12. 袁山の緑

 現在位置は〈月下〉の中心から三時の方角に三百キロ。目的地は十時の方角に四百キロ。街道沿いに行けば千キロほどあるが、直線距離ならば六百キロくらいだ。ピピの全速ならば数時間で到着するはずだが、それは高速道路でもあればのお話だ。以前の経験と同じく袁山に近づくに従って岩場が多くなってきて、所々に崖や地割れも現れる。加えて背後からの風も強くなってきて、気温も下がっていく。次第に前方は霧に包まれていき、日が暮れる頃には視界が殆ど効かなくなった。ピピの強力なヘッドライトも十メートル先までしか届かず、あとは対物レーダーを頼りにするしかない。速度は三十キロほどまで落とさざるを得なかった。


「これじゃあ街道に出てからの方が良かったかもしれないねぇ」


 ハンドルを操りつつ愚痴ると、ピピが応じた。


『でもご主人様は袁山に来たかったのでしょう。ワタクシにはわかります』


「――相変わらず妙なところで鋭いね」それが一分も続かないのが厄介だが。「せっかくの機会だしね。ここがどんな風なのが、もう少し見ておきたかったの。ホントにあんた、昔のことは何も覚えてないの? 何でここにいたか、とかさ。あんた、〈魔女狩り〉に操られていたんでしょ? その事は?」


『ふと思ったんですがご主人様、ミルのお父さんは、お父さん、という限りは男性なわけですよね? それでも〈魔女〉と呼ばれるのですか?』


 また話が飛んだが、慣れっこだ。


「いやぁ、まぁ、最近は〈お父さん〉でも女性な事もあるけど。いや、最近っても2020年のお話だけど」


『なんですかそれ。納得いきません』


「いや急にそんなこと言われてもね。家族制度ってもんに矛盾が多すぎて、色々と限界だったんだよ私らの頃は」


『ふむぅ。色々と限界があったとしても、ミルの様子を見るに、家族ってのは必要な代物なんですかねぇ。自らの支えのために?』


「わかりやすい洗脳装置って側面もあるけどな。人である限り、血縁は必ずある。それを接着剤として定義しておけば、団結が容易に得られる。支配者としてはそれが手っ取り早い」


『しかしそれならば、人類全体が家族ということになるんじゃありませんか?』


「何のための組織化だ? 競争相手に打ち勝つためさ。もし宇宙人が襲ってきたりしたなら、そういう視点が利用されるだろうけど」


『どうもご主人様は、家族制度というものに否定的なように聞こえますが』


「結局はカルトと同じさ。血縁は血縁。DNAを受け継いでいるってだけで、それだけの意味。父親にしろ母親にしろ、属性と相手への敬意は別物だよ。その点、ミルは本当にお父さんの事を心から尊敬していたのか、それとも無力な自分を庇護してくれる存在として投影しているだけなのかわからないけどさ。もし〈家族〉って言葉に縛られてるだけなら、残念なお話」


『ふむ。なんだか面倒くさそうなお話です。そういう意味では、ワタクシには家族という概念が存在しなくて幸いだったと言えるでしょうね』


「そうかな? あんたには同型のロボットが沢山いて、そいつらにはピピと同じような知能が乗っかってる訳でしょ。そいつらは家族だと思わない?」


『そうした物があったとしても、全てワタクシ自身なはずでしょう? ならば家族という概念にはなりませんね』


「あんた自身ってことはないでしょ。全員がそれぞれ違う経験をしていて学んでる。なら全部、違う存在――」


『わぁっ! あれ何でしょう!』


 せっかく良い感じで話していたのに、またこれだ。どうせたいしたことじゃないだろうと思いつつもピピがキャノピーに付けたマークを拡大していくと、すぐにアカネも異常に気づいた。


 すっかり日も落ち、今は頭上に巨大な月の輝きがあるだけの状態だ。周囲の岩場は霧に濡れ、時折強い風が吹いてピピを揺らす。アカネが目を覚ましたのもこんな所だったから、標高的には近いのかも知れない。袁山は地殻変動の結果生まれた山で、噴火もあったろうから植生はないのだろうとばかり思い込んでいた。しかしカメラを拡大していくと、次第に緑色の色彩が濃くなっていく。


 一瞬、例の化け物のたまり場か、と身構えたが、すぐに違うと悟った。緑は風に揺れ、踊っている。


 植物だ。よくある高山植物のように、丈の低い草花のように見える。それらは鈴なりのピンクの花やラッパ型の水仙のような花を咲かせていたが、唯一違うのは葉が鮮やかに光り輝いている点だった。相当な範囲が緑の絨毯になっていて、輝きは霧に乱反射して眩しい程だった。


「これも、例の粘菌が入り込んだやつなのかな」


 アカネはピピを降り、ヘルメットを装着して用心しつつ近づく。形状は普通の草木と違いなさそうだったが、その一帯だけ妙に地面が固かった。ブーツの底で踏みしめてみても、岩よりもなお固い。そこだけアスファルトか何かで固められているようだ。


 身をかがめて植物の茎を辿る。それは普通に柔軟性のある代物だったが、地面に近づくにつれて固くなっていき、遂に地面と接触する所では針金同然になっている。


「妙だな」


 そうとしか云いようがない。何もかもが妙ちきりんだ。この分だと根は蜘蛛の巣のように入り組んでいて、地面全体を硬化させているのだろう。散った花や葉すら、溶けたように茶色の地面に同化しつつある。


 アカネは草の一本を千切ろうと力を入れかけたが、粘菌の得体の知れなさからすぐ思いとどまる。


「ピピ、来な」


 彼を呼び寄せると飛び乗って、慎重に緑の絨毯に乗り込んでいく。斜面を登っていくということは、それだけ月に近づいていくということだ。目の前は粘菌植物の輝きもあって眩しいほどになってきて、風が暴風のように上昇していく。それに押されるようにして進んでいくと、やがて霧の奥にひしゃげたドームのような建築物が現れた。


 地殻変動の前から存在していたものだろう。建物全体は斜めに傾いでいて、殆どが植物に埋まっている。見方によっては、白磁色の円盤UFOが地面に突き刺さっているようでもあった。周囲には歪んだ貨物コンテナが散在している。拡大してみると、壊れた扉から見覚えのある機械がこぼれ落ちている。


『ぎゃー! バラバラ殺人事件ですこれは!』


 ピピの言いたいことはわかる。あれは間違いなく、ピピのパーツの一部だ。窺えるのは数本の腕だけだが、それだけということはないだろう。きっと他のコンテナには別の部位もあるに違いない。


 早速子細を確認しに行こうと思ったが、埋もれかけた建物の裏手から何かが現れた。慌ててピピを岩の陰に隠し、様子を窺う。


 それは大きな四足動物だった。全身が黒々とした毛に覆われていて、熊のように見える。しかし顔を拡大してみると別の生き物としか思えなかった。巨大な牙が生えていて、ゴリラのように額が突き出ている。そして吊り上がって切れ長な目は、当然緑色だった。


 獣は暴風に負けない体躯を持っていた。四、五百キロはあるだろう。何かを嗅ぎ回るように建物の周囲を巡り、草の臭いを嗅ぎ、岩を拾い上げて壁に投げたりしている。


 一匹くらいなら、と思いもしたが、コンテナの中から二匹目、岩の影から三匹目が現れたのを見て、次第に戦意が失せてくる。勝つことは出来るかもしれないが、どれだけジュールを消費するかわからない。ただでさえ不意の出費がかさんでいて、もう四ギガしか残っていないのだ。


「おかしいじゃん。何食って生きてんだ、こんなとこで。粘菌動物が粘菌植物を食ってるのか?」


 理不尽な状況に愚痴ると、ピピは酷く怯えた声を出した。


『怖いことを言わないでください! グロ禁止です!』


「誰もあんたのパーツを食べてるだなんて言ってないよ。けど状況からしてその可能性も考えないとな。きっと大規模な戦争があったんだろうから、やばい物質が世界中にばらまかれて、金属を食えるように突然変異したゴリラ熊だったりする可能性も」


 意味不明な叫び声を上げるピピは無視して、アカネは仕方がなく進路を元に戻す。だが少し進んだところで、ゴリラ熊の餌場らしきと所に行き当たった。台地の一面が緑ではなく、赤黒く染まっている。無数の屍はアカネも襲われた大型犬だ。


「こりゃ、不味い所に出くわしたかも」


 まるでその言葉が、悪運を呼び寄せたかのようだった。猛烈な勢いで流れていく霧の奥に、見覚えのある影が行き来しはじめる。次いで背後に物音を感じて振り向くと、例のゴリラ熊が二本足で立ち上がり、唸りながらこちらの様子を窺っていた。


「逃げるよ!」


 叫んで人型に変形しダッシュした途端、霧の向こうから数匹の犬が飛びかかってきた。咄嗟に頭を殴りつけたが、二匹、三匹と体当たりを食らいバランスを崩す。そして倒れ込んだ所に四、五匹が飛びかかってきて、なんとか起き上がろうとした時だ。巨大な手の一振りで犬は一斉に吹き飛ばされ、遠くに転がっていく。


 見上げると、ゴリラ熊がアカネを見下ろしていた。


 まさかこう見えて、知的ゴリラ熊なのか?


 思ったが、単に見境なしの攻撃だったらしい。相手は再び二本足で立ち上がると、両手の爪を振り上げ倒れ込んでくる。


「ピピ!」


 叫ぶと同時に、バギー型に変形して全速を出す。辛うじて爪は避けられたが、行き先では十匹近い犬がけたたましく吠えていた。咄嗟に後輪を滑らせながらカウンターを当て、九十度ターンすると同時に石塊を犬の集団に浴びせかける。


 それでなんとか時間を稼げたらしい。闇雲に岩や崖を飛び越えて進むこと数十秒、背後から追ってくる影はなく、アカネは大きく息を吐いて速度を緩めた。


 相当のジュールを無駄に消費してしまった。やはり袁山はトキコの言うとおり、よほど危険な場所に違いない。


『酷いですご主人様、ワタクシを見捨てるだなんて。今もワタクシの手足がゴリラ熊に食べられようとしているのですよ? 戻りましょう!』


「あんたの手足なんざ、四本で十分だろ」


『なんてことでしょう。共感力こそ人類の強みだと、何かで聞きましたよ?』


「悪いがあんたの知性は高度すぎて、私程度じゃわからん」


 皮肉だったが、ピピは前向きに捉えたようだった。


『まぁ、そういうもんでしょうか。相互理解は難しいですね。あのゴリラ熊や犬とも共感できればいいんですが』


 それはピピを相手にする以上に無理そうだった。

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