2 場の女神/ほんの一時もなく

 ヒトではない種族には、特異な――異能と呼ばれる能力がある。一般にオニが持っている能力、呪力は、身に触れている道具の威力や強度を強化する、と言うモノだ。


 だが、稀に、それ以外の能力を得る者がいる。一族として遺伝する、物見の力。振り向かずに後ろが見える。木や壁の向こうでもそこに何がいるかわかる。そう言う、第6感のような能力で――この種別の異能は、ヒト以外であれば種別問わず現れるらしい。


 FPAについているレーダー、それの異能。


 それを生まれ持っていた少女は、だから、振り向かず周囲の状況がわかる。


 夜の木陰。周囲に竜の気配はない。今は、気を抜いて良い状況。だが、面倒な状況であることに違いはない。なんせ、背後にぴったりついてきている奴がいるのだ。


「はぁ……」

 少女は嘆息した。少女にとって、今の状況は単純にして不可解だ。


 竜がいた。

 だから切った。

 そしたら鎧がついてくるようになった。


「…………」


 オニの少女は不満だった。正直、不気味でもある。

 なんせ、待ってくれとついてきた割に、その鎧、何も言わないのである。


「…………?」

「……………」


 立ち止まって振り向いてみると、その鎧も立ち止まる。だが、何も言わない。

 歩き出すとやっぱりついてくる。


(……変なのに懐かれた)


 悩みが増えたような気がする、と少女は小さくため息を吐いた。

 一応、少女にもあらかた状況がつかめてはいる。


 ヒトとオニとの共同作戦。少女も、そこへと足を運んだ兵士の一人だ。集結地点でヒト――帝国軍の到着を待っている途中、竜からの奇襲を受け、オニは応戦。


 その際……少女は深追いしすぎたのだ。前線に出過ぎて部隊とはぐれてしまった。

 状況を見る限り、この鎧――帝国軍兵士も、似たような状況だろう。もっとも、近づいても硝煙の匂いがしなければ、血の匂いもしない。碌に戦いもせず部隊とはぐれた腰抜けか、もしくは脱走兵あたりか。


 共同作戦をする予定であった以上、友軍は友軍。

 だが、状況からすれば、少なくとも戦力として数えられそうな奴ではない。


 要するに、いらない。足手まとい。鬱陶しい、と、ずっとついてくる帝国軍兵士を少女は睨み、ようやく口を開いた。


「……なに?」

「はッ!自分は、月宮一鉄少尉であります!」

「……聞いてない。うるさい」

「はッ!申し訳ありません!」


 威勢ばかり良い帝国軍兵士を背に、少女は、またため息を吐いた。


 *


(可憐な声だ………)


 一鉄は、目の前でため息を吐くオニの少女を見下ろして、胸中でそう呟いた。

 と、思えば一鉄はすぐに頭を振って煩悩を締め出す。


(いや。今はそんな場合ではない。……まだ、ここは交戦区域の中だ。ついて行けばオニの部隊と合流できると思ったが……この様子では、この子もはぐれたのか)


 はぐれた、と言う自分の思考に、一鉄は肩を落とした。

 一鉄ははぐれたわけではない。逃げ出したのだ。未だ、竜を一匹も倒せていない。何の手柄もなくただ助けられただけの脱走兵、である。


 敵前逃亡は重罪だ。最悪、銃殺もあり得る。結局、戻れば拾った命をそのまま捨てる事にもなりかねない。が………。


(仕出かしたことの責任は取らなくては。………そうだ、言える間に)

「あの、……今更になりますが、救って頂きありがとうございます!この月宮一鉄、この恩を忘れず………?」


 そこで、一鉄はまた、首を傾げた。

 いつの間にやら……ぴったり後を追っていたはずの少女の背中が、目の前から消えていたのだ。


 周囲を見渡してみるも、あるのは木々とその影ばかり。おいて行かれてしまったらしい。


 一人になって、影を見回し――途端、一鉄の歯の根が合わなくなった。

 木々の影、その向こうに、いる気がする。気色の悪い単眼が――血に濡れた尾が、爪が、牙が………。


 ――目の前に落ちてくる腕が、フラッシュバックする。


「あ……う………落ち着け、落ち着け………そうだ、レーダーを……」


 自分にそう言い聞かせ、一鉄は視界の端のレーダーマップに視線を向ける。

 敵を示す赤い光点はない。だが、反応がない訳ではない――先ほどの少女の反応だろう。


「…………」


 安堵の息を漏らして、臆病な兵隊は、その明かりの元へと枝をへし折って駆け出した。


 *


 林の切れ目。小高い丘になっている、その根元。穴、と言う程深くはないが、少なくとも壁も屋根もあるそんな浅い洞穴を背に、少女は近くに落ちていた岩に腰かけ頬杖を付き、眺めた。枝を体に生やしながら、急いで駆け寄ってくる鎧を。


(……やっぱり、ダメ。使えない)


 少女はそう判断を下した。戦力にならない、どころか、本当に兵士なのか疑わしいほどのお粗末さだ。


 枝を折って音が鳴る。痕跡が残る。そう言う事を考える頭はヒトにはないのだろうか?少なくとも目の前の鎧にはありそうもない。


 少女の元へ一目散に駆けて来て、中で息でも切らしたのか肩を上下させ……と、思えば、その鎧はいきなり敬礼してきた。


「ああ、良かった……。あ、えっと……今更になりますが、」

「ねえ、」


 何か言いたそうな鎧の言葉を、少女は一言で遮った。そして、敬礼を止めた鎧を睨むように眺めながら、少女は問いかける。


「……なんで一人なの?仲間は?」

「……………」


 鎧は、硬直していた。この様子では、索敵に出てはぐれた、でもないのだろう。友軍の場所を知っているわけでもない。と、思案する少女を前に、漸く、鎧は口を開いた。


「じ、自分は……その……作戦行動中に竜の襲撃に遭い、それで……その、混乱の折に部隊とはぐれ………そこを、」

「そう。わかった。もう良い」

「……………」


 鎧は肩を落としている。はぐれた、のか、逃げた、のか。どっちでも構わない。どっちにしろ使える人材だとは思えない。なら、使える装置として利用しよう。


 レーダーはあるはずだ。少女が持つ力と、同じ能力の装置。そこだけは、信用できる。臆病なら、気を抜き過ぎもしないだろう。

 そう考えて、少女は立ち上がった。それから、言う。


「……私は一旦休む。索敵と警戒を」


 それだけを言い捨てて、少女は鎧に背を向けて、一人、浅い洞穴へと入り込んだ。


 *


 その洞穴の傍。頭上には月明り。広まっているのは、静寂だ。

 静寂の最中、身じろぎ一つ響かない静かな洞穴を背後に、鎧は一人、座り込んでいた。


(疲れたのだろうか……あれだけの大立ち回りをすれば、確かに。おっと、寝所を覗き込むのは良くないな)


 一鉄は洞穴に背を向けて、何の動きもないレーダーを眺めた。そこに反応がない限り、周囲は安全なはずだ。それを眺めながら、一鉄は軽い後悔を覚えた。


(……逃げた、と伝えるべきだったか。俺はいらん見栄を……いや、後で良い。後で謝ろう。今は、レーダーを……)


 嘘までついて、まったく役に立てていないが、見張りぐらいでは役に立とう。

 そう決め、一鉄はレーダーを眺め続け…………。


 どれほど経ったのだろうか。そのうちに、一鉄は思い出した。


(そういえば、手紙が………)


 妹からの手紙がある。持ってきている。読んでも良いかもしれない。油断するな、と怒られてしまうかもしれないが……つい数時間前に、自分は死にかけたのだ。読む機会がなくなるよりはずっと良い。


 寝息が聞こえて、レーダーがあって、少し、安心したのかもしれない。

 一鉄は一旦鎧を脱ぎ、手紙を取り出し――と思えば、「いや、索敵はしなくては……」とかどこか律義に呟きながら、また、鎧を着込んだ。


 そして、レーダーを視界の端に、モニターの中心に手紙を捉え、また、そこらに座り込む。


 月明りでも読めないことはない。FPAのセンサーあってのモノだが。

 それでも、なんだか、漸く一心地吐いたように、一鉄は妹からの何気ない、ただ身を案じているだけのそれを読み始め………。


 その内に、不意に問いが投げられた。


「……恋人から?」

「え?」


 そう、声を上げて、一鉄は振り返る。振り返った先では、オニの少女が身を起こして、一鉄に視線を向けていた。


「い、いえ。……その、妹からです。双子で、………ここに来る前は、こんなものと思っていたんですが……読めるうちに読んでおこうと、思いまして」


 言う必要もないことを言っている、と一鉄は俯き………そこで、少女は声を投げてきた。


「双子?……私も、弟が。……双子」

「え?……そうなんですか?」

「うん」


 それで、会話は終わってしまった。


(……俺としたことが。せっかく食いついてくれたのに、なんて味気ない返事を……。いや、そんな事を言っている場合ではないか……)


 色恋にうつつを抜かして良いような状況でも、そんな立場でもない。

 仲間を見捨てて逃げ出した逃亡兵。それが、一鉄だ。


 そんな事を思い出して、心なし肩を落とした一鉄に、少女が再び問いを投げて来た。


「名前、なんだっけ?」

「え?双葉、です」

「ふたば?………女みたいな名前」

「はい?……ああいえ、えっと、自分は、月宮一鉄で、妹が双葉で……」


 なんだかかみ合わない。というより、話すだけで一鉄が緊張しているのかもしれない。

 そんな一鉄を眺めながら、少女は、どこか呆れたように息を吐いた。それから、言う。


「そう。一鉄。……帰ってあげなきゃだめだよ。多分、凄く、寂しいから」


 どこか遠くを見るような雰囲気で、少女は呟き、身を起こす。そして、洞穴を出て、一鉄の方へと歩み寄ってきた。


「は、はい。………あの、そうだ。貴方の名前を、」

「………後で」


 そう呟いて――一鉄の真横で、林を睨みながら、少女は、太刀を引き抜いた。

 それで、一瞬遅れて、一鉄はレーダーに視線を向ける。


 ほんの一瞬だろう。目を離したのは、本当に一瞬だけのはずだ。だと言うのに、その一瞬の間に、レーダーに、赤い点が現れ始めている――。


 竜が、来たのだ。

 一鉄は、歯の根が合わなくなった………。

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