4 最期の一太刀/凛と鈴の音のように
ずっと、戦争が続いてるのだから、別に、よくある話だ。
両親の事は、あんまり覚えていない。
同年代の子たちとまとめて育てられた。それでも、多分、双子の片割れがいたのだから、その子供たちの中では、幸運な方だったのだろう。
剣術と礼儀作法。そんなモノを教わりながら、育った。
鈴音は要領が良かった。弟はそうでもなかった。元の気性がマイペース、と言うか、自分勝手ではあったけれど、鈴音の方がよりそれが強かった。鈴音は、目上の人の顔色を伺える。弟はそう言うのあんまりなかった。
最初は、何もかも、鈴音が上だった。剣術とか、かけっことか、単純に腕力とか。
気付いたら逆になっていた。
男女の差があって、成長にも差があるのだから、別に、よくある話だ。
それまで後ろを気に掛けていたはずなのに、気付いたら背中を見ている。
そして弟だと思っていた者が兄のような気もしてくる。追いかけるようになる。追いかけるのが嫌になってくる。
弟なのか兄なのか、とにかく片割れが道を決めた時に、別の道に進もうと思ったのは、そういう事だろう。
双子だと色々比べられやすい。別に、よくある話。
そうして、物心ついてからずっと一緒にいたのに、気付くとずっと会っていない。手紙でも書いてみようかと、ふと、思った。よくある話。
そして、ある日、その手紙がそのまま帰ってきて、知らされる。もう、会えないと。………よくある話だ。
そのよくある話の後。鈴音は、弟の後を……兄の後を追いかけるように、戦場へと向かった。
仇討ちなのだろうか。後追いなのだろうか。
………多分、その両方だ。その両方だから、別に、鈴音は、死んでも良いような気分だった。別に、怖くなかった。怖くなかったのに……。
*
ゆっくりと、鈴音は瞼を押し上げた。朦朧とする。すぐ傍、そこら中で鳴り響いている騒ぎ、銃声と叫びが酷く遠く、耳慣れた狂ったセミの声が頭の中をぐるぐるぐるぐる……。
テント、だ。医療テント。テントの中に騒がしさはない。ただ、眠るような静けさがあるだけだ。オニが、いない訳ではない。ただ、皆、動けない程に深く傷ついて、ただテントの中で震え続けている、だけ。
ぼんやりと……思考もないにないままに、鈴音は身を起こした。途端、
「う………、」
強烈な痛みが身体を走り抜けた。
その痛みがある瞬間だけ、思考が、意識が鋭く戻る。
撃たれたのだ。ヒトに。治療はされているが、騒ぎの中で時間がなかったからか、おそらく、包帯を巻いただけ。軽く血止めをしただけ。弾はまだ体の中に残っているのか、それとも貫通したのか。
包帯は腹部に巻かれている。はだけた上着の影に、それが見えた。その包帯を、探り、傷の位置を探り………探り当てた痛みに思い切り顔を顰める。
「………ぐ、……」
昔、少し、勉強したから、わかる。奇跡的に内蔵は無事だった、……なんてことにはなっていない。まともな治療を受けずに永らえるのは無理だろう。手術を受ければ、可能性は残る。けれど、手術を受けられる余裕は、この部隊にはないだろう。どう転んでも、もう………。
痛みと同時に思考が、意識が遠ざかっていく………。
すぐそばに、置かれているものがあった。鈴音の太刀と……鈴音の血でぬれてしまった、手紙。
一鉄の、妹が……双子の片割れが、一鉄に充てた、手紙。
何とはなしに手を伸ばす。手を伸ばした拍子に痛みが走る。痛んだ拍子に意識が、思考が戻る。
(なんで、こんなの………)
一鉄は鈴音に渡したのか。
鈴音は受け取ってしまったのか。
こんなもの渡されてどうしろと言うのか。
鈴音は、知っている。その手紙に付随するあれこれは全て、酷く、酷く寂しいだけだと。
返事が欲しくて手紙を書いた訳ではない。どうせ喧嘩をする羽目になるのだから、別に顔も合わせなくて良い。元気ならそれで良かった。
「……ッ、」
鈴音は、手を伸ばし、手紙を乗り越えてその向こうの、太刀を握りしめた。
そして、それを杖のように、身を起こす。立ち上がる。
油汗が身体中から噴き出る。痛みは動くごとに遠ざかり、意識もそれと同時に遠ざかり、とどめる為に、鈴音は自分の傷を叩く。
「……グ、ああ………」
太刀を杖に、這うように、医療テントの出口へと向かう。
重傷者たちの視線が、鈴音へと向かう。何をしているのか。そんなもう死んでいるような躰で一体何をしようと言うのか。
(……知らない、)
どうせもう助からないから、最後に一つ、働きたい。の、だろうか。
それとも、強がりだろうか。怖くないと強がった延長線上の、傍からすれば勇敢に見える行動の、気性の、延長線上なのだろうか。
それとも………。
テントを後にする。途端――熱気が鈴音の身体を叩きつけた。
戦場、だ。戦争、だ。
銃声が響き渡る。鎧が、太刀を持ったオニが戦場を駆けまわり、痛々しい包帯を体に巻いたオニが、銃を手に、怪物へと抗っている。
戦えない者は、周囲に寝ころんでいる。その周りにも竜の死骸がある。突破された、野だろうか。今、起きたから、わからない。
わからないまま、鈴音は周囲を見回す。
そして、見つける。
赤い紋章のついた鎧。“夜汰鴉”。月宮一鉄。
鈴音には気が付いていないらしい。竜を撃ち殺すのに忙しそうだ。立派な兵士、の枠を超えた働きをしているのかもしれない。
最初に見た時はどう見ても腰抜けだった。その次は、色ボケ。びっくりした。正直引いた。そして、下に見た。面倒を見ようとした。結果的に、面倒をみられるようになった。それに、鈴音は、反発した。私は、私がお姉ちゃんだと思う。
(なんて、学習能力のない……)
朦朧と、ぼんやりと、鈴音は太刀に縋りつくように、崩れて、その場で膝をついた。
元気ならそれで良い。帰って上げて。寂しいだろうから。
何所か他人ごとのように、朦朧とした頭はそんなことを思う。もう長くない小さな身体は、ただ眺めて、それで満足したように……。
(…………?)
見間違いだろうか。視界の端で、一鉄の横で、不思議な現象を鈴音は見た。
何か、箱みたいな奴。多分、弾奏だろう。一鉄の近くに散らばっている、一鉄の背後にあるそれが、一つ、何か、とても重い物に踏まれたかのように……ひしゃげて潰れた。
見間違い、ではないだろう。一鉄の背中が、何か、見えないが確かになにかがいるかのように、歪んで見える。
それが何か、鈴音は、知っている。
それに、鈴音は殺されかけたことがある。あるいは、それに殺されたこともあるのだろうか?一鉄が前世と言っていたその世界で。
そして、その、姿の見えない何かが、今、一鉄の背後にいる。
……一仕事、出来るかもしれない。しなければいけない。
もしかしたら、一鉄はここで死んでも、次があるのかもしれない。これが前世になるのかもしれない。
けれど、鈴音にとっては、人生は、この一度きりだ。
深く息を吸う。深く息を吐く。それだけで腹部の痛みが軋む。それで良い。それが良い。痛みがあるからこそ、まだ、鈴音の躰は生きている。まだ、動ける………。
決死だ。死力だ。どちらにしろもう、鈴音に続きはない。
――この一瞬だけ。
鈴音の動きは、鋭く、素早く、迷いも何もありはしなかった。
駆け出す。血でぬかるんだ地面を駆け抜け、駆け抜けながら鞘のままの太刀を腰に。
切るべき相手の姿は見えない。第6感のような、レーダーのような異能でも、捕らえきれない。けれど、絶対にそこにいる――。
鈴音は、目を閉じた。目よりも、その、生まれ持った第6感に頼る。
確かに、不意打ちでは、その知性体に対応できない。出来なかった。けれど、いるとわかっているのなら………。
もうほとんど死んでいるような、その体の感覚は、異常に、鋭敏だったのだろう。
空気の流れが、
その、流れの中。淀みがあった。すべてが感じ取れるはずだと言うのに、その一点だけ、何も視えない、シルエットのような影がある。
竜。爪が、地面に食い込んでいる。頭は低く、一鉄の背を見上げている。尾が躍るように宙を振って、今にも、一鉄を貫こうと、ぴたりとその動きを止める。
それが、鈴音には、
心眼だ。視えないモノを視る。視、得ないモノを切って捨てる――。
一鉄の背へと、尾が突き出される――その寸前に、鈴音は、距離を、詰め終わっていた。
太刀を、抜き打つ。目を閉じたままに、死力の一閃を横薙ぎに、振る。
見えないから、朦朧としているから、もしかしたら全て幻覚で、夢で、鈴音は酷い道化を演じているのかもしれない。
その考えを、確かに捉えたと、そう告げる腕の感覚が、否と、切って捨てた。
一閃の後、左手の鞘を捨てながら、鈴音は目を開いた。
赤い噴水が目の前で上がっている。切り落とされた尾、てらてらと、黄色のような緑のような、その、竜の尾が、落ちて行き、血に染まり色を変え地面へと落ちていく――。
その最中、竜が、振り向いた。
単眼が鈴音を捉える。直後、痛みに震えるように、天を仰ぐように、竜は、虫のような知性体は大口を開ける。
鈴音は、一切迷わなかった。知性体が悲鳴を上げるその前に、返す刀で、伸び切ったその首を、落とす。
知性体の首が、赤黒い断面を晒しながら、地面へと落ちていく――。
一瞬の、出来事だ。
終わってから、雨が逆さに振ったような、赤い水滴の向こうで、赤い紋章の入った“夜汰鴉”が、振り返った。
鎧を着ているから、その顔は、見えない。
でも、一鉄の表情はわかる気がした。
突然背後で大立ち回りだ。きっと、
(………びっくりしたでしょ?)
いたずらっ子のように微笑んで、…………鈴音は、なんか、満足で、
*
―――振り返った先に、凄惨な光景があって。
その中で、土気色の顔をした鈴音が、どこか無邪気に、微笑んでいた。
「……鈴音さん?」
呟いてから一鉄は知る。
自身の背後に、あの、姿の見えない知性体がいたことを。
そして、それを、鈴音が排除したことを。
微笑みを浮かべたまま、糸の切れた人形のように、鈴音は、崩れ落ちていく。
「鈴音さん!」
状況も何も忘れて、一鉄はその躰を抱き留めた。
確かに、生きていた。生きていたのだろう。オニは、頑丈だ。
けれど……抱き留めた鈴音の手はだらりと垂れ、カランと、血の中に、その手の太刀が落ちる。
「……………、」
呆然とするほかにない。
どう、……何を想えば良いのかわからない。
助かったことを、助けてもらったことを感謝すれば良いのか。
それとも、失ったことを嘆けば良いのか。
完全にごちゃごちゃで、思考に整理がつかず………。
「ぐ………」
ふと、一鉄の頭に、ノイズのような頭痛が走った。呻くような、嘆くような、歌うような、そんな音が頭の中で響いている………。
出所を探すように、一鉄は周囲を見回した。
戦場は続いている。ヒトが、オニが、竜と戦い続けている。統真の指示が通信機から響き続け、ここの様子に気付いたのだろうか、扇奈が、足を止め、顔を顰めていた。
けれど、音の出所は、そこではない。
空を見上げる。
赤い光が、夜を照らしている。
一鉄は思い出す。その光を、見たことがある。
前回、死んだあと。再び今生が始まった時。
赤い光の中心が、一鉄の目に写った。
小高い丘の上、だろうか。そこに、一匹の竜がいた。赤い、竜だ。尾を天に伸ばすように、それでいて、尾の先は刃ではなく放射状に延びていて、それが輝きながら、孔雀のように、あるいは彼岸花のように、天を掴むように、広げ伸ばされている。
その単眼と、目が合った気がした。
(……2匹目の、知性体?)
その思考もまた、すぐに頭痛と頭の中で響くノイズにかき消されて行く……。
赤い光が広がり、がりがりと世界が崩れていくように、この場が、戦場が、騒音が、セミの声が………遠く、分断され…………。
「うう………」
ひどい頭痛が、すべてを、奪い去って行った。
がりがり。
ごりごり。
ぐちゃぐちゃ。
ばきばき。
頭の中で異音が鳴り響き続け、酷い頭痛が一鉄を襲い、一鉄は目を閉じ、痛みに耐えかねるように額に手をやった。
と、そこで、一鉄は気づく。さっきまで、自分は、鎧を纏っていたはずだ。だと言うのに、触れた額に、髪が触れている。
そして、声が聞こえた。
「……一鉄?どうしたの?」
その声に、残る頭痛にくら付きながら、一鉄は瞼を開けた。
目の前に、鈴音がいる。顔色が悪くは、無い。怪我をしている様子もない。ただ不思議そうに、小首を傾げている。
(……生きている?いや、生きている時に戻ったのか?)
一鉄は周囲を見回した。場所は同じ、オニの陣地だ。だが、戦闘は行われていない。竜の姿も、見えない。帝国軍の姿もない。
酒瓶がそこらに転がっている。折れた大木に腰かけて、何事かと言わんばかりに、扇奈がこちらを眺めている。
静かだ。静かな夜。赤い輝きが彼方に見える――。
また、巻き戻った。時間がもとに戻った?なぜか。何が原因で?
事態の変化に頭がついて行かず、半分放心したように、一鉄は呆然として……。
「……一鉄?ねえ、」
そんな風に呟きながら、鈴音が一鉄の顔の前で手を振っていた。
その手首を、一鉄は不意に握った。
「わっ、」
とか呟く鈴音の脈を計る。脈がある。生きている。……まだ、鈴音が生きている。
何か、嫌な予感でもしたのだろうか。目を合わせた途端、鈴音が若干後ずさりをし始めた。そんな鈴音の手首を、けれど一鉄は逃がさず、不意に抱き寄せ、抱きしめた。
「………ッ!?」
突然抱きしめられたからだろう。耳元で、驚いたような声が聞こえてくる。
けれど、意に返さず、一鉄は鈴音を抱きしめ続ける。
体が温かい。生きている。確かに、生きている………。それだけで良い。
いろいろと、次があったらと、言いたいことはあったはずだ。けれど、そんなすべてが、一鉄の頭から吹き飛んでいた。
ただ一鉄は鈴音を抱きしめ、抱きしめながら震え、嗚咽を漏らした。
やがて、鈴音もそのことに気付いたのだろうか。
困ったような顔で、抱きしめられたまま……やがて手を伸ばし、ポンポンと一鉄の頭を叩いた。
「………どうしたの?」
鈴音からしたら、まったく意味が分からないのだろう。また、だ。
また、次がある………。
説明できるようになるまで、一鉄には、もう少し、時間が必要だった。
ただ、一つだけ、心に誓う。
………今度こそ。
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