怪談好きの丁さん

第31話

 赤錆あかさびていは嘘吐きだ。

 繰り返して、積み重ねて、振り返ったときには手遅れだった。

 いつかバチが当たる。

 頭の片隅では理解しているけど、それでも嘘から目をつむり見えない振りを続けた。何もかも自分のせいなのに、嫌われるのが怖くて見たくないもの全部に蓋をした。

 そんなことをしているうちにいつの間にか自分すら騙してしまっていて、あれは悪い夢だったんだと、反省も、思い出すことすらしなくなった。

 誰にもバレずに済むなんてそんな都合のいいこと、あるわけないのに。




「むかつく」

 花の金曜日。だというのにイライラする。あの喫茶店での一件から、ずっとこの調子だ。いつもの通学路で我慢できずに漏らした独り言に包介がビクつく。

「突然どうしたの」

 平然と尋ねる鈍感さが更に苛立ちを煽る。

 まるで気づいていないみたいな顔をしやがって。あんたのことに決まってるでしょ。

 あんまりにもむかついたので尻たぶを思い切り抓ってやるが、腹に渦巻くもやもやは一向に薄まらない。本当にむしゃくしゃする。大声を上げながら目につくものすべてを薙ぎ倒したい気分だ。

「何でそんなに苛々してるのさ。もうすぐ夏休みなのに」

「もうすぐ? あと三週間もあるでしょ。時間の感覚いかれてんじゃないの」

「まあ、考え方は人それぞれだよね、うん」

 評論家ぶった顔で頷いてんじゃない。

 いよいよ頭をぶっ叩いてやろうかと手を振り上げたところで、後ろから邪魔なあいつがやってきた。

「おう。おはよう」

「おはよう烏羽さん。あれ、家ってこっち側だっけ」

「違うけど。早起きしたから散歩してた」

「へえ。健康的だね」

 早起きして散歩する学生がいるか。老人みたいな真似をするな。

 朝っぱらから意味不明な発言をかましてきた烏羽は、当然のように包介の横に並ぶ。

「しかし、お前らも飽きないな。いつも一緒に登校してんのか?」

「基本的には」

「ふーん。アタシはたまにでいいや」

 たまに?

 馬鹿な包介は気にしてないが、あたしは聞き逃さなかった。

 こいつ、偶然じゃない。散歩だなんて白々しい嘘を吐いてまで、包介に付き纏いにきやがった。男みたいなでかい肩幅してるくせして、メス臭さ全開で気持ち悪い。

 烏羽からすば薫子かおるこ。包介の隣の席に座るガサツな女。つい数週間前までは、そこらに掃いて捨てるほどいる有象無象の不良だと視界に入れることもなかった。

 それがどうだ。学校、休日、放課後、登校。突然包介に絡むようになったと思えば、あたしがコツコツ整えた居場所に我が物顔で居座っていやがる。

 邪魔な奴は他にもいる。桑染くわぞめ濃墨こずみ青褐あおかち

 桑染と青褐は歳を食っているくせにガキみたいに直情的で、軽く煽れば勝手に自滅するから大した相手じゃない。乳と尻がデカいだけのザコだ。榛摺はりずりさんが完全に桑染の味方に回れば厄介だけど、あの人は中立を保つつもりみたいだし、それほど警戒する必要はないだろう。

 問題は濃墨だ。老け顔とキツネ目である点を除けば、女のあたしが羨むくらいの整った顔立ちをしていて、スタイルもいい。加えて用意が周到で、自分の評判を利用してオカルト倶楽部だとかいうキモい集まりに包介を抱きこみやがった。なんとかあたしも潜り込めたが、戦況は厳しい。

 全員邪魔だ。そもそも、妙な女に囲まれている現状は包介にとっても望ましくないはず。

 包介は人付き合いが好きじゃない。あたしの教育のおかげで多少社交的にはなったが、根本は根暗で自己評価が低く、そのくせ変にこだわりが強い面倒くさい男だ。自分でもそれを分かってるから、プライベートで誰かと遊ぶことはほとんどない。

 ボロを出さないように。包介の他人に対する振る舞いは昔から徹底している。

 その頑なさを解きほぐした唯一の人間があたしだ。包介の内側にある優しさとか、素直さとか、小生意気なところとか、負けん気が強いところとか、意外とノリがいいところとか、辛い時に寄り添ってくれるところとか、そういうの全部、引き出したのはあたしだ。だから包介はあたしを一番にするべきだし、他の連中は包介の全部をあたしに譲るべきだ。

 なのに、こいつらは。

「お。なんか背、伸びたんじゃね?」

「え!? ほんと!?」

「ウソ」

「なんだよもう……」

「ハハッ、悪い悪い。そんな怒んなよ」

「怒ってないですけど」

 烏羽が包介のほっぺたを撫でる。

 そこはあたしだけが触れていい場所だ。なんの努力もしてないぽっと出の不良が軽はずみにやっていい行為じゃない。

 あたしをそっちのけにしていちゃつく馬鹿二人への怒りを込めて、近くの小石を思い切り蹴っ飛ばす。錐揉み状に吹っ飛んだそれは排水溝のカバーに当たり、甲高い金属音を鳴らして跳ね上がった。

「危ないからやめなよ」

「うっさい」

 こういうときばかり口出ししてくる。さっきまであたしを無視してたくせに。

 むかつく。カッと暴力的な衝動が湧き上がり、右手にグッと力が入る。

 振り向きざまにビンタをかましてやる。

 包介があたしの肩に触れるのに合わせて、踵と腰を勢いよく回転させる。一分の無駄もない流れるような体重移動。一発いいのを喰らわせれば少しは気も晴れるはず。

 なのに、防がれた。あたしの腕は後少しのところで包介に止められた。

「お、ちゃんと止めれたな。えらいぞ」

「へへ。ちょっとは強くなれたかも」

「まだまだこれからだ。慢心しないように」

「はい」

 包介の修行。突然のことだったけど、珍しく自分からやりたいって言うから許可してやった。

 今は後悔してる。

 包介は本当に強くなってきてる。男子全体で見たらまだまだ弱い方だけど、それでも、風が吹けば飛ぶような頃から比べればずっと強くなった。週二回の修行でも、あたしが手伝えることは日に日に少なくなっている。

 あたしの知っている包介が、どんどん遠くなっていく。

 照れくさそうな笑顔が腹立たしい。油断している股座目掛けて鞄を下から振り上げる。

「お゛うっ」

 今度は当たった。包介は呻き声を上げて中腰になる。

 見慣れた光景。理想通りの結果。でも、気分は全然晴れない。股間を抑えて悶える包介を見ても胃の中はムカムカしたままだ。

「朝からなにカッカしてんだよ」

「触んな」

 烏羽が馴れ馴れしく肩を組もうとしてきた。こいつはやたらと気軽に接してくるが、友達と認めた覚えはない。

 触れられる前に胸をどついて押し除ける。瞬間、手に伝わるふかふかした感触が尚更怒りを加速させる。

「おい。いい加減にしとけよ」

「は? あんたなんかに説教される筋合いないから。うざったい。包介もいつまで痛がってんの。さっさと行くよ」

 烏羽は押されてムッときたらしいが、あたしには関係ない。顎をしゃくって未だに腰がひけてる包介を呼びつけると、ヒョコヒョコした足取りでこちらに向かって歩き出す。

 そう、それでいい。あんたは黙ってあたしの言う通りにしてればいいんだ。

「言うこときく必要ねえぞ」

「は?」

 なにこいつ。マジで頭おかしいんじゃない。

 やっと包介を呼び戻せたと思ったら、烏羽が行手を遮った。デカい図体で仁王立ちして偉そうにあたしを見下ろしてくる。

「今日のお前は酷すぎる。一回ちゃんと謝れ」

 何様のつもりだ。邪魔してきたのはお前だろ。包介の理解者みたいな顔してこっちを見るな。

 ていうかこいつ、今日はいつにもまして露骨に距離を詰めている。特訓中の接触は仕方がないにしても、今朝のボディタッチは下心が見え見えだ。先日の包介の告白を未だに引き摺ってるのか。ちゃんと本人の口で恋愛はまだ早いと否定したのに変な期待を持っていやがる。お前みたいな筋肉ダルマ、好きになるはずないでしょ。

 大体、包介も包介だ。なに黙って烏羽の言うことなんか聞いてるんだ。余計なこと考えてないで、さっさとあたしのところに来い。

 地面を力いっぱい踏みつける。バチンと大きい音が鳴り、包介がビクッと首を縮ませた。不安そうにあたしを窺う左目は昔と同じで従順だが、体は烏羽の後ろに隠れている。

「はやくこい!」

 道いっぱいに響く怒鳴り声をあげても包介は動かない。それどころか、庇うように前に出てきた烏羽が正義面して睨みつけてくる。

 むかつく。邪魔してきたのはお前のくせに。

「あっそう。もういい。あんたらみたいなのと絡んでもストレス溜まるだけだわ。勝手にやってれば」

 やってられるか。もう一度地面を踏み鳴らして踵を返す。

 これが最後通告。

 だけど、包介が後を追ってくることはなく、あたしは一人で登校する羽目になった。




「顔怖いよ」

 給食を食べ終え、ようやく昼休みに到達したが怒りはまるで収まらない。机を指先で叩き続けるあたしを見兼ねて、栗皮が軽い口調で話しかけてきた。

「また包介くん絡み?」

「また、ってなに」

「丁がイライラしてるときって大体そうじゃん」

「他にも苛つくことなんてたくさんあるし」

 たとえば、濃墨の人を見透かすような態度とか、烏羽の立場を弁えない横柄さとか、青褐が最近調子づいていることとか、桑染の爆乳とか。

 次々に浮かんでくるいやらしい女共の顔を脳内でぶん殴っていると、栗皮が大げさに溜め息を吐いた。

「まあ、なんでもいいけどさ。皆んな怖がってるからやめな。感じ悪いよ」

「別に感じ悪くなんか──」

 してる。

 包介や、その他の女に対する苛立ちを周りにぶつけてる。控えめに言っても、あたしは嫌な奴だった。

「……ごめん。ちょっと落ち着く」

「うん」

 このままいけば、あたしが普段見下しているガキ臭い連中と同類になるところだった。栗皮に感謝しつつ深呼吸する。数回繰り返しても奴らに対する怒りは消えないけど、頭を回す余裕は生まれた。

「それで? 今度はどうしたの」

「最近上手くいってなくて。もう大丈夫」

「そう? 丁がそういうなら心配ないんだろうけど、でも、なんかあったら辛くなる前に相談してよね」

「うん。ありがと」

 良い友達だ。

 自分の席に戻る栗皮の背中を見送りながら、つくづく思う。あたしもあの子みたいに感情をコントロールできたらもっと上手に生きられるんだろうけど、包介が関わると自分を抑えられなくなる。あいつがあたしの元から離れる想像をするだけで、どうしようもなく胸がざわつく。

 このままじゃ駄目だ。包介に会って、一度気持ちをリセットしよう。

 いくらあいつが鈍いとはいえ、今朝のあたしは横暴すぎた。距離を置くという選択肢はないし、謝るなら早い方がいい。

 思い立ったが吉日。太腿を抓って気合いを入れ、椅子を引いて立ち上がる。あたしを気にかけてくれていたのだろう、席の離れた友達グループが心配そうに目配せしてきた。手を振って安心させ、背筋を伸ばして教室を出る。

 包介の教室は二階。遠かったりトイレが別だったりで顔を合わせる頻度が減ったのはむかつくけど、立ち止まって話す時間は延びたから最近は悪くないと思えたりもする。束の間の休み時間を謳歌する生徒の群れを抜けて階段を昇り、曲がってすぐの一年三組の戸を開ける。

「あっ、丁」

 入り口には顔見知りの女子達が屯していた。一人があたしに気付いたけど、気まずそうに目を逸らす。

「おつかれ。包介いる?」

「あー……今はちょっと」

 歯切れが悪い。誤魔化さないといけないようなことでもあるのか。壁になろうとさりげなく立ち位置をずらしてきたが、脇の下ががら空きだ。軽く腰を曲げて潜り抜け、その先にある光景を見る。

「ほっけ君はやわらかくてかわいいねえ」

 は? ……は?

 遠巻きな人だかり。その中心で、中学生のくせに金髪のケバイ女が包介のほっぺたを揉んでいる。あたしでさえ触らない前髪の下にまで手を入れて好き放題に弄っている。

 殺す。

 思考は即座に切り替わった。明確な殺意が足を突き動かす。包介の横で不機嫌そうにしていた烏羽が足音に気づいて振り返りギョッとしてあたしを見るが、どうでもいい。

 ぶち殺してやる。

 机を挟んで、包介の真正面に立つ。にも関わらず、女はあたしを見ようとしない。ごく近い位置、気づかないはずがない。意図的にあたしを無視している。

 ああそうですか。そっちがそういうつもりなら──

「死ね!!」

 女の顔面目掛けて固めた拳を振り抜く。

 が、手応えはない。避けやがった。

 首を傾げるだけであたしのパンチから逃れた女は、軸足を差し替えひらりと回転する。

 マークを外す動き。思い出した。こいつ、女バスのエースだ。

 梔子くちなし螺実亜らみあ。見た目は派手だが理論派で、無名の部を地区大会優勝に導いたのはこの女の力だと栗皮は言っていた。

 そんな奴が、どうして包介に絡んでいる。

「あぶなー」

 危機感のないヘラヘラした笑みを浮かべているが、目線はあたしに集中していて体幹にブレはない。

 包介の特訓に付き合ううちに何となく人の力量を測れるようになってきたから分かる。こいつ、体の使い方が上手い。烏羽みたいに喧嘩慣れしているわけじゃなさそうだけど、単純に反射神経がいい。

「キミ、赤錆丁ちゃんでしょ? メスガキっぽくてエロいって、クラスのロリコンが言ってたよー」

 挑発に乗るな。頭を使わなきゃ勝てない。

「あんたの方はエロいっていうより品が無いわね。頭も股も緩そう。同じ空気吸ってるだけで性病移りそうだからとっとと消えろ」

「ひどー。ほっけ君なぐさめてー」

「お前ッ」

 梔子が性懲りもなく包介に接近する。抱きつくような姿勢。机に阻まれ止めるのが間に合わない危険な状況だったが、意外なところから腕が伸びた。

「やめてもらっていいスか」

 烏羽。黙って包介の隣に座っているだけかと思ったが、梔子の横暴にはしっかり腹を立てていたらしい。この場で一番デカいこいつが立ち上がるとかなりの威圧感がある。余裕をかましていた梔子も目元を微かに引き締め、包介から半歩距離を取る。

 だけど、烏羽は仲間じゃない。単細胞のこいつは直感でしか動かない。少しでも気に入らないことがあれば、あたしにも簡単に牙を向けてくる。

 三つ巴の戦況。気の抜けない状況だが、チャンスでもある。

 不確定要素も増えたことで隙が生じる可能性も高まった。混乱に乗じて二人をぶちのめし、あたしは包介を手に入れる。

「あ、あの。皆さん落ち着いて」

 囲まれて小さくなった包介が何か言っているが、誰一人耳を貸さない。互いに睨み合う時間が続く。

「ところで、キミたちはほっけ君の何なのかな?」

「友達ッスけど」

「へえー。彼女じゃないなら、別に触っててもよくない? やめろとか言われる筋合いないんだけどー」

「ホ、ホースケは傷触られるの苦手なんだよ」

 梔子は一先ず烏羽を相手することにしたらしい。あたしは眼中にないとでも言いたげな視線の切り方は癪に触るが、攻撃の糸口は掴める。ここは大人しく機を待つべきだ。

 ていうか、烏羽の奴、包介のこと名前で呼んでないか。他人のことは苗字かオマエとしか呼ばない奴が、急に距離を縮めてやがる。くそ気持ち悪い。惚けた面しやがって。バレないとでも思ってるのか。

「ふーん、そーなんだ。……ね、ほっけ君。螺実亜に顔触られるの嫌?」

「えっ」

 梔子が再び包介に顔を寄せる。少しでも触れればすぐにぶん殴るつもりだけど、絶妙なラインで留まりやがった。包介はあたしと烏羽の顔を交互に見ながら、恐る恐る言葉を紡ぐ。

「ど、どうでしょう。梔子先輩が嫌な思いしないなら、僕は大丈夫ですけど」

「オイ!」

 烏羽は焦って大声を上げるが、この答えは予想できた。包介が顔の傷を隠すのは周りを不快にさせないためだ。そこが守られるのなら、触られること自体は断らない。

 切り口が違う。得意になってる梔子に現実を突きつけてやる。

「無神経なあんたは気付いてないだろうけど、傷のあたり、皮膚薄くて普通に痛がってるから。そんなことも気づかずに無理やり触って、しかも年上の圧力で文句も言わせないなんて。あんた、マジで終わってるね」

 ヘラヘラ笑っていた梔子の顔が初めて歪む。チャンスだ。動揺した隙に胸倉を掴んで引き寄せ、拳を振り被る。

「やめなさい!!」

 教室の入り口から怒号が飛ぶ。振り返ると、息を切らせた青褐が顔を真っ赤にして立っていた。

 構うものか。梔子に向き直り、むかつく顔面目掛けて拳を突き出す。

 だが、またしてもあたしの拳は空を切る。包介がいつの間にか立ち上がり、あたしのパンチを横に流した。

 いつか見た光景。烏羽を守ったときと同じ目。

「やめるんだ」

 似合わない低い声。

 あっそう。またあたしだけ悪者にするつもりなんだ。

 遅ればせながらやってきた青褐が羽交い締めにしてくる。なにもかもどうでもよくなったあたしは、無抵抗で拘束を受け入れた。

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