10. ありもしないお宝を探しに
日々ご飯のために働いて、夜には仲間内で馬鹿話の酒宴を催し、あとは疲れて眠るだけ。結局今の人類は、最新のニュースや真実の探求などといったことに追い回される悪習からは開放されているらしい。代わりに得たのは寿命の短縮。満足な医療機関は存在せず、教育も受けていない自称医師が専門用語だらけの処方箋を無理矢理読み解き、キャラバンが運んでくる薬を適当に与える程度だ。
しかし些細な怪我や病で亡くなるのは、彼らにとっては普通の事になっている。これが英知が失われた代償と言えるのかどうか、アカネにはわからなかった。西暦というものを使うのも諦められていて、何年前、それ以上は昔、という大枠でしか捉えていなく、それでも別に何の不便もないようだった。過去に何かあったかもしれないが、今は生きていくので精一杯ということだろう。
それはアカネも同じだ。とにかくジュールを稼いで生活基盤を整えるのが第一で、本来ならば真っ先にやらなければならない月の観測や地質調査、空気分析なども全然手つかずだ。
それでも暇を見ては、キャラバンのニューズネットに目を通している。少なくとも〈月下〉とその周辺を知るには役立つ。ただ学術的な内容は皆無で、根本的な解決には何ら役立たなかった。〈魔女〉と〈魔女狩り〉のおかげで、人類は啓蒙思想を失ってしまったかのようだ。ここはマッドサイエンティストの卵として、いっそのこと〈魔女〉も〈魔女狩り〉もまとめて潰す組織でも作ろうかと思い始めていたが、今は真実の探求をするような余裕なんて全然ない。
しかしピピは、相変わらず楽天的だった。
『ご主人様、そろそろ十ギガ貯まりますよ! なんだか大金持ちの気分ですね! ここは一つ、新しい歌でも作ってお祝いでもしましょうか?』
ボロボロのソファーに寝転んでいたアカネはタブレットを脇に置いて答える。
「十ギガで何キロ走れる?」
『そうですねぇ、さすがに空は飛べませんが、五千キロってとこでしょうか』
キャラバンの話によると〈月下〉の環状街道は一周三千キロくらいで、数十キロごとにオアシスが点在し、充電ステーションがあるらしい。そして色々試した結果、人型はバギー型の十倍、エネルギーを消費する。それで百ギガという桁外れな大容量バッテリーが必要なのだ。十ギガ程度じゃ、とても安心できない。
「ニューズネットによるとさ、〈連合〉って凄いらしいよ。まだ化石燃料が残ってて、内燃機関の戦車が動いてるらしい。戦闘機もあるとかって。ジュールが貯まったら行ってみようか? 多少、学術機関が残ってるかもしれないし」
『ウェッ、内燃機関。汚染をまき散らしながら化石燃料を燃焼させその膨張圧力でピストンを上下させたりタービンを回すだなんて不愉快な物、ご主人はお好みなんですか? であればこの関係も見直す必要があるかもしれません』
「おまえ、よくそんなこと知ってるね。何処で仕入れた」
『驚きました? ワタクシは全知全能、森羅万象なのです。あっ、閃きました! タイトルは森羅万象、お聞きください!』
また妙なスイッチが入って、会話が月にまで飛んでいってしまった。アクティブサスペンションを上下させつつ、なんだか自作のわけのわからない歌を歌い始める。アカネは無視してニューズネットの続きを読もうとした時だ。シャッターの側から中を覗き込む一対の瞳を見て、思わず身をはねさせる。
ミルだ。見つかった彼も驚いたらしい。しまった、というように目を見開かせてから、それでもすぐ例の仏頂面に戻ってガレージの中に入ってくる。
「おばちゃん、誰と話してたの」
誰かが見ているときは勝手に動くなと、ピピには徹底してある。途端に動きを止めはしたが、ミルの眼差しを受けてサスペンションを軋ませる。それを覆い隠すよう、アカネは大声を出した。
「こいつだよ!」とタブレットを掲げてみせる。「暇なときは良く話してるんだ」
「あんな声のアプリなんてない」
ミルはどうやら、アカネを頼れる大人と思い始めていたらしい。相変わらず口は悪いが、ここのところよく一人で遊びに来て、修理途中の車や機械を眺めて時間を潰している。今日も同じだろうとアカネは意識外に置きかけたが、彼がカンテラの範囲内に入ってきて驚いた。頬がすり切れ、右目が真っ黒に腫れ上がっていたのだ。
「どうした。誰にやられたの」
どうでもいいというように無視し、ミルはピピに歩み寄った。
「ねぇ、まだこいつ走らせらんないの? おばちゃん、稼ぎが悪いんだな」
「――いい加減におばちゃんは止しな。私にゃ、アカネって名前があるんだよ」何度言っても聞きはしない。「こいつ、ちょっと変わった形してるだろ? それで迷っててね。ただでさえ悪い評判立てられてるんだ、おおっぴらにこいつで走って、また面倒な事になるのも嫌でね」
ふぅん、と唸り、ピピの外装に手を滑らせる。
「じゃあ、カモフラしたら? 普通の車に見えるようにさ」
考えもしなかった。それでピピを好きに走らせられたら、今の生活を続けるにしても色々と楽になる。
「あんた天才」
本気で言って、ミルに防護手袋を投げ渡す。当惑してる彼に、アカネはバールを掴みつつ言った。
「何してんの。さっさと使えそうな外装を探そうぜ」それでも躊躇する彼に付け加える。「デザインは任せた。それで、どうする?」
ミルは青眼を輝かせ、外のジャンク置き場に駆けていった。
蛙の子は蛙、ということだろうか。ミルは他の子たちに比べて機械に対する執着が強く、それなりに技術も身につけていた。濃緑の外装を隠すように錆びた鋼板を貼り付け、ライトやキャノピーを鉄網で覆う。結果としてピピは、キャラバン護衛バギーに変貌を遂げた。ミルは満足そうにそれを眺めていたが、アカネは困惑して言葉を探していた。
ミルの作業は、ピピの機構を完璧に考慮したものだったのだ。変形しても干渉せず、そのまま使うことが出来る。
「あんた、前にもこいつ、見たことあんのかい」
慎重に尋ねると、ミルは澄ました顔で振り向く。
「おばちゃん、モスピーダってアニメ見たことないか? サイズは三倍くらいあるけど、構造がアレに似てる。五話しか残ってないけど結構面白いぜ」
「言っとくけど、わたしゃ〈魔女〉でも〈魔女狩り〉でも――」
「どうでもいい」ミルは言って、懐から紙の束を取り出し突き出した。「どうでもいいから、ここまで乗せてってくれよ」
せっかく相手をしてやってたというのに、脅迫されるとは。
アカネは渋面を浮かべつつ、紙を手にする。それは折りたたまれた手書き地図だった。上下がわからず回していると、苛立ったミルは地図を奪い取り、作業台の上に広げる。
「ここが丑寅だ。辰巳がここ。袁山がここ」次々と指し示す。「行きたい場所はここだ」
かつて卯の街があったという場所から、袁山に向かって百キロほど入っていった場所だ。直線距離にしては三百キロくらいだが、各種条件を考えれば往復で一日かかってもおかしくない。アカネはミルの意図がわからず、率直に尋ねた。
「それで、ここに何があんの?」
「何でもいいだろ」
「何でもよかないよ。こんな遠くまで、叔父さんに黙って連れてくわけにはいかないよ」
「あんな奴、関係ない! いいから乗せていけよ! でないとこいつの事、街で言いふらしてやるぞ!」
興奮するミルに辟易し、考えを改めた。どんな事情があるか知らないが、所詮はクソ餓鬼だ。
おもむろにピピに乗り込むとバギー型から人型に変形させ、瞬時に片手でミルを掴んだ。途端に少年は顔を真っ青にし、大声で悲鳴を上げる。
アカネはそれが収まるのを待ってから、言った。
「わたしゃ忙しいんだ。せっかく相手をしてやってんのに。感謝されこそすれ、脅される筋合いはないよ。いいかい、私のことはお姉さん、もしくはアカネと呼べ。そしてここであった事は誰にも言うな。わかったか? でないと卯の街みたいに、丑寅も焼き尽くすことになるよ?」
ミルは完全に混乱しているようだったが、ついに口の端を震わせながら叫んだ。
「あんな街、焼けちまえばいいんだ!」
当惑し、手の力が緩んだ。途端に少年はピピから逃れ、ガレージの外に駆けだしていく。
『やれやれ、どうもご主人様は交渉ごとが苦手なようです。ワタクシに任せてくだされば、全部綺麗に納められましたのに』
「具体的には?」
『憲法九条ですよ。知りません? それを耳にすれば、誰しもが交戦意欲を失うという究極の魔法です』
丑寅から発せられる電波は全て傍受しているらしいが、ほんとにこいつは、どこからそんなネタを仕入れてくるのだろう。
しかし街が全滅すればいいだなんて、穏当じゃあない。外に出てみると、ミルの持つライトは街の中に戻っていった。ひとまず大丈夫そうだが、明日早々にでもトキコに相談した方がいい。
そう考えたが、彼の決意は相当強かったらしい。翌日の日の出早々に、アカネはトキコに起こされることになった。いるはずのない彼女が目の前にいて混乱し、何を言われているのかさっぱり理解できなかった。
「待って待って。落ち着いて。深呼吸」
主に自分に言って深呼吸していると、珍しく慌てている彼女はアカネの服の裾を掴んだ。
「もういい? いいかしら? あのね、ミルがキャラバンのバギーを盗んで何処か行っちゃったのよ! それでアカネ、ここのところよく一緒にいたらしいから、何か心当たりはないかなって」
まったく、本当に世話の焼けるクソ餓鬼だ。
思いつつアカネは、ヤカンを電気調理器の上に置く。
「そりゃこっちの台詞だよ。一体何があったの」そうピピの事は隠しつつ、昨晩のミルの様子を話す。「そんな感じで、大騒ぎさ。誰かに虐められてたのかい」
トキコは肩を落とし、答えた。どうやら例の子供グループで家族の話になったらしく、ミルは自分の父親が一番だと譲らなかったらしい。それで売り言葉に買い言葉。
「『おまえの父さんなんか、ありもしないお宝を探しに行って死んじまった大馬鹿じゃないか!』」台詞を再現してみせ、トキコは大きくため息を吐いた。「あの子にとって、お父さんだけが拠り所なのよ。それをそんな風に言われたもんだから――あ、ひょっとしてまさか」
「そのまさか」苦いお茶を啜りつつ、作業台の前に立った。「これ、親父さんが最後に向かった場所の地図なんだろうね」
「大変。早く追いかけなきゃ」
慌てて出て行こうとするトキコの肩を、アカネは掴んだ。
「待ちな。この辺、どんなとこ」
「わからないわ。基本的に街道の内側は全部危ないの。道なんてないし、袁山の怪物がうろついてる事もあるし――」
あの緑目の連中か。
「ミルの盗んだバギー、どれくらいジュールが?」
「多分、行くことは出来るくらい残っているんじゃないかしら。でもとても戻ってこられないわ――ってアカネ?」
ガレージの裏手に向かおうとしていたところを呼び止められ、アカネは答えた。
「仕方がない。私も行くよ。ジュールはミルにただ働きして返して貰う。いい?」
笑顔で頷かれ、アカネは部屋に入った。中には袁山で目を覚ましたときに着ていたスーツと、キャラバンから買ったコイル銃がある。もし狂犬に襲われるような事になったら必要だ。
スーツを久しぶりに身に纏っていて、気がついた。腕のパネルは何かを制御するための物で、こんな所では無用の長物だろうと思い込んでいた。しかしピピのコンソールに似たようなソケットがあることを、今更ながら思い出した。
「ピピさ」乗り込みながら尋ねる。「このソケットって何に使うの?」
『まぁ、言うなればシガーソケットですね。あ、ワタクシの中は禁煙ですのでお気を付けて』
つまりこのスーツも、充電して何か出来るということか。
ジュールは貴重だったが、それで何かの役に立てば儲けものだ。アカネはスーツとピピをケーブルで接続し、ステータスのチェックをしてからスロットルを開けた。
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