校舎裏の薫子さん
第15話
あたしは不良が嫌いだ。
法治国家において腕力の強さにどれほどの価値があるのか。
悪事を大っぴらにひけらかす輩に魅力などない。
体を鍛えることに意義はあると思うけど、外見ばかり整えたところで内面が伴わなければいつか人は離れていく。
どこそこで誰を殴ったとか、警察を撒いただとかいう黒歴史を武勇のように吹聴するのは以ての外だ。普通の感性の持ち主は全員ドン引きしている。
特に中学生の不良というのは本当にしょうもない。
悪い男が女にモテると勘違いしているらしく、女子の様子をチラチラ窺いながら聞きたくもないタイマンや万引きの話をでかい声でくっちゃべっている。
不良がモテるのは犯罪行為に惹かれているわけではない。奴らは恋愛に積極的で、優しいフリに慣れているからだ。
その辺りを理解していないクラスの男連中がモテることは永遠にないだろう。
本当にモテたいなら下心を感じさせない自然な優しさを身につけるべきだ。あくまで紳士然と、それでいて確かな愛情を感じさせる優しさが重要である。
そこで初めて土俵に立つ。
そこから個々人の好みに合ったプラスアルファが加わって、交際に発展していく。
あたしの場合、逞しい筋肉やリーダーシップは求めていない。運動神経は良い方が嬉しいけど、将来的なことを考えると学力の方が大切だ。
顔はカッコいい系より可愛い系。ただ、アイドルみたいなあざとい感じじゃなく純朴で垢抜けない、性格から滲み出るような可愛さが好み。主導権握りやすいし。
奥手で、ちょっと近づくとすぐ照れて、でも、いざという時は頼りになって、迷わず助けてくれるような。
そんな男の子が好き。
「口閉じな」
「んあっ」
「また包介くんのこと考えてたの?」
「別に違うけど」
「すぐバレるウソつくのやめた方がいいよ」
「ウソじゃないし」
あたしは自分好みの男性像を再確認していただけだ。
眉間を揉んで頭に浮かんだあいつの困り笑顔を振り払う。
「丁も早く付き合えばいいのに。カレシいるの楽しいよ」
「
「言い方悪くない?」
栗皮は可愛いし、バスケ部とかいうチャラついた部に入っているので色々と進んでいる。付き合い始めたのも中学に上がってすぐだったか。
余所の恋愛事情に目くじらをたてるほど困ってはいないが、素直に羨むのは何となく癪である。
「まあいいや。それより今度、ダブルデートしよ。
ちょっと面白そうな提案だ。
男友達を餌にすれば出不精なあいつ相手でも違和感なく誘える。栗皮たちがイチャつく手助けをしようと説明すれば簡単に納得させられるし、二人きりの状況も作りやすい。
「わかった、いいよ。ダブルデートって言葉は気に入らないけど」
「はいはい、それじゃ決まりね。日にちはてきとうに調整しとく」
「できれば土曜日でよろしく」
久し振りに私服のあいつを見たい。あんまりにもダサければ、しょうがないからあたしが服を選んでやって、お礼にお洒落なカフェで奢らせてやる。
濃墨が戻ってきてから失敗続きだったけど、ようやくツキが回ってきた。
隙を見て思う存分包介の尻を揉みしだこう。あいつのお尻はとにかく触り心地がよく、すべすべで吸い付くような瑞々しさは何物にも変えがたい。
「丁」
「なに?」
「お客さん」
虚空に包介のお尻を思い浮かべて撫でさすっていると、栗皮に肩を叩かれた。
促された方を見やる。
前髪が長くオドオドした感じの女子が首をすくめてプルプル震えていた。
視線は常に揺れ動き、目を合わせることを拒んでいる。
分かりやすく挙動不審。嫌いなタイプ。
こんな子は知らないし、あたしに用事があるとも思えない。
「だれ」
「あっ、あの……」
「なに? 聞こえない」
「ちょっと丁。あたりキツイよ」
「別にきつくないでしょ。早く用件言って」
「ほっ、包介君のことなんだけど……」
「は?」
「ふゆぅ!」
鳴き声までむかつく奴だ。
いや、それよりもこの女、包介の名前を出したか。
「包介がどうしたのよ」
「えっ、えっと……その……」
本気で腹が立ってきた。
わざわざ訪ねてきたくせにモゴモゴとめんどくさい。さっさと用件を言え。
苛立ちから机を指先で叩いていると、見兼ねた栗皮が間に割って入ってくる。
「はいはい、すぐイライラしない。それで、あなたはどういう用事で来たの? 包介くん関連のことなのかな?」
「うっ、うん。その、もしかしたら包介君、いじめられてるかもしれなくて。赤錆さんは知ってるかなって」
「はあっ?!」
包介がいじめられてる?
そんなわけない。
あいつはたしかにすっとろいし付き合いも悪いけど、嫌われるような性格はしてない。
可愛くて優しい。それが包介だ。
いじめられていいようなやつでは断じてない。
許せない。どこのどいつだ。
ぶっ殺してやる。
沸々と湧き上がる怒りが腹の中を熱くし、踏ん張った足指はすぐにでも弾き飛べるように筋肉を硬くする。
「で、相手は誰なのよ」
想像以上にぶっきらぼうな声が出たけど、気にしている時間すら惜しい。
目の前のオドオド女は萎縮しきった様子で、床を見ながらブツブツと呟く。
「……
烏羽。
それが包介をいじめたやつの名か。
名前を一度口の中で転がして、ターゲットを脳に深く刻み込む。
もっとも、そうまでして覚える必要はないだろう。
今日以降、烏羽が学校に来ることはないのだから。
爪先はすでに包介のいる三組に向いている。
煮えくり返る腹の熱をそのまま勢いに変えて烏羽の横面を殴り飛ばしてしまえば、この怒りも少しは収まるはずだ。
「ちょっと丁! どこいくのさ!」
指を鳴らし歩き始めたあたしの前に、栗皮が立ち塞がる。
「どこって、決まってるでしょ」
「待ちなって。ほんとに烏羽さんが相手なら危ないよ」
「誰が相手でも関係ない」
なぜか溜め息を吐かれた。
怒り立つ動物を落ち着かせるみたいに肩を叩かれる。
「まあまあまあまあ。あんた、烏羽さんについてなんも知らないでしょ?」
「だから、相手が誰でも関係ないから。行って、けじめとらせるだけ」
「暴力で? 絶対上手くいかないよ」
「なんで」
「烏羽さん、めちゃくちゃ強いって噂だよ。格闘技習ってるらしいし」
噂は噂だ。あたしは自分の目で確かめる前に逃げ出すような根性なしではない。
今すぐに包介の元に行き、力づくで烏羽を黙らせるという意思は微塵も揺らがない。
烏羽が噂通りの腕っ節を備えていたとしても、やりようは幾らでもある。
しかし、栗皮の言うことにも一理ある。
もしも烏羽が悪知恵の働くタイプなら厄介だ。対策を打たれるかもしれない。
奇襲ができる優位な位置を、怒り任せの突撃で不意にするのも馬鹿らしい。
「……わかった。少し頭冷やすわ」
「よし。それじゃ、計画立てないとね」
「計画?」
「そ。頭使わなきゃ勝てないでしょ?」
当然のように協力を申し出る栗皮に、あたしは素直に感謝した。
◇◆◇
クラスの聞き込みは栗皮が主導することになった。
最初はあたしも同行したが、些細なことですぐキレてまともに話もできないとかで、仕方なく自席で栗皮の帰りを待つことになった。
しかし、指をくわえて待つだけなんてのは、まるで性分に合わない。包介のピンチとあれば尚のことだ。
昼休みも残り十五分を切った。これ以上手をこまねいていては対処が遅れてしまう。
辛抱できずに椅子を引き、両手を机に叩きつけた反動で立ち上がる。
思っていたより大きな音が出て周りがギョッとした目であたしを見るが、どうでもいい。
肩で風を切って教室を出ると、間の悪いことに偶々通りすがった誰かに思いっきりぶつかった。
「いてっ」
軽い。弱い。
正面衝突したというのに、あたしは微動だにしなかった。
情けない声を上げて尻餅をついた間抜けを見下ろす。
「ご、ごめん、赤錆さん」
包介だった。
鈍い動きで立ち上がり、呑気に尻を摩っている。ヘラヘラ笑う顔はいつも通りで特別変わった様子はない。
なに笑ってんの。そんな場合じゃないんでしょ。早くあたしに相談しなよ。
言いたいことが波のように押し寄せて頭がパンクしそうになる。
けど、冷静にならないと。
あたしが心配すればするほど、妙な嘘を吐いて誤魔化そうとするのが包介だ。
逸る気持ちをグッと飲みこんで平静を装う。
「相変わらずほっそいわね。ちゃんと食べないから当たり負けすんのよ」
「……うん。気をつけてみる」
やけに素直だ。普段なら子生意気な屁理屈を並べて話を逸らそうとするのに。
それに、包介はあたしの言葉に答える時、ふと思い詰めた目をした。
気のせいだと流すのは簡単だが、今は状況が違う。
僅かな変化も見逃してはならない。
「やけに素直ね。なんかあった?」
「僕はいつも素直だよ」
案の定とぼけてきた。
本気で誤魔化せてると思ってるのか。
だが、ここは敢えて追及せず、話に乗っかってやることにする。
「あっそ。で、どうしたの。あたしに用事?」
「あ、うん。しばらく一緒に帰れないから、それを伝えようと思って」
「はあっ?!」
何言ってんの。そんなの許されるわけないじゃない。
怒鳴りつけそうになるが寸でのところで思い留まる。
いけない。感情的にゴリ押して発言を撤回させるには周りの目が多すぎる。
冷静で論理的に、理由を一つ一つ問い質していこう。
肩を竦める包介を安心させるため、満面の笑みを作ってやる。
「何でそんなこと言うの?」
「ええっと、外せない用事があってさ」
「何の用事?」
「ちょっと説明しづらいかな。あはは」
「あたしに言えないような用事なの?」
「い、いやっ、やましいことじゃないよ。本当に」
「……答えるつもりがないなら質問変える。用事っていうのは、暑がりなあんたが上着を羽織ってるのと関係ある?」
包介の首筋がぎくりと強張る。
その隙に手首を掴んで袖を捲る。
「なにこれ」
手形があった。
五本の指で強く握られた痕がくっきりと残っている。
普通の生活で手形が残るなんて、まずあり得ない。
背中を通る冷たい予感に突き動かされるまま、学ランを中のシャツごと捲り上げる。
生白くてすべすべした肌に、薄い腹筋。
その上に浮かぶ幾つもの青痣。
「なによこれ」
一朝一夕でつく数じゃない。
何日もかけて、何度も執拗に殴られた痕だ。
「説明しろ!!」
包介の胸倉に手が伸びる。
だが、指先が触れた瞬間に上体のバランスが崩れ、前のめりに倒れそうになった。
そこにあるはずの包介の体がフッと消え、いつの間にかあたしの脇に回り込んでいる。
何かされた。
しかし、何をされたかは理解できない。
体だけがもう一度包介に向かう。
包介と目が合う。
見慣れたはずの黒い瞳は冷たくあたしを観察している。
勢いを。体の向きを。
あたしの全身をぼんやりと捉えている。
無感情にあたしを映すその瞳は、いつもみたいに優しくなくて、まるであたしを拒絶しているようで──
「ストーップ!」
大声と共に栗皮が割り込んできた。
突然の勢いに負けて、もみくちゃになりながら廊下に転がる。
即座に立ち上がろうとするが栗皮の足が縺れて上手く力が入らない。
焦る気持ちを他所に、予鈴の音が耳に届く。
「丁は止めとくから、包介くんは教室戻りな!」
「う、うん。ありがとう」
「はあっ?! 待ちなさいよ!!」
包介はもがくあたしを尻目に、小走りで階段に向かっていく。
あたしの言うことは聞かないくせに。
苛つきが止まらなくて無理矢理体を動かすけど、栗皮のふざけた悲鳴が響くばかりで全然解けない。
「くそっ! なんなのよ!」
「いたっ。もうっ、落ち着きなって」
何事かと野次馬どもが集まってきて、あたしは無様な醜態を晒すことになった。
◆◇◆
「ごめんって」
栗皮の謝罪はもう何度目にもなる。授業の間の十分休みが来る度、通しで聞かされ続けたのでいい加減飽きてきた。
放課後になったことだし、そろそろ許してやろうと思う。
出来るだけ不機嫌な表情を作って横目で見ると、栗皮がようやくといった風に息を吐いた。
「長いよ」
「なにその態度。ほんとに反省してんの?」
「はいはい。反省してまーす」
舐め腐った態度だが、今は突っ込む気にはならない。
それ以上に、大事なことがある。
「で、聞き込みの成果は?」
「……残念だけど、あの子が言ってたのは本当のことみたい。智も包介くんが烏羽さんに連れて行かれるところ、何回か見たって言うし」
「ああ、そう」
包介の体に残された幾つもの青痣は、やっぱり烏羽がつけたものなのだろう。強く拒絶できず曖昧に笑う包介を面白半分で殴りつける光景が、容易に想像できる。
間違いなくいじめだ。
あたしがかけるちょっかいとは質が違う。筋の通らない暴力は罪にしかならない。
「でも、ちょっと不思議なんだ。なんでも包介くん、結構烏羽さんに冗談を言ったりお互い笑いあったりで、外から見る分に仲は良さそうなんだって」
「それは別に不思議じゃない」
「なんで?」
包介はそういうヤツだ。
頑固で意見を滅多に曲げないくせに痛みには変に寛容で、急に叩いても愚痴を溢すだけで全然怒らない。
烏羽は謝られれば許してしまう包介の優しさに漬け込んでいるんだ。
賢しいというか、運がいいというか。
長年の付き合いを経てあたしだけが見つけたラインを踏み荒らされているみたいで、非常に気分が悪い。
黙り込むあたしを栗皮は怪訝な目で見つめていたが、返答はないと諦めたのかパチンと両手を合わせた。
「まあいいや。丁と包介くんにしか分からない世界があるんでしょう。で、今後の方針なんだけど」
「現場を抑えてとっちめる。それしかないわね」
現行犯逮捕が一番確実だ。
言い逃れできないし、そのための時間も与えない。
「速攻よ。まどろっこしいこと抜きで包介を助ける」
「うん、それがいいと思う。じゃあ早速、現場で張り込もうか」
「なんだ、もう場所も分かってるんだ。いい仕事っぷりじゃない」
「まあ正確には、これから分かるんだけどね」
栗皮が教室の入り口を振り返る。
視線の先には、浅黒い肌をした背の高い男子がいた。
顔は結構かっこいいが、バッチリ決めた髪型や小慣れた袖の捲り具合が鼻につく。
そいつはあたし達に気がつくと、大した距離でもないのにブンブン手を振りながら近づいてきた。
「おっす。よろしく」
「カレシの智。せっかくだから協力してもらおうと思ってさ。男手があった方が便利でしょ?」
「他にも理由はあるけどな」
「他?」
「……包介が烏羽に絡まれるようになってから、青褐先生の機嫌がめちゃくちゃ悪いんだよ」
包介のクラスの担任か。授業中や廊下ですれ違う度にあたしを射殺すような目で睨んでくるヤツだ。
鬱陶しい女。
包介にえらく執心しているみたいだが、いじめの件に関してまるで役に立たないだろう。
教師の立場では温い口頭注意が限界で、何一つ解決はしない。
むしろ、告げ口に腹を立て、いじめの方向がより巧妙で陰湿なものに変わる可能性がある。
包介を救えるのは、自由に動けるあたし達しかいない。
「それじゃ、遠慮なく協力を頼むわ」
「おし。じゃあ早速行くか」
「例の場所ね。それって結局どこなの」
「本棟と新築棟の間に陰になったところがあるだろ? そこで包介と烏羽を見かけたって奴が何人かいるんだ」
新築棟は便宜上そう呼ばれているだけで、実際は増築されてから十数年は経っている。本棟とは一階の渡り廊下で繋がっていて、利用者は専ら三年生と部活動に属する生徒だ。あたしや包介には縁のない場所で、通り掛かることすら稀だから見落としていた。
だけど、場所自体は知っている。
本棟と新築棟、すぐ側の体育館に囲まれた正方形の空きスペースだ。
人目につきにくい場所というのはどんな時でも需要があるものだが、ベンチの一つもなく、体育館からグラウンドに出て狭い隙間を通らなければならないというアクセスの悪さから、継続して赴く人の話は聞かない。
だからこそ、いじめに向いている。如何にも不良が好みそうな隠れ場所だ。
「包介が連れてかれたのはついさっきだ。いつもと同じならもう向かってると思う」
「丁、どうする? もう少し情報集める?」
何を呑気な。やることは決まってると言ったでしょ。
「速攻よ。今日中に包介を助ける」
◇◆◇
現場は予想以上に人通りが少なかった。
授業が終わればすぐに直帰の生徒ばかりが在籍する学校なので異常事態という訳じゃないが、それにしたって少ない。
もともとの見立てどおり、時間を選べば誰の目にも触れずにいじめを実行できる場所だ。胸糞悪い。
「包介はまだ来てないみたいだな」
このぽっかり空いたスペースに入るには、本棟と体育館の細い間を通るしかない。
余すことなく監視できるよう、体育館の壁際にある用途不明の塀の裏に身を隠す。
三人分の大きさはなく醤の体ははみ出ているが、通り道から外れたところにあるので、意識して見ようとしない限り、目につくことはないはずだ。
静かにしている分には。
「探偵みたいでドキドキするね」
「な」
栗皮と醤がイチャつき始めた。
危機感の欠片もなく物事の重要性を理解していない能天気さにイラッとするが、そもそも二人がいなければあたしはここに辿り着けなかった。
文句は静かに飲み込んで、前方を真っ直ぐに見つめる。
「あ」
背の低い学ランと、大股開きで歩くガラの悪いウルフカットの女。
来た。包介と烏羽だ。
二人は何か話しているようで、烏羽が馬鹿みたいにでかい笑い声を上げた。対照的に包介は微笑む程度に留め、少し距離を置いている。
友達同士の距離間じゃない。
あたしといる時の包介はもっと体を寄せて心を許すような素振りを見せる。
やっぱり烏羽は、文句の言えない包介を一方的に痛めつけて醜い欲を発散しているんだ。
午後に見た腹の青痣を思い出し、マグマみたいにドロドロした怒りが腹から頭までを沸騰させる。噛み締めた奥歯が軋んで嫌な音を立てた。
「まだだよ」
栗皮の言葉に分かってる、とすぐには返せなかった。
それだけ血が上っていたのだと気づき、心を沈めるために息を吐く。
今飛び出しても決定打にはならない。
耐えて機を待つ。
まったくもって性に合わない考えだが、包介のためだと思えば少しは我慢できる。
「ヤンキーの先輩と、なぜか気に入られた真面目な後輩って感じだな」
「あー、それっぽいかも」
傍目から見ればその程度の認識なのだろうが、あたしには分かる。
来る者拒まず、去る者追わずが人付き合いの基本となっている包介が困った雰囲気を出していること自体問題だ。
烏羽は間違いなく包介に害を為している。
後ろの二人組に一言言いたい気持ちを抑えながら、ジッと動向を監視する。
烏羽に肩を抱かれた包介は無理矢理に引っ張られ、体育館の角に消えていった。
とうとう決着の時だ。
ハンドサインで指示を出し、足音を立てないよう中腰の姿勢で塀の外に身を晒す。
事態の重大さをイマイチ分かっていない栗皮達はあろうことか立ったままあたしの後ろをついてきて思わず怒鳴りたくなったけど、声でバレては元も子もないので堪える。
「丁、逆に目立ってない?」
うるさい。しゃべるな。
ザラついた壁に張り付き、顔半分だけで覗く。
「……何してんだ?」
醤がポツリと呟いた言葉は、あたしが思ったそのままの感想だ。
包介と烏羽がストレッチしてる。
中央あたりで向かい合い、アキレス腱を伸ばしている。
入念に伸ばすと今度は大きく肩と足首を回し、終いには座り込んで股関節まで解し始めた。
たっぷり時間をかけて全身の筋肉を伸ばした包介はゆっくりと立ち上がり、仕上げに何度か屈伸する。
同じように立ち上がった烏羽は腰を緩く回して一つ息を吐くと、包介と相対した。
「昨日の復習からな」
「はい」
「敬語じゃなくていいっつったろ」
「あ、ごめん。癖なのかな」
二人の会話は辛うじて拾えたが、内容は謎だ。
復習ってなんだ。
そもそも、包介にストレッチなんて似合わない。
あいつは勉強はできてもスポーツはできないひ弱なもやしっ子だ。あたしが連れ出してやらなきゃ一日中家で本を読んでいるようなやつが、どうして準備運動を必要とするのか。
「じゃ、いくぞー」
「うん」
烏羽が間の抜けた声で呼び掛ける。
謎だらけの状況と予想を裏切るほのぼのした光景に拍子抜けしていると、
「あいたっ」
一足飛びに距離を詰めた烏羽が、躊躇なく包介を殴った。
殴った。包介を。
あたしはもう止まらなかった。
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