3.11. 2021
コロンビア大学なんて、ただの大学じゃん。
そう茜は乗り気がしなかったが、かといって他の選択肢も魅力を感じず、結局はニューヨークにやってくる事になった。イーロン・マスクとも会った。といってもたった五分間だけで、何か一方的に話されていたがよくわからなかった。それから彼のエージェントに大学近くの家を宛がわれ、あとは好きにしろという感じで放任されてしまう。
何か楽しいことが起きないかな、と思いつつ大学に通う生活が始まったが、やっぱり楽しいことなど何も起きなかった。ただ普通に一般科目の授業を受けて、少しだけ専門の授業を受けて、それだけだ。
時子とはメッセンジャーでやり取りを続けていたが、こちらは時差の壁が大きい。加えてさすがの時子も天才のたまり場である京都大学のレベルには苦戦しているようで、次第に疎遠になっていく。茜といえばとりあえず専門用語を覚えるのに多少手間取りそうだが、それ以外は別に言葉の壁も感じない。適当英語で何とか通じる。あとは気合いだ。それにも慣れると次第に大学が日常になってきて、あまり気にしていなかった同級生たちに気を配る余裕も出てくる。
茜は工学系の秀才や独自で珍妙な研究をして目を付けられた学生と話す機会が多かったが、どうやらこの大学は先端学術機関としての力だけでなく、セレブや王侯貴族が子息を任せるだけの格があるらしい。講義室でも装い華やかでいかにも上級市民という感じの連中が一カ所に固まっていて、どうにも落ち着かない。
けれどもこれはチャンスだ。どうにかして連中の懐に入り込んで、怪僧ラスプーチンや道鏡のような暗躍は出来ないもんだろうか。
そう茜は様子を窺っていたが、やっぱり壁は厚そうだ。代わりに興味を抱いたのは、セレブ組、変人組のどちらにも属さない超変人らしき学生だった。
彼女はホームレスか何かのような風体だった。別に臭いはしないが、髪はいつももじゃもじゃで、顔には一瞬老婆かと見紛うような皺を刻んでいて、その辺から適当に拾い集めてきたかのようなボロボロの服を適当に身につけている。いつも授業前は目を閉じていて、先生が来ると獣のような前傾姿勢でノートに食いつき、終わるとさっさと帰ってしまう。
何者だろう。変な娘だな。一体何をしてるんだろう。
ある日、遂に興味に負けて、授業前に目を閉じている彼女の前に歩み寄り、じっとその様子を観察してしまう。すると途端に彼女は目を見開いて、その殺気を感じる瞳を茜に向けた。
しばし彼女は、茜のことをじろじろと眺める。そしてようやく傷のある薄い唇を開いた。
「あんた誰」
「ん。茜っての。よろしく。そっちは?」
言いながら隣の席に座ると、彼女は胡散臭そうにしつつも嗄れた声で答えた。
「ジークリッド」
「ふぅん。ドイツ系?」
「まぁね」そして落ち着かないよう辺りを見回してから言った。「何か用」
「別に。暇だから」
無視されるか、追い払われるかだと思っていた。しかし意外な事に彼女は当惑しているようで、渋い顔をしながら言った。
「知らないの」
「何を?」
「あたしゃ死神なんだ。近寄らない方がいい」
これは逸材だ。自分で自分を死神だなんて言う人間、アニメの中でしか見たことがない。
それで目を輝かしながら詰め寄ろうとした茜に、彼女は軽く顎をしゃくって見せた。その先には例のセレブ組がいて、まるで汚らわしい物でも見るかのようにこちらの様子をチラチラと窺っていた。
「ほらね」と、ジークリッドは吐き捨てる。「連中に絡まれたら面倒だよ。何しろ、金も権力もある。それしかないとも言えるけど」
「あたしゃどっちもないから平気。一体何なの?」
「ライヒハート家って知ってる? 死刑執行人の家系。表の顔はね。裏じゃ暗殺とか色々やってた。あたしゃ、その直系なの」
「真面目に?」
これは違う世界だ。やっと面白い状況が現れた。
そう目を輝かせる茜に、ジークリッドは首を傾げた。
「この話を聞いて喜ぶ奴は初めてだよ。あんた頭おかしい」
「まぁね。自分でもそう思う。それで? あっちは誰なの」
仕方がなさそうに、彼女は繰り返し顎で人物を指した。
「あのちびっこいのはスカンジナビアのどっかの侯爵の娘。あの巻き毛はフランス男爵の娘。あのアフリカ系はロックフェラーの一族。それであれ」と、最後に彼女は背の高い赤毛で青眼の娘を指した。「あれはハプスブルクのセレーナ」
「真面目に? ハプスブルクとか初めて見た!」
「まぁどんだけ嫡流に近いのか知らないけど、連中に相当可愛がられてる。そういう奴らとってみれば、あたしみたいなのはヨーロッパの面汚しらしいよ。ま、面と向かっては誰も言わないけど」
「すげぇ。王侯貴族の政略物の世界って、ホントにあるんだ」
「クソみたいな世界だよ。あたしゃ何回も逃げたけど、その度に捕まって。最後にゃこんなとこに放り込まれた。っておい」
茜はジークリッドに呼び止められるのも構わず、セレブ組に歩み寄っていった。そしてハプスブルクの娘をしげしげと眺めると、当惑した様子の彼女に言った。
「ねぇ、あんたハプスブルクってホント?」
こういう無礼には慣れていないのだろう。セレブ組は慌てて息を詰めたり、二人の間に割って入ろうとしたりする。だが彼女はそれを遮り、冷たい眼差しで答えた。
「えぇ。それが?」
「じゃあさ、私と秘密結社作らない? そんで世界制覇すんの」
セレーナは目を丸くして数秒黙り込むと、呆れた様子で言った。
「秘密結社に入れてくれって言われたことはあるけれど、さすがに作ろうと言われたことは一度もないわ」
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