はねこさん

第25話

 部活動の面白さとは何だろうか。

 青春の代名詞であり、大人がかつてを羨む時は大抵話題に挙げられる。同じ志を持ち一つの目標に向かって切磋琢磨する、と言えば確かに素晴らしい活動に感じられるだろう。

 しかし、現実はそう甘くない。例えば運動系の部活動は、完全なる縦社会が築かれている。自身の能力を十二分に活かすには実力だけでなく、目上に気に入られる振る舞いや他部員のフォローなど、とにかく周囲への気配りが必要だ。

 また、こうした年功序列の制度は、実力の伴わない人にとっては地獄である。自分の存在が後輩から活躍の場を奪い、チームの勝利を遠ざけているという自覚。同年代からは気を遣われ、下級生からは疎まれ、常にプレッシャーに苛まれるだろう。努力が実れば良いのだが日々の勉学を怠るわけにもいかず、使える時間は限られている。

 もちろん、得難い経験が沢山あることは理解している。本当の友人を見つける機会にもなるだろうし、何かに打ち込んだという記憶はきっと生涯の思い出になる。

 けれど、僕のように才能も気概もない人間には不利益ばかりが目に入り、どうしても挑戦の一歩が踏み出せない。対面に座る生徒達が眩しく見えるのも、僕が卑屈な臆病者だからなのだろう。

「次はこの夏、大会に臨む部活動への激励です。代表の生徒は前に出てください」

 マイクで拡張された無機質な音声が蒸し暑い体育館に木霊する。今日の全校集会におけるメーンイベントのはずだが、いささか淡白なアナウンスだ。

 もっとも、隣の烏羽さんはまったく気にしていないようで、瞳をきらきらさせながら僕の肩を頻りに突いていた。

「なあなあ。応援団とか出てくんのかな」

「出てくるんじゃないかな。確か、演劇部がやるとかなんとか聞いたよ」

「へー! 楽しみだな!」

 烏羽さんは運動部でもないのに楽しそうだ。応援団は更生した不良が所属している印象があるし、荒っぽいところのある彼女は共感しやすいのかもしれない。

 僕は全然楽しくないし、更に言えば早く帰りたい。それは運動部が嫌いというわけではなく、この座り位置が気に入らないからだ。

 小学生の頃、僕は背の順という忌まわしい制度の奴隷だった。身長のせいで矢面に立たされる苦渋を舐めさせられ続けていたのだ。中学生になり並び順が出席番号に変わったことで、ようやく解放されたと思ったのに。

 今、僕は一年三組男子が並ぶ列の先頭に座らされている。僕より若い番号の生徒が全員、何かしらの部活動に参加しているためだ。

 この壮行会では送り出される側を分かりやすくするためか普段の集会とは違い、夏の大会に出場する部活動とそうでない生徒達で座る位置が二分されている。こうなると小学生の頃の忘れたい記憶が再現されてしまう。ああ、世知辛い。

 そわそわと膝を擦り合わせる烏羽さんと対照的な仏頂面で大人しくしていると、目の前を女子生徒の一団が横切った。五人共、白を基調としたビブスを纏っている。あれは確か、バスケットボールの試合着だったはずだ。体育会系らしい綺麗な背筋をした彼女達は体育館の中央辺りで足を止めた。

「あれ女バスだぜ。今の代はかなり強いらしいな」

 烏羽さんが耳打ちしてくる。そういえば、校舎に地方大会出場を讃える垂れ幕がかかっていた。学校で一番優秀な成績を残している女子バスケットボール部が壮行会の代表者として選ばれるのは、当然のしきたりなのかもしれない。

 並ぶ選手の中から、黒髪を頭の上で結った一際真面目そうな生徒が一歩前に出る。先程から目に入っていた中央に設置されたマイクスタンドは、この挨拶のために用意されたものなのだろう。真面目そうな彼女はジロリと僕らを見回した後、小さく空咳を吐いてから目尻に力を込める。

「女子バスケットボール部、部長の椋実むくのみです。本日はお忙しい中お集まり頂きありがとうございます」

 凛とした語り口である。一つ二つしか違わないはずの歳の差が遠く感じるほどの貫禄は、部を率いる者としての覚悟の表れか。

「私達はこれまで以上に実力を発揮し──」

 突然、言葉が止まった。部長と名乗った女生徒は口をポカンと開けながら、信じられないものを見る目で真横を注視している。他の部員達も釣られるように首を向け、唖然とした表情で固まった。

「ちょっ、ちょっと梔子くちなし。なに座ってるの」

「んー?」

「早く立つ!」

「えー? ふくらはぎ筋肉痛なんですけどー」

「いいから!」

「はいはいはいはい」

 僕から見て右端の位置。クリーム色の髪に短いスカート、ポケットから溢れる幾つもの大きなキーホルダーと、およそスポーツ選手とは思えない格好をした女生徒は億劫そうに立ち上がる。激励会にはまるで興味がないようで、大口を開けて欠伸を吐き出したかと思えばゆらゆらと体を揺らし、終いには隣の選手にちょっかいをかけ始めた。小声で怒鳴るという器用な芸当を披露した部長も彼女の振舞いには慣れているのか、それ以上の追及はせず諦めて挨拶を再開する。

「アタシ、ああいうのキライ」

 烏羽さんが憎々しげに呟く。たしかに根っからの体育会系である彼女とは相性は悪そうだ。

 強豪には似つかわしくない雰囲気に場は騒然となったが挨拶自体は淀みなく終わり、部長を先頭にそそくさと列に戻っていった。

「は、はい。女子バスケットボール部の皆さん、ありがとうございました。次は演劇部による激励です」

 恐る恐るといった風に現れた応援団達の動きがぎこちなかったのは見間違いではないだろう。応援団長の大声が霞むほど女子バスケットボール部の残した印象は強烈だった。




「なんか微妙だったな」

「そういうこと言っちゃ駄目だよ」

 式も終わり教室に戻る道中、烏羽さんは溜め息混じりに厳しい評価を下した。

 窘めはしたものの、彼女の意見を完全には否定できない。激励の内容はすでに朧げである。期待していたほどではない、というのは正しい評価だろう。

「このあとなんだっけ」

「ショートホームルームやって終わりだよ。今日は濃墨先輩に用事があるから倶楽部活動もなかったんじゃないかな」

「そうだっけか。じゃあ、予定と違うけど今日も稽古つけるか?」

「え」

「なんだよ。喜べよ」

「う、うん。あはは」

 笑顔を取り繕えはしたが、先日、締め落とされかけたトラウマは未だ払拭できていない。

 赤錆さんと濃墨先輩が止めに入らなければ、僕の意識は完全に空に昇っていただろう。魂が抜けるようなふわふわした感覚は不思議と心地よいものではあったが、もう一度味わいたくはない。

「じゃあどっか遊びに行くか? どうせ暇だろ」

「まあ、暇といえば暇だけど」

 今日は本でも読もうと思っていた。最近は色々用事もできて落ち着ける時間がなかったから、久しぶりにゆっくりしようと考えていたのだが、どうしたものか。

 なあなあ、と急かす烏羽さんへの返答を唸り声で先伸ばしていると、廊下の反対側から学校には似つかわしくない派手なクリーム色が歩いてくるのが見えた。

「あ」

 激励会の挨拶で気怠げにしていた女子バスケ部の人だ。きょろきょろと視線を散らせながら、人波の隙間を器用に縫って歩いている。あまり見つめるのは良くないと分かってはいるが、特徴的な外見のせいかつい目で追ってしまう。

 そんな不躾な気配を感じ取られたらしい。彼女の煌びやかな瞳と視線がぶつかった。

 慌てて逸らすが時は既に遅い。大勢の乱れた足音の中に、明らかに僕に向かってくる靴音が混ざる。

 観念するしかない。恐る恐る顔を上げると、満面の笑みを浮かべた彼女がすぐそこにいた。

「ね。きみ、黒橡包介くんでしょ」

「え」

 何故、僕の名前を。

 有名人の濃墨先輩と知り合いではあるが、僕自身は取り立てて目立つ行いはしていないはずだ。

「片目隠した一年生って君しかいないもんね」

「……ああ、なるほど」

 小学校から繰り上がりの生徒に囲まれて忘れていたが、確かに僕は奇抜な髪型をしている。生意気にも個性を放つ下級生の存在は、暇潰しの種くらいにはなるのかもしれない。

「ね、ね。髪の下にえっぐい傷があるってホント?」

 無邪気に尋ねられ、曖昧に頷く。小学生の頃は何度もされた質問だ。今更勿体ぶることでもない。

「へー、ホントなんだあ。ね、せっかくだし見せてよ」

 それはどうなんだろう。跡を晒すのは構わないが、あまり気分のいい見た目ではない。周りの生徒は醜いものが目にはいったと嫌な思いをするだろう。だからこそ妙な髪型をしてまで隠しているのだ。純粋な興味なのだろうが、いざ見せてしまえば気まずい雰囲気になるのは間違いない。それに、異性に気持ち悪がられるのは中々に辛いものがある。

「あんまり見栄えのいいものではないですから。周りの人も嫌な気分になるでしょうし、ここではちょっと」

 結局、断ることにした。初対面の年長者に口ごたえする結果になったが致し方ない。

「えー、いいじゃんさー。わざわざ先輩が探しにきたんだから、ちょっとぐらいサービスしてよ」

 なかなか手強い。避けていこうにもバスケ部らしい動きで進路を塞がれ、すり抜けられそうもない。

 観念して傷跡を晒す方が楽かと諦めかけていると、目の前に、にゅっと長い腕が差し込まれた。

「スンマセン。アタシら遅れちゃってるんで、行っていいッスか」

 烏羽さんがずいと体を割り込ませてくる。彼女が顎をしゃくった先に僕らのクラスの列はない。話し込むうちに、とっとと進んでしまったらしい。

「オラ、行くぞ」

 烏羽さんが僕の肩を掴んで振り向かせる。僕の気持ちを察してくれたのだろうか。何にせよ、この場を離れられるならありがたい。

 愛想笑いと会釈一つで、なあなあに立ち去ろうとしたその時だった。

「ひ」

 厚い前髪の下にするりと生温かい感触が滑り込む。しなやかでありながらどこか節張ったそれは眼球の周りに絡みつき、無遠慮に傷跡を摩る。

 肉の固さを確かめる手つきだ。傷の縁をなぞる指先は糸を引くような粘っこさがあり、噛み付くように食い込んでくる。

「オイ!」

 烏羽さんが先輩の腕を叩き落とす。肘関節を狙った手刀の振り下ろしだ。

「いったぁ。なにすんのさ」

「嫌がってんのが分かんないんスか。センパイ」

 みしり、と廊下が軋んだ音がした。烏羽さんはゆっくりと半身になり、鋭く先輩を睨みつける。

 剥き出しの敵意。僕なら縮み上がり動けなくなる迫力だが、先輩は笑顔を崩さない。落とされた腕をぷらぷら振りながら、烏羽さんと真正面から対峙している。

「後輩なんだからもっと敬いなよ」

「尊敬されたいなら、それらしい振る舞いをしろよ」

「あー、タメ口利いた。部長が聞いたら怒りそー」

「知らねぇよ。絡んできたのはそっちだろ」

「絡んだなんて言い方ひどいなー。後輩と仲良くしようとしただけでしょ? ねぇ、ほっけ君?」

 ほっけ君とは僕のことか。初めてつけられた魚のひらきみたいな渾名に気を取られた隙に肩を組まれた。ぐっと顔を寄せられて、生温かい吐息が耳元にかかる。

梔子くちなし螺実亜らみあ。先輩の名前はちゃんと覚えないと駄目だよ」

 烏羽さんの大きな手が先輩の顔面を鷲掴もうと迫る。しかし、先輩は間延びした口調とは対照的な機敏な動作でそれを避けると、爪先を軸にくるりと回りこちらに向き直る。

「今度はゆっくり話そうね。ほっけ君」

 蛇に睨まれたような緊張と悪寒が汗になって首筋を伝う。満足気に去っていく先輩の背中に向かって、烏羽さんは大きな舌打ちをした。




 終業のチャイムが鳴り、ようやく一日が終わる。しかし隣の烏羽さんは、僕が梔子先輩に絡まれてからずっと不機嫌だった。事あるごとに舌打ちを繰り返し、今は頬杖をついてつまらなそうに下唇を突き出している。

「気にいらねえ」

「そんなに怒ることじゃないよ」

「だっておかしいだろ。あんなよく分かんねぇヤツに──」

 そこまで言いかけて口籠もる。何が言いたいかは聞かなくても分かる。烏羽さんは僕の前髪で隠れた右目から気まずそうに目を逸らした。

「僕は別に気にしてないから」

 興味本位で触られることは何度かあった。梔子先輩ほどじっくりと弄られるのは初めての経験ではあるが、他所の立場からすれば物珍しく感じるのも理解できる。

「チッ。今日はああいうのにも反撃できるようにみっちりシゴいてやるからな」

 烏羽さんはそれでも納得がいかないらしい。休みの予定だった修練が強行されるばかりか、普段より苛烈になることが確定してしまった。口から漏れた愛想笑いの声は自分でもうそ寒く聞こえる。

「おーい。席つけー」

 教室の引き戸の音に反射的に背筋が伸びる。青褐先生の指導はいつ何時でも行われるため、下校前のショートホームルームでも気は抜けない。しかし、教壇に立つのは副担任の蘇芳すおう先生だけで、青褐先生の姿はどこにもない。

「あれ、青褐先生は?」

「ちょっと体調を崩されてな。午後からお休みだ」

 醤君の率直な質問に蘇芳先生は簡潔に答えた。言われてみれば、今朝は顔色が悪かった気がする。

 蘇芳先生は手早く明日の予定や持ち物を確認すると日直に終礼を命じ、ショートホームルームはあっという間に終わった。いつもこうなら緊張する必要もないのに、と青褐先生にあまりに失礼な感想が浮かびかけたが、無表情で嚥下する。

「きりーつ、れー」

「はい、おつかれさん。あ、それと黒橡。ちょっと先生のとこ来てくれ」

「……はい」

 どうせ呼び出されるなら無理して飲み下すこともなかった。溜め息を噛み殺し、学校から解放されていきいきとするクラスメイトの間を沈んだ顔で潜り抜けて蘇芳先生のもとに向かう。

「おう、帰りに悪いな。実はちょっと頼みたいことがあってな」

 そう言うと、先生は後ろ手に持った紙袋を手渡してきた。中にはスポーツドリンクやレトルトのお粥が入っている。頼み事の内容は分からないが、差し出されるままに紙袋を受け取る。

「青褐先生、ほんとに体調が悪そうでな。一応連絡は取れたんだが、先生たちも心配なんだ。それで、代わりに様子みてきてほしいんだよ」

「えっ、僕がですか」

 普通は歳の近い先生か、教頭先生あたりが対応するものではないだろうか。何故生徒に、しかも、頻繁に呼び出されている問題児に。

「ほら、俺、去年結婚したばっかりだろ? 同僚とはいえ女性の一人暮らしに訪ねるのもどうかと思ってな。他の先生は忙しくて時間がとれないし、代わりに行けるのは青褐先生と仲良い黒橡しかいないんだよ」

 蘇芳先生は一息で言い切ると、爽やかに笑って肩に手を置いてきた。あらかじめ用意した言い訳のように聞こえるが、断るほどの理由はない。頷きとも俯きともとれる曖昧な首の傾きで答えを濁すことだけが、僕にできる精一杯の抵抗だった。

「助かるよ。これ、青褐先生の家の住所。じゃ、あとはよろしくな」

 紙の切れ端を握らされる。足早に去る蘇芳先生を恨みがましく睨め付けていると、いつの間にか忍び寄っていた烏羽さんがのしかかってきた。

「なに話してたんだ?」

「用事を頼まれた。悪いけど、今日の稽古はお休みにしてほしい」

「あ? どういうことだよ。生意気いってんじゃねえぞ」

 がくがくと体を揺さぶられるが、今更断ることはできない。事情を説明すると理解はしてもらえたが、烏羽さんの口先は尖ったままでぶつくさ不満を言われる。

「へー。面白そうな話してるじゃない」

「げ」

「は? なにその反応。舐めてんの?」

 烏羽さんを宥めていると、いつの間にか後ろに赤錆さんがいた。

「あの堅物鉄仮面が風邪ひくなんてね。せっかくだからあたし達も見学にいこ」

「おっ、いいなそれ。センセーの秘密を暴いてやろうぜ」

「えっ」

「なによ」

「いや、病人の家に大勢で押しかけるのはよくないよ」

「うわっ、弱った年増と二人きりになりたいなんていやらしい。えっちなことするつもりでしょ」

「そうなのか?」

「そんなわけないだろ……」

「ますます包介一人には行かせられないわね。烏羽、無理矢理にでもついてくわよ」

「おう」

 赤錆さんと烏羽さんが固い握手を交わす。厄介ごとを押し付けられてただでさえ気力を削がれているのに、彼女達が揃えば心労は倍になる。心の中で濃墨先輩に助けを求めたが、届くことはなかった。

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