戦術的に行動しているらしい。
いや、そうやって行動しているのは、帝国軍だけではないようだ。
さっきまで前線で、無茶するように孤立気味前に出ていた、太刀を手にしたオニたちが、陣地の裏側にいる。息を整えている者もいる。隊列を組み、扇奈から直接指示を受けて、何人かの集団になって戦場へと戻って行く者もいる。そして、そうやって戦場に戻った者によって、一鉄の左手側は、一鉄が支援する頻度が下がっていた。
一鉄は右利きだ。でなくても、左肩を怪我してもいる。左への射撃は些細だが確かに負担になる。
扇奈も、一鉄の働きを前提に置き出したらしい。そして、扇奈も統真も、長期戦を想定し始めている。弾を節約され、休める部下を休ませて、少しでも長く生き延びられるようにしている。
と、支援を続ける一鉄の耳に、統真からの問いかけが届いた。
『一鉄!予備弾倉は?』
「……もう、ありません」
そう一鉄が答えた直後――統真の方から、何かが投げてよこされた。
何か、もない。弾倉だ。統真以外の何人かも、自分の分の弾倉を、一鉄の方へと投げてくる。一鉄の周囲に、幾つもの弾倉が落ちている。
そして、再び、統真から問いが投げられた。
『予備弾倉は?』
「……十分あります」
『良し、働け若者!』
今命がけで戦っているとは思えない、軽口のような言葉だ。
「はい……」
どことなく、感情が戻ったように、一鉄はそう、支援の手を止めないまま応え――と、そこで、一鉄の周囲でオニが歩いていた。ギリギリ動けるだけで、戦闘は出来ないだろう、そんな重傷者だ。彼らは、一鉄の周囲に今投げてよこされて散らばった弾倉を拾い上げ、一鉄の元へと運んできてくれている――。
と、そんな中に、どうやら、扇奈の直属の部下が混じっていたらしい。
「姐さんから伝言っす。……オニはヒトより頑丈だ。撃たれたからって簡単に死にゃしないよ。花束持ってお見舞いだ。守り抜いてやりな」
扇奈の口調をまねたような、言葉。その言葉に、一鉄は、今度は、更に威勢を取り戻したように。
いや、取り戻そうとするように。
「はい!」
大きく、声を上げた。
まず、声を出す。そう、教わり、そう育ってきた。
一人で戦っている訳ではない。
支援をする。支援をされる。
守る者は、まだある。嘘かもしれない。気休めかもしれない。けれど、あると信じよう。諦めるよりはずっと良い。
さっきの、ちょっとしたすれ違いで終わりではない。恩返しをしたいのは本当だ。
けど、もう、それだけではない。そう、今度こそ言おう。その機会があると信じよう。
一鉄は射撃のペースを上げた。弾薬を心配をする必要はなくなった。希望は、まだ残っているはずだ。
とにかく、生き延びる。生き延びさせる。その為に、今できる事を全力でこなすだけだ――。
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