はづき亭

第30話

 甘いものが好きだ。

 勉強の合間に食べるちょっとしたお菓子も、ご褒美に食べる贅沢なスイーツも堪らない魅力がある。

 特に昼下がりのお茶会は、小腹と同時に充実感も満たしてくれるので、ついつい幸せの溜息が漏れてしまう。

 大学の知り合いの間では食事制限を厳しく設けてる、なんて噂が流れてるみたいだけど、全然そんなことはない。

 それ以上に運動しているだけの話で、てきとうに理由を付けて事あるごとに食べている。

 しかし、一度ついたイメージというのは厄介なもので、誰かを誘ってみても、榛摺さんもパンケーキ好きなんだ、とか、写真撮ったりするんだね、とか、普通のことにいちいち驚かれてしまう。上辺だけのコミュニケーションで人付き合いを疎かにしていたせいだと言われればそれまでだけど、誤解を解くことから始める関係は正直面倒くさい。

 だから、ワタシを色眼鏡で見ないメアリみたいな友達は凄く貴重で居心地が良い。ちょっと抜けてて無鉄砲なところも多いけど、変に気取った人よりはずっと好感が持てる。

 感謝と親心が混ざった複雑な気持ちで向かいに座ったメアリを見つめていると、ワタシの視線に気がついてモジモジ肩を揺らした。


「なに? なんかついてる?」

「んー。別に」

「あ、やな感じ」


 メアリはムスッとした顔になってショートケーキの真ん中にフォークを突き刺し、それをむんずと持ち上げると一口で頬張ってしまった。私も淡白で男っぽいと言われることはあるけど、ほんとに勇ましいのはメアリみたいな子なのかもしれない。

 メアリは暫く咀嚼すると、ゴクリと喉を震わせてあっという間に平らげた。

 ケプッと赤ちゃんみたいな可愛いゲップをして、恥ずかしそうに口元を拭う。


「おいしかった。麗美は色んなお店知ってていいなぁ」


 知った経緯は自慢できたものじゃない。

 私の行きつけは元カレたちに得意げに連れ出されたお店がほとんどだ。

 ただ、彼らとお店で出くわしたことは一度もないし、こうして友達に喜んでもらえるのだから悲観するほどのものではない。


「こういうお店をさらっと紹介できるのって、なんかいいよね。大人っぽいっていうか、年上っぽいっていうか」

「アンタ、また包介クンのこと考えてるでしょ」

「……別に考えてないけど」


 分かりやすい。

 大方、包介クンをおしゃれな店に誘って出来る大人を演出しようだとか、浅いことを考えていたのだろう。

 メアリは普段から子供みたいな振る舞いが目立つが、包介クンが関わると本格的にバカになる。


「あの子は見た目より大人だからね。ちゃんと考えないと失敗するよ」

「そ、そんなことわかってるもん」

「ホントかなあ」


 口では茶化しつつも、メアリと包介クンはとお似合いだと思う。

 というか、包介クンは誰とでも上手くいきそうだ。誰が相手でも態度を変えないマイペースさがそう感じさせるのだろうか。

 成人女性と男子中学生の恋愛は応援してはいけないものだけど、叶うなら、二人には幸せになってほしい。


「そういう麗美はどうなの」

「ん? なにが?」

「包介くんのこと。好きじゃないの?」

「ハ、ハァ!?」


 急に何を言い出すんだ。

 たしかに、お互いに弱味を晒した間柄だし、価値観も似ているから一緒にいて嫌な感じはしない。

 けど、恋愛的に好きかどうかは別の話だ。

 もう少し年齢が近くて、出会う時期が早ければどうなっていたか分からないが、もうじき二十歳を迎えるワタシが彼に抱く感情は絶対に恋じゃない。

 まったく。本当に何を言い出すんだ、この子は。


「……あやしい」

「怪しくないってば。そもそも歳離れてるし」

「年齢は関係ないってわたしには言ってたよね」


 そういえば、うじうじ悩むメアリを見兼ねて言った覚えがある。というか、今さっきもそう考えていなかったか。

 もっと、自分に優しく。

 包介クンにかけたアドバイスが頭をよぎる。

 それを皮切りに、あの夕暮れ時に見た包介クンの姿が次々とフラッシュバックする。

 ちょっと唇を突き出したむすくれた横顔。こめかみを突きながら考え込む真剣な表情。厚い前髪に隠れた傷跡。

 薄い月明かりに照らされた控えめなはにかみは少しだけ頼りになりそうで──


「顔赤いよ」

「赤くない!」


 メアリの指摘にムキになり、思った以上に大きい声が出てしまった。

 落ち着いた店内によく響き、周りのお客さんの咎めるような視線が集まる。


「声おっきいよ」


 メアリのせいでしょ。

 他人事みたいに注意する態度にもう一度怒鳴りつけそうになったが、喉まで出かかった怒りの言葉を温いカフェオレと一緒に流し込む。


「でも、そっか。麗美も包介くんのこと気になってるんだ」

「だから違うって」

「気にはなってるでしょ?」

「……それは、まあ」


 ワタシの中で長年燻っていたやるせなさの正体を暴いてくれた少年だ。気にならない方がおかしい。

 歯切れの悪いワタシの反応が面白いのか、メアリは頬杖をついて生暖かい微笑みを向けてくる。

 妙に年上ぶった、いや実際に年上ではあるけど、余裕たっぷりな表情が癪に触る。


「わたしたち、ライバルだね」

「別にライバルじゃないし。そうだとしても負けないし」

「まあ、わたしには幼馴染ってアドバンテージがあるからね。せいぜいがんばるといいよ」


 なんだその上から目線は。男と付き合ったこともないくせに。

 大体、メアリと包介クンの関係は幼馴染と言えるのか。

 幼い頃に知り合った友達という広い意味でなら言えなくもないが、一年足らずの関係を深い仲に思わせるその呼び方はずるい。

 それに、包介クンの幼馴染といえば、もっと相応しい女の子がいる。


「自惚れるのはいいけどね。赤錆ちゃん、だっけ? あの子は手強いよ」

「ぐ」


 効果は抜群だ。

 メアリは苦しそうに喉を鳴らし、恨みがましい上目遣いで睨んでくる。


「……負けないもん」

「いつも包介クンにべったりなんでしょ? 遠目でしか見たことないけど可愛い子だったし、タイミングが合えばコロッといっちゃうんじゃない?」

「あいつ口悪いもん。包介くんは内面重視だから、そういうの嫌いだよ」


 包介クンの好みを断定する口振りに疑問は残るが、言い分に納得できるところもある。

 包介クンは顔色を窺うのが上手かったり変に鋭かったりで年齢以上に大人びてはいるけど、言葉を額面通りにしか受け止められない素直さも持ち合わせている。赤錆ちゃんの可愛い嫉妬やからかいは、包介クンには酷い罵倒に聞こえているかもしれない。

 口ごもるワタシを見て、メアリはますます鼻息を強くする。


「あんな雌猿、わたしが本気出せばちょちょいのちょいなんだから。いつか目の前で土下座させてやる」


 言い負かされて半泣きになったメアリの姿しか思い浮かばないが、妄想するのは自由だ。

 呆れ半分でマグカップを傾けていると、不意にメアリの動きが止まった。

 丸まりがちな背筋を伸ばし、藍色の目を店の入り口に向けて固まっている。


「どうしたの?」

「……赤錆だ」

「ん?」


 メアリにつられて入り口を見やる。

 そこには、中腰で扉に手をかけ店内を警戒する茶髪の女の子、赤錆あかさびていちゃんの姿があった。




 ◇◆◇




 メアリは目立つ。

 日本人離れした綺麗な顔立ちもだけど、大きな体がとにかく周りの目を引く。

 だから、丁ちゃんもよく覚えていたのだろう。

 メアリの話では二人が対面したのは一度きりらしいが、丁ちゃんはすぐにこちらに気がつくと、グッと目つきを鋭くした。

 もっとも、ワタシからすれば子猫の威嚇にしか見えない。

 性悪な女子とのネチネチした腹の探り合いに比べれば、あからさまな敵意なんてのは可愛いものだ。

 せっかくだしちょっとお話ししてみたいな、と思ったのもただのきまくれである。

 丁ちゃんが店員さんを呼ぶより先に話しかけ、知り合いのフリをして席まで誘導する。

 メアリは信じられないという風な目でワタシを非難していたけど、いつまでも及び腰でいては包介クンを勝ち取ることはできない。

 そんな経緯で、丁ちゃんとワタシが隣り合い、対面にメアリが座る奇妙な相席が完成した。


「丁ちゃんはなに頼む?」


 できるだけ軽い口調で話しかけてはみたが、丁ちゃんの反応は渋い。

 まあ、当然ではある。

 包介クンを巡り一悶着あった金髪の成人女性と、その友達を名乗るマスク姿の大学生に突然拉致されたのだ、怪しまない方が無理がある。

 とはいえ、喫茶店に来て何も頼まないのも居心地が悪いだろう。

 丁ちゃんは険しい顔のまま、不本意ながらメニューを指さした。


「すいません、チーズケーキと紅茶をお願いします」


 代わりに店員さんに注文して、丁ちゃんに微笑みかける。


「……ありがとうございます」


 意外に素直だ。メアリの話し振りからは初対面の目上にも遠慮しない血気盛んな印象を受けたが、いざ会ってみるとなんて事ない普通の中学生である。


「急にごめんね。ワタシ、榛摺はりずり麗美れいみ。メアリと色々あったんでしょ? 気になって呼んじゃった」

「……あの、用件はなんですか」


 丁ちゃんは言いながら、チラチラと入り口を覗っている。店に入る時もそうだが、ただお店を訪れたにしては不審な動きだ。


「誰か探してる? 例えば、包介クンとか」


 丁ちゃんがビクンと跳ねた。

 あてずっぽうで言ってみただけだが、まさかの正解みたいだ。


「な、なんでっ」


 そこまで言いかけて丁ちゃんは慌てて口を隠したが、誤魔化すにはもう遅い。

 包介クンの名前を聞いた途端に元気になったメアリが、嬉々とした表情で丁ちゃんに人差し指を突きつける。


「ふ、ふん! こそこそ包介くんの後を尾けて気持ち悪い。偉そうなこと言ってるくせして、正体はただのストーカーじゃん!」


 アンタは人のこと言えないでしょ。

 あからさまに自分を棚上げした批判は、丁ちゃんの琴線を弾いたらしい。ギリギリと音がしそうなほどに歯を食いしばり、猫のような丸い目が虎のように厳しくなる。


「ごちゃごちゃうっさいのよ、うすらデブ。こっちはあんたみたいに暇じゃないんだ。無駄肉だらけで見苦しいから二度と包介に近づくな」

「デブじゃない!」

「どっからどうみてもデブでしょ。でかい乳ぶら下げて気持ち悪い。包介に悪影響だわ」

「悪影響じゃないし! 包介くんも大きい方が好きだもん!」

「あのねえ、デカけりゃいいなんて若いうちだけだから。そのうち萎びたぶどうみたいになるんだし、包介が大人になったら絶対幻滅するわよ。あっ、でもその頃にはあんた、本当にお婆さんになってるのよね。わあ、かわいそう。孤独死確定のショタコン婆さんにあんまり酷いこと言ったらダメね。ごめんなさい」


 これはひどいぞ。全然口が悪い。先ほどの素直さはどこにいってしまったんだ。

 メアリは顔を怒りに染め上げ、拳を固く握り込む。

 常人なら怯えて謝りそうなものだけど、丁ちゃんは太々しく足を組み、不遜な態度を崩さない。

 包介クン、よくこの二人の間に入れるな。


「あの、申し訳ありませんが、もう少しお静かにしていただけると……」


 流石に騒ぎが大きかったのだろう、注文の品を運んできた店員さんから申し訳なさそうな注意を受けた。

 謝るのはこちらの方だ。店員さんの不憫な姿に思うところがあったのか二人は見合ったまま座り直したが、ピリピリした空気は微塵も薄まらない。

 とにかく場を落ち着かせないと。


「それで、丁ちゃんは包介クンを探しにきたんだよね? あの子、あんまり出掛けたりしなさそうだけど、何かあったのかな」


 ひとまずは丁ちゃんの消火から始めることにした。

 ワタシが丁ちゃん側についたと早とちりしたメアリは不満そうに頬を膨らませたが、睨みを効かせて黙らせる。

 丁ちゃんも誰かれ構わず噛み付くほど理性は失っていないようで、ワタシにちらりと視線を向けると訥々とした口調で話し始めた。


「……昨日、教室で話してるのが聞こえたんです。今度の日曜、クラスメイトの買い物に付き合うんだ、って。どこに行く予定なのかは、一緒に帰る時に聞き出しました」

「へー、なるほどね」


 それで今日一日、包介クンを尾けていたのか。

 薄々感じてはいたが、この子も大概重たい性格をしている。いくら気になる男の子だとはいえ、後を尾けるのはちょっと行き過ぎだ。

 軽く聞き流した風を装うが、心の内側は隠しきれなかったらしい。

 ワタシの顔色を読み取った丁ちゃんは尊大な態度から一転、暗い面持ちで俯いてしまう。

 悪いことしちゃったな。

 軽はずみに呼びつけてしまったことを今更になって反省する。

 仲良くなるつもりがイタズラに傷つけてしまった。大人として、これはよくない。


「ねえ、丁ちゃん。アナタが来たってことは、包介クンもここに来る予定なんだよね」

「……はい。多分」

「時間的にはもうそろそろなの?」

「そうですね。二人がショッピングモール出てから急いで先回りしたんで、もうちょっとしたら来そうな感じします」


 よし。

 残ったカフェオレを一息で飲み干して気合いを入れる。


「こんな可愛い子を泣かせるなんて許せん。どんな話してるのか、みんなで盗み聞きしちゃおう」




 ◆◇◆




 元の席は入り口がよく見える。

 逆に言えば、入り口からもよく見えるということだ。身を隠すには日当たりが良すぎる。

 ということで、店員さんにお願いして衝立のある一番奥の席に移動させてもらったワタシ達は、横一列に並んで入り口を見張っていた。

 すのこ状の隙間から覗く都合上、体を張り付ける不格好な態勢にならざるをえないが致し方ない。


「あの、追加のお紅茶、置かせていただきますね」


 店員さんから呆れを通り越して哀れみの視線を向けられるが、その程度の恥は安いもんだ。

 あれほど険悪だったメアリと丁ちゃんは、包介クンという共通の目的のもと一つになった。

 ようやく得られた平穏は、仮初だとしても大事にしていきたい。


「……包介くんの足音」


 唐突にメアリが呟く。

 いくら静かな店内だからといって外の音を聞き取れるはずはないが、それを信じさせる凄みがある。包介クンの生活音に耳を澄ませる日常は伊達じゃない。

 丁ちゃんも同じ匂いを嗅ぎ取ったのか、スッと目を細めて入り口を睨む。


「きた」


 殺し屋のような声色。

 気になる男の子を迎える女子中学生が発したとは思えない響きである。

 だが、一丸となったワタシ達に茶々を入れる隙はない。

 肩を寄せ合い、息を殺して来店者を見定める。


 チリン。


 軽いベルの音と共に一組の男女が入店する。

 包介クンだ。

 いつもの学生服とは違い、薄手のトレーナーにベージュのパンツとシンプルな格好をしている。傷跡を隠すためのモサモサ頭は相変わらずだが、全体の色合いが明るい分、爽やかな印象を受ける。

 問題は隣の女の子だ。

 青のスカジャンに黒のジャージ。

 ショートのウルフカットは髪質が硬いのか、毛先が攻撃的に尖っていて、意志の強そうな眉の下には険しい瞳がギラリと光る。

 そして何より、その体格。

 メアリよりは小さいが、ワタシよりは確実に大きい。

 数字にしたら170センチを超えるくらいだろうけど、全身に角張った厚みがあるので身長よりデカく見える。

 大きいというよりデカイ。

 丁ちゃんの反応からして女の子と出掛けているのは予想できたが、ああいう不良っぽい子が相手だとは思わなかった。他のお客さんも異質な組み合わせの来店に、思わず二度見している。

 しかし、包介クンは周りの目などまるで気にしていない様子で、驚きで立ち尽くす店員さんに、二名です、なんて指を立てて伝えていた。


「あっ、はい! 二名ですね!」


 店員さんが素っ頓狂な高い声を上げ、慌てて店内を見回す。

 空き席はいくつかあるが、静かな雰囲気を楽しみに来たお客さんの近くに特殊なカップルを配置するのは不適切と感じたのだろう。


「ご案内しますね」


 トラブルは一か所にまとめるに限る。

 店員さんはワタシ達の目の前の席に向かって、一直線に歩き出した。

 チャンスだ。


「ちょっ、ちょっと、榛摺さん。こっち来ちゃう!」


 丁ちゃんが小声で訴えてくるが、ワタシに言わせれば遠くから眺めるだけなんてのは考えが甘い。

 話す内容、表情の動き。

 二人の間の空気感を肌で感じてこそ意味がある。

 ストーカー熟練者のメアリはそこらへんをよく理解しているようで、大きい体を背景に隠してジッと包介クンを見続けている。

 ターゲットの急接近に怯まず、むしろ集中力を研ぎ澄ませていくワタシとメアリに倣って、丁ちゃんも腹を括った。


「お席はこちらになります」

「はい。ありがとうございます」


 簡単なやり取りのあと、包介クン達が席につく。

 通路側に包介クン、窓側に相手の女の子が座る構図。

 衝立は固定はされていないが、ワタシ達の体を隠すには充分な高さがある。意識されなければこちらを振り向くことはないだろう。


「ちなみに丁ちゃん。相手の女の子はなんていうの?」

烏羽からすば薫子かおるこ。包介のクラスメイトです」

「からすば……」


 メアリが物騒な表情で名前を復唱する。

 ああいうやんちゃな恰好はメアリが一番苦手なタイプだろうけど、包介クンが絡むとこの子はどこまでも突っ走ってしまう。

 体格のいい二人がぶつかれば誰にも止められない。暴走しないよう注意しておかないと。

 そんなワタシの気苦労も知らず、包介クンと薫子ちゃんはメニューを広げて仲良く注文を選んでいた。


「烏羽さんは何にする?」

「うーん。こういうとこ来たことないから、何がいいかわかんねえな」

「紅茶とケーキが美味しいよ。僕はいつもガトーショコラとか頼むかな」

「へえ。でも、同じもの頼むのもおもしくないしな。……あっ、じゃあアタシ、ミニパフェ頼むからさ、二人で半分こしようぜ」

「僕はいいけど、烏羽さんはいいの? ほら、なんていうか、いろいろと」

「なんだよ。間接キスとか気にしてんのか? お子ちゃまだな」

「お子ちゃまじゃないよ。マナーとして確認した方がいいと思っただけなのに」

「嫌ならこっちから提案したりしないだろ。さっさと注文するぞ」


 包介クンは控えめに手を挙げて店員さんを呼んだ。

 ずっと二人を気にしていたらしい店員さんは素早い動きで駆けつける。


「すみません、注文お願いします。ガトーショコラとおすすめの紅茶を。あとはミニパフェと……烏羽さん、飲み物はどうする?」

「……コーヒー」

「ごめんなさい。ええっと、ブレンドコーヒーでお願いします」


 小慣れた注文だ。中学生ならもっとまごついてもよさそうなものだけど、そこはやはり包介クンの物怖じしない性格が上手く働いているのだろう。

 店員さんが踵を返したのを見送ってから、ちょっとだけ居心地悪そうにしていた薫子ちゃんが顔を上げる。


「……ありがと」

「どういたしまして。烏羽さん、人見知りだもんね」

「一言余計だぞ」

「もう。照れ隠しに足突っつかないでよ」


 うわ。青春してる。

 見た目は正反対だが、二人の関係は対等だ。

 管理したがる丁ちゃんや、甘えたがりのメアリには出せない甘酸っぱい雰囲気が漂っている。

 包介クンを辱めてやろうだなんて発破をかけたワタシが思うべきではないが、遠巻きにずっと眺めていたくなる可愛らしいイチャつきだ。

 微笑ましい気持ちで二人を覗いていると、横から丁ちゃんに肩を叩かれる。

 その手は微かに震えていて、じっとりした熱を帯びている。


「あの袋」

「袋?」


 掠れた声の丁ちゃんが指差したのは、薫子ちゃんの傍に置かれた紙袋だ。

 型紙の入ったちゃんとした袋で大きさは小物がいくつか入る程度、取り立てて不思議な点はない。しかし、丁ちゃんがわざわざ伝えてきたということは何かあるのだろう。

 目を凝らしてよく観察し、横面に描かれた小さなロゴを見つける。

 見覚えのあるロゴだ。

 たしか、服のブランドだった気がするけど、どうにも記憶がはっきりしない。喉まで出かかっている感じがなんとももどかしい。


「でも、今度からは一人で選んでね」

「あ゛? なんでだよ」

「いや、やっぱり一緒に下着選ぶのはまずいよ」


 下着?

 朧げなそれが一気に鮮明になると同時に、ワタシはあまりの衝撃に言葉を失った。

 あれ、ランジェリーショップの袋じゃん。

 中学生の分際でなんて爛れたことを。男女で下着を選ぶだなんて、性に乱れた大学生の中でも一部のバカップルしか行わない淫らな所業である。

 初々しさに毒気を抜かれかけていたが、和やかな気持ちはすっかり消えた。

 メアリと丁ちゃんにも熱が入り、衝立が倒れそうになるくらい体を密着させる。


「別にいいだろ。減るもんじゃないんだし」

「神経は大分擦り減ったかな。とにかく、次は赤錆さんとか濃墨先輩に頼んでね」

「二人ともペチャパイだから参考になんねえよ」


 それはいけない。

 丁ちゃんの表情が石のように固まる。そんな様子を見てメアリは鼻で嘲笑うが、余裕をかませる状況じゃないので自重して欲しい。

 包介クンがはっきり否定してくれたら少しは救いになるけど、曖昧な笑いは暗に肯定しているのと同じだ。丁ちゃんの歯軋りに、ワタシの胃はキリキリと締め付けられる。


「ていうか、そんなに恥ずかしがることないだろ。アタシら以外にも男と女で来てる客いたし」


 薫子ちゃんは見た目通り明け透けな性格をしているらしい。

 中学生とは思えない発育をしている割に異性との距離感に疎いのか、多感な時期には答えづらい話題をどんどん投げかける。

 包介クンは気まずそうに目を逸らすが、無垢な眼差しを前にとうとう観念してポツポツと語り始めた。


「……あれは特別な関係の人達だから」

「特別って?」

「恋人同士ってこと」

「なんで一緒にパンツ買いに来たら恋人になるんだ?」

「女の人が男の人の好みを何回も確認してただろ? 下着を見せ合うなんて、普通の男女じゃありえない。だから、つまり、そういう関係なんだと思う」


 恥ずかしさを誤魔化すためか、ずいぶん律儀な説明だ。

 しかし、当の薫子ちゃんの反応は鈍い。


「よく分かんない。そもそも、好きとか付き合うとかが分かんねえし」

「……それは僕も分からないよ」


 薫子ちゃんのおざなりな態度に傷ついたのか包介クンは拗ねたように言う。

 普通なら空気を読んで話題を変えるところだけど、純粋を通り越して無神経な薫子ちゃんは止まるところを知らない。


「赤錆のこと好きとか、付き合いたいとか思わねえの?」


 爆弾が投下された。

 一帯を消し飛ばす破壊力を持った問いかけに、頭から爪先まで一瞬で緊張が走る。

 店内にかかるクラシックを飲み込むほどに心臓が大きな音を立て、力んだ眼球は視野を包介クンの一点に収縮させる。

 それは当然、メアリと丁ちゃんも同じだ。

 二人は呼吸も忘れ、血走った目で包介クンを注視している。

 沈黙。

 時間にすれば数秒だが、高まった集中力が感覚を間延びさせる。

 マスクが動くほどに喉を上下させて固い唾液を飲み込んだ直後、包介クンの唇が開いた。


「……好き、だと思う」


 言った。

 完全に言った。


「ふひっ」


 思わず、といった様子で丁ちゃんの鼻から空気が漏れる。

 吊り上がる口角の端では溢れた涎がきらりと光り、極度の興奮でうなじの毛が逆立った恋する乙女とは思えないギラついた表情だが無理もない。

 好きな男の子からの告白だ。飛び上がって歓喜の雄叫びを上げないだけ理性を保っている方だろう。

 けど、勝者がいれば、敗者もまた存在する。


「……メアリ」


 メアリは茫然としていた。

 失恋の絶望を認める余裕もなく、魂の抜けた顔で包介クンを見つめている。

 六年間の恋。メアリと話すようになってまだひと月弱の関係だけど、包介クンへの愛の深さは知っている。

 かける言葉が見つからない。

 興奮に打ち震える丁ちゃんと希望を失ったメアリ。

 非情で残酷な対比から、ワタシは目を背けることしかできない。

 包介クン、なんでこのタイミングで言っちゃうのよ。

 筋違いと分かっているが責めずにはいられない。

 やるせない気持ちを吐き出す先もなく、ただ口を噤んで耐え忍ぶ。

 狂気的な喜びと底に沈みゆく鉛のような悲嘆に挟まれたワタシの耳に、包介クンの、でも、の一声が届く。


「濃墨先輩のことも好きだし、他にも、素敵だなって思う人は沢山いるよ」

「たとえば?」

「言っても分からないと思うけど……桑染さんとか。隣に住んでるお姉さんなんだけど、凄い美人で格好良くて、でも、仕草とかが可愛いんだ」


 う、うおお。凄いぞ包介クン。

 まさかの逆転勝利だ。丁ちゃんの表情は一瞬で白けてしまったが、今は友達の勝利を喜びたい。

 メアリ、良かったね。

 叫びたい気持ちを抑えて、メアリの方を振り向く。


「へっ……へ?」


 メアリは感情の高低差についていけず、完全に混乱していた。

 まん丸に見開いた目からはボロボロ涙が溢れているが、拭う素振りすらみせない。

 口はへの字に開いたまま、声とも息ともつかない音が短い間隔で漏れている。


「包介くんは、わ、わ、わたしのこと、好き……?」


 油の切れたおもちゃみたいなぎこちなさでワタシに向き直るメアリの頬を両手で挟み込み、おでこがぶつかりそうな距離まで顔を近づける。


「そうだよメアリ。やったんだよ」


 自分とメアリ、両方を落ち着かせるようにゆっくりと告げる。

 ようやく頭が追いついたメアリは花が咲くような満面の笑顔になって、ワタシに抱きついてきた。


「わ、わあっ……!」


 大きな体を震わせて喜びを噛み締めるメアリの背中を優しく摩る。

 包介クンはメアリだけが好きなわけではないが、両想いに違いはない。水を差すのは野暮ってものだ。


「浮気者じゃん」


 しかし、こちらの事情を知る由もない薫子ちゃんは、余韻もへったくれもない感想を述べた。

 丁ちゃんもそこは同じ意見なようで、眉間に皺を寄せてうんうん頷いている。


「別に付き合ってるわけじゃないんだし、浮気じゃないと思うけど……でも、不誠実ってことにはなるのかな」


 ワタシの経験からいえば、好きな人が複数いるのは特別なことじゃない。

 誰か一人に決めたなら誠実さを貫くべきだが、その過程で迷うことは誰も責められないと思う。

 けど、真面目な包介クンは薫子ちゃんの意見を重く受け止めてしまったみたいだ。

 自分の感情に整理をつけようとしているのか、難しい顔で右のこめかみを触り出す。


「お待たせしました」


 煮詰まった状況の中、店員さんが注文を運んできた。

 包介クンはミニパフェ、薫子ちゃんはガトーショコラを頼みそうな見た目をしているが、店員さんの配る手つきには迷いがない。包介クンの顔をしっかり覚えていたらしい。


「ありがとうございます」


 包介クンが愛想笑いを浮かべて小さく会釈する。

 それで用事は済んだのに、店員さんはテーブルを離れない。お盆を片手にチラチラと包介クンの顔色を窺っている。


「何かありました?」

「あっ、いやっ、そのっ……ごめんなさい。二人のお話が、ちょっと聞こえちゃって」


 めちゃめちゃ聞き耳を立てていたみたいだ。大人しそうな顔して良い根性してる。

 店員さんはゴホゴホと大袈裟に咳をして喉の調子を整えると、意を決して胸を張った。


「わ、わたしは、好きな人がたくさんいても変じゃないと思うな。だけど、それを変に思うなら、一番を決めたらいいと思います」


 急に恋愛のアドバイスをしてくる店員なんて、どう考えてもおかしい。

 でも、人を疑うことを知らない包介クンは当たり前に受け入れていた。素直すぎて心配になってくる。


「そ、それじゃ、また何かあったら相談に乗るからね」


 アナタは仕事中でしょ、とツッコミを入れたくなるほどお節介な店員さんは言うだけ言ってスッキリしたのか、そそくさとカウンターの奥に戻っていった。

 それにしても、一番を決める、か。

 至極真っ当なアドバイスだけど、今は状況が悪い。

 メアリと丁ちゃん、せっかく横並びの位置につけたのに、またしても優劣がついてしまう。

 話を変えてくれ、とミニパフェに目を輝かせる薫子ちゃんに期待をかけるが、地雷をことごとく踏み抜くあの子が気を利かせてくれるはずもない。


「店員さんの言うとおり、順位つけてみれば?」


 薫子ちゃんはスプーンを咥えて腕まくりしながら、あっけからんと言い放った。

 衝立越しのひと言に再び緊張が走る。

 もう勘弁して。体も心も限界だ。

 開きっぱなしの丁ちゃんの目は赤く充血し、メアリにいたっては度重なる感情の揺れに耐えられず、フルマラソンを走り切ったランナーみたいな滝の汗をかいている。


「順位とか、優劣とか、あんまりしっくりこないけど……でも、機械的な判断はできるのかもしれない」

「ん? どういうことだ?」


 難しい言い回しだ。すかさず聞き直す薫子ちゃんに同調して、丁ちゃんが衝立に上半身全部をへばりつける。ほっぺの潰れたぶちゃいくな顔は絶対に包介クンに見せられないだろうけど、体裁はとっくに捨てている。


「例えば、自分の考えがしっかりしているとか、よく話しかけてくれるとか、僕が人を好きになる要素はそんなに複雑じゃないし、言語化できる。だから、好きになる要素をひと通り挙げてみて、一番多く当て嵌まった人が一番ってことになるんじゃないかな」


 理屈っぽすぎる。

 好きってそんな風に決めるものじゃない。

 でも、青くて初心な包介クンは自分の感情に基づいた判断を信じていない。

 よく考えて結論を出す癖が災いして、説明のつかない衝動を理解できない。

 ああ、焦ったい。

 恋ってそういうのじゃないよ、って今すぐ教えたい。


「それじゃ早速、オマエの好きな要素ってのをまとめてみようぜ」

「うん。さっきも言ったけど、自分の考えを持っている人は話していて勉強になるなって思う。体が大きかったり、力が強い人にも憧れるな。あとはそうだな、自分のことをよく話してくれる人の方が、信頼してもらえている気がして嬉しいかもしれない」

「ふーん。結構絞れそうだな」

「そうだね。これらを僕の好きな人達に当て嵌めていけば──」


 そこまで言って、包介クンは顎に手をあてて研究者みたいな表情で黙り込んだ。穏やかなクラシックとアンティーク調の内装が合わさって、本の表紙でも違和感がないくらいお洒落な構図だ。

 薫子ちゃんがミニパフェをバクバク食べ進める音がなければ、思わずシャッターを切ってしまっていただろう。


「そんなに悩むなよ。パフェ食うか?」


 薫子ちゃんがアイスの部分を掬ってスプーンを差し出す。

 あーんして食べさせる、見てるこっちが恥ずかしくなるシチュエーションだけど、薫子ちゃんがあまりに普通の顔をしているから全然いやらしくない。

 薫子ちゃんは頬杖をついて包介クンの目の前でスプーンを揺らす。

 しかし、包介クンは黙考したままミニパフェには目もくれない。


「おら」

「んごっ」


 待ちきれなくなった薫子ちゃんがスプーンを無理やり包介クンの口に突っ込んだ。

 目を丸くした包介クンを見て、満足そうに頷く。


「考えすぎなんだって。そりゃあ、話振ったのはアタシだけどさ。もっと気楽にいこうぜ」


 薫子ちゃんは快活に笑って包介クンの髪を撫で回した。気さくな気遣いは仲のいい姉弟みたいで、張り詰めた気も少しだけ解される。

 一緒に下着を選んだと言い出した時はとんでもないスケベだと警戒したものだが、取り越し苦労に思えてきた。

 距離の近さに妬けちゃう気持ちも分かるけど、ワタシの見立てでは薫子ちゃんに恋愛どうこうはまだ早い。

 男女の境が曖昧で、恋より友情を優先するタイプだ。尾行してまで用心するほどの相手ではないと思う。

 一件落着。

 邪魔をするのも悪いし、頃合いを見て退散しよう。

 そうするべきなのに、様子がおかしい。


「ん? どうした? 好きな人決まったのか?」


 包介クンは答えない。

 口の中のアイスが溶けるのも構わず、見開いた左目は真っ直ぐに薫子ちゃんを見つめている。

 二人の視線が正面から交錯する。

 時間にして二秒弱、たっぷりな間を置いて


「えっ!?」


 ボンッ、と爆発しそうな勢いで薫子ちゃんが真っ赤に染まった。

 それと同時に、衝立が傾く。

 造りが丈夫とはいえ、三人分の体重は支え切れない。

 慌てて端を掴んで倒すのは防いだが、致命的な角度がついてしまう。


「ぐ、偶然ですね。ははは……」


 包介クンの前に現れたのは中腰になった脂汗まみれの女三人。

 彼は気まずそうに髪を撫でながら引き攣った笑みを浮かべた。




 ◇◆◇




 ワタシ達三人組は出禁になった。正確には包介クンが代わりに謝って出禁は免れたのだが、恥ずかしすぎて行きたくても行けない。

 これ以上の迷惑はかけられないと急いで退店したけど、偶然の出会いから成り行きでここまで来たワタシ達に計画性なんてものがあるはずもなく、ひとまず最寄りの公園に避難することになった。


「お店に迷惑かけちゃ駄目ですよ」


 包介クンと薫子ちゃんを加えて。

 騒ぎに巻き込まれて居辛くなったのだろう、二人はテーブルの上を急いで片付けて、すぐにワタシ達に合流した。

 ぐうの音も出ないお叱りを受けて、メアリが首を縮こませる。


「……そんなのより、大事なことがあるでしょ」


 しかし、丁ちゃんにとってはそれどころじゃなかった。

 暗い面持ちで俯き、包介クンから視線を逸らしたまま呟く。


「大事なこと?」

「……あんたの好きな人」


 薫子ちゃんがビクッと反応する。

 メアリと赤錆ちゃんのお通夜みたいなテンションもそうだが、この子はこの子で様子がおかしい。

 さっきまでのやんちゃな振る舞いは見る影もなく、ちょっと内気な中学生女子になっている。

 いや、それだけじゃない。

 包介クンを見る目。

 あれは、恋する乙女が、気になる男の子をついつい追ってしまうときの目だ。

 ちょっと前まで、薫子ちゃんは恋愛を知らない子だった。だけど、包介クンの一言で、自分は好意を寄せられる女の子なんだと気づいてしまった。

 薫子ちゃんみたいに、自分に恋は関係ないと思い込んでいた子ほど、意識した時の衝撃は大きい。

 薫子ちゃんの変化には、丁ちゃんも、勘の悪いメアリでさえ気がついている。

 なのに、肝心の包介クンは平然としていた。

 ぽけー、と口を半開きにして何を考えているか分からない。地面に落ちた枝を暇そうに爪先で突いてるし、ほんとにもうなんなんだ。

 包介クンの答え次第では、子供の声が遠くで響く和やかな公園の風景が阿鼻叫喚の地獄と化す。

 各々がそれぞれの思いを抱きながら彼の言葉を待つ緊張の時間。


「うーん。僕にはまだ早いかもしれない」


 ようやく明かされた答えは、パッとしないものだった。

 拍子抜けな結果に全員の膝がガクッと折れ曲がる。中でもメアリの反応は大きくて、地面に膝を突き立てる様は崩れ落ちる氷山のようだ。


「な、なんだよー! びっくりしたぞ! 急に真面目な顔してみつめるもんだから、勘違いしそうになったじゃねえか!」


 薫子ちゃんが大声を出して包介クンの肩を叩く。豪快な笑顔に含まれるのは安心が八割、落胆が二割といったところか。

 叩かれた包介クンは肩を摩りながら、きょとんとした顔で薫子ちゃんを見返す。


「いや、烏羽さんのことが好きなのは本当だけど」

「ひょっ」


 この子はもう。いちいち言葉選びが。

 だけど、今回は空気を察したみたいだ。慌てて手を振り否定する。


「ああ、いや、僕の中で、人としての好きと恋愛的に好きの区別が上手くつけられなかったんです。人として好きになった先が恋愛に繋がるような気はするんですが、一目惚れなんて言葉もあるじゃないですか。だから、経験の足りないうちに決めてしまうのも早いのかな、という、まあ、そんな考えでした」


 包介クンのスタンスをまとめると、周りの女の子は皆んな素敵でドキドキもするけど、それが恋と言えるかはハッキリしないから、もっと見聞を広げて結論をつけたい、といったところか。

 真面目な包介クンらしい固くて面倒で、でも、誠実な考え方だ。

 つい忘れそうになるけど、彼はまだ中学生。どんどん悩んで自分なりの答えを見つけて欲しい、と優しい気持ちになる。

 しかし、丁ちゃんは違った。

 眉間に深く皺を刻み、不満げな眼差しで包介クンを睨みつける。


「どういう顔が好みなの」

「え?」

「好きな見た目ぐらいなら今のあんたでも答えられるでしょ。この中なら誰が一番好みか教えろ」


 脅すみたいな冷たい声。一度は勝利を確信し、それを不意にされたからなのか、振る舞い全部が刺々しい。

 包介クンはすでに恋話には触れてはいけないと気づいている。

 ワタシ達の強張った表情を見回すと、少しでも雰囲気を和らげようと愛想笑いを作った。


「みんな可愛いし綺麗だから決められないなあ」

「……根性なし」


 冗談めかして逃げようとしても丁ちゃんは許さない。

 配慮したのに貶されたものだから、流石の包介クンもムッとする。


「大体、僕に好きとか言われても相手が困るだろ。赤錆さんもいつも言ってるじゃないか。僕みたいなダサくてトロいチビに好かれて嬉しい人なんていないよ」


 言い返された丁ちゃんは言葉に詰まる。

 包介クンは顔がいい。

 女の子みたいな可愛い見た目して、仕草や考え方が男らしいのも私的にはポイントが高い。

 緊張を紛らわすために変な冗談を言ったり、集中し過ぎて向こう見ずなところもあるけど、基本的にはモテる部類の男の子だと思う。

 メアリや丁ちゃん以外にも、彼を好きな子が一人、二人はいるはずだ。

 にも関わらず、包介クンの自己評価は低い。

 顔の右側を覆う大きな傷跡と、丁ちゃんの長年に渡る中傷が、彼から自信を奪ってしまっている。

 今までのは照れ隠しだったの、本当は貴方が気になるから好きな人を教えて欲しいな、と率直に聞ければ丸く治るのかもしれないけど、まだまだ子供の丁ちゃんは今更素直にはなれない。

 実利とプライドのせめぎ合い。


「もういい。帰る」


 葛藤の末、プライドが勝った。

 丁ちゃんは素っ気なく言い捨てると、踵を返してさっさと歩き出す。

 止めるべきか。

 でも、なんて声を掛ければいいのか分からない。

 迷っているうちに丁ちゃんの背中はどんどん遠くなり、ついには見えなくなってしまった。

 甘いものを食べながら、初々しい恋話が聞ければそれでよかったのに。

 恋の芽生えにライバルの登場、嫉妬と意地が混ざり合うぐちゃぐちゃの青春を一度に味わわされたワタシのお腹は、ギドギドのラーメンを流し込まれたみたいにもたれて、その後一日、中身のない吐き気に苦しめられることとなった。

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