3.3. 姉妹たち

 色々とわからないことが多すぎる。多すぎて何から考えればいいのかわからないほどだ。しかし唯一、正しいことがある。


『私なら、やっちまったことをくよくよ考えたりしない。さっさと諦めて受け入れて、次を考えるんだ』


 それは確かに、自分の信念に違いない。現にツクヨミは色々考えるのが面倒になってきていた。ドクター・ベンディスは『ひょっとしたら記憶が戻るかもしれないから』とツクヨミの個人記録を勧めてきたが、こんな物が何の役に立つのかさっぱりわからない。地球上の優秀な子供たちが集められたという学園に入って、機械制御工学を学んで、成績はこうで、月の接近に伴って〈キューブ〉の構築に携わり、その守護者としての役割に志願して――そんなことを言われても記憶は蘇らないし、これからの自分に何か関わってくるようにも思えない。他にも膨大な歴史記録や整備テキストを勧められたが、ツクヨミは早々に投げ出してしまった。


「もういいよドクター。そんで私は何をすりゃいいのさ。〈姉妹たち〉がいるんでしょ? その娘らは?」


 ドクター・ベンディスは画面の中で微笑んで、ツクヨミを部屋の外に促した。


『〈姉妹たち〉はみんなそうね。考えるより行動しろ派』


 今度はエレベータで一層だけ登る。そこは研修センターのようなフロアになっていた。机が並んだ教室があり、様々な分野ごとに実験室があり、ロボットが何体も置かれている整備場があり、体育館がある。


 そこでは既に八人の娘たちが集まっていた。全員がツクヨミと同じ白いスーツを身に纏っていて、所在なさげにしている。彼女たちは新たに入ってきたツクヨミに軽く目を向けはしたが、とりたてて注視はしない。


『これから別のドクター・ベンディスが来て指導を始めるから、少し待ってて?』


 そう言って彼女は去って行く。七人の娘たちは互いに探り合うようにして中央でぼそぼそと話をしていたが、一人だけ輪から外れて壁際に座り込んでいる娘がいた。ツクヨミはそちらに興味を持って近づいていく。胡座をかき、目を閉じていた。筋肉質な腕を組み、眉間に皺を寄せている。精悍な顔つきで眉毛が毛羽立っており、いかにも戦闘術に長けているように見える。


 一体何をしているのだろう。そう彼女の顔を覗き込んでいると、不意にぱちりと目を見開き、肉食獣のような瞳をツクヨミに向けてきた。そしてしばらくこちらを凝視すると、傷のある唇を開いて嗄れた声を上げる。


「あんた誰」


「ん。私はツクヨミって名前みたい。あんたは?」


 怪訝そうに考え込んでから、彼女は答えた。


「あたしゃアリアンロッドって言うらしい」そしてバリバリと頭を掻く。「それで、何か用」


「別に。わたしゃ天邪鬼らしくてさ」


 そう隣に胡座をかいて座り七人の輪を眺めるツクヨミに、ロッドは忌々しく鼻を鳴らした。


「なんであいつら、内股なの? どうしてあんな風に足が曲がるのさ」


「知らん。別の種族なんじゃ?」


「わけわかんない。あんた、何か覚えてんの?」


「全然。そっちは?」


 ロッドは深い深いため息を吐いた。


「あたしゃ夢を見てた。なんか色々渦を巻いてて、ぶわーっと流れてって、そいつらに何か言われてる気がした。そういことって、あるもんなの?」


「知らん」


「誰かか何かを守るのが仕事みたいな事を言ってた。あたしゃ、前にもそんな夢を見たような気がする。だから正しいって気がしたんだ。そんで目を開けたらあんたがいた。これってどういうことだよ。つまり私の仕事は、あんたを守る事なのか?」


「さっきの話?」ツクヨミは呆れて苦笑いした。「寝てたの。瞑想でもしてるんかと思った」


「瞑想? 何それ」


「私にも良くわからん」


 やがて大きなディスプレイを乗せたドクター・ベンディスが現れ、全員に集合をかけた。それからの日々は、ツクヨミの潜在記憶に残っている学園風景と同じようなものだった。機械工学や電子工学、生体工学から理論天体物理学まで様々な授業があり、また強化外骨格であるMMWの操作方法や〈ホワイトスーツ〉での戦闘術といった実技があり、機械整備や簡単な機械電子工作の実習がある。すぐに十二人の〈娘たち〉は全員が集まり、それぞれが別の特技を持っていることも自然と明らかになった。


 別に派閥のような物ではなかったが、相性の良し悪しでグループらしき物は出来てくる。中心となっているのはセレネという委員長質の娘だった。彼女は平均的に何でも出来て、出来ない娘の面倒見も良く、率先して集団を率いていこうという気概もある。


 ツクヨミは彼女のようなタイプは苦手らしかったが、とりあえず表面上は上手く受け流していた。しかしロッドは明らかな反逆質で、セレネに対する嫌悪を隠さない。というか彼女は野性的な外見に反して内面は何処か神秘的で、彼女の言葉に上手く反応できる娘はいないようだった。皆、困惑し、苦笑いしながら去って行く。彼女自身もそうした反応には慣れているらしく、大抵一人で、怖い顔で辺りを見回していた。


「あいつ何なんだよ。超怖いんだけど」クーという生物学に長けた娘に言われたことがある。「ツクヨミ、よくあいつと話せるよね。薬でもやってんじゃないかって感じ。意味不明なことばっか」


 実は薬をやってるのはクーの方だ。生物学実験室で勝手にアルコールや向精神薬を化合し、いつも酔っ払っている。むしろツクヨミはロッドの台詞はだいたい理解できるが、クーの底の浅い戯言には付き合っていられなかった。それが自然と態度に出てしまっていたらしく、次第に彼女は近づいてこなくなった。


 授業の殆どは、記憶を失う前に一通り受講済みの内容だったらしい。どの分野も軽く触れられると大まかな内容が蘇ってきて、テキストはどんどん進んでいく。そして半年もすると、新たに歴史や世界情勢が加えられてきた。


 こちらは記憶にない内容だったらしい。一同が施設の最上層に移動し放射線防護シャッターが開かれると、殆どの娘たちが驚愕のうなり声を上げていた。


 目の前に、巨大な地球があった。しかしそれを地球と感じるのは、単に白と青に彩られているという点においてだけだった。


 細部は記憶にある地球と全然違う。むしろ共通点を探す方が困難だった。北極と南極の氷は南北の緯度三十五度付近まで広がっている。日本列島はもはや姿形もなく、辛うじてインドとアフリカ、南北アメリカ大陸らしき代物が窺えるだけだ。


 複数の島嶼からなっていた東南アジアは激変していた。月はカリマンタン島の直上にあり、周辺は潮汐力によって隆起し、一方で海面の上昇で沈んでいる。元の海岸線とは見分けが困難だった。


『地球環境は未だに悪化を続けている。今後数十年は火山の大規模噴火による寒冷化は解消されないし、地盤は数百年にわたって不安定なままだと予想される。毒物や放射性物質に汚染された土地も複数。結果、現在の人口は一千万人を切っていると思われるわ。それは更に年々減っている。それを防ぐ手段も資源も存在しない。残念だけれど、これが現実。私たちには、地球を守れない。だから最大限可能なこと――〈キューブ〉を構築し、人類の記憶を残した。もし今後数百年経って地球が安定を取り戻し、人類がまだ生き延びていたならば――その時こそ、〈キューブ〉に蓄えられた英知が必要になる』


 そして月から地球に伸びる、一本の真っ直ぐな線。


『〈ミハシラ〉と呼ばれているわ。月の最接近以降、地上の残存勢力は〈キューブ〉の存在に気づき、自暴自棄な作戦に出た。チューリング・マシーンで軌道エレベータを作ろうとしたの。あなたたちの〈姉さん〉は、たった十二人でそれを阻止しなければならなかった。どんなに困難な作戦だったかわかるでしょう。結果として月面への侵攻は阻止できたけれど、未だに諦めていない組織がある。〈魔女〉よ』


 それでようやく、ツクヨミは自分たちの最優先任務を理解した。〈魔女〉を殲滅し、誰も月に近づけないようにすること。


『私たちにある武器は三つ。あなたたち精鋭の存在。最終技術で製造されたMMW、そして粘菌よ』


 ツクヨミは機械電子工学には長けているようだったが、どうにも生物学は苦手だった。だから粘菌について詳しく知ることは諦め、その効果だけ理解しようとした。


 要するに粘菌は強力な量子演算素子であり、寄生した生体の操作インターフェイスになり得るという事だ。これは機械的な面で言えば優秀な演算コアになり得るということで、生物的な面で言えば優秀な制御コアになり得るということだ。


『粘菌が寄生した生体は、ある程度MMWのコアで制御可能よ。でもあまり細かいことは出来ない。せいぜい攻撃対象を指定したり、沈静化させたり出来る程度。現在地球上では月の直下に出来た山――袁山と呼ばれているわ――その付近には生息している。ただ袁山の周辺は塩害に覆われていて、そこから先に広まりはしない』


「なんでさ。じゃあその塩害をどうにかすれば、〈魔女〉もみんな死んじゃうってことでしょ? どうしてそうしないのさ」


 クーの乱暴な疑問に、不意に施設全体に鳴り渡る声が届いた。


『私たちだって無闇に人類を苦しめるつもりはないわ。だからそのままにしている。いい? 私たちの敵は月を攻めようとする〈魔女〉で、人類じゃない』


 〈母さん〉だ。時々彼女はこうして〈娘たち〉を諫める。途端にクーは蒼い顔をして黙り込み、セレネは彼女をかばうよう肩に手を乗せた。

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