第38話

「チキチキ! 包介さん争奪3on3対決ぅ!!」

 体育館前方、女子バスケ部員の中に僕一人が紛れた奇妙な集団を見下ろし、青褐先生が声を張り上げる。

 先生の宣言は事情をよく知らない部員達の心にはまったく響かず、広い空間に虚しく消えてしまったが、先生はへこたれない。いつも正しい背筋を更に伸ばして、げんなり顔の僕達を睥睨する。

「青褐先生って、意外とはっちゃけるタイプなんだね」

「......うん」

 隣で体育座りしている栗皮さんが、こっそりと耳打ちしてくる。日記の中でも同じくらい弾けていることは、先生の名誉のために黙っておこう。

「それでは、メンバーに入場してもらいます。一人の男を求め、死闘を繰り広げるイカれた女達は──コイツらだッ!」

 青褐先生がステージの袖を力強く指差すと、雰囲気に呑まれた何人かから疎らな拍手が鳴る。ぱらぱらとしたそれは不安げで、むしろ場を白けさせるものだったが、彼女達が颯爽と入場すると、一気に空気感が変わった。

 オカルト倶楽部と女子バスケットボール部。

 隠と陽とも言うべき、相反する活動を行う集まりだが、しかし、彼女達の表情は等しく闘志に満ち満ちている。青褐先生を挟んでずらりと並ぶ様子は、全国大会に出場する選手のような凛々しさだ。

「それではメンバーを紹介します。まずはオカルト倶楽部。一年、赤錆あかさびてい!」

 名前を呼ばれた赤錆さんが一歩前に出て、軽く顎を引く。小柄な彼女は一見、侮られそうなものだが、周りの部員達がざわざわし始めた。

「ミニバスやってた子じゃない?」

「うん。かなり上手いよ。あんまり練習には来なかったけど」

「パワーはないけどテクニックはありそう。要注意ね」

 全然知らなかった。

 その前情報を聞くと、気怠げに指を伸ばす所作も様になって見えてくる。尊敬の眼差しを向けていると、視線に気づいた赤錆さんがちらりとこちらを見て、得意げにウインクしてきた。気障な振舞いだが、不覚にもどきりとしてしまう。

「同じく一年、烏羽からすば薫子かおるこ!」

「ウッス」

 赤錆さんに気を取られているうちに、烏羽さんに順番が回っていた。

 彼女の体格は他の選手と比べても一回り大きい。上背だけなら並ぶ人も何人かいるが、厚みを含めると烏羽さんはずば抜けている。バスケ部員達も油断ならない相手と認めたのか、静かに息を呑む。

 選手達の意気に充てられ、皆の熱量も上がっていく。青褐先生は満足げに頷き、満を持してといった風に大きく手を広げた。

「さて、皆さんもご存知でしょう! 品行方正、頭脳明晰、しかし、運動分野は全くの未知数! 三年、濃墨こずみ巳狗狸みくりぃ!!」

 力の入った口上に合わせて、濃墨先輩が会釈する。

 先の二人と比べると明らかに線が細い。普段通りの柔和な笑みも、どこかぎこちない。

「わっ。濃墨先輩だ」

「相変わらずきれい……でも、バスケしてるとこは想像できないかも」

「運動音痴って聞いたことあるよ」

「大丈夫かな、受験もあるのに。怪我させちゃったら大変」

 部員達の声も、心配や戸惑いの色が強い。求めていた反応とは違ったのだろう、青褐先生は物足りなさそうな表情になるが、大袈裟な咳払いをしてすぐに場を仕切り直す。

「はい。それでは、女子バスケットボール部の選抜メンバーを紹介しますね。といっても、皆さんはご存知でしょうから、簡単にやっていきます。左から、三年、部長の椋実むくのみ錦秋きあきさん、二年の梔子くちなし螺実亜らみあさん、一年の椋実むくのみ夏燕子かえこさん。エースの梔子さんの実力はもちろん、椋実さん姉妹のコンビネーションにも期待です」

 淡白な紹介に、控えめな拍手が贈られる。梔子先輩はのりのりで応えているが、両脇の二人はちょっぴり恥ずかしそうだ。

 それにしても、椋実さんがバスケ部にいるなんて。

 教室では僕の左後ろの席に座っている彼女だが、背丈は僕や赤錆さんと同じくらいで、同年代では小さい方だ。自己主張をしているところも見ないから、スポーツには興味がないものだと勝手に思い込んでいた。

 ぼんやりと眺めていると、不意に椋実さんと目が合った。彼女の方も僕のことを覚えていてくれたのか、はにかみながら小さく手を振ってくれる。同じように振り返すが、オカルト倶楽部の女性陣から物凄い目で睨みつけられたのですぐに止めた。

「では、ルールを確認しましょう。試合形式は3on3。21点先取で、試合時間は無制限。また、ハンディキャップとして、梔子さんのラインの内側からのシュートは禁止とします」

 最後の追加ルールにバスケ部から非難の声が上がった。三人しかいないのに一人の攻撃権を制限されるのだから、相当不利な条件だ。不平が出るのも当然だろう。

 しかし、当の本人は全く気にしていないみたいだ。

「だいじょぶだいじょぶ。部長と妹ちゃんがいるんだから。こんな素人には負けないっしょ」

 梔子先輩は笑って部員達を宥め、オカルト倶楽部の面々を小馬鹿にするような視線を送る。

「まな板パイセンに、ドンキーとディディーのお猿さんコンビでしょ? 楽勝すぎ」

 あからさまな挑発に、赤錆さんと烏羽さんのこめかみに青筋が張る。当然、言われたままで終わる彼女達ではない。

「舐めたこと言ってくれるわね。ビチクソ山のビチ子ちゃん」

「うんこ漏らしても知らねえぞ」

 別の試合が始まる前に、青褐先生がホイッスルを吹き鳴らした。赤錆さん達は互いを見合いながら握った拳をゆっくりと解くが、目はぎらぎらに光っている。巻き込まれた椋実さんが不憫で仕方ない。

「最後に。勝者に与えられる権利を確認します。女子バスケットボール部が勝利した場合、秋の市民大会までの期間、黒橡くろつるばみ包介ほうすけさんをマネージャーとして任命することができます」

 青褐先生に手招きされて、そろそろと前に立つ。

 梔子先輩は僕がマネージャーになることを部全体で了承したと話してたが、実際、どうなのだろう。男子が女子のマネージャーをするというのは、客観的に見ても下心を感じてしまうし、梔子先輩の勢いに負けて形だけ賛同したのではないか。それならば、こんな対決は必要ないし、僕がちょっぴり傷つくだけで済む。

 だが、意外にも、女子バスケットボール部の面々の反応は暖かかった。笑顔で手を振ってくれる人もいて、訝しむような視線はない。嫌がられるとばかり思っていたから、もぞもぞとした喜びが湧いてくる。

「ひっ」

 お尻を触られた。慌てて振り返るが、みんな素知らぬ顔をしていて犯人は分からない。追求しても無駄なので、大人しく正面に向き直る。

「次に、オカルト倶楽部が勝利した場合。包介さんは奴隷となり、皆さんに奉仕していただきます」

「えっ」

 なんだそれは。全然聞いてないぞ。

「ちなみに、私は女子バスケットボール部兼オカルト倶楽部顧問なので、バスケットボール部が勝利すれば包介さんは私のマネージャーになりますし、オカルト倶楽部が勝利すれば私の奴隷です。以上、よろしくお願いします」

「ちょ、ちょっと」

「それでは早速、準備に移りましょうか」

「あの! 聞いてないんですけど!」

「試合準備はじめっ!!」

 僕の訴えは無情なホイッスルにかき消される。

 時刻は午後一時半。熱気渦巻く体育館にて、人権を賭けた戦いの火蓋が切って落とされた。




 3on3とは三人対三人の、ハーフコートで行われる試合形式だ。通常の試合とは違い、ラインの内側からの得点は1点、外側からは2点で数えられる。また、攻守がはっきりと分かれていて、シュートを決めるか、ボールを奪った時点で交代となる。交代の際には一度ラインの外に出て、相手チームとボールをやり取りし互いの準備を確認する、チェックボールが行われる。

 選手間で攻守の交代が済むので、試合展開はかなり早い。実力が拮抗していれば奪い奪われで中々得点に繋がらないが、勢いに乗れば決着はすぐにつくだろう。

「女子バスケットボール部の攻撃からスタートです。では、試合開始」

 笛の音が戦いの幕開きを告げる。

 最初のボールは梔子先輩から。マークには烏羽さんがつくらしい。

 梔子先輩の体格はそれほど大きくない。側から見ると、烏羽さんとの差がよく分かる。それに、烏羽さんは有段者だ。動きの起こりを見逃さない。瞬発力だけでは彼女を躱すことはできない。

 緊張の瞬間。

 梔子先輩が仕掛けた。前に進むとフェイントを掛けて、バックステップを踏む。自分から遠ざかる動きは見慣れていないのか、烏羽さんが僅かに出遅れた。

 梔子先輩がライン間際で垂直に跳ぶ。

 ワンハンドシュート。ボールは綺麗な放物線を描いてゴールに吸い込まれ、リングに触れることすらなくネットを揺らした。

 完璧なシュート。梔子先輩は軽やかに着地し、観客に向かって振り返る。

「ね? 楽勝でしょ?」

 どっ、と歓声が沸いた。爆発のような手拍子が巻き起こり、大会さながらの掛け声が一帯に響き渡る。

 聞いているだけで気圧されそうな声援の中、赤錆さんがラインの外に出る。オカルト倶楽部は経験者の彼女を主軸に立ち回るつもりだろう。

 椋実先輩が赤錆さんのマークにつく。彼女の手足はすらりと長く、間合いが広い。掻い潜るのは難しい。

 それでも赤錆さんは、強引に切り込んだ。上履きの底が高い音を奏で、左に鋭くドリブルする。

 しかし、緩急では振り切れなかった。椋実先輩は結った長い髪をたなびかせ、ぴったりと追従する。ゴール下までは運び込めたものの、高いブロックに足が止まった。

 角度が厳しくシュートはうてない。赤錆さんはすぐに見切りをつけて、空いている濃墨先輩にパスを出す。

「ッ!」

 そこを狙われた。

 陰からぬるりと椋実さんが現れて、浮いたボールを掠め取る。鮮やかなスティールに濃墨先輩は一歩も動けない。

 オカルト倶楽部の攻撃は、何も出来ないまま終わってしまった。攻撃権はバスケ部に移り、ボールを受け取った梔子先輩が外に出る。

「梔子は無視! 次は入らない!」

 赤錆さんから指示が飛ぶ。たしかに、梔子先輩の距離は通常のコートでいう3ポイントシュートだ。そう何度も入らない。烏羽さんは一歩引いた距離で立ち止まり、パスコースを潰せるように膝を入れる。

「ノンプレッシャーで止められるほど、梔子先輩は甘くない」

 横で観戦していた栗皮さんが、ぽつりと呟いた。同時に、梔子先輩が再びシュートを放つ。

 先と変わらない軌跡。寸分違わぬフォームから放たれたボールは、またしてもゴールを決めた。

 大歓声に応えるように梔子先輩が指を挙げる。応援はますます勢いを増し、立ち昇る熱気で赤錆さん達の姿が霞んでいく。

 息抜きの催し物程度と、甘く見ていた。ここは紛れもなく敵陣だ。全力で行かなければ、あっという間に食い尽くされる。

 オカルト倶楽部の攻撃。

 赤錆さんは再び切り込むと見せかけて、烏羽さんに素早いパスを送る。強引に運び込むなら、彼女の体格を頼る方が勝算があると踏んだのだろう。

 しかし、烏羽さんのドリブルは高い。彼女の運動神経はかなりのものだが、万能ではない。慣れない球技に多少の粗さはある。

 そして、それを見逃す梔子先輩ではなかった。すれ違うように腕を振り、ボールが手を離れた瞬間を狙う。烏羽さんは体を盾にして奪われるのは防いだが、完全にボールを持ってしまった。

「センパイ!」

 赤錆さんは部長さんのマークが厳しい。少し離れたところに位置取る濃墨先輩にパスを出す。

 速すぎるわけでも、狙いが逸れたわけでもない、中継のためのパス。

「うっ」

 ばちん、と大きな音を立て、濃墨先輩はボールを弾いてしまった。そのまま後方に逸れたボールを、椋実さんが走り込んでキャッチする。

「……まずい」

 栗皮さんが深刻そうに言う。彼女は盛り上がる会場とは真逆の冷えた眼差しで、コートをじっと見つめている。

「たしかに実力差はあるけど、試合は始まったばかりだ。諦めるには早いよ」

「そうじゃない。それよりもっと酷い結果になるかも」

「どういうこと?」

 栗皮さんが顔を上げ、僕に向き直る。

「包介くんは、部長が濃墨先輩のこと好きじゃないの、気付いてた?」

「……なんとなく」

 部長さんがオカルト倶楽部を訪ねてきたとき、最初は僕や青褐先生を気遣ってくれた。梔子先輩の主張に赤錆さんが反論したときも、何とか場を治めようとしてくれた。

 しかし、濃墨先輩が意見した途端、梔子先輩と入れ替わるように前に立ち、真っ向から対立した。理由は分からないが、個人的な感情から来る反感であることは薄らと感じ取れた。

「喧嘩の噂を聞かなかったのはきっと、戦う土俵が違ったから。でも、今は──」

 スポーツという自分の土俵。気に入らない奴を打ちのめすには絶好の機会。

「部長、濃墨先輩を狙い撃ちにする気だ」

 椋実先輩の表情は、遠目からでは判然としない。しかし、低く構えた彼女の横顔は、暗い笑みを湛えているように見えた。

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