2章  旗色に影、無垢に興味、臆病者に知恵と度胸

1 枷に淀む旗頭/信頼の対価

 ………あまりにも、怪我人が多すぎる。


 扇奈の不機嫌……イヤ、不機嫌では済まない、焦りの理由はそれだった。


 竜から奇襲を受けた。散り散りになったオニの部隊を数日掛けてかき集めた。

 その結果、集まったのは200人余り。この戦場にやってきたオニの役半数だ。


 半分も生き残ったのは上々。そう言えるほどの奇襲だった。その生存者を、扇奈は喜びたかった。喜んでもいた。俯瞰して、諸々思案し出すまでは。


 一人の重傷者を介護するのに、一人。一人つけるとする。それで満足な人数とは到底行かないことは扇奈も知っている。けれど、ここは戦場だ。一人に一人つけても大分甘い好待遇だ。護衛兼補助兼介助役として、一人に一人つけるとする。


 すると、………ざっと、100人は足りない。それだけでなく、重傷者以外にも、戦線に加われないだろう負傷者はいる。今、満足に戦えるのは、おそらく扇奈含めて30人程。それもほとんど前衛役ばかり。後列、狙撃役はもう、いていないようなモノだ。


 対して、負傷者は170。


 生きている分物資が必要になる。食料が必要になる。医薬品も必要になる。この負傷者の群れが後何日生き延びられるのか……考えたくない。


 仮に生き延びたとして。170を30で護衛して竜のただなかから逃げ延びるのはまず不可能だ。完全に進退窮まっている。


 そして、そんな状況下で、だ。もう、どうしようもないほどに負傷兵ばかりの軍隊のただ中で、だ。


 一縷の望みを掛けて、索敵に出した部下は言うのだ。


「姐さん。黄麻の旦那を見つけました。……正確に言うと、らしき何か、っすけど」


 その言葉を聞いた瞬間に…………扇奈はその、もう部隊として完全に死んでいるその場所の、総責任者になった。


「……あたしが、全部背負うのか?これを……?」


 扇奈は、利口だ。武人としても一級品で、だからこの状況があまりにも明確に理解できてしまう。

 決断を下すべき、いや、下さなくてはいけない立場に扇奈はなった。


 ……切り捨てるべきだ。170人切り捨てて、30人生き延びる。それなら、可能だ。

 戦えないまま戦場にいる以上……そいつらはもう邪魔なのだ。……生きているだけ邪魔。竜の巣に置いて行ってしまうくらいなら………。


 それが利口だと、扇奈は心得ている。

 利口だから、その行動に対する正当性を理解できる。


 理解できるから……扇奈は自分が嫌になっている。

 どこまでも、……どこまでも情に厚い、甘い女なのだ。今何よりも、せっかく生き延びてくれた味方を殺す発想を持ってしまう自分が、嫌で嫌でたまらない。


 ほかの誰よりも、苛立ちの矛先が自分に向いている。それが不機嫌さの理由だった。


「………ッ、」


 扇奈は、頭を抱えた。普段見せている気丈さすら演じきれないように、露骨に。


 今、怪我をした部下が笑っている。重傷者程、笑っている。皆、覚悟を決めて戦場に来た。わかっているのかもしれない。


 わかって笑っている部下を殺さざるを得ないのか………。


 扇奈は、考え込む。

 答えは、知っている。ほかにどうしようもないと。


 けれど、その答えを出せない。

 こうやって、……迷ったフリで自分を慰めている間も、そこらで竜が動いているだろう。時間が掛かるだけ致命的になる。敵の動きも……物資も、何もかも。


 わかってはいても………。

 と、頭を抱え続ける扇奈の耳に、不意に、威勢の良い声が聞こえた。


「頭領!」


 扇奈は、僅かに殺気立った視線を上げる。

 声を投げてきた相手は、その扇奈の表情に、僅かに、おびえたように、足取りが遅くなった。


 ヒト、だ。………さっき拾った鎧の中身だろう。生真面目そうな、若い軍人。

 この男の事を……イヤ、帝国軍の事を、信用できない。


 帝国が、ちゃんと取り決め通りの時間を守って合流していれば、こうはならなかったかもしれないのだ。仲間のふりをしている敵や無能程恐ろしいモノはない。


 勿論、逆恨みであることは自覚している。けれど、今の扇奈に、手放しで歓迎してやれるほどの余裕も気概もない。


「なんだい?」


 もはや苛立ちに任せるように、棘が強すぎる声で、扇奈はぶっきらぼうに言った。

 それを前に、その帝国軍兵士は威圧されたように言葉を飲み………けれど、それも一瞬で、すぐに……どこか扇奈に頼るような様子で、言う。


「実は、まずい状況でして……前回より、怪我人が多いんです」

「前回?」


 思い切り、扇奈は眉根を寄せる。

 この帝国軍兵士、あまりに言動が怪しすぎる。


 そもそも、だ。黄麻が死んだ、と扇奈が聞かされる前に、このガキは扇奈の事を頭領と呼んでいた。鈴音から聞いていたとすれば別の言い方になるだろう。頭領、と、この場の、オニのトップだと言い切るとは思えない。


 扇奈は、あくまで副官だ。いや、副官だった。


 一鉄の後を、鈴音が駆けてくる。鈴音は、扇奈の顔を見て露骨に怯えたようだ。

 相当、殺気だった顔をしてしまっているのだろう。それがわかっても改める程の余裕はなく、そして……結構図太いのか、帝国の兵士はひるまず言葉を継いできた。


「は。何と言いましょう……自分は、これが2度目なんです。この戦場が。その、おそらく時間を遡りまして………」


 何を言っているのか理解できない。また苛立った扇奈を前に、帝国の兵士は続ける。


「前回、おそらく、知性体が学んだんです。生かして、負傷兵にした方がこちらには厳しいと。だから、これは、まずい状況で……頭領。どうしたら良いでしょうか?」


 訳の分からないことを言った末、このガキも丸投げだ。戦場で狂ったのだろうか?

 どことなく、やけになったような風情で、扇奈は吐き捨てた。


「……たわごとを聞いてる余裕はないんだよ」


 その言葉に、帝国の兵士が硬直する。硬直した帝国の兵士をあからさまに睨みつけながら……扇奈は続けた。


「どうしたら良いかって?あんたの頭ン中の事情だろ?何でもかんでもあたしにかぶせんじゃないよ。ちょっとはてめえで考えな」

「……姐さん。らしくないっすよ」


 言った瞬間、耳元で部下がそう囁いてきた。その声にも、扇奈はいらだつばかりだ。


「チッ………」


 らしくないことは、わかっている。扇奈にも自覚がある。自覚があるから尚、苛立ってしまう。


 と、そんな扇奈を前に………一徹は、うんうんと頷き、何やら呟いていた。


「……確かに。そうか。自分で考えなくては……対抗できる可能性があるのも、今の所俺だけ……」


 扇奈には、その、帝国軍兵士の言っていることが何一つ理解できなかった。

 竜に襲われた恐怖で妄言に憑りつかれた兵士。そうとしか見えない。それが、あたしの時間を奪っている。


 らしくない。あまりにも、らしくない。あるいは、ヒステリーでも起こしそうになっているのか。そう、自覚して、……扇奈は自分を嗤う。


 殺気だった、では済まない。そんな雰囲気でも出てしまったのかもしれない。


 不意に、だ。どこか、そう……庇うように、鈴音が進み出て、帝国の兵士を背に、扇奈を見た。


「姐さん。あの、話、あります」


 どことなく舌足らずなのは………怯えているからだろう。

 何に、いや、誰に怯えているのかは、扇奈にもわかっている。


 扇奈の懐刀に扇奈がいたら、おそらく扇奈をひっぱたいていただろう。……なるほど、副官は楽な立場だ。カッコつける余裕がある。


 そんな、どこかふざけたような、明確な自嘲の末に……扇奈は一つ息を吐いて、言った。


「………言いな」


 未だ殺気立っている扇奈を前に、鈴音は唇を舐めて、緊張した面持ちで、言った。


「……これは信用できません。怪しい奴です。諜報員かもしれない」

「え?」


 と、間抜けに呟いているのは帝国軍兵士だ。それをチラリとみて、鈴音は続ける。


「……でも、諜報員だと考えると間抜けすぎる気がする」

「間抜け、ですか…………」


 なんともまあ、示し合わせたように、鈴音が評した通りのやり取りだ。

 ニヒルに睨みつける扇奈の前で、鈴音は、つづけた。


「だから、本当に時間を遡ったのかもしれない。姐さん、前言ってた。瞬間移動する奴と戦ったって。時間を遡る奴もいるかもしれない。それに、一鉄が巻き込まれたのかもしれない。……です。でも、確証はないです。だから、信用できない」

「…………」


 扇奈は、思案した。

 瞬間移動できる知性体。それは、確かに扇奈も知っている。だから、時間を遡れる奴がいてもおかしくない。……などとつながるわけもない。


 だが………知性体が何をしてくるかわからない、と言うのは、知っている話だ。

 この部隊は負傷者が多すぎる。止めを刺さずに竜が去った……そう証言する奴もいる。


 竜が妙な動きをする時は、十中八九知性体がいる時だ。

 そして、わかって負傷兵を押し付けてきているなら、よほど対人での軍略経験が豊富なのだろう。あるいは対面が甘い指揮官だったか。


 甘い指揮官なら……扇奈は知っている。遂数分前に部下に言われて誕生したばかりの、甘すぎて首つりたくなってる女なら。


 鈴音は……若いオニの少女は、どこか挑むように、まっすぐ扇奈を見ながら言う。


「でも、参考になる話はしてた。姿を消せる知性体がいる。それを知ってたから、私は生きてる。ここに合流できたのも、これが言った方向に進んだから。だから、参考になる情報はもってると思う」


 そう、言って、どこか大胆に挑戦的に一歩踏み出して……割に若干うんざりしたような調子で背後を見て……それから、鈴音はこう言い切った。


「……これの面倒は私が見る。拾ったし」


 扇奈は、鈴音を眺めた。

 似たようなやり取りをしたことがあるかもしれない。いや、こんな感じではなかった。


 ……鈴音のような立場に、扇奈が立っていたことがある。そして、その時頭領だった爺は……言いたくないが今の扇奈よりはるかに強かだったんだろう。わかった上で泳がせていたのだ。何もかもを。


 泳がされていたから、扇奈は自由に、カッコつけていられた。

 親になって、親の気持ちを知る……あるいはそんな気分なのかもしれない。


 目の前に、帝国の兵士とオニの少女がいる。帝国の兵士が何か、ずれたことを言って、どこか鬱陶しがるようにオニの少女が睨んでいる。


 二人とも、ここがまだ戦場だという自覚はあるはずだ。だが、同時に、……若いのだ。それが分かった。


 不意に………肩の力が抜けたように、いや、肩の力を抜こうとでもするように、扇奈は大きく息を吐いた。同時に、殺気だったような雰囲気も、消える。


 鈴音はまだ緊張した様子で、帝国軍の兵士の方は……どことなく鯱張るように、背筋を伸ばしている。そんな、帝国軍の兵士を見上げて……、それから、扇奈は言った。


「あんた……、なんて言ったっけ?もう一回名乗りな」

「ハッ!月宮一鉄少尉であります!」

「一鉄、か………」


 そう、呟いて……それから、扇奈は片手を差し出した。

 握手、だ。それを前に、一鉄は僅かに戸惑い……だが、握手を返してくる。


 握手を交わしながら、扇奈は言った。


「一鉄。……悪いけど、あんたの話を信用する気はない。けど、情報があるなら、利用させてもらうよ」

「はッ!光栄であります!」


 扇奈は真面目に話している。一鉄も、だ。だと言うのに微妙にかみ合わない。

 その様子に、呆れと安堵が混じったようなため息を吐いたのは、鈴音だった。


 ……いろいろと事情は違うだろうが、気持ちはわからないでもない。鈴音は、一鉄の面倒を見てやる気なんだろう。

 そんなことを思って、視線を鈴音に向け………


「鈴音。あんたのことは、宛にするよ。働きな」

「うん。……じゃなくて、はい!」


 一鉄に影響されでもしたのか、鈴音は背筋を伸ばしていた。

 それを横目に、扇奈はようやく、本心から呆れの混じった微笑みを零し、元の大木に腰かけ、頬杖を付き、若い二人を見上げて、言った。


「全部話しな。……聞くだけ聞いたげるよ」

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