3 されど/淀みなく寄る知性

 戦場から少し外れた場所。

 戦場全体を見下ろせるような、そんな小高い丘の上。


 一匹の竜が、その単眼で、戦場を見下ろしていた。


 赤い、竜だ。爪も牙も退化したように小さく、刃がついているはずの尾の先は、放射状に枝分かれしている、そんな、単体だとすればそこまで脅威になるわけではない、竜。


 知性体。

 それは、膠着した戦場を見下ろし、長め……どこか、首を傾げる、そのしぐさを真似るように……真横近くまで首を回した。


 おかしいなぁ。知性体はそんな風な事を思ったのだ。


 数の上では、圧倒しているはずだ。単純に押しつぶせるくらいの数、竜はいる。

 だと言うのに、さっきから敵に損害を与えられていない。


 赤い知性体は、観察し続ける。

 敵の中、目立つ、竜にとって有害な敵を探す。


「ハオリ……オンナ……オニ……」


 雑な発音で、赤い知性体は、ヒトの、オニの陣地の中にいる紅い羽織のオニを眺めて、呟いた。


 この知性体は、幾度も、やり直している。満足なスコアが出るまで遊ぶような気分で、リセットを繰り返してここに至っている。


 この戦場の最初の奇襲を成功させるまでに、既に何度もやり直しているのだ。色々試しているのだ。その途中で少し飽きて、適当に捕まえたオニやらヒトやらで、言葉を覚えたりもしてみた。


 そして、その過程で障害になり続けているのが、「ハオリ……オンナ……オニ……」。


 アイツがヤバイ。群がっても殺せなかった。片割れに奇襲させても殺せなかった。自由にさせると恐ろしい量一人で殺していく。孤立させたら一人で何百匹葬った末ここまで辿り着いてきた。これまで3回くらい、赤い知性体はアレに殺されかけている。


 だから、周囲に足手まといを増やす、と言う事を思いついて、実行した。うまく行った。


 それから、こっちの味方、と思わしきヒトに頼んでみた。物は試しだ。コミュニケーションをとってみたのだ。あのヒト、あの鎧は、どういう訳か生かしておいた方が竜に、知性体にとって有益な働きをしていたから、もしかしたら味方かもしれないと思ったのだ。


 そして試してみたが、結局あれは失敗した。殺してない。使えない。


 が、傷を負わせることは出来たらしい。あの紅いオニが、今回は後ろに引っ込み続けている。

 後ろに引っ込み続けているのに、あの集団はなぜか強固だ。


 また、別のヤバイ敵が出てきたりしたのだろうか。

 自分は戦場に出ることはなく、ただ自分の駒を雑に動かし、浪費させつつ、赤い知性体はそれで様子を見続ける。


 どうしようもなくなったらやり直せば良いのだ。ただ、何がヤバイか、何が得か学ぶまで続けてみれば良い。


 そうして、眺め続けて、……やがて赤い知性体は気づく。

 オニの陣地の真ん中らへんに立っている鎧。アレも赤い装飾がついている奴が、他より多く竜を殺しているかも知れない。


 そういえば、と、赤い知性体は思い出す。今回の最初に、そこそこ目立つけど削ぐのは楽な敵を、片割れに奇襲させた時。邪魔をしたのもアイツだったかもしれない。


 試してみよう。自分が生きている限り、いくらでもやり直しがきく。そんな、軽い気分で、赤い知性体は決めた。どこか嗤うように……。


 *


 狂ったようなセミの声。とめどない銃声。命のかかった気合の声。

 そんな、騒がし過ぎる夏の夜が、ほんのわずかだが、静まり始めている――。


(……押し返せてる、のか?)


 陣形の内側で前線を眺めながら、扇奈はそんなことを思った。


 部下が傷を押して、身を挺して、懸命に戦った結果。

 帝国の兵士が的確に行動し続けた結果。

 あるいは、一鉄が射撃のみで全体に影響を及ぼし続けている結果。


 ……竜の勢いが弱まっている。そんな風に見えたのだ。


 少なくとも、襲ってくる竜の数は確実に少なくなっている。

 この戦域の竜の数は膨大だろう。だが、決して無限ではない。殺し続ければ終わりが見えるはずだ。効率的に殲滅し続けた結果、ついに竜の数も底を付き始めたのか………。


 そう、頭の片隅で思った扇奈を、まるであざ笑うかのように。

 悲鳴のような声が、この陣地のど真ん中から響き渡った。


「上だ!」


 声に合わせて、扇奈が、周囲の全員が空を見上げる。

 月明りの夜空。晴れて輝くその月明かりを、鳥の群れのような何かが、覆い隠していた。


 20匹程度だろうか――近づくごとにその大きさが目に付いていくそれらは、断じて鳥ではない。不吉ですらない、最悪の存在だった。


(……飛ぶ奴がいたのかい、)


 竜の前足、牙のあるそこは、形状としては翼のようになっている。だが、大抵の竜のそれは退化して、空を飛ぶことなどありはしない。


 ……大抵の、だ。何事にも例外はある。ただの竜程多く無く、知性体程稀でもない。


 飛行能力を有した、竜。その群れが、月夜を突っ切り、まっすぐと扇奈たち――この陣地へと落下してきている。


「…………、」


 扇奈は判断に迷った。

 ただ空を飛べるだけ、とはいえ、その脅威は明確だ。ヒトが、オニが陣形を組んで火線を敷き、地を這う竜を押しとどめても、それを掻い潜って陣形の内側に潜ってくるのだ。


 空を飛ぶ方に対処して、火力を上に向ければ、地を這う竜を押しとどめきれなくなる。

 かといって無視すれば、無防備な陣形の内側を竜に食い破られることになる。


 そして、そんな思考をしている間に――悲鳴のような声が前線から聞こえてくる。


 視線を向けた先――敷いた陣形の外縁辺り、その向こうを這い寄ってくる数多の竜。それが、先ほどよりも近づいてきている。空に気を取られた隙に肉薄を許したのか。


 いや、そんな知恵や工夫のある話じゃない。


(……単純に、数が増えてるのか……?)


 押し返せた、訳ではなかったのだ。ただ、一時的に、前に出てくる竜の絶対数が減っていただけ。一瞬だけ退いて見せただけ。それによって、空からの奇襲が発生するタイミングで、前線への圧力もこれまで以上になるように、竜が戦術を使ったのだ。おそらく、知性体が。


 更に言えば、こちらとしては押していると思わされた分、当初より陣形が広がっている。


 前線を伸ばされた上で、正面の圧力を増し、それと同時に温存していたのだろう、飛行戦力で強襲。


(悪趣味過ぎるね………クソッ、)


 胸中毒づいている間にもこの陣形、この戦線、この部隊の崩壊は近づいてきている――。


 前線の何か所か。竜の圧力に負け、突破されかけている場所があった。懸命に銃を撃ち続ける、怪我を押して陣形に加わったオニの元へ、何匹もの竜が襲い掛かっている。


 同時に、空にいる竜が降下に入ったらしい。突っ込んでくる先はこの陣形の中心。――動けない負傷兵たちがいる、テント群だ。


 20匹。正面から襲ってくる竜の群れと比べれば、大した数ではない。だが、無視するわけにもいかない。


 何を捨て何を生かすか。この部隊全員が生き延びる為に、優先的に対処しなければならない場所は何所か。逆に、――捨てても良い駒は何所か。


 頭では、思い付いた。


 敵、知性体からすれば、あの飛行能力のある竜の群れは、虎の子で、捨て駒だ。

 次に活かす気がゼロで、全滅しても良いから今前線を崩すための、駒。


 そして、それに対処するために、似たような手を使うのであれば、この部隊はその強襲を……一瞬、無視しても良い。


 あの、飛んでくる群れ20匹、それらが降りて来るのは、この陣地の中心辺り。動けない重傷者たち、この部隊にとって戦力として数えられない――倫理を無視すればのいる場所だ。


 この状況の最適解は、前線の人数を裂かず、あの強襲してくる竜が居てもいなくても良い重傷者を頬張っている間に、寡兵で確実かつ迅速に処理する事。


 思いついては、いる。理解は、している。


「…………ッ、」


 だが、……扇奈は決断出来なかった。ただ歯を食いしばり、決断に迷う自分が嫌になり、他を探そうにも思いつかず、少し動けば雑に治療しただけの腹の銃創が悲鳴を上げ、……そうしている間に猶予は減っていく。


 と、扇奈の決断を待たず、動いている兵士がその戦場には、いた。


 銃声が、いや、砲声とも言うべき20ミリのバカでかい弾響が、そこら中で先ほどよりも大きく鳴り響き出す。


 “夜汰鴉”。帝国の兵士だ。前線に吸収されている彼らが、一斉に、弾薬を惜しまず正面から迫ってくる竜へと弾幕を張り始めたのだ。


 同時に、一定のテンポで続く射撃が、空から降ってくる竜を、撃ち落とし始める。


(……一鉄、帝国か……)


 扇奈より早く判断したのだろう。内側を一鉄一人に任せると。おそらく、ある程度重傷者に被害が出る事を前提に。


 そして、一鉄の支援がなくなる代わりに、帝国が弾薬を惜しまず前線の足止めをする。


 非情な決断だ。同時に、扇奈がすべきだった、合理的な決断。

 あるいは、どこか言い訳を見つけたような気分だったのかもしれない。声に苛立ちを紛らせながら、扇奈は周囲の部下――ローテーションでわずかに作れた予備兵力へと、言った。


「………飛ぶ奴は無視だ。前線を可能な限り引かせて、それでも抜けてきた奴は確実に殺しな、」


 扇奈の指示に、一瞬だけ躊躇った後、部下たちは頷き、駆け出していく。

 それを見送ることなく、扇奈は太刀を引き抜いて――飛ぶ奴、重傷者に食いつく奴は全部、一鉄にやらせることにした。


 内側の20匹より前線の崩壊だ。数か所もう、抜かれて入り込まれている場所がある。


 傷の痛み。決断の痛みに思い切り歯を食いしばりながら、前線の崩壊しかけているその場所へと、駆け出した。


 *


『一鉄!上をやれ!他は前線支援!弾薬を惜しむな!』

「はいッ!」


 いち早く決断した統真の声に、威勢良く答えたのは、一鉄だけではなかったのだろう。いくつもの、ばらばらだが気合はみなぎる声と共に、帝国軍は一鉄のリロードのタイミングでそうだったように、弾幕を張り始めた。


 そして、一鉄は空を見上げると同時に、群れを為して降下してくる竜へと銃口を向けた。


 他は無視だ。空の竜を殺す。アレを放置すると、この陣形が内側から崩される。

 いや、それだけではない。


 竜の効果地点は、テント群。重傷者のいる場所。

 ……鈴音を預けて来た場所だ。


 鈴音はもう生きていないのかもしれない……その可能性を、考えない。

 きっと生きていると信じる。信じているのだから、そう……守らなければならない。


 責任感、使命感、希望、夢……感情は高ぶりながら、それでも頭は冷静に、一鉄はトリガーを引いた。


 空から降ってくる竜――その先頭にいた一匹が、吹き飛ばされ血しぶきに変わる――その血を浴びながら次がすぐさま降りて来る。


「……く、」


 地面の敵を狙うのと、空の敵を狙うのでは、勝手が違う。文字通りの全方位に動けるのだ。当てることは、一鉄ならば出来る。だが、先ほどまでのように最速で狙いをつけて当て続けることは、流石に、不可能だ。


 長く、前線の全方位への支援を続けていたせいで、若干集中力が削げ初めてもいる。自分が思うより体の動きが鈍い。麻酔が切れ始めたのか、左肩の痛みも這い上がってくる――。


 それでも、撃つ、撃つ、撃つ。

 撃てば当たる。当たっただけ減る。それでも、着地までにすべて殺すことは出来ない。


(守る……守る……守る!)


 気合だけでどうにかなったら、世の中はもっと楽だ。そう、どこかで一鉄は自分を冷たく笑っていた。


 頭の中のどこかが、感情とは別に冷め切っている。

 元から、そうだった。一番最初に、竜を殺した時。臆病者だから、戦うために、臆病さを切り離して見えている者をただの現象として認識しないと、後方支援すら出来なかった。


 それから、幾度も、幾度も戦って、臆病な自分と戦場に慣れて行って、慣れ切って……高ぶろうが怯えようが、思考も行動ももう、淀まない。


 疲れていても、思考は冷静に作用する。

 飛んでいる間に撃ち落とすのは、無理だ。ならば、どうするか。……着地した瞬間に殺せば良い。


 一鉄は列を為して降ってくる竜、その、着地する順番を予測し始めた。

 そして、その予測の通りに、殺す順番を変える。20匹の内、飛んでいる間に殺せるのはおそらく8匹。その8匹、邪魔な奴を撃ち抜き、血しぶきになり、あるいは羽を吹き飛ばされてきりもみしながら落ちていくそれらを、引き金を引いた直後にはもう頭から締め出して、痛みも疲労も無視して、深く、深く今この瞬間、すべきことだけに集中する――。


 一匹目が着地した。―――その前に、一鉄はその着地地点へと、弾丸を放っていた。

 着地した竜が、すぐ傍の重傷者へ、牙を剥き出し――けれどその牙が重傷者を捉える前に、頭が吹き飛ばされる。


 そうしている間にも、次の一匹が着地し、けれど着地する前に、その着地地点には、弾丸が置いてある。


 空を飛んでいる奴に正確に当て続けるのは、難しい。

 だが、着地したその瞬間、その一瞬なら、標的の動きは止まる。


 止まっている標的になら、まず間違いなく当たる。止まるはずの場所さえわかれば、。後は、完全に同じタイミングで2体以上落ちないように、空にいる間に殺して調整しておけば………。


(守り切れる……守り切る……)


 深く深く集中し、精緻かつ的確に銃口を動かし続け、一瞬を逃さず捕らえ続け、一鉄は引き金を引いていく。


 まるで雨音のようだ。間断なく、的確に、地面に触れた瞬間に、竜が次々と、ぴしゃりぴしゃりと、血しぶきに変わっていく……。


 執念染みた、神業だ。

 永遠のような数秒の果て――一鉄は銃口をさ迷わせていた。新たな獲物を探すように、けれど、その姿が視野に捕らえられず――。


 あっけにとられたような視線が、幾つも、一鉄を捉えている。

 そこら中にある血だまり、血の雨を受けた、重傷者たちの視線。それらを、銃口と合わさった視線で眺め返し、


「………ハッ、……ごほっ、ごほっ、」


 我に返った瞬間、一鉄は噎せた。集中する、だけでなく、その間息を止めていたからだろう。


 頭がガンガンと鳴り響く。左肩の痛みがまた、せりあがってきて、さっきよりも一層、身体の動きが鈍くなった気がする。


 それでも、だとしても……視界に入る竜はすべて死骸ばかりだ。

 何とかなった……いや、したのだろう。出来たのだ。空から襲って来た竜を、全て排除した。どこか化け物染みた集中力で。


 それでも、まだ、勝ち切れたわけではない。まだまだ、周囲では銃声が響き続けている。


(……今度こそ、)


 今度こそ、この部隊を生かす。今度こそ、鈴音を守る。守れるだけの力は十分あるはずだ。

 そう、言い聞かせ、鈍い体を、銃口を、今度は前線へと向ける。


 何か所か、抜かれている。陣形の内側へと、竜が入り込んできている。

 けれど、それらには迅速に、扇奈が、オニたちが対応していた。

 大崩れはしていない。


「……今度こそ、」


 願うように。望むように。夢見るように。……無念に、怨念に憑りつかれたように。

 うわ言のように、呟いて、一鉄は銃口をそれらへと向けた。


 そして、先ほどまでと同じように、支援を始める。

 やがて混乱は収まり、再び陣形は安定していく。戦闘を続けていく。


 一鉄も、扇奈も、統真も、に気づけないまま。いや、それを









 この戦域の知性体は、何度もやり直せる分老獪で、嫌がらせに長けている。

 内側の敵の排除した。そう、人間が思えば、内側からの奇襲に弱くなる。


 飛べる奴とっておきを使ったのも。同時に、この部隊を襲う竜の数を増やしてみたのも。


 ただ、突っ込んだ竜に紛れて、陣形の内側にとある一匹が入り込むためだ。


 姿が見えない。

 レーダーに映らない。

 ただでさえ認識できない知性体が、混乱に乗じて紛れ込んできたら、気付きようがない。


 姿の見えない暗殺者は、戦場の音の中、ゆっくりと、赤い装飾のついた“夜汰鴉”へと歩み寄っていた。


 ……アレを殺したらどうなるんだろう。試してみよう。そんな風に、遊ぶような気分で、嗤いながら……。

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