悶悶画家

第37話

 集会に意味はあるのだろうか。

 少なくとも僕は、体調不良者を出してまで強行するほどの価値があるとは思わない。

 すでに数人の脱落者が出ている。

 靄が見えそうなえげつない湿度の中、全校生徒をすし詰めにした体育館は蒸し風呂どころの騒ぎではない。ポケットに忍ばせたハンカチは酷使し過ぎておしぼりと化した。

 校長先生も一体何を考えているのか。自慢の演説はとうとう二十分を超えた。

 端に控える教師陣も苛立ちを隠し切れず、分かりやすく足踏みする先生や落ち着きなく腕時計を叩く先生、堂々と団扇を扇ぐ先生もいる。生徒達の態度は更に酷く、屈み込んで耳を塞いだり、呪詛を唱えたりと惨憺たる有り様である。それでも野次が飛ばないのは流石の品格と言うべきか。もっとも、死者が出かねないこの状況で注意者が不在なことを褒めていいのかは分からない。

 また一人、生徒が体育館を後にする。顔は病的に白かった。心の準備ができていなければ、僕も保健室に搬送される羽目になっていたと思う。

 今日、突如全校集会が開かれることになったのは、吾亦紅先生の逮捕が理由だ。

 なんでも、不祥事の対応に忙しい学校側は、マスコミと生徒の接触を防ぐために夏休みの前倒しを決断したらしい。当事者である僕は入院中、青褐先生の計らいで公表より早く情報を聞かせてもらえていたので、今朝のショートホームルームで改めて公表された時も、色めき立つクラスメイト達を優越感を持って眺めることができた。

 今は後悔している。夏休みを早めた陰の英雄のはずが、地獄を呼び込んだ大戦犯に早変わりだ。

「えー、であるからして、夏休みというのはですな、具体的な目標を掲げて臨まなければならない。いや、しかし、今日は暑いな。私が学生の頃はこのくらいの暑さでも水は飲ませてもらえなかったが、君たちは頼めばいつでも水分補給ができる。この恵まれた環境は君たちの親御さんが辛い経験をしたうえで成り立っているということを忘れてはいかんですな。あっはっは」

 笑うな。

 体育館中の人間が殺意に近い敵意を抱く。剣呑な視線を注がれて鈍い校長もようやく察したらしいが、それでも未練がましく結びの句をつらつらと並べ立てる。とうとう痺れを切らした教頭先生が食い気味に謝辞を述べると、今日一番の盛大な拍手が彼の反骨心を讃えた。

「死ねハゲ」

 隣で滝の如く汗を流す烏羽さんが憎しみを込めて呟く。常ならば諌める場面だが、即座に頷いてしまうくらいには僕も追い詰められていた。不服そうな顔で降壇する校長を見ても可哀想だとは全く思わない。

 かくして僕達は、中学生最初の夏休みを最低な形で迎えることとなった。




「クソ長かったな。上靴投げそうになったわ」

「……ええ。そうね」

 烏羽さんの乱暴な物言いに濃墨先輩が珍しく同意する。流石の先輩も擁護できないほど、先の全校集会は酷いものだった。

「仕方ないんじゃない。そういう仕事なんだし」

 そう答えたのは、頬杖をついて団扇を煽ぐ赤錆さんだ。事件に巻き込まれた彼女は僕と同じく、事前に夏休みが早まることを伝えられていた。

 僕と違うのは、校長の長話を予期してしっかり対策を練っていた点だ。灼熱地獄を乗り越えたにも関わらず赤錆さんのシャツは洗い立てみたいに乾いていて、汗の染み一つ見つからない。浮かれていただけの自分が恥ずかしい。

「ま、校長なんかどうでもいいわ。早いとこ本題に移りましょ」

 そう言って、赤錆さんは机にA3の用紙を広げた。一番上には丸っこい文字で、オカルト倶楽部夏休み計画と書かれている。

「学生の夏休みは一瞬よ。ちゃんと計画立てないとね」

 鼻息荒く捲し立てる彼女の表情は明るい。小学生の頃はどこか冷めていて、中学に上がってからは怒り顔ばかりだったが、久々に年相応なところを見られた。あの夜は散々な目に遭ったが、抱えていた荷を下ろせたなら意味はあったのだろう。

「そうね、赤錆ちゃんの言う通りだわ。……私にとっては、中学最後の夏休みだし、ね」

「あ、そっか。センパイ今年受験スよね。じゃあ、あんまり付き合ってもらうのもよくないんかな」

「濃墨は大丈夫でしょ。今更受験対策しなくたって、どこにでも入れるわよ」

「ふふ、ありがとう。私も皆んなとの思い出作りを大切にしたいわ」

「うん。いっぱい遊ぼ。……で、どうする? とりあえずどっか買い物でも行く?」

「なんか買いたいものでもあんのか?」

「別にないけど。てきとうにぶらつくだけ」

「えー? それならホースケの修行しようぜ。一日中筋トレさせるんだ」

「え゛」

 和やかな雰囲気に油断していたら、突然死の宣告が飛び出した。トレーニングは嫌いではないが、暑さ厳しいこの季節、丸一日は体が保たない。

「なんだよ、いいじゃねえか。何するにも体が大事なんだぞ」

「でも、折角の夏休みだしさ。みんなで出来ることにしようよ」

 烏羽さんは不満たらたらだったが、赤錆さんと濃墨先輩の反応が芳しくないこともあって渋々引き下がる。

 とはいえ、みんなで出来る遊びを見つけるのは難しい。女子の中に男一人が混じった時点で動き辛さは出てくるし、そもそも彼女達の趣向はそれぞれ全く違う。日替わりで各々の好きなことを提案するという手もあるが、どうせなら全員が満足できるものが良い。

「……あの、私からも提案したいのだけれど」

 見合って頭を悩ませていると、濃墨先輩が遠慮がちに手を挙げた。

「強制つもりは全くないわ。あくまで案の一つとして、軽い気持ちで考えてもらえれば……」

「前置きはいいから。さっさと言いなさいよ」

 赤錆さんに促され、濃墨先輩は鞄から薄い冊子を取り出した。相当に読み返されたのか角はくたくたになり、至る所に付箋が貼られている。

「夏の旅館特集?」

「ええ。ほんの気紛れで購入したのだけれど、贔屓の旅館が載っていたから、つい」

「へえ。どれ?」

「ここよ」

 濃墨先輩はマーカーで一際強調された箇所を指差す。老舗高級旅館特集と銘打たれたページの右隅に小さく載っているそれは、両隣の旅館と同じ角度で写っているせいか埋もれてしまっている印象を受ける。

「あんま人気なさそう」

 赤錆さんの忌憚のない意見に、濃墨先輩は苦笑した。それから、スマートフォンを机上に出して写真フォルダを開く。

「掲載されているのは本館ね。私が利用しているのは別館の方」

「わっ。よさげなところじゃない」

「おう。雰囲気あるな」

 濃墨先輩が示した画面には、木造平屋で瓦屋根のこじんまりとした旅館が映っていた。大正時代に建てられたのか建材すべてに年季が入っているが、古臭さは感じられない。むしろ、刻まれた歴史が厳かな雰囲気を醸し出し、青々とした緑に囲まれていることも相成って文豪の避暑地のようだ。

 まさしく老舗の高級旅館。こういう場所に泊まれたなら、それだけで周りに自慢できそうだ。

 泊まれたら、の話であるが。

「どうしたの、暗い顔して。包介も一緒に行くのよ」

「いや、僕は、いけない、かな」

 楽しげな空気が一転、冷や水をかけられたかの如く静まり返る。

 だが、誤魔化すわけにもいかない。皆んなの顔が訝しげに顰められる中、濃墨先輩が口を開く。

「お金のこと?」

「……はい」

 吾亦紅先生の件で医療費の出費が嵩んでしまった。

 弁償されるとは言うが、いつになるかは分からない。それに加えて旅行費までお願いしてしまっては、母さんは絶対に無理をする。行きたいのは山々だが、断るほかない。

「ウチで払う」

 赤錆さんが敢えて高圧的に宣言するが、ここは譲れない。首を振って断ると、彼女はくしゃりと顔を歪める。

「なんでよ。助けてもらったんだから、それくらいさせて」

「それとこれとは別だろ。気持ちは嬉しいけど、受け取れない」

 お金の話は曖昧にしたくない。

 赤錆さんは尚も食い下がろうと身を乗り出すが、僕の頑なな態度を感じ取ってか、自席に引き返した。烏羽さんも渋い表情で腕を組み、沈黙を保っている。

 中学生の時分にはどうにもならない問題だ。こればかりは仕方がない。

 せめて話題を変えようと腰を上げかけたその時、僕よりも早く濃墨先輩が立ち上がる。

「それなら、自分の力で稼げば問題はないわね」

「え?」

 先輩は部屋の隅の方に移動して、どこかに電話をかけ始めた。二回コールの後、通話が繋がる音がする。口元を隠して話すので内容は聞き取れないが、相手は社会人のようだ。

「──急なお願いで申し訳ありません。はい、日程はあらためて連絡しますね。はい、はい、よろしくお願いします」

 一分ほどの通話を終えて、濃墨先輩が振り返る。

「お金の問題は解決したわ」

「……ええっと、どういうことでしょう」

「旅館の支配人に、包介ちゃんを働かせてもらえないかお願いしたの。雑用をする代わりに一人分の料金を無料にしてもらえないか、とね」

「え?」

 そんなこと、ありえるのだろうか。

 中学生の労働力なぞ、高が知れている。丸一日働き通しても、高級旅館の宿泊料には到底届かないだろう。濃墨先輩を疑うつもりはないが、何か裏があるのではないか。

「普通なら断られるでしょうけれど、包介ちゃんの名前と学校を伝えたら、快く引き受けてくれたわよ。もしかして、知り合いなのかしら」

 僕に旅館経営者の知り合いはいない。いよいよきな臭くなってきた話に、疑問と不安を巡らせる。思いがけない幸運が舞い込んだにも関わらず、室内の雰囲気は徐々に重くなっていく。

 そんな空気を入れ替えようと、赤錆さんがぱちんと手を打った。

「ま、よく分かんないけど、濃墨が良いって言うなら大丈夫なんでしょ。あれこれ悩む前に、これからのこと考えよ」

 たしかに、深く考える必要はないのかもしれない。

 仮に相手がこちらを知っていたとしても、僕はただの中学生だ。騙して悪事を働かせようにも出来ることなど高が知れているし、頼りになる味方が三人もいる。大した事件は起こらないだろう。

 赤錆さんの言う通り、今は目先の旅行に思いを馳せようとした矢先の出来事だった。

「こんちわー」

 ノックもなく扉が開かれる。

 間延びした挨拶と共にやって来たのは梔子先輩だった。

 何故、先輩がここに。

 突然の来訪に皆の姿勢がぴりりと引き締まる。とりわけ烏羽さんの警戒は強く、彼女は静かに立ち上がると、盾になるように僕の前に体を割り込ませた。

「なんの用ッスか」

 胸を張って立ちはだかる姿は仁王像さながらの威圧感を放っている。しかし、梔子先輩は意に介さず、上体を真横に傾けて後ろの僕を覗き込む。

「こ、こんにちは」

 目が合ってしまい、思わず挨拶してしまう。烏羽さんが視線で咎めてくるが、取り繕うにはもう遅い。

「はーい、こんにちは」

 梔子先輩はにっと口を開き、薄く唇を舐めた。ちろりと揺らめく舌先は赤く、獲物を探る蛇のような妖しさがある。

「ほっけ君に用事。ちょっと借りてくね」

 長い腕が予備動作もなく伸びてきた。

 だが、僕に触れる寸前で烏羽さんが叩き落とす。ただ遮るには強すぎる音が鳴り、梔子先輩はしなやかな動きで後退する。

「……いった」

「スンマセン」

「誠意が感じられないんだけど」

「ウス」

 年長者の険しい眼差し。僕ならすぐに屈してしまいそうだが、烏羽さんは取り合うつもりがないみたいだ。答えは淡白に、しかし、瞳は油断なく梔子先輩を睨み下ろしている。

「あたし達、今打ち合わせ中なんで。帰ってもらっていいですか」

 赤錆さんが参戦した。烏羽さんを援護するように、斜め後ろに控える。濃墨先輩は席につき指を組んだまま動かないが、目蓋を薄く開き、梔子先輩を冷淡に見定めている。完全に臨戦態勢だ。

「……へえ。オタクっぽい名前の集まりのくせして、ケッコー迫力あるじゃん」

 オカルト倶楽部の総力を前に、然しもの梔子先輩も身構えた。後ろ足を肩幅まで下げて、重心を腰に落とす。今にも飛び掛からんとする体勢に、烏羽さんが牙を剥いて笑う。

「ハッ。マジでやる気かよ」

「別に? そっちがやりたいなら付き合ってあげますよ、ってだけ」

 指先の僅かな動きさえ許さない緊張感が漂う。

 固唾を飲んで見守ることしかできない時間を割いたのは、またしても予定外の来客だった。

「失礼します」

 ノックはあるが、返事は待たない。がらりと開いた引き戸の先には、ビブスをつけ、馬の尻尾のように長い髪の毛を頭の後ろで結った真面目そうな女子生徒がいた。その後ろには、息も絶え絶えの青褐先生が真っ青な顔で膝に手をついている。

「女子バスケットボール部、部長の椋実むくのみです。ここにウチの部員が──」

 拳を握って相対する彼女達を見て、すべてを察したのだろう。椋実先輩は怒りと呆れ、諦めと疲れの混ざった複雑な感情を長い溜め息と共に吐き出した。

「あんたは一体なにをしてんの……」

「だってぶちょー! こいつらが先に喧嘩売ってきたんだよ!」

「だってじゃない。お礼言いに来たのに喧嘩するってどういうことよ」

「……お礼?」

「あー……うん」

 赤錆さんに怪訝そうな視線を向けられ、椋実先輩が気まずそうに頬を掻く。

「吾亦紅先生のことで、ちょっとね」

 吾亦紅。

 被害者である赤錆さんの前で持ち出すには、あまりに繊細な話題だ。軽はずみに発言していいものではなく、無言の時間が流れる。

「はあ、はあ、も、もう少々お待ちください」

 居心地の悪さから抜け出すには、未だ呼吸の整わない青褐先生の回復を待つしかなかった。




「かいつまんで説明するとですね」

 ようやく呼吸を落ち着けた青褐先生が言うところには、吾亦紅先生のセクハラは前々から問題になっていたらしい。

 女子生徒をじろじろ見たり、頭を撫でようとしたり、車で送ろうとしたりなど、決定的ではないにしろ気持ち悪い振る舞いが散見され、度々相談が上がっていたようだ。学校としても、指導を行えど少し間を置けば元に戻るの繰り返しでやきもきしていた時に、今回の事件が起こったとのことだった。

「だから、黒橡くんには感謝してるんだ。君のおかげでウチの部員も救われた。本当にありがとう」

 椋実先輩に深く頭を下げられる。

 僕が吾亦紅先生と対峙したのは赤錆さんとの待ち合わせの成り行きで、真に称賛されるべきは彼を捕まえた慶次さんだ。僕はぼこぼこにやられただけなのだが、それでも、御礼を言われて悪い気はしない。

 しかし、横に控えていた梔子先輩の意見は違うようだ。

「まあ、おかげでちょっと困ったことになったんだけどねー」

「梔子」

「でもぶちょー。みんなも文句言ってたでしょ?」

 困ったこととはなんだろう。吾亦紅先生が消え、万事解決したのではないのか。

「私から説明します」

 青褐先生が小さく手を挙げ、全員の視線を集める。普段通りの無表情だが、今は少し口元が強張って見える。

「吾亦紅先生の逮捕を受けて、女子バスケットボール部は今回の中体連を辞退することになりました。皆さんを邪な目に晒さないための、学校の判断です」

 誰かの不祥事で連帯責任を取らされるのはよくある話だ。

 だが、教師の下衆な欲求のせいで生徒達が不利益を被るのは、簡単に受け入れられるものではない。

「……ですが、貴女達の努力が、あんなくだらない男のせいで不意になってしまったことは、悔しく思います。私達、教師の力が足りないばかりに、こんな結果になってしまい、本当にごめんなさい」

 下唇を噛んで俯く青褐先生を、椋実先輩が慌てて擁護する。

「いや、先生は悪くないですよ。顧問を引き受けてくれただけでも凄く助かってます。それに、別の大会の予定も組んでくれましたし」

「別の大会? 中体連の他にもあるんスか?」

「10月頃に市民大会があるんだ。優勝しても何かあるわけじゃないんだけど、それを引退試合にするつもり」

 大会とはいうが、中体連とは規模が違う。まして、強豪の女子バスケットボール部にとっては肩慣らし程度にしかならないのだろう。椋実先輩は優しく笑うが、寂寥感を隠せていない。

「……ごめんなさい」

 口から自然と謝罪の言葉が漏れていた。

 吾亦紅先生の罪を明らかにしたことは、間違えていないと思う。しかし、バスケ部の経歴に傷をつけてしまったのも確かだ。あの状況ではどうすることもできなかったが、せめて僕から彼女達に謝りに行くべきだった。

「いやいや、黒橡くんが謝ることじゃないよ。……全国に行けなかったのは残念だけど」

「ほんとーにね。去年に初めて全国行って、今年はマジで優勝目指そうって頑張ってたのにさあ。急にセンパイ達の晴れ舞台をダメにされて、こっちも収まりつかないわけよ」

 三年間の集大成を不意にされたのだ。彼女達の怒りは尤もで、償えるなら償いたいが、差し出せるようなものは何もない。

 肩身を狭くすることしかできない僕の隣で、赤錆さんが苛立たしげに鼻を鳴らす。

「包介は殺されてもおかしくない状況で、あたしのために戦ってくれたの。それをネチネチネチネチ、わざわざ文句言いにきたわけじゃないんでしょ。要求があるなら、とっとと言え」

 喧嘩腰の口調だ。けれど梔子先輩は、その言葉を待ち望んでいたように口の端を歪める。

「大会までの四ヶ月、ほっけ君にはバスケ部のマネージャーをしてもらう」

 ぴきり、と空間に亀裂が入る音がした。オカルト倶楽部の面々のこめかみに極太の青筋が浮いているので、勘違いではないだろう。

 このままでは、暴力も辞さない口論が再び勃発してしまう。口答えするようで気は進まないが、僕が間に入るしかない。

「マネージャーって、ビブスの洗濯とか飲み物の用意とかするんですよね。男子にされるのに抵抗がある人もいるんじゃないですか?」

「その辺はだいじょーぶ。みんなに了解とったし。ま、最初のうちはやってもらいたい人だけって感じかな」

 本当だろうか。梔子先輩は簡単に言うが、思春期の性差は繊細な問題だ。償いといえど、二つ返事で受け入れてはいけない気がする。

 そういう不安げな様子を察してくれたのか、梔子先輩はにこりと微笑んで近寄ってきた。

「そんなに気にするなら、しばらくは螺実亜らみあの専属でやってもらおっかな。マッサージとかー、買い出しも一緒にいこ。わっ、楽しくなってきたね。ほっけ君はクレープ好き? お姉さんがご馳走してあげるよー」

「ちょっと待ちなさい」

 独断で決まりかけていた話に待ったをかけたのは、濃墨先輩だった。

 先輩の涼やかな声はよく通り、みんなの注目が一瞬で集まる。

「包介ちゃんはオカルト倶楽部の大切な部員よ。貴女達に渡す訳にはいかないわ」

「……話聞いてましたー? そっちに拒否権ないと思うんだけどー」

「欠場は学校の都合でしょう。包介ちゃんが責任を取る理由はないわ」

 濃墨先輩は薄く目を開け、三白眼気味の瞳孔で梔子先輩を見据える。梔子先輩はまるで怯むことなく、冴えた眼差しで真っ直ぐに見つめ返す。

 赤錆さんや烏羽さんと交わした火花散る睨み合いではない。だが、水面下で銃口を向け合うような冷ややかな緊張感がある。

 成り行きを見守っていた椋実先輩も、決着がつかないことを悟ったのだろう。濃墨先輩の視線を遮るように、梔子先輩の半歩前に並び立つ。

「まあまあ。でも、少しくらいはいいでしょ? 10月までとはいかなくても、夏休みの間くらいは──」

「駄目よ。許可できない」

「……ちょっとくらい融通効かせてもよくない? ほら、一応、ウチらの部活、結構成績残してるし。濃墨さんとこよりは忙しいかなって」

「残された時間が貴重であることに変わりはないわ。包介ちゃんを貴女達に譲るつもりはない」

 椋実先輩はどちらかというと中立を保っていたが、濃墨先輩の断固たる拒否に、あからさまに気を悪くした。梔子先輩を押し除けてまで身を乗り出し、きつい目つきで睨め付ける。赤錆さんと烏羽さんの怒りも収まったわけではないし、完全な対立構造が出来上がってしまった。

 もう僕一人の力ではどうにもできない。壁に寄りかかり沈黙を貫く青褐先生に視線で助けを求める。

「いいでしょう。雌雄を決するときが来たようですね」

 先生はゆっくりと目蓋を開くと、勿体ぶった口振りで続けた。

「ここに、包介さん争奪戦の開催を宣言します」

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