3 泡沫の朧月夜/引き裂く狂刃

 少女は、不可解だった。一鉄が、ではない。突然現れた竜が、だ。


 少女は一鉄の能力をまるで評価していない。半分眠りながらも、自分の異能で、周囲の状況を観察し続けていた。異能によるレーダー、だ。それによれば、ついさっきまで、周囲には何もいなかったはず。


 だが――

 ――真横で、木が薙ぎ倒される。刃のように鋭く、分厚く、人間の血を多く吸ったのだろう、そんな異形の尾によって。


 木ごと、薙ぎ倒し切り裂こうとするその一撃を、少女は大きく跳ねて躱した――。


 月を背に、少女の影が竜へと落ち――それに先んじるように、見上げた竜の単眼に、刃が突き刺さった。


 短刀、だ。投擲されたのだろう短刀が竜の単眼を貫き、それに苦悶の声を上げる竜の首に――月光のような一閃が奔った。


 ぽとり、と竜の首が落ちる。

 落下と共に手近な一匹を生首にした少女は、その生首が地面に落ちる前に、単眼に突き刺さった短刀を引き抜き………すぐさま、次に視線を向ける。


 竜。単眼。牙が爪が尾が、木をなぎ倒しながら少女へと殺到してくる――。


(……こんなに?いつの間に……)


 そんなことを考えながら、少女は跳ね上がり、脇の木を蹴って更に高く――竜を見下ろした。


 数は、20匹以上。……明らかに多すぎる。竜は思考がなく、虫のように短絡的で、獲物を見つければ単純に追いかけてくる。音を消して忍び寄る、と言う概念を竜が持つことはなく、痕跡は残りっぱなし。これだけの数が近づいてくればすぐわかるはずだ。

 まして、少女には周辺索敵用の異能がある。


(………知性体、)


 可能性が少女の脳裏を過った。知性体。知能を持ち、異能を持ち、今着地した少女の背後で大口を開けているただの竜達を統率する能力を持つ、竜。


 振り向かず、背後の竜――その大口を上と下の真っ二つに両断しながら、少女は思考をつづけた。


(瞬間移動、だっけ………)


 そういう超能力まで持っている知性体の存在を、少女は聞いたことがある。あの色白は稀に見るクソ野郎だった、と。

 今回もそれと似たような奴がいるのか………。


 思考を続けながら、少女は一人、周囲の敵の数の多さに顔を顰めた――。


 *


 その様子を、一鉄は遠目に見ていた。先ほどの小高い丘の上で。遠目に見るしかなかった。


 視界がだんだん開けて行っている。所かまわず、木ごと、竜が少女を引き裂こうとしている結果、だ。


 戦場を見る。レーダーを見る。こちらに近づいてくる竜はいない。また、戦場を見る。何匹もの異形に囲まれながら、少女は可憐に、勇猛に、戦っていた。


 その戦闘のBGMは、がちがちという硬質な音だ。ほかの誰でもない、一鉄の口から聞こえてくる、骨を揺さぶる、紛れもない臆病者の音。


(俺は………)


 助けるべきだ。そう思う。その為にこんな大層な鎧を着こんでいるのだ。だが、そう決めても、一鉄の身体は動かず……そう、ただただ臆病に、少しでも逃げるように、高いところに上るばかり。


「クソ………」


 呻くしかない。助けるに助けられない。いや、そもそも自分の助けなど必要ないだろう。


 少女は、強い。恐ろしいほどに。それがヒトと他の種族の差なのだろうか。圧倒的な身体能力で、迫りくるトカゲを片っ端から叩き切っている。


 あのまま、任せておけば――

 ――その発想を持った途端、だ。視線の先に赤い液体がちらついた。


 掠めた、だけだろう。だが、少女は顔を顰めている。

 木から木へ、少女は身軽に立ち回っているが、その足場となる木がだんだん倒されて、遮蔽物がなくなった分だけ竜が楽に迫り、少女の対応が、遅れ始めているらしい――。


 このまま行くとどうなるか……知っている。ついさっき、見た。


 ――降ってくる腕を。その、断面を。

「………ッ、」


 フラッシュバックしたトラウマに、一鉄は歯を食いしばり――食いしばった拍子に、がちがちと脳裏を揺らす耳障りなBGMが消えた。


(また逃げるのか?また見捨てるのか?……その為に訓練してきたわけじゃないだろう、月宮一鉄!)


 無理やり、そう自分を奮い立たせ――一鉄は、横たわったまま、機関砲の銃口を戦場に向けた。


 伏射姿勢だ。機関砲にストックはない。だが、身にまとっているのは機械の鎧だ。その気になれば部分的にロックできる。


 目の前に投げ出した左腕――それをストック代わりに、一鉄は銃を構える。

 構えた銃口が揺れている――歯の音もまた合わず、一鉄の頭にがちがちと言うBGMが鳴り続ける。

 それを、振り払うように。


「まだ名前も聞いてないんだ!」


 その声と共に、一鉄は引き金を引いた。 

 どう姿勢を安定させても、声なんか上げては狙いはブレる。当然のように、その一社は何もない彼方へと飛び去って――同時に、鳴り響いた銃声が、一鉄に訓練を思い出させた。


 力まない。声を上げるなんてもってのほか。息は止める。余計なことは考えない。ただ、単純な動作を繰り返すだけ。


 訓練は積んでいる。そう、だから、一鉄はこんな大層な鎧を着ている。

 大きく深呼吸して――再び、一鉄はスコープを覗き込んだ。


 *


 銃声と共に弾丸が何もない方向へ飛んでいく――。

 それを視界の端に、――毒づく余裕は少女にはなかった。


 右から牙が後ろから尾がそれらを躱した先の竜を先手を打って短刀で一時的に無力化して――。


 半ば以上反射化した戦闘時の思考――その波の中にいながら、けれど普段なら決定されている戦術的な判断を、今宵は無視せざるを得ない。


 逃げるべき。そう、少女もわかっていた。いくら超人であろうと所詮近接武器で、鎧を着ているわけでもない。掠めただけで致命傷になりえるのだ。この数はさばき切れない。


 今は部隊の仲間もいない。火力支援は受けられない。けれど、臆病者を抱えている以上、今ここで少女が逃げ出してしまうわけには行かない。そうなれば、この胃があるのかすらわからない異形の怪物たちは、臆病な餌を肉塊に変えに行くだろう。


(話し掛けなければ良かった………)


 使えないとわかった時点で完全に見捨てていればこうはならなかった。妹が、双子の兄妹がいると聞かなければ、今踏ん張る気も起きなかった。帰ってこない寂しさを知らなければ………。


「………ッ、」

 さっき一瞬休んだだけで、夜通し戦闘だ。疲労もあるだろう。一瞬、集中力が途切れ、竜の群れの中の、踏み入るべきでない場所デッドスポットへと踏み込んでしまい……。


 気づいた時には、単眼が目の前にあった。

 牙が向き出され、よだれが――血の混じるそれが目の前に――


「あ、」


 ――齧る。なんの余韻もなく、そのただの原始的で無邪気で悪意のない殺意で、その大立ち回りはあっけなく終わりを迎える。



 ……それは、予測だ。現実ではない。

 銃声が響いた――同時に、少女の目の前で、竜の頭が、はじけ飛んだ。


 20ミリなんて、バカみたいな口径だ。それを受けた生命体が、無事で済むはずもない。


 潰れたトマトのようになった、頭の部分がそれにすげ代わった竜が、目の前で倒れていく――。


 それを見送る間もなく、少女は我に返り、また、跳ね上がった――。

 また、銃声が響く。すると、視界の隅で、正確に、竜の頭が一つ、はじけ飛ぶ。


 ………念願の火力支援だ。臆病者と切って捨てていたが……完全に無能ではなかったらしい。これなら、少女は、注意を引きつけているだけで良い――。


「頑張るんだ、お兄ちゃん……」


 一瞬だけ、小さな笑みを浮かべ――、スコープを覗いている臆病者を遠目に、少女はさっきまでの大立ち回りを止めて、安全に、ただ竜の注意を引き続けた――。


 *


 その臆病者は、臆病者だと自分を知らないままに、訓練校を首席で卒業している。中でも静止射撃は別格だった。


 月宮一鉄は、真面目だった。真面目に、訓練を受けていた。単純な人格で、単純な反復に飽きない。熱中した訳ではない。ただ、誰よりもどこまでも真面目だっただけだ。


 才能は関係ない。反復練習だけが、最高の狙撃手を育てる。

 何も、何も考えない。最低限、反復した通り、敵の位置と味方の位置だけを考えて、着弾位置を補正して。


 目の前は開けている。だが、その周囲にはまだ木が多くある。強風、にはならないだろう。風向きは木を見ればわかる。動体目標への偏差も訓練で慣れるまで撃った。訓練と同じように、撃って、撃って、撃って………。


 臆病さすらも忘れて、単純で真面目な男は、ただ、訓練通りの単純作業を繰り返した――。


 *


 終わってみれば、それはあっけない戦闘だった。

 掠めた傷、それを気にして、それから、少女は月を見上げる。


 月明りに照らされるその周囲には、汚らしい潰れたトマトが、幾つも散乱していた。

 果実を籠ごと放り捨てて、一個一個丹念に踏みつぶしたようだ。


 一鉄の射撃は、異様なほど正確だった。

 無駄撃ちが一切なく、最初の一発を除いて全て正確無比に、竜の頭を吹き飛ばしていた。


 少女のいる部隊、その射撃要員にも、これほどの精度を誇る狙撃手はいないだろう。それがあの鎧の力なのか、その中身の訓練の賜物なのか、それはわからない。


 が、………もう、アレをいらないと切って捨てることは少女には出来なかった。

 少女は周囲を見回す。同時に、少女自身の異能で、周囲を探査する。


 竜は、いない。この一帯は制圧した。スコアで言ったらほとんど、一鉄の功績だ。あの、妙な鎧の。


「……そういえば、顔、見てない」


 そんな風に呟いて、少女は息を吐いて、太刀を納め、丘の上に横たわる鎧を見上げた。

 そして、


 *


 スコープの向こうで、少女が手を振ってきている。

 それを眺め、手の動きに合わせてミリ単位で銃口を動かし――。


「………はッ!?」


 一鉄は我に返った。恐怖を忘れる為に単純作業に没頭して――恐ろしい過ちを犯すところだった。

 我に返り――今更、歯の音がまた鳴り始め……けれど確かに、一鉄も少女も生きていて、レーダーはクリーン。


「俺は……やれたのか?」


 そう呟き、一鉄は大きく息を吐く――。

 もう、ただの臆病者ではなくなった。そうだ。逃げた末、援護射撃だけとはいえ、初陣は越えたのだ。まったく役に立たない兵士、ではない。安堵と疲労で脱力し、それから、一鉄はまた少女に視線を向ける。


 まだ、手を振ってきている。少し拗ねた様子にも見える。手を振り返すまで振っているのか。


 あの子は、意外と――いや、見た目通りではあるが、子供っぽいところがあるのかもしれない。そんなことを思って、一鉄は手を振り返そうとして――。






 ――そこは、まだ戦場だった。


 視線の先に赤い雫が写る。少女の、身体が、宙に浮いている。その、腹の部分から、何かが、。それが何かは、わからない。


 見えないのだ。見えない何かに、赤い、赤い液体が纏わりついて――その輪郭が月夜に浮かぶ。


 尾、だ。竜の、尾。それと全く同じ形状。そこいらでトマトになっているそれより、一回り大きい、尾。

 それに、少女が、貫かれている――。

 レーダーには未だ何も映っていない。けれど、確かに、少女の真横に、竜がいた。


 透明に、背後の景色を映しているような、擬態したような、その体が、色を持ち始める。


 黄色のような、緑のような、青のような。気色悪いてらてらした鱗に、液体に覆われた身体。普通の竜より一回り大きい、身体。その単眼が、貫いた獲物を眺め、嗤うように口角が上がり、そのねばつく大口が宙づりの少女へ――。


「うああああああああああああああッ!?」


 恐怖なのか、怒りなのか。訳が分からない感情の咆哮を上げ、一鉄はトリガーを引いた。


 轟いた銃声、激情にブレた弾丸は、その竜の急所、頭部からは大きく外れ、その竜の翼、右の爪を吹き飛ばす。


 あの竜は、悲鳴でも上げたのか。苦悶に大気を揺らし、尾を大きく振って、てらてらした竜は逃げ出し、逃げると同時にその姿が景色に溶け込むように消え去った。


 てんてんと、竜の血が跡に残っている――。

 一鉄は、そちらを見なかった。逃げた拍子に飛ばされた、そんな、真っ赤な軌跡がやけに目に付く、ついさっきまで手を振っていたはずの――。


 何も考えられない。ただ、一鉄は駆け出した。


 *


 少女は、思い出していた。


 少女が弟と呼ぶ相手。

 少女を妹と呼ぶ相手。

 少女より成長が早く、少女より先に戦場に行った相手。


 揺られている。誰かに抱えられている。熱を出して寝込んだ時、二人きりの親類は、こうやって――


 朧な意識で、少女は手を伸ばす。指先に触れた感触が、硬く、冷たい。

 それで、少女は気づいた。今は、夢の中じゃない。悪夢の中ではあるけれど……。


「合流できれば、まだ………クソ、」


 少女を抱えて、鎧が走っている。林の中だ。月夜が霞んでいるのは、曇っているからか、それともこの、おなかが熱くて寒いせいで、目が霞んでいるのか。


 ――私が、失敗した。油断した私が悪い。

 その声は、はっきり発音できたのだろうか。鎧は応える。


「待ってろ、医官を――どこかにきっと……」


 そう言っている鎧の、一鉄の表情はわからない。顔もわからない。ついさっき会ったばかりだ。名前しか知らない。後は、双子の妹がいる事しか、わからない。後悔するときはいつも遅い。喧嘩したまま弟を見送った時も。


 ――もうちょっと、話せればよかった。

 それも、もしかしたら、発音できなかったのだろうか。酷く、血の味がする。

 それでも、鎧が視線を向けた。それを前に、少女は、最後の力を振り絞るように。


 *


「おと…うと。かた、み………」


 腕の中で、そう言いながら、少女は短刀を一鉄へと差し出してくる。

 投げていたモノとは、別だ。無機質で、金色の鍔に、漆の鞘の、脇差し。


 その脇差しごと、少女の手を取りながら、足を止めないまま、一鉄は言う。


「形見……?渡せって事か……そんなの、自分で、」


 一鉄の声が揺れていたからだろうか。少女は、疲れたように微笑んで、その唇から血が零れ落ちる……。


 もう、間に合わない。間に合わないことは、一鉄にもわかっていた。重症、どころの騒ぎではない。抱えている一鉄は、鎧は真っ赤に染まっている。


 そもそも味方の場所がわからないからこういう事になったのだ。助けを探すことは不可能だろう。だとしても、一鉄は止まらず………そんな一鉄へ、声が投げられた。


「……か、お………」


 もう、発音できていない。顔、と言った、のか。

 ………出会ってからずっと、一鉄は鎧を着たままだった。顔を見せていない。


 どこかに、諦めがあったのかもしれない。一鉄は歩みを止めて、鎧の頭の部分を、開いた。


 外気が頬に当る。単発で、生真面目な、青年の顔。涙にぬれてぐちゃぐちゃになっているその顔。


 それを前に――少女は、目を細める。見えない、とでも言いたげに。

 彼女の瞳が、その焦点が、あっていない。多分、もう、目が……。


 けれど、少女は――多分の力で、微笑んで。


「かえ……、……て?……おにい、ちゃ………」


 何を言おうとしていたのか、わからなかった。わからないまま、それでも一鉄は頷き。


 少女の――嫌に冷たい手が、一鉄の頬を撫で――力なく、垂らされた。


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