第23話

 片道一時間弱。揺れを感じさせない黒塗りの高級車に運ばれて辿り着いたアウトレットモールは、天候に恵まれたためか人々で賑わっている。日曜日ということもあり、家族連れや若いカップルが多いようだ。彼ら彼女らの表情は青空に負けないくらい明るい。

 少し横に視線をずらせば、自信たっぷりに飾り付けられたショーウィンドウが目に入る。陳列された服飾品の類はきっとお高いのだろう。色とりどりのそれらはいずれも主張が激しいが、しかし、不思議と調和がとれていて一つの芸術品のような印象を受ける。

「大丈夫? 包介ちゃん」

「は、はい。初めて来たので面食らっただけです」

 面を食らうだけでは済まず眩暈すら覚えているが、何とか取り繕う。

 今日の行き先は濃墨先輩の一声で決まり、日程や送り迎えまで全てお任せしてしまった。僕の買い物だというのに、何もかもおんぶに抱っこな状態である。ここからの挽回は不可能だろうが、これ以上先輩を呆れされるようなことがあってはならない。

 とはいえ、動揺は隠せない。濃墨先輩は、煌びやかな光景に圧倒され目を白黒させる僕の顔を覗き込むと薄く笑った。

「もう、しっかりして。エスコートしてくれるのでしょう?」

「……すみません」

 空気を読めと尻を抓られてばかりいる僕には縁遠い言葉だ。逃れるように視線を逸らした先のガラスには、純白のワンピースに身を包む御令嬢と卑しい召使いが映っている。

 不釣り合いが過ぎる。デートなどと浮かれ悩んでいた自分が馬鹿みたいだ。

「そういえば、包介ちゃん。一言忘れているのではなくて?」

「え?」

「ほら。今日の私、どうかしら」

「どうと言われても……」

「折角おめかししてきたのに一言もないの?」

「あ」

 服装を褒めよう。

 今日に備えて読んだ雑誌の中に、そんな文言があったことを思い出す。恋愛経験のない僕でも知っている常識で、改めて記事にするほどのものではないと流し読みしたけれど、いざその場に立たされると基礎すら忘れてしまうらしい。

「凄く綺麗です」

「ふふ、ありがとう。包介ちゃんも素敵よ」

「いや、僕なんて」

「こら」

 濃墨先輩が僕の胸を人差し指で突き、わざとらしく頬を膨らませる。

「自分を蔑んでは駄目よ。しっかり胸を張って」

 気を遣わせてばかりで本当に立つ瀬がない。このままではいけないと濃墨先輩の言う通りに胸を張る。

「もう大丈夫です。行きましょう」

 そう啖呵を切ったはいいものの、どこに行けばいいのかは検討もつかない。

「ふふ、しょうがないわね。そうね、最初はあそこにしましょう」

 濃墨先輩が指差したのは色鮮やかな往来の中では珍しく、黒を基調にした店だった。異色でありながら堂々たる佇まいは近寄り難い高貴さを漂わせている。

「ブランド店ですか」

「どうかした?」

「いや、予算的に厳しいかな、なんて」

 手持ちは貯金からおろした一万円だけだ。ブランド物ともなれば最低でも二万、三万は下らないだろう。中学生にとっては一万でも充分な大金だから、それ以上の支払いは正直恐ろしい。

「ああ、違うの。目星は他につけているのだけれど、その前に見て回りたいと思って」

「あ、そうなんですか。何か欲しいものがあるんですか?」

「いえ、特にないわね」

 ないなら見て回る必要もないだろう。用のない店に立ち寄ることへの疑問は顔に出ていたらしく、濃墨先輩はむすりと口をへの字に曲げる。

「用がなくとも見て回りたいものなの。言われなくとも察すること」

「……すみません」

 考えは間違ってはいないと思うのだが、そんなに怒られることだろうか。

 もっとも、僕に文句を垂れるような権利はない。長い髪を後ろに流し颯爽と歩き始める濃墨先輩の後に続く。

「はぐれないようにね」

 先輩はそう言うが、彼女の気品に充てられてか自然と人混みが割れていく。ピンと伸びた背筋は白く輝いて見え、夏の日差しの中にあっても見失うことはない。身分違いの小間使いに向けられる奇異の視線を一人感じながら、コソコソと先輩の背中を追う。

「ここよ」

 濃墨先輩に隠れるようにして立ち入ったブランド店は、まったく未知の世界だった。

 自立したバッグや分厚い財布などが空間に余裕をもたせて陳列され、見逃しそうなほど小さな値札が控えめに置かれている。ちらりと額を伺うと、まったく控えめでない数字がさも当然の並んでいて、思わず指で桁を数え直してしまった。

「ふ、普段からこんなに高価なもの使ってるんですか」

 動揺で声が震える。あまりに情けない様子の僕に濃墨先輩はくすりと笑った。

「いいえ。けれど、社交の場ではどうしても、ね。下品にならないよう気を付けてはいるのだけれど、中々難しいのよ」

「社交……」

「お父さんが気紛れに開催しているものだから、それほど格式は高くないわ。私が頼めば包介ちゃんもきっと参加できるわよ」

「い、いえ。遠慮しておきます」

「そう? 残念」

 耳に馴染みがなさすぎて話の半分以上が脳を素通りしていった。ともあれ、社交の意味すら分かっていない者が参加すべき場ではないことは確かだ。

「いらっしゃいませ」

「ひえっ」

 階級違いの話題に圧倒されていると、いつの間にか店員さんがすぐ後ろまで擦り寄っていた。僕のか細い悲鳴は聞こえていたらしく、堪えきれない嘲笑が口元の歪みに表れている。

「何かお探しですか?」

 高級ブランド店に相応しく、立ち姿の綺麗な女性である。濃墨先輩は他所行きの完璧な笑顔を作り、僕には理解不能な単語の飛び交う談笑に興じ始めた。

 せめて邪魔にならないようにと商品を見て回るフリをして隅の方に移動する。けれど、スカスカの店内では碌な時間も潰せず、結局は入口付近で立ち尽くすしかなくなった。

 途切れることのない人波の上に広がる青空を眺める。風に吹かれてゆっくり動く入道雲の下は、この晴天とは真反対の豪雨に見舞われているのだろうか。暢気に景色を眺める余裕があるだけマシだと前向きになるよう努めたが、どうにも無力感が拭えない。たった二つの歳の差がこれほど大きいのは、比べる相手が濃墨先輩だからか、それとも僕が子供なだけか。

 楽し気な話し声に溢れた往来には似つかわしくない溜息が漏れそうになったところで頬を突かれる。

「お姉さんとお話ししてよっか」

 おそらくは店員さんなのだろう。滑らかな生地の制服に身を包む彼女の愛想笑いは、濃墨先輩につきっきりの女性店員と比べるとどこか幼い印象を受ける。

「ボク、いくつ?」

 中学生はなどと幼子扱いされる年齢ではない。

「十二歳です」

 彼女の目に僕は一体幾つに見えているのか。

 子供と決めつけ侮られたことに覚えた若干の苛つきが声に出た。しかし、まるで効果がないばかりか驚きが勝ったようだ。

「えっ!? 十二って中学生?」

「そうですけど」

「ごめんね。お母様がお若いから……」

「お母さん?」

 母さんに隠れてプレゼントを買いに来たのだ。いるはずがない。そもそも、今店内にいる客は僕と濃墨先輩だけだ。母親と間違えられるような人はいない、はずだ。

 嫌な予感がする。

「綺麗なお母さんだねえ。羨ましいな。ほら、先輩もちょっと緊張してる」

 含み笑いの店員さんが目を向けた先には、濃墨先輩がいた。

 離れているとはいえ高々数メートル、僕と店員さんの会話は聞こえる距離だ。濃墨先輩の動きがぴたりと止まる。

「……あの、今日は学校の先輩と来たんですけど」

「えっ? じゃあ、あの人は?」

「二歳上の先輩です」

「えっ!?」

 明け透けな驚き方は清々しくもある。しかし、接客業で見せるべき反応ではないと思う。特に、周りより年上に見られることを気にする少女の前では絶対に見せてはいけない。

 談笑に勤しみつつも、こちらに気を張っていたのだろう。油の切れた機械のようなぎこちなさで、濃墨先輩の首が回転する。

「……おかあさん?」

 普段は優しげに細められた目蓋が限界まで見開かれているが、奥に潜んだ瞳は何も映していない。深い黒色の三白眼が、じっとりと店員さんを見据えている。

「お客様に失礼でしょう!!」

「あっ、あっ」

 叱咤を受けた店員さんは反射的に頭を下げたが、もう遅い。獲物を前にした蟷螂のような無機質な視線を向けたまま、濃墨先輩が動き出す。

「ししし失礼しました!!」

 店員さんが呂律の回っていない謝罪を叫ぶ。お辞儀の姿勢のままの彼女は、頸に大粒の汗を浮立たせていてる。

 しかし、濃墨先輩は歩みを止めない。店員さんの正面に位置取ると腰からぐるりと体を回し、固く目を瞑る彼女の顔を覗き込む。

「なにが?」

「えっ」

 先輩の意外にも率直な質問に店員さんは反応した。

 そこで、はっきりと見てしまったのだろう。作り物めいた白磁の肌に埋め込まれた、底なしの黒に塗り潰された双眸を。

「なにが失礼しましたなの?」

 あどけなさすら感じる純粋な問いかけは、一切の誤魔化しを許していない。店員さんの膝は崩れかけ、覗き込んだはずの濃墨先輩はいつの間にか彼女を見下ろしている。

「すみません、お邪魔しました!」

 これ以上は無理だ。

 店員さんの腰が抜けるよりも早く、僕は濃墨先輩の手をとって店外へ駆け出した。




 濃墨先輩を連れ咄嗟に店を出た僕は、目についた喫茶店に飛び込んだ。

 受付の店員さんに素早く人数を告げ、奥の席を陣取る。横文字だらけのメニュー表は何が出てくるかも判然としなかったが、今はとにかく場を整えるのが急務である。てきとうに飲み物を頼んで、ようやく一息つくことができた。

「どうして逃げたの?」

 いや、まだ状況は解決していない。濃墨先輩は相変わらずの無表情で僕を見つめている。

「ええっと、少し小腹が空いてしまいまして」

「食べ物は頼まなくていいの?」

「え? あ、はい。うっかりしてました。あはは」

「そう。それなら店員さんを呼んだ方がいいわね」

「あ、だいじょぶですよ! 大丈夫です。はい」

 お腹は全然空いていないし、緊張で乾いた喉では固形物が通るか怪しい。大袈裟に首を振ると、濃墨先輩は興味なさげに頷いて、それきり黙り込んでしまった。

 沈黙が辛い。かといって、自分から話題を提供できる甲斐性はなく、机と窓を交互に見ること以外にできることはない。店内に流れる控えめなジャズがやけにはっきりと耳に残る。

「ホットコーヒーと本日の紅茶になります」

「あ、ありがとうございます」

 注文が目の前に運ばれてから何を頼んだかを思い出した。気まずい空気から逃れようと考えなしにコーヒーを口に含む。

「げぇ」

 砂糖とミルクを忘れていた。市販のそれより濃厚な苦味が口いっぱいに広がる。すぐにでも舌を洗い流したいが、往来の場でみっともないことはできない。顔を顰めて耐えるしかない僕を見て、濃墨先輩の口元が僅かに和らいだ。

「……自分でも分かってるのよ。周りと比べて老けて見えることは」

「はい」

 反射的に返事をしてしまった。濃墨先輩の鋭い眼光がじろりと向けられる。

「ただの相槌です」

 先輩は疑い深く僕を見つめながらティースプーンをいじっていたが、問い詰めても意味がないと悟ってか物憂げに息を吐いた。

「肌には気を遣っているのよ? 今日の服も……可愛らしいものを選んだのに。周りには私くらいの背丈の子もいるのに、どうして私だけが年上に見られてしまうのかしら」

 濃墨先輩は美人だ。こうして向かい合うと、改めて思う。中学生とは思えないほど目鼻立ちが完成しているから、大人の女性に見えてしまうのかもしれない。

 しかし、ふと思い出す。校舎で先輩の後ろ姿を見かけた時、隣に同じ制服の生徒が並んでいたにも関わらず、高校生が混じっていると勘違いしたことはなかったか。それならば、先輩を大人らしく見せているのは顔の造形ではなく、立ち姿からなる雰囲気なのだろうか。

 雰囲気。曖昧な表現である。

 そもそも僕は、子供と大人を分ける基準を知らない。十八から成人として扱われるが、高校三年生を大人というには違和感があるし、子供みたいな大人、なんて表現もある。通過儀礼の存在した時代ならいざ知らず、この現代社会において年齢が子供と大人を区別する基準でないことは確かだ。

 それでは、人生の経験値こそが子供を大人たらしめるのか。だが、何を経験値とするかはそれぞれの主観によるもので、どのみち可視化できないのだから普遍的な基準にはならない。結局のところ、大人か子供かは個々人が何となしの印象で判断しているだけなのだろう。そこに理由を求めても答えはないのではないか。

「包介ちゃん?」

 声をかけられ、我に帰る。いつの間にか思惟に耽っていたようだ。デート中に見せる姿ではなかったと反省する。

「随分と考え込んでいたようだけれど、どうかした?」

「ああ、いや、そういえば大人と子供を区別するものってよく分からないなあ、と思いまして」

「確かにそうね。学校の中でなら私は子供だけれども、町を歩く私はきっと大人に見られているのでしょう。便利な言葉で言い表すなら、時と場合によるのでしょうね。……包介ちゃんから見た私は、大人と子供、どちらになるのかしら」

 優しく諭す時は桑染さんより大人びて見えるが、赤錆さんと取っ組み合いの喧嘩をしている姿は同年代の子供だ。両方の面を知っている立場からすれば、どちらかとは単純に言い切れない。

「大人みたいな子供、でしょうか」

 悩んだ挙句、どっちつかずの回答になってしまった。濃墨先輩も納得がいかないらしく、不満そうに唇を尖らせる。

「それは、立ち振る舞いは幼いのに老けて見える、ということかしら」

「ええっと、そうではなくて。知識量とか考え方とか、軸がしっかりしていて大人みたいだけど、制服を着てるところを見ると、やっぱり同年代なんだなあ、と安心するといいますか、まあ、そんな感じです」

「……包介ちゃんは学生服を着ていたら誰でも子供に見えそうね」

 話せば話すほど悪い方に向かっている気がする。だからといってほかの理屈も思い浮かばず、空白を埋めるために目の前のコーヒーを啜る。

「げぇ」

 つい先程味わった喉を焼く苦味を忘れていた。ヒキガエルに似た間抜けな鳴き声は少しだけ役に立ったようで、先輩の口元にも微かに笑みが浮かぶ。しかし、目元は依然伏せられたままで落ち込んだ様子は拭いきれない。

「……大人みたいな子供、ね。確かに、包介ちゃんの言う通りかもしれないわ。得意げに年上ぶるくせに、中身は我儘な子供のままだもの。赤錆ちゃんを馬鹿にできないわね」

 濃墨先輩は自嘲気味に笑うと、ティーカップを傾けた。物憂げな表情で湯気混じりの長い吐息を吐き、雫が落ちるような早さで言葉を続ける。

「私、本当は貴方が思うよりずっと卑しい女なの。欲しいものを我慢するだなんて耐えられない。そういう子供らしさを自覚しているのに、成熟した大人扱いされることに腹を立てているのかもしれないわね」

 外見のせいで内面までも勝手に高く評価されてしまう。

 濃墨先輩ならではの悩みだと思う。周りからちょっかいをかけられてばかりの僕には想像もつかない。

「包介ちゃんは私と正反対ね。こんなにも愛らしいのに、心は私なんかよりずっと強い。だから私は、貴方を──」

 濃墨先輩の腕が伸び、僕の右頬に触れた。手の平は紅茶の熱で温かく、指先が優しく輪郭をなぞる。

「ねえ、聞いてもいい?」

「は、はい」

 何を聞かれるか分からないのに返事をしてしまう。薄く開かれた目蓋の下にある冴えた瞳がそうさせるのか。

「もし、包介ちゃんにどうしても欲しいものがあって、けれど、それを手に入れるためには大切なものを壊さないといけない。貴方はどちらを選ぶ?」

「え? ええっと、そうですね、まあ、普通に、どっちの方が大切かよく考えて決めるんじゃないですか」

「……その結果、今ある幸せを壊さなければならないとしても?」

「まあ、必要ならそうすると思います」

 至極平凡な答えになってしまったが、濃墨先輩は納得したようで、小さく何かを呟いてから席に座り直す。それから、今までの重苦しい雰囲気がなかったみたいに柔らかく微笑んで紅茶を飲み干した。

「ごめんなさい、もう大丈夫。さ、楽しいお買い物に戻りましょうか」

 朗らかな宣言につられて、慌ててコーヒーを流し込む。慣れることのない嫌な刺激が喉を襲うが、三度も醜態を晒しては格好がつかない。ぐっと体を強張らせて悲鳴を飲み込む。

「恥ずかしがらずに苦手を認めることが、大人へ近付く一歩なのかもしれないわね」

 返す言葉もなかった。

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