第32話

「ちゃんと貴女の口から説明しなさい」

「まあまあ。青褐先生、丁も反省していることですし」

「私にはそうは見えませんけどね。大体、吾亦紅先生は女子に甘過ぎます。この前も──」

 長い。青褐の小言を聞き流しながら、窓の外に視線を移す。

 包介を巡る争いの結果、取り押さえられたあたしは状況説明のため生徒指導室に連れ込まれた。

 あたし、梔子、烏羽、包介の順に呼びつけ事態を把握した教師陣は、騒動の原因はあたしにあると結論付けたらしい。放課後に改めて呼び出され、こうしてご指導を受ける羽目になっているわけだが、心底どうでもいい。

「な! もうしないよな!」

 ぼーっと校庭を眺めていると、吾亦紅がでかい声を上げて肩を叩いてきた。

 気持ち悪い。気安く触るな。

 今すぐにでも払い落したい。しかし、ここで目立てば青褐の説教が更に長引く。無表情で吐き気を飲みんで形だけ頭を下げる。

「……はあ。聞く気がないならもういいです。機会を改めましょう」

 ようやくか。青褐が言い切るのに合わせて立ち上がり、すぐに出口に向かう。

「いいですか。話が終わったわけじゃないですからね」

 無意味な忠告を背中で弾き、勢いよく引き戸を開ける。かなり長い時間拘束されていたようで、生徒の姿は一人も見えない。

 くだらない。今日はもう帰ろう。

 舌打ちを吐き捨てると、ポケットのスマホが震える。普段なら気をつけるが今は放課後、見咎められることもない。堂々と取り出して画面を見ると、濃墨からメッセージが届いていた。

 指導が終わり次第、資料室に来なさい。

 高圧的な文面だ。従ってやる義理もない。無視してしまおうと思ったが、間を置かずに次のメッセージが送られてくる。

 包介ちゃんと烏羽ちゃんが貴女に話したいことがあるそうよ。

「……ふん」

 話したいこと、ね。

 さっさと帰宅する予定だったが辞めた。まとめてぶちのめしてやる。

 身体中に力を漲らせ、胸を張って資料室に向かう。途中、すれ違った生徒に怯えた目で見られるが興味ない。大股歩きで廊下の端まで辿り着き、ノックもせずに資料室の戸を開け放つ。

「あら。随分といきり立っているわね」

「……は?」

 包介がいない。ついでに烏羽も。濃墨が一人、偉そうに座って紅茶を飲んでいるだけだ。

「なんのつもり。あんたみたいに暇じゃないんだけど」

「包介ちゃんは遅れてくるわ。その前に話を聞いておこうと思って」

「話? あんたに話すことなんてない」

 くだらない先輩風吹かせやがって。

 大方、烏羽あたりに誇張された話を聞いて、自己満足の講釈を垂れるためにあたしを騙して呼びつけたんだろう。自分の言葉には力があると過信する馬鹿にありがちなお節介だ。

 だけど、濃墨の口から続いた言葉はあたしの予想とはまったく異なるものだった。

「提案があるの」

 提案? あたしを陥れることしか考えない傲慢ちきな女が?

「一先ず、席についてもらえるかしら」

 濃墨は目を伏せ、ティーカップを置きながら言う。

 罠の可能性は充分にある。でも、それを見破れないほどあたしは間抜けじゃない。今、踵を返せば完全な無駄足を踏むことになるし、一度くらいは耳を傾けてもいいだろう。

「お得意の占いならお断りよ」

 鞄を放り投げて椅子に座る。威圧するために足を組むと、濃墨は長くて鬱陶しい溜め息を吐いた。

「……オカルト関連ではあるけれど、効果はある筈よ。以前に話した放課後の幽霊について、覚えている?」

「おぼえてない」

「あの時も貴女は怒鳴り散らしていたものね」

「余計なこと言ってないで早く本題入りなさいよ」

「私と包介ちゃんで貴女のお家を訪ねた時の話よ。夜遅く、十年前に自殺した女子バスケットボール部の女生徒が幽霊になって現れるという噂話」

「あたし、余計なこと言うなって言ったよね」

「……はあ」

 濃墨はこれ見よがしに眉間を揉むが、いい加減にして欲しいのはこっちの方だ。舌打ちで続きを促す。

「順を追って説明するわね。私は根も葉もない噂話だと気に留めていなかったのだけれど、先日、オカルト倶楽部が正式に同好会になったと聞いた子から相談を受けたの。なんでも、深夜零時に体育館の用具室の小窓から飛び降りる女生徒が見えるのだとか。内容が具体的になってしまったせいで、練習に身が入らない部員が増えているそうよ」

「へえ、本気でどうでもいい。勝手にやってれば?」

「話は最後まで聞きなさい。まず、私も貴女と同じで、放課後の幽霊は信じていない。放っておいてもいずれ落ち着くでしょう。けれど、この状況は利用できると思っているわ」

 濃墨は一呼吸置いて、薄く目を開ける。普段は目蓋の下に隠れている瞳が顕になる様は、癪だが結構迫力がある。思わず姿勢を正すあたしを見て、濃墨は満足げに頷く。

「調査という名目で、皆で深夜の学校に忍び込むの。オカルト倶楽部の活動であることを全面に押し出せば、包介ちゃんと烏羽ちゃんも断れないでしょう」

「色々問題あると思うんだけど」

 施錠された校内に入り込むのは簡単ではないし、そもそも校則違反だ。子供だけで夜中に出歩くのも危険。烏羽はまだしも、臆病者の包介を引っ張れるかも怪しい。パッと思いつくだけでも幾つかの課題がある。

 そして何より、それだけの危険を侵すメリットが分からない。吊り橋効果で有耶無耶にしようとでも言うのか。残念だけど、包介はそこまで単純じゃない。それはそれ、これはこれで分けて考える頭はあるから、ちょっとしたイベント如きでなあなあにはできない。

 言っちゃ悪いが濃墨らしくない雑な提案だ。何か裏があるのではないかと勘繰りたくなってしまう。

「貴女の言いたいことは分かるわ。私の目的は、話し合いの場の提供よ」

「話し合い? それだけのためにわざわざ夜中の校舎に乗り込むわけ?」

「……確かに、夜道を歩く危険を犯す価値があるほどの利点は見込めないわ。けれど私は、貴女が包介ちゃんに素直な気持ちを話すことさえ出来れば、これまでの諍いが綺麗に解決すると信じているの。私が烏羽ちゃんを引き留めるから、邪魔の入らない場所でしっかり話し合いなさい」

 二人だけの時間の提供。

 認めたくないが濃墨の言うとおり、あたしがカッとなるのは包介が他の女を気にかけるせいだ。不満が先走ってしまうあたしの感情も、二人きりなら落ち着いて伝えられる。夜の学校が危険であることに変わりはないけど、出不精のあいつを人気のないところに連れ出すのに、同好会を引き合いに出す以外の案は思いつかない。

 できる範囲で最良の提案。諸手を挙げて賛同はできないが、首を縦に振るには充分。

 だけど、引っ掛かる点が一つある。計画には関係なくとも、答えを聞かずには納得できない点が。

「……なんでそこまでするの?」

 優等生の濃墨が校則を破る理由がない。家柄のいいこいつは、軽い補導でも大目玉を喰らうはずだ。高校受験を控えている身で誰かのために非行に走るなんて、あたしなら絶対にしない。

 このままでは信じ切れない。そんな疑り深いあたしを嘲笑うように濃墨は再び目を細める。

「いつも喧嘩ばかりだけれど、貴女が嫌いな訳ではないのよ。赤錆ちゃんも烏羽ちゃんも、包介ちゃんも、皆大好き。だから、いつまでもすれ違っていて欲しくないの」

 ひどく平凡で、年長者のお手本のような回答。

 でも、平凡だからこそ信用できる。浮世離れしてる濃墨だけど根っこはあたしと同じ、自分の居場所を大切にしたい普通の女だってことだろう。

「わかった。……悪いけど、手伝って」

「ええ。もちろん」

 敵ばかりが増える中、一番の宿敵が仲間になった。これも、よく話し合った末の結果だ。ずっと苦手意識のあった濃墨とさえ和解できたのだから、包介が相手でも上手くいくはず。

 最低ばかりが続く中、ようやく好転の兆しが見えてきた。思いがけない幸運に小躍りしたいくらいだ。

 そんな浮かれるあたしを窘めるみたいに濃墨が咳払いをした。弛んだ空気がピリッと引き締まる。

「ただし、一つだけ約束してもらうわ。包介ちゃんに、必ず真実を伝えなさい」

「……は?」

 頭をガツンと殴られたような衝撃。思考が真っ白になり、一瞬時間が止まる。

 こいつ今、なんて言った?

「青褐先生は責任を果たしたわ。次は貴女の番よ」

 青褐。責任。あたしの番。

 連想されることは一つしかない。でも、こいつが知っているわけがない。あれは誰にも話していない。当事者の青褐ですら気づいてなかった。まったくの部外者である濃墨が知っているはずがない。

 かまをかけているだけ。動揺するな。

「包介ちゃんとお宅にお邪魔した時にも忠告したわよね。いつまでも隠し通せるものではないと。この機会を逃せば、貴女はきっと望まない形で知られることになる」

「意味わかんないんだけど」

 大丈夫。まだ誤魔化せる。こいつと包介が家に来た日だってそうだった。自信たっぷりに話しているが、証拠なんてどこにもない。絶対に大丈夫。大丈夫だ。

「あれだけ取り乱しておきながら、無関係を装える筈がないでしょう。それに、貴女も分かっているわよね? 先延ばしにすることは、包介ちゃんを傷付けているのと同じよ」

「意味わかんないっつってんでしょ!」

 うるさい。お前が知っているはずがないんだ。

 衝動的に机を叩く。ティーカップがガチャンと音を立てて、溢れた中身が机を濡らす。

 それでも、濃墨の口は止まらない。

「そう、分かったわ。貴女がその態度を貫くなら、私は一切協力しない。今までの話はなかったことにさせてもらうわ」

 ベラベラうるさいんだよ。お前の助けなんか必要ない。あたしが自分で包介を呼び出せばいいだけだ。

 そういう内心を見透かすみたいな嫌味ったらしい目で、濃墨はあたしを一瞥する。

「それだけでは済ませない。貴女の小細工は私が全て妨げる。包介ちゃんに真実を話すまで、ずっと」

「は? なにそれ。あたしのやること全部妨害するって? 馬鹿馬鹿しい。あんたはただの人間だ。神様気取りでくっちゃっべってんじゃないわよ」

「やるわ。絶対に」

 威圧するでもなく、ただ当然の事実を述べるだけの淡々とした口調。

 こいつはやる。間違いなく。

 濃墨こずみ巳狗狸みくりが本気になれば、あたしは完膚なきまでに叩きのめされる。

 確信に近い予感。足先が震え、首元に粘ついた汗が浮き出る。

 認めなければならない。濃墨は、あたしの秘密に気付いている。どうやって知ったかは分からないが、嘘やはったりじゃなく、確証を持ってあたしに突きつけている。

 でも、引けない。引かない。ぶつかっていくしかない。どれだけ打ちのめされようと、隠し通さなきゃいけない。嘘を吐き続けなきゃいけない。

 そうしないと、あたしがあたしじゃいられない。

 無言の睨み合い。一方的に追い詰められているあたしは、それしか抵抗する術がない。秒針の音が響く長い静寂の後、濃墨は呆れた風に息を吐いた。

「……これ以上は時間の無駄ね。悪いけれど、強硬手段をとらせてもらうわ」

 濃墨が立ち上がる。

 何かするつもりだ。

 素早く立って構えるが、濃墨はあたしを見ていない。あたしの頭を通り越して、資料室の入り口を見据えている。

「包介ちゃん。入ってきていいわよ」

「は?」

 濃墨が声を上げると同時に引き戸が開いた。

「お、お邪魔します……」

 包介がいる。一体いつから。聞かれていた? いや、核心部は話していない。

 まだ大丈夫。大丈夫だ。

 とにかく今は、濃墨から離れるのが先決。

「包介、今日の夜十一時に学校の前に集合」

「え、急にどうしたの」

「細かい話は外でするから」

 一方的に約束を叩きつけ、戸惑う包介の手をとって廊下に逃げる。強引であろうと、この場を凌げばそれでいい。

「今日の赤錆さん、やっぱり変だよ。どうしたの?」

 なのに、動かない。

 包介の体が重い。前までなら簡単に連れて行けたのに。

 包介があたしの顔を覗き込む。心配そうな顔。

 やめて。そんな目で見ないで。あたしなら大丈夫だから。

 だから、早く一緒に来てよ。

「包介ちゃん。右目の傷の話、烏羽ちゃんから聞いたわ。青褐先生に撥ねられたそうね」

 穏やかな口調。心地よさすら感じる声は滑らかに耳の中へ流れ込んでくる。

 聞いちゃいけない。そう理解しているのに拒めない。脳と体のちぐはぐな反応に胃液が込み上げる。

「は、はい。そうですけど、その、今じゃなきゃ駄目ですか?」

「今しかないの。それで、青褐先生は包介ちゃんが突然飛び出してきたと仰っていたようだけれど、状況を覚えている?」

 駄目だ。止めないと。

 なのに、声が出ない。薄く開いた目蓋の下から覗く濃墨のどす黒い視線が、あたしの喉元を射止めている。

「ええっと、事故の記憶はないんですが、後ろ向きに飛び出してきたらしいです」

「後ろ向きで車道に飛び出す。それも、車が止まれない勢いで。普通なら考え難い話ね」

「はい。でも、公園と道路の位置関係を踏まえるとありえない話でもないんですよ。正面を向いて道路に出たなら、車は右からやってきます。撥ねられ、そのまま倒れたなら最初にぶつけるのは体の左側になるはずです」

「そうね。けれど、包介ちゃんが傷を負ったのは右目のあたり。そうであるならば車がぶつかったのは左側、後ろ向きで飛び出したというのも充分にあり得る話ね」

「まあ、辻褄合わせの推論ですけど」

「いいえ。そう言い切るにはまだ一つ、無視できない要素が残っているわ」

「……もう一人の子供ですか? でも、青褐先生からは偶々突き飛ばしたように見えたというだけですし、そもそも誰か分かっていませんから。確かめる方法はないんじゃあ──」

「それでは、本人に直接聞いてみましょうか」

「え?」

「包介ちゃん。貴方を突き飛ばし車に撥ねさせたのは、赤錆あかさびていよ」

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