第13話 乙女の花園

 おや……思いのほか寛容な反応を見せる岸辺さん。このままいけば、もしかすると覗きの件は不問かもしれない。


「私もこんなつもりじゃなかったの。ただ、さっきの君の姿が目に焼きついてて」

 

「えっ? 俺ですか?」


 岸辺さんが語るには、どうやらこういう事情があったらしい。

 病院で診察を受けた後、特に大きな異常はなかったため、帰宅して良いと判断された。そして、報告と荷物を取りに学校へ戻ると、更衣室のカギ閉めを顧問に任されたので、また少しプールで泳いだ後、水着のまま男性更衣室の見回りと戸締りを行う予定だった。


(少しだけなら……いいよね)


 だが、男子更衣室に入った途端、男の匂いがこもる部屋と、誰もいないという空気に毒されたのか。いけないとは知りつつ、花園の情事に至ってしまった……と経緯を説明された。


「私……あんなに近い裸の男性って、初めてだったから」


「は、はぁ」


「それに人工呼吸もしたんでしょ? 初めてのキスも……」


「いや、人工呼吸はしてないですよ! 寸前です、寸前!」


「そ、そうなの?」


「そうですよ。誤解ですって」


「そう……なんだ」


 誤解が解けて良かった。

 なのに、どこか残念そうな岸辺さん。気まずい沈黙に目を逸らしていると……。


「もし君さえよければ、つづきしない?」


 いつの間に俺の顔すぐそばまで岸辺さんが迫ってきており、思わずギョっとしてしまう。


「つづき? な、なんのでしょう? なんの、なんのは南野みなみのヨーコ」


「はぐらかさないで……エッチな女の子は嫌?」


「いや、その」


「私ね、本当はみんなが思うような女の子じゃないの。エッチで、色欲まみれのどうしようもない女。部活も、少しでもそんなことをまぎらわすようにあちこちに顔出してて、考えないようにしてて」


 言葉を発していくうちに、どんどん岸辺さんの唇が近づいていく。


「き、岸辺さん……ちょっと待って」


「ダメ、待てない。私、君となら」


 心の準備が全くできていない!

 もう互いに息が触れ合う距離になっている。


(あああ、こんなはずじゃ)


 観念するしかないのか。それに、このまま、身を任せていれば初めての彼女も……そう思ったとたん、ふと、あの人の顔が浮かぶ。いつも俺を執拗に追いかけてくるあの人。

 違う、俺が目指す彼女はこんな無理やり関係を迫る人じゃない。こんなの、夏帆姉のやり方と同じだ。こんな受け身で……夏帆姉はダメで、岸辺さんはいいのか? そんなの、不公平にもほどがある。プライドもなにもかなぐり捨ててくる夏帆姉に、どんな顔して接すればいいのだ? 情けないぞ、沢藤柚希! お前のしたい恋愛くらい、お前で決めろ。


「すいません、岸辺さん」


 俺は岸辺さんの肩をつかみ、彼女を拒む。が、その途端……。


『ピロロン♪ ピロロン♪ ピロロン♪』


 ポッケのスマホが鳴った。突然のメロディに、岸辺さんの肩が震え、反射神経で体を引く。天の助けとばかりに、その勢いのまま岸辺さんをのけ、スマホを取り出し通話ボタンを押した。


「も、もしもし?」


「柚希くん!! お姉ちゃんの脳内センサーにエマージェンシーが鳴りました! 無事なの? 今どこ?」


「あっ、ああ、まだ学校」


 夏帆姉、なんというタイミング。姿は見えずとも俺のピンチと知って、助けをよこしてきたとでもいうのか? 流石がすぎるぞ。


「ねぇ、無事なの? なんならお姉ちゃん、迎えに行こうか?」


「だ、大丈夫だって。それにもう帰るから」


「本当? なら良かったぁ。おばさんが今日カレーにしようっていうから、今一緒に作ってるよ。早く帰ってきて~」


「そうなんだ、ありがと。じゃあね」


 通話を切ると、俺は岸辺さんに背を向けた。


「ね、ねぇ……君」


「俺、恋人じゃない人となんて……無理!」


 俺は駆けだして更衣室を出ていく。背後からなにやら岸辺さんの声が聞こえたが、無視するように駆け抜けた。

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