2.3. 粘菌

 最終技術、という言葉をトキコは使った。それは月の接近が最終段階に至った2050年頃の技術を指していると同時に、それ以後は科学技術が発展していない事を意味している。とはいえアカネの最後の記憶である2020年からは三十年も経過しており、ピピにしろ〈娘たち〉のロボットにしろ、なかなか解析の糸口を掴む事が出来なかった。


「これの一番古いタイプ、マーク1のマニュアルらしい物はあるのだけれど」


 そうトキコにデータを見せられたが、あまりに断片過ぎて読み解くのに相当時間がかかりそうだった。そもそも最初のモデルでも2035年とある。十五年の知識差は如何ともしがたい。


「細かすぎてさっぱりわからん。せめて当時のウィキペディアでもあれば、何を調べたらいいか当たりを付けられるんだけど」


「ウィキペディアバックアップの確保は私たちの最重要課題でもあるわ。でも最新で2017年の物までしか発見できていないの」


 それでも、OSがLinuxベースだという発見で多少の進展はあった。ガレージにはテスターがあった程度で、パソコンやオシロスコープすら手に入れられなかった。それがここには必要な電子装置が一通りある。それらしいモジュール端子をチェックしていくとシリアル接続出来そうなピンがあり、いざ繋いでみるとビンゴだった。アカネの投げかけるコマンドに対し、すらすらと応答が返ってくる。


「構造からしてそうじゃないかなとは思ってたんだけど。やっぱりこのロボットは――ピピもだけど――主要な処理ノードが二つある」アカネはトキコに、ノートパソコンの画面を指し示す。「一つは汎用のx86互換プロセッサ。結局こいつが最後まで生き延びることになったか。でもここはたいしたことやってない。UIとデバイスI/Oを処理するだけ。本当の制御ノードは、こいつ」デバイス一覧の中にある、MMCという文字列を叩いた。「何なのかわからないけど、配線から辿ると、物理的にはここ」と、ピピの頭を叩く。「この中に、私にもさっぱり理解不能な制御ノードが入ってる。姿勢制御、エネルギー制御、AI、全部ここ。私みたいな体育2の人間でも操れるんだ、相当高度なシステムだよ」


「体育2?」


「えっと、中の下ってこと」


「とても中の下じゃ、〈娘たち〉のロボットに飛び乗ってブラスターを放つようなことは出来ないと思うけれど。戦闘の訓練とか受けてたんじゃ?」


「まさか。たまたまだよ。とにかくこのロボットの頭の中には、凄い処理系が入ってる。ひょっとしたら数メガキュービットの量子計算機が、これほどコンパクトに実用化されたのかも」


「それはどうかしら。量子計算機は結局使い物にならなかったって記録があるけれど」


「でも量子計算機はピピみたいな人工知能を稼働させるには理想的なプラットフォームなんだ。是非中を拝んでみたい所だね。電ノコない?」


 言った途端、ピピが赤いライトを激しく光らせる。どうやら聴覚ノードだけは生きているらしい。


「冗談だよ。だいたい自爆ユニットを仕掛けてるくらいだ、無理に開いたら完全に壊れちゃうようになってると思うし」


「じゃあ、〈娘たち〉の情報はゼロ?」


「そう簡単に馬脚を現されたら、逆につまらん」


「結局アカネは遊び気分が抜けないのね。私たちにとっては死活問題なのに」


「あっ、それすごいトキコのご先祖様が言いそうな台詞」それでも苦言を受け入れ、少し考えてみる。「そういえば亥の街に行く途中、袁山で偶然このロボットのパーツ保管庫のような所を見つけたんだ。腕や足がゴロゴロ転がってたよ。ひょっとしてあそこに行けば何かしら〈娘たち〉の情報があるかも――」


 まず無理だろうな、と思いつつも希望的観測を述べていたところで、トキコの方が前のめりになっていた。顔を真っ赤にしてアカネの手を取り、ぶんぶんと振る。


「それは凄い発見よ! もしそこで稼働するロボットを何体か手に入れられたら、〈娘たち〉と戦うことが出来るかもしれないわ!」


 すぐにトキコは奥から大判紙を持ってきて机上に広げた。〈月下〉の地図だ。キャラバンの代物よりは相当ましだが、やはり測量などは出来ていないようで大雑把な代物だ。五十ほどのオアシスに加え、これまでに発見された遺跡も記されている。街道の内側は殆ど空白で、辛うじて先日ミルを探してたどり着いた廃船がある。彼女はそこから亥の街に向けて直線を引き、アカネに突き出した。


「それで、何処?」


「この辺」と、袁山の四合目くらいの地点を指し示す。「でも、相当危険な場所だよ。野犬も相当いたし、だいいちゴリラ熊の縄張りになってて――」


「ゴリラ熊?」


「例の緑の目をした熊だけど、なんか顔つきがゴリラみたいだったよ。とにかくさ、でかくて凶暴で数も多いし相当やばい。とてもピピなしじゃ無理だよ」


「この子の修理は?」


 アカネはピピの無残な姿を見下ろしつつ腕組みし、唸った。


「線を繋げば治るってレベルじゃないよ。モジュールが幾つか潰れちゃってるから、それを交換しないことには――自作もまず不可能だし――この〈娘たち〉のロボットからの移植も考えたんだけど、ファームウェアの互換性がなさそう。これを書き換えるとなると、相当時間がかかるなぁ」


「なら、いずれにせよその保管庫に行かないと駄目ね」


 自信満々で言うトキコに、アカネは首を傾げた。


「話聞いてた? とてもロボットなしじゃ無理だって」


「私たちにロボットはないけれど、それなりの威力を持つ武器を作り上げたばかりなの」


「ひょっとして〈娘たち〉の頭を吹っ飛ばした――」


 トキコは手招きし、隣のガレージへと促す。そこには一台のオフロード車が停められていた。キャラバン連中が乗っているのとそう変わらずオンボロだったが、荷台に積まれている装置だけは〈月下〉で目にしたことがない。EV車から剥ぎ取られたらしいバッテリーセルが複数並べられ、制御用らしい基板とパソコンが格納されたボックスがあり、その先には長大な砲塔が接続されている。アカネはその形状と弾倉を改め、唸った。


「大型のコイル銃――いや、これはレールガンだね」


 同じ電磁力を使う銃だが、お手製の電磁石で鉄の玉を飛ばすような代物ではない。コンプレッサで二本の超伝導体とプラズマ化した弾体を冷却でき、膨張圧に耐えられるよう超硬度超引っ張り強度の素材が用いられ、相当な連射が可能なように見える。


 よくもまぁ、これだけ崩壊した世界で、これだけ素晴らしい素材を集められたものだ。


 そう感心しながら細部を改めるアカネに、トキコは得意げに言った。


「私たちが復元できた、最終技術の一つよ。弾丸は小さいけれど、初速10km/s、毎分六十発の発射が可能。〈娘たち〉のロボットに対抗する目的で製造された。あの時は油断してロボットを降りてくれたけれど、恐らく乗ったままでいられても撃破は可能――」


「毎分六十発? 無理ね。でしょ?」確信を持って言ったアカネに、トキコは口ごもった。「このバッテリー、プリウスの? 駄目だね。狙撃なら良くても、乱戦じゃあ足りなすぎる。百発も撃てば終わりじゃない? それにこのキャパシターじゃ三十秒で切れる。そしたらまたチャージしないと。電力ロスが大きすぎるし、起動に時間がかかりすぎ。ゴリラ熊を何頭か倒せても、制圧は無理」何か反論しかけたトキコを遮り、アカネは続けた。「いや、改良の余地があるって言ってんの。せっかくいい素材があるんだから、それを活用しなきゃ」


「待って、何のお話? これは私たちが百年かけて手に入れた最高のパーツを使って――」


「もっといいバッテリーとキャパシタを拾ったじゃん」


 そこでトキコも気づいたようだった。あっ、と口を開いて、隣のガレージに目を向ける。


「まさか、ロボットを電池代わりにしようっていうの? あんな全然得体の知れない物を」


「制御ならまだしも、充放電だけなら楽勝楽勝。ま、任せな」


 だんだん楽しい話になってきた。アカネは嬉々としてピピのいるガレージに戻っていったが、トキコはどうもこの速度感についていけていないようだった。


 とにかくピピの電気系統については、だいたい当たりを付けている。腰の部分にある充電コネクタを放電用にも利用できるはずで、あとはその制御をどうにか行えるようにすればいいだけだ。


 簡単簡単、と思っていたが、そうは問屋が卸さなかった。電源制御用のAPIは相当に込み入っていて、加えて頭部ユニット側の許可指令がなければオープンされないようになっているらしい。どうにか割り込み信号を入れられるよう改造も出来そうだったが、今は右腕一本しか動かないものだからケーブルを探るのもコマンドを叩くのも一苦労だった。


「参ったな。これじゃ埒があかん」


 愚痴りながらも片手で四苦八苦していると、作業場に見知った人物が入ってきた。ロン毛に髭もじゃのメタル男、エスパルガロだ。


「よう〈魔女〉の姉ちゃん、元気か?」


 この人には色々と言いたいことがあったが、右手だけでは足りず口でテスターの端子を咥えているので、それどころじゃない。フガフガと挨拶っぽい声だけ出して察してもらおうとしたが、彼はまるで頓着せず、おもむろに首から吊しているアカネの左腕を掴んだ。痛みに悲鳴を上げるのも無視し、医師のような調子で具合を改める。


「あぁ、こりゃ痛いだろ」


「わかってるから! 痛いから!」


 ようやく彼は手を離したが、すぐに不思議そうに首を傾げる。


「なんで〈ホワイトスーツ〉を着ないんだ? あれには治療機能もあるはずだろ」


「え? そんなの聞いてないんだけど」


「トキコは理論物理学担当だからな。そこまで知らなかったんだろ」


 早速スーツを着てみて驚いた。パネルに骨折状態が表示され、急速治癒のための超音波照射機能を有効にするかと出たのだ。オンにしてみると骨折部分がギブスのように硬化し、痛みも和らぐ。力を入れなければ左手も普通に使えそうだ。エスパルガロは再びアカネの腕を改め、頷いた。


「記録によると、〈ホワイトスーツ〉は骨折の治癒時間を半分に出来るらしい。だからま、一、二週間で治るだろ。それまでこいつを着てるんだな」


「おっちゃん、医者か何かなの? 薬担当?」


 ミルの件を思い出して尋ねると、彼は髭をひねりながら答えた。


「俺は化学担当。その延長で医療もな。っても、あんたみたいな過去人からしたら餓鬼みたいな知識しかないだろうが」


 続けてエスパルガロはミルの元に向かった。彼はまだ意識を戻していなかったが、そういうものらしい。瞼を押し広げてみると緑は随分薄くなっていた。


「あの緑って、何なの。袁山の化け物が持ってる菌だってトキコは言ってたけど」


 尋ねたアカネにエスパルガロは唸った。


「2050年頃。月を落とそうとする〈娘たち〉と、それを阻止しようとする人類の間で戦争があったという話は聞いてるか?」


「なんとなくだけど」


「〈緑眼病〉の病原体は、数に劣る〈娘たち〉が〈月下〉防衛のために生み出した生物兵器だと言われている。正確には真正粘菌。アメーバの類いだ。感染すると意志を奪われ、ただ徘徊し、急に凶暴になって噛みついたりしてくるようになる。映画に出てくるゾンビと同じさ」


「脳に寄生するアメーバってのは聞き覚えがあるけど。その類い?」


「さぁな。なにしろ状態のいい分析器なんて見つかった例しがないからな。調べようがないのさ。少なくともバクテリア感染症の薬は効果があるが、それも十年くらい前に切れちまった。あとは試行錯誤で何とかしてるって状況だ。まぁ砂漠を越えてくる事は希だから、袁山なんかに行かなきゃ何の問題もないんだが。時々無謀な〈サルベージャ〉が持ち帰る事がある。厄介な連中さ。いくら貴重な遺物が山ほど埋もれてるとはいえ、あそこは危険すぎる」


「ま、それはミルに言ってやって。さすがに懲りたろうけどさ」


「ミル? とぼけるなよ。あんた、トキコと袁山に行く気なんだろ?」知ってたか、とベロを出すアカネに、彼はため息を吐いて見せた。「そりゃあんたは〈魔女〉だからいいかもしれないけどな。トキコはまだ若い。ただでさえ先代の跡を継いだばかりで苦労してるんだ、あんま無茶させないでくれ」


「ちょっと待ちなよ。私はトキコと同い年――」


 そこで作業室に置いてあるインカムが音を鳴らした。トキコの宿と有線で繋いでいる物だ。エスパルガロが古風なボタンを押して応じると、トキコが押し殺した声で囁く。


『すぐに施設の全電源を落として』


「なんだ、また〈娘たち〉が来たのか?」


 驚く彼に、トキコは冷静に答えた。


『いえ。〈連合〉よ。何の用かわからないけれど、用心して』


 それでインカムは切れる。エスパルガロとアカネは顔を見合わせてから、すぐに地上へ通じている階段へ向かった。

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