2 喰み砕く濁竜/一人、終局を見据え

 銃声が一発。からん、と空薬莢が落ち、その後にはセミの声が響き渡る――。


 ……奇妙な静寂が、ふと、その戦場に落ちた。


「…………?」


 何度か前に出て、何度か味方を助け、味方に救われ……危なげなく防衛を続けていたその一角で、鈴音は血のこびりついた太刀を払い、眉を顰める。


 戸惑っているのは鈴音だけではなかった。

 周囲を見回すと、同じように手を止めたオニたちと視線が合う。


 皆、突然、目の前に撃つべき敵がいなくなったのだ。

 どの方向を見ても、あるのは竜の死骸ばかり。つい数秒前までは倒しても倒してもすぐに次の竜が死骸を踏み散らしてこの月光の中踊りかかってきたのだが……なぜだか、今は、その襲撃が止んでいる。


 早くも戦域にいる竜を根絶出来たのだろうか?

 そんな事を鈴音は思ったが……すぐに、その予想は裏切られた。


「やべぇ……3番警戒!7から9一人ずつカバーに行け!」


 突然、統真がそう鋭く声を上げる。その瞬間に、呼ばれた受け持ち区画の帝国軍兵士が、それから誰よりも早く扇奈が、“3番”へと駆け出し始める。


 それを横目に、鈴音も、“3番”へと視線を向けた。そして、レーダーのような異能でその先を探ろうとし……。


 バキバキバキと、木が圧し折れる音が、幾つも幾つも幾つも、向けた視線の先から聞こえてくる。


 先ほどまでとは比にならない、多くの怪物が地面を踏みしめる地鳴りもまた、その場に響き始めた。


「――来るぞ!」


 統真が声を上げたその瞬間――濁流が現れた。

 “3番”、……その布陣の対面を覆っていた森。それが、


 地鳴りの轟音と共に、爪にえぐられあるいは突進の勢いに吹き飛ばされて、暗い木々のカーテンが粉々になって吹き飛んでいき、そしてその欠片をも踏み越えて、数多の単眼が一直線に、この防衛陣地へと突っ込んでくる。


 同時に、そこら中で銃声が鳴り響いた。これまでと同じような竜の襲撃であれば、その射撃でどうにか食い止めることも出来ただろう。だが、今回は、その突撃の厚みが、今までの比ではなかった。


 100とか、200とか……いや、もっとか。

 一丸と結集した竜が、一つの濁流となって、この部隊を飲み込もうと猛烈な勢いで迫ってくる――。多少の弾丸の雨では留めきれない、圧倒的な数の暴力が。


 最もその脅威を受けているのは、統真が警告の声を送った“3番”だ。そこへといち早く、紅い羽織のオニが突っ込んでいく――。


 だが、その脅威は瞬く間に“3番”以外にも波及する。木々を吹き飛ばして竜が躍り出るその暗闇に開けた穴は、徐々に広がり、広がるたびに更に多くの竜が戦場に顔を出す。


 “3番”の左右の戦域に。あるいは、その左右まで――。

 ―――鈴音の目の前でも、木々が粉砕され、その奥から竜の濁流が現れた。


 牙、爪、尾、よだれ、大口………感情の一切ない何重、何層、数えきれないほどの単眼の群れ。


 ――突破される。そう、直感した瞬間に、鈴音は味方の背中に声を上げた。


「当てないでね!」


 そして単身、いち早く、目の前に現れた竜の大群へと躍り出ていく。


「おい、……クソッ!」


 統真の怒声を背に、躍り出た鈴音を追い越していく味方の銃撃に追い抜かれながら、鈴音は太刀を翻した。


 目の前の一匹を切り捨てる。だが、その死骸を踏み越えて、鼠算のように幾つも幾つも、単眼が、竜が、鈴音へと突っ込んでくる――。


「――ッ、」


 鈴音は歯噛みした。無理だ、と悟ったのだ。ここで突っ込めば、そう遠く無く竜の数に対処しきれなくなる。いくら強くても、数で上回られれば限界がある。


 けれど、……ここで鈴音が引いた所で、結果は変わらないだろう。

 鈴音が逃げればその圧力は背後の味方に行く。銃を持った兵士ではある。けれど、怪我を押して前線にいる者達だ。肉薄されれば、鈴音以上になすすべなく、竜に蹂躙されるだけ。そして仲間がいなくなってしまえば、結局、最後には鈴音も死ぬ。


 ……覚悟は、今更、するまでもない。

 鈴音は、竜の大群へと更に一歩、踏み出した。


 踏み出した鈴音へと、尾が、爪が牙が、有象無象の区別のない純粋な暴力が、迫り来る――。


 5匹。目の前の一匹は大口を開けて鈴音へと突っ込んでくる。それを切って捨てることも出来るが、そのすぐ後ろにもう一匹、同じように突っ込んでくる方には対処のしようが無い。更に右からは尾を振り回すトカゲ。左は爪で薙ぎ、更にその奥から尾が付き出されている。


 どれも、食らえば鈴音は死ぬ。

 そして、全てを避け切ることは不可能だ。


 ……結局、これは性分だろう。退くか進むかの2択が目の前にある時、鈴音は強がろうとしてしまう。あるいは、どこまでもどこまでも、弟(兄)について行かなかったことを悔いているからか――。


 歯を食いしばり、ひるむ選択肢を持たず、勇敢に、蛮勇として、鈴音はすぐ目の前の一匹を切り捨てた。


 開いていた大口が上下に両断され――その死骸が倒れる前に踏みつぶされ、奥にいた一匹が鈴音へと突っ込んでくる――。左右からも、尾が、牙が迫る――。


 逃げるに、逃げきれない。避けるに、避け切れない。

 鈴音は立ち尽くして、自身へと迫る大口を、よだれと血のこびりついた真っ赤な洞穴を、眺めていた。


 齧られる。齧られて、かみ砕かれて、死ぬのだろう。

 そんな事を思った。


 ――前にも、そんなことを思ったような、そんな気がした。


 ふと。

 立ち尽くした鈴音の目の前で、大口を開けた竜の頭が、


 何が起きたのか、理解する間もなく、鈴音の背後から味方の銃弾が鈴音の周囲を荒らし始める――。


 迫る爪が、尾が、それを振るっていた竜が、味方の射撃に血しぶきに変わっていく。


 ほんの一瞬だろう。目の前に迫っていた竜が殲滅されたことで、その戦場に、鈴音に、間が出来た。


 月明りの戦場。目の前では次の濁流が鈴音へと迫り始めている。

 その最中で、けれど、鈴音が視線を向けたのは、背後の味方でもなく、目の前の竜でもなく、彼方。


 この戦場を見渡せるのだろう、そんな小高い丘が見える。


 ――鈴音をかじろうとした、その竜の頭を正確無比に打ち抜いた、その射撃、いやが来た場所だ。


 流石に、夜の中で見えはしない。けれど、もしかしたら、そこに――。


「ぼさっとすんなッ!」

「……ッ、」


 統真の叱責に、鈴音は我に返る。地鳴りのように、地震のように、竜の濁流は依然、目の前から迫ってきている。


 ――その地獄を、鈴音は直視した。

 この状況に、対処は出来ない。けれど、それは、鈴音、だ。


 自身に迫る爪、牙、尾――その全てを躱す事を諦めて、鈴音は、その場に、身を伏せた。


 鈴音はいつも、無鉄砲に突っ込んでいってしまう。それでどうにかなる戦場しか経験してこなかったし、打ち合わせ無しで動くから、これまで、動き回る鈴音を的確にサポートしきれる人間はいなかった。


 突っ込んだ先はいつも一人舞台だ。それで何とかなった。

 サポートされた、と実感したことがなかったから、仲間に頼るような動き方もしてこなかった。


 けれど、つい数日前に、サポートされた。その効果を無理やりわからせられた。

 なんか変な鎧がついてきたのだ。前に出るな、と鈴音に言いながらついてきて、頼んでいない射撃支援をし続けた戦場があった。その戦闘は楽だった。楽だったことを鈴音は覚えている。


 今も、もしかしたら……。


 それから、扇奈は言っていた。“扱ってやれ、”と。

 扇奈が意図した意味合いではないのかもしれないけれど――。


 竜が迫ってくる。今度は6匹程。そのうち、手近な一匹を切り捨てて――直後、鈴音はその場に伏せた。牙が爪が尾が鈴音へと迫るが、それを自力でどうにかしようとは思わない。


 味方に、任せるのだ。蛮勇に何もかも委ねず、冷静で居続けるのだ。


 ――伏せた鈴音の頭上を、何発もの弾丸が、火線が、薙ぎ払っていく。

 尾も爪も牙も―――攻撃範囲に入った鈴音を狙って、移動の足を止め、良い的になった竜たちが、弾丸に粉砕されて行く――。


 周囲で、鈴音の死因になるはずだった竜たち、全てがもう、死んでいる。――その死骸を踏み越えてまた大群が鈴音へと迫ってくる。


 大群全てを、鈴音が一人で処理することは出来ない。

 だが、……戦場にいるのは、鈴音一人ではないのだ。


「……ありがと、」


 どこかの誰かにそう呟いて、鈴音は、冷静に、だがひるまず、また前に出た。


 *


 強固に機能した陣形を崩す手段は幾つかある。


 内側にスパイを送り込む。統率している人間を先に殺す。同等に機能的な陣形で挑む。遊撃戦力で攪乱する。


 あるいは……数の暴力で、結集して正面、一点突破。

 知性体が選択したのが、その、一番単純で一番抗いがたい、正面突破だったらしい。


 戦場を俯瞰して――一鉄はそれを理解した。


 小高い丘の上。崖のようになっているその場所。岩肌が露出しているその上に、生身で、伏射姿勢で狙撃銃――対物狙撃銃を抱え込むように、寝ころびながら。


「……やっぱり、おとなしくしててくれないな……」


 遠目でもはっきりわかる、戦場を踊りまわる白い羽織の少女を眺めながら、一鉄はそう呟いた。


 本当は、一鉄は、あちらの戦場に手を出すつもりはなかった。信頼して預けようと思っていた。実際、一鉄が手を出さずとも、統真辺りが鈴音を助けていたかもしれない。


 だが、……見えてしまえば看過は出来なかった。

 鈴音に死なれるわけには行かないのだ。死なれてしまってはなんのために頑張って、何のためにとしているか、わかったモノではない。


 暫く、一鉄はその戦場を俯瞰して眺め続ける。

 竜の濁流は依然、あのオニの部隊を襲っているが、――対処は出来ているようだ。


 一番竜の突撃に厚みがある個所では、紅鬼が暴れている。帝国軍のFPAも、統真の指示でだろう、陣形に組み込まれず動き、適宜射撃支援を行い、あるいは前線を押し返したり。


 鈴音の動きも、さっきのような無茶ではなくなっていた。味方の支援を前提に置いた動き方をしているように見える。


「ふぅ………」


 ひとまずの安堵、と一鉄は息を吐き、視線を真横に置いておいた端末に向けた。


 そこに移っているのは、戦場全体、この周囲の敵分布を示すレーダーマップだ。


 一鉄の狙いは、あくまで赤い知性体。赤い知性体を倒すためにどうするか。――そう、逆算して考える。


 狙撃だ。近寄っては、気付かれては、寸前でなかったことにされて、撃ち漏らすかもしれない。気づかれていない状態で狙撃をするのが一番勝率が高い。


 狙撃をする上で問題になるのは、位置の特定と精度。

 位置の特定方法については前回扇奈と統真に相談してある。


 そして、シンプルな結論に至った。……赤い知性体は、戦闘中動かない。戦闘能力が低い。弱い王様だから、尾形が狂って尚求めていたように、護衛、直掩を求める。


 ……指揮車が復旧したことで、周辺の竜の分布は確認できる。布陣も確認できる。細かく、竜が統率され動いている。その敵反応の中で、一切動かない集団が一つ、ある。前に出ようとしない、安全地帯に直掩を連れて引きこもっている奴が、司令官。


 戦術として当然の話だ。戦術として当然の話だからこそ、あのトカゲが賢いからこそ、居場所をある程度特定できる。


 あとは、狙撃精度。そちらは一鉄に限って言えば問題ないはずだった。……“夜汰鴉”を破壊されてさえいなければ。


 一鉄の背後に、“羅漢”は鎮座している。開いたまま、起動状態で、いつでも飛び乗れるようにはなっている。だが、ピーキーで慣れないその鎧を纏ったまま正確に狙撃することは無理――それが、をした結果一鉄が出した答えだった。


 生身の方が狙撃精度は高い。そう結論付けたから、わざわざ対物狙撃銃と端末を持ってきて、――戦場の外れに生身で、寝ころんでいる。


 ……今更、生身だからと言ってやたら怯えることもない。もう、この程度、無茶に数える気にもならない。


 もうしばらく、戦場の様子を眺め、レーダーでの布陣を眺め――動かない竜の一団を特定し、一鉄はそちらに視線と銃口を向けた。


 森の中に潜んでいるようだ。何匹もの竜の反応が重なり合っている箇所がある。

 そのうちのどれかが、赤い知性体だろう。だが、現時点では、そこにある反応の内、どれが知性体かを特定することは出来ない。


 月夜の下。森の中、その向こう、いるはずの標的を探して、一鉄は目を凝らす。


 何度か、無理やり探り出し、赤い知性体に迫ったことが一鉄はある。


 その時、直掩に何を置いていたかを、一鉄は知っている。

 あの赤い知性体は、切り札を直掩に置いている。場合によっては戦場に即座に投入できる、手駒を。


 知性体の判断次第で、あるいは、味方の活躍次第でもある。

 ふと、スコープの先、夜の森のその一角が、大きく騒めいた。


 木が、葉が、枝が、弾き飛ばされ、その奥の視界が開ける。


 竜が飛び立っていた。飛ぶ奴。虎の子の、竜側の遊撃戦力。赤い知性体が直掩に置いている、切り札。策を弄しても鈴音たちを、扇奈や統真や奏波を崩せなかったからこそ、知性体が切る羽目になった手札。


 何匹もの竜が一斉に飛び立てば、周囲の木々は揺れ、倒れ、


 ―――一鉄の視界に、その姿が映り込んだ。

 目立つ色合いの、赤い、標的クソ野郎の姿が。

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