14. クー

 どうやらこの〈月下〉には、キャラバンのニューズネットも載ってない事が沢山あるようだった。アカネから見ればただのペニシリンでも、それを自作しているとなると〈魔女〉の薬だと見なされてしまう可能性が高い。


 そもそも、ペニシリンの効能が知られているだけでも驚きだ。〈月下〉はすっかりルネサンス前の中世のように、見よう見まねで過去の遺物を扱うだけの世界に成り果てていると思い込んでいた。


「ひょっとしたらあのおっちゃん、隠れ科学者の系譜だったりするのかな」


 可能な限り全速で北方街道を飛ばしながら呟いたアカネに、ピピが答えた。


『中世のスペイン宗教裁判みたいな状況ですね。ワタクシはなんだか、自分が悪魔の遣いのような気がしてきました』


「私が悪魔だって可能性は考えたことないのかい」


『ややっ! それは考察不足でした。でもいいですね、悪魔の使徒ってのも。せっかくですからボディーも黒く塗り直しましょう!』


 相変わらず、どこまで本気かわからない。


 袁山とその周辺の砂漠を取り囲む街道は、街道といってもそう車通りは多くない。なにしろ全周三千キロほどある反面、要所は数百人から多くて数千人を抱えるオアシスが三十ほど点在しているだけだ。誰も集計を取っていないので正確なところは不明だが、〈月下〉の全人口は五万人を超えることはないように思える。キャラバン連中と言っても多くて精々数百人だろうから、辛うじて轍の跡が残る程度の道なき道を時速百キロで飛ばしていても、すれ違ったキャラバン隊は二つ程度だった。


 エスパルガロの言っていたように、あまり時間に余裕はない。しかしトキコと別れて二十時間近く経っている。ずっと運転を続けていただけに、腰や背中が痛み、時折眠気で気を失いそうになる。最初はピピの半ば意味不明な話のおかげで目も覚めたが、次第に耐性が付いてしまった。不意に意識を失い、道をそれて砂の山に突っ込みそうになる。唐突な振動で我に返ったが、ピピは半分斜めになって横転する寸前だった。


『あぶないっ! だから運転はワタクシに任せてください! 大切な身体に傷をつけられたらたまったもんじゃないです!』


「あんたに任せたら、それこそ何処に行くかわかったもんじゃない」それでもそろそろ限界に近かった。「わかった。ピピ、これまでに作った歌を全部聴かせて。なるべく五月蠅いの」


 ピピは嬉々として、ラップだかファンクだかわからない歌を、自らのスキャット付きで歌い始める。すぐに猛烈な苛立ちが襲ってきて、多少集中力が戻ってきた。そしてなんとか二時間ほどを乗り切ると、ようやく砂煙の向こうに丑寅の城壁が見え隠れしてきた。ほっと一息吐いたのはいいものの、次第に何か不穏なものを感じ始める。未だに歌い続けていたピピを黙らせ、キャノピーの一部を叩いた。


「これ何だ。煙? 拡大して」


 すぐにアカネが叩いた点を中心に光学ズームされていく。最初はただの竜巻かとも思ったが、嫌な予感が当たっていた。黒々とした煙が〈月下〉特有の風に煽られ、渦巻いている。見るからに火災か何かの煙だ。


 しかし、妙だった。丑寅の街は消火設備も整っていないから、ボヤ程度ならば何度も見かけている。だが煙が立ち上っているのは街の外で、しかもアカネのガレージの付近のように見えた。


 まさか、修理屋組合か?


 最初に考えたのが、それだった。自分が留守なのをいいことに、家に火を付けた。


 連中ならばやりかねない。アカネは殆ど確信を持ち、怒りにまかせてピピを加速させる。しかし街道に更なる異常を見つけ、速度を緩めざるを得なかった。


 キャラバンの車両十数台が、丑寅のゲートの手前で足止めを食っていた。中にはこちらに引き返してくる車もあり、すっかり渋滞になってしまっている。


「ちょっと! 何やってんのさ!」


 無理矢理車をねじ込んでこようとする相手に叫ぶと、女が運転席から身を乗り出し叫び返してきた。


「やばい! やばいって! いいから戻れって!」


 そして血相を変え、ゲートの方を顧みる。アカネは次第に自宅が放火された程度の問題じゃあないという気がしてきて、ハンドルを大きく切ってピピを砂地に突っ込ませた。こちらは荷物も積んでいない悪路用のバギーだ、複数のトラックやバンで完全にスタックしている一帯を過ぎると、ようやく自宅兼作業場だったガソリンスタンドにたどり着く。


 自分でも驚くほど、ショックを受けた。半月ほどの事でしかないが、やっとの思いで得た安住の地。それが業火に包まれ、所々が粉砕されている。


 とても修理屋連中が出来る仕業ではない。まるで爆撃でも受けたかのように、骨組みが歪み、金属が燃え、コンクリートが抉れている。


 当惑して立ち尽くしていたが、すぐに自分を取り戻した。事件の中心はもう、この場所ではなくなっている。丑寅のゲートを中心として十数台の車が詰まっていて、遠巻きに様子を窺う人々が輪を作っていた。ピピに飛び乗ってそちらに向かうと、すぐにアカネは何が起きているのか理解していた。


 輪の中心にいたのは、ミルの父親が撮影したのと同じ人型ロボットだった。


 三メートルほどの高さで、濃緑の色彩をしていて、装甲に傷一つない。モーションキャプチャ用の検出モジュールが装着された搭乗者の四肢が露わになっているが、それはアカネが着ているのと良く似たスーツを纏っていた。元々このスーツとロボットは一体で、どちらも〈魔女狩り〉の物だったのだ。


 彼――いや、アカネの見るところ、搭乗者は女だ――は両足を肩幅に開き、腕組みをし、ゲートに対していた。そこに一人たたずんでいるのは、なんとトキコだった。彼女は厳しい顔つきで〈魔女狩り〉を見つめ、口を開く。


「この街には〈魔女〉などいません。どうか、お引き取りください」


 〈魔女狩り〉はどうやら問答無用の存在ではないらしい。首を傾げ、拡声器で応じた。


「私だって、こんな所からさっさと帰って酒飲みたいよ」やはり女の声だった。しかし緊張感はなく、投げやりな感がある。「でもここんとこ、〈姉さん〉が五月蠅くてさぁ。ちゃんと確認しないと後で怒られるんだよ。そんで、えっと、誰か見てない? 凄い機械だとか、何か妙な秘密施設だとか。わかんないようだったら、この街を全部潰すしかないんだけどさぁ」


「それはもう潰されたでしょう。外の廃墟です。他には目新しい余所者は――」


「あっあー、それ駄目。スケープゴートにしようってんだろうけど、あそこにはそれらしい設備はなかった」押し黙ったトキコに、〈魔女狩り〉は続けた。「いいじゃん、さっさと吐いちゃいなよ! 街のみんなも、あんたを裏切り者だなんて考えないって。むしろ街の救世主だって喜ばれるよ!」


「そうは言われましても、他にそれらしい物は。何ならお好きに調べていただければ」


「ごめん。それは面倒」〈魔女狩り〉はあっさりと拒否し、何かのランチャーらしき物が装着されている右腕をトキコに向けた。「えっと、じゃあ。十秒数えたら街を潰すから、それまでに逃げたい人は逃げて。悪いね、〈姉さん〉が容赦するなっていうもんだからさ。ま、私らが何をするか知ってるのに、〈魔女〉を放置してたあんたらが悪いってことで。諦めて? じゃあ始めるよ? 十、九、八」


 アカネは〈魔女狩り〉の背後に忍びより、そこから急加速で突っ込んでいた。砂丘を利用して高く飛ぶと、人型に変形して両腕を振り上げる。そして両手を握り合わせた巨大な拳を〈魔女狩り〉に振り下ろしたが、派手な音がした割に効果は薄かった。相手は少しよろめいただけで、すぐに振り向く。


「出た! しかもマーク4か! 随分な骨董品を拾っちゃって!」


 言いつつ、〈魔女狩り〉は右、左と拳を繰り出す。しかしそれを自然に避けられて、アカネは自分に驚いていた。まともな格闘なんて初めてだというのに、何かが染みついていて勝手に身体が動く。最後の蹴りをも飛び退いて避けると、即座にバギーへ変形し、なるべく街から離れようとする。


 しかし向こうの反応速度も相当なものだった。逃げる間もなくリアフレームを掴まれる。出力を全開にしてもタイヤは砂を掻くだけではなく、やがて空を切るようになっていた。


 〈魔女狩り〉のロボットに、持ち上げられている。


 アカネは再び人型に変形して逃れようとしたが、その前に〈魔女狩り〉は盛大なかけ声と共に放り投げた。十メートルほど滑空したあげく、往生していたキャラバンの車に叩きつけられる。


「ちょっとちょっと、動かしてるの誰?」アカネが痛みと衝撃に呻いている間に、〈魔女狩り〉は歩み寄ってくる。「結構なやり手じゃん。どうやって覚えたの? ま、いくら頑張っても私には敵わないけどさ」


 ようやくピピを立ち上がらせたが、即座に〈魔女狩り〉の右腕に装着されていたランチャーが閃光を発した。とても軌道を捉えることも出来なかった。瞬時にピピの右腕が千切れ、遠くに吹き飛ばされていく。


「あぁ、勿体ない。伝説のマーク4だ。私も乗ってみたかったけど、仕方ない」


 軽口に続いて腕が光り、今度は左足が吹き飛ぶ。再び潰れたトラックの上に崩れ落ちたピピに〈魔女狩り〉は近づき、しゃがみ込んで胸部ハッチを掴んだ。


「さぁて、ご対面だ」


 一息に〈魔女狩り〉はハッチを引きちぎる。しかし内部が空なのを見て、彼女は完全に思考が一時停止していた。アカネは最初に倒れた時に脱出し、後の操作をピピに任せていたのだ。相手が見せた隙に背中を駆け上がり、首に取り付き、その隙間目がけてスーツのブラスターを放った。


「何だぁ!」


 敵の混乱の叫びと共に、パチン、と内部の何かが破裂した。それでもロボットは稼働を続け立ち上がろうとする。アカネは息を詰めて続けざまにブラスターを放ったが、所詮圧縮空気では相手の左腕の機能を麻痺させることが精々だった。巨大な右手で身体を掴まれると腕に激痛が走り、何かが折れる気味の悪い音がした。


 〈魔女狩り〉はそのまま、身体にたかった虫を払うようにしてアカネを投げ捨てる。今度はジャンクの壁に叩きつけられ、途端に意識が遠のいてくるのを感じた。


 続けざまの衝撃に息が出来ず、頭から生ぬるい血があふれ出てきて、視界が歪んでくる。なんとか仰向けに転がると、そこには黄金色に輝く巨大な月が浮かんでいた。


 割り込んでくるのは、ロボットから降り立った〈魔女狩り〉の女――いや、アカネと同じくらいの少女だった。ボサボサの金髪、白い肌にはそばかすが浮いていて、痩せて尖った顔をしている。彼女はその唇にサディスティックな笑みを浮かべ、言った。


「まったく、良くやるよあんたも。すごいすごい。さすがのクーちゃんも感心しちゃうよほんと」


 そう、半面が血で覆われたアカネのことを覗き込む。しかし瞬時に、彼女の表情は驚愕に凍り付いていた。


「えっ、なんであんたが――」


 その瞬間に彼女の頭は、天頂に輝く月よりも大きく破裂した。アカネは血と脳漿に完全に視界を奪われ、気を失った。

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