2.8. モルダリー・コア

 一体何をしているのか。気まぐれに内部に入り込んで、適当に弄っているのだろうか。


 そうとしか思えなかったが、だとすれば大変だ。完璧に稼働する大型3Dプリンターなんて、この世界でただ一つの代物なのかもしれないのだ。あれがあればピピの修理も楽になるし、〈アーカイバ〉が何か最終技術を再現しようとした場合でも大活躍するに違いない。しかし思うように動かずゴリラ熊が癇癪を起こしてしまえば、あっという間にガラクタになってしまう。


 アカネはブラスターの狙いを定め、物音を立てないよう、慎重に階段を下っていく。だが相手に集中するあまり、足下の確認がおろそかになっていた。右足を下ろした段は支えが腐っていて、パタンと斜めに倒れてしまう。おかげで盛大な音を立てつつ、残りの半分を滑り落ちることになってしまった。


 しばらく痛みで呻いていたが、すぐに我に返ってゴリラ熊を探す。当然相手は騒々しい珍客に気づいていて、こちらに緑色の目を向けていた。


 すぐさま右腕を突き出し、ブラスターの引き金を引こうとする。だがゴリラ熊は途端に表情を怯えさせ――そう見えたのだ――両手を胸の前に開き、喉の奥からウゴウゴと音を発した。それも酷く恐怖にかられているようで、アカネは怪訝に思いながら引き金から手を離し、慎重に立ち上がる。


 百七十五センチのアカネに対し、ゴリラ熊は倍のサイズがあった。しかし相手はすっかり怯えきっていて、腰を引かせ、必死に何事かを訴えるように呻いている。


 やがてアカネには、わかったような気がした。


「英語?」


 声帯の違いからだろう、発音が悪すぎて気づかなかったが、確かに幾つかの英単語らしき物が聞き取れる。こちらの呟きに、ゴリラ熊は何度も何度も繰り返し頷く。更に続けられる声に耳を澄ましていると、なんとなく事情を察せられてきた。


「装置を、動かそうとしていただけ?」恐怖にかられた笑みを浮かべ頷くゴリラ熊。「なんでそんなことを?」


『ただ、動く、らしい、だから――』


「動きそうだから動かそうとしてただけだって? じゃあここの電源も、あんたが復活させたっての?」


『自分、やった』


 参ったな、と思いつつ、ゴリラ熊を眺める。まさかこの期に及んで、知的ゴリラ熊と遭遇することになるとは思いもしなかった。


「トキコー。どうしようこれ」


 格納庫の壁の穴から身を出して呼ぶ。彼女は一通りのパーツを積み終えた所だったが、アカネと一緒に手を振っているゴリラ熊を目にするや、口をあんぐりと開いていた。


『自分、ラスプーチン、熊、多分』


「えっ? ラスプーチン? ラスプーチンって言った? じゃあゴリラ熊じゃなく悪僧熊なの?」


 完全に動転している。とにかく危険はないらしい。アカネはブラスターを仕舞い、四方から眺める。とにかく大きい。頭なんてアカネの四倍はあるだろう。一方のトキコは壁に半分身体を隠し、おずおずと尋ねていた。


「ラスプーチン――じゃあプーさんね――プーさん、ここで、何をしてるの?」


『寝て、起きて、動く』


「そ、そう。言葉は、誰に習ったの?」


『習う、紙、楽しい、板、音、言葉、沢山』


「書類や電子パッドから全部独学したのかしら。凄いわ」


 そこで急にラスプーチンは壁の亀裂に身を乗り出させ、太い爪でピピを指し示した。


『あれ! 頭! 中身、ここにない! ずっと探してた!』


「えっ? どういうこと?」


 尋ねたアカネに、トキコは苦い表情で荷台を指し示した。


「多分こういうことだと思うわ。胴体のパーツは色々とあるんだけれど、頭は装甲しかないの。これじゃあピピの二号や三号を作ることは出来ないわ」


「そっか。制御コアは相当な機密だったんだろうねぇ」


 それはピピを量産できたなら――その妙な性格は置いておいて――色々と出来ることが増えると思っていただけに、アカネも残念だった。しかしラスプーチンは興奮を抑えきれない様子で、巨大な口から涎を垂らし、けたたましく吠えるように言う。


『あれ! 自分! 直せる! やる!』


「え? 修理するって言ってる?」


 トキコに言われ、アカネも首を傾げる。


「そうみたいだねぇ」


「でも、どうして?」


「やれそうだからじゃない? 色々勝手に勉強してたみたいだし、なんか親近感を覚えるよ。せっかくだし、やってもらおうか」


 途端にピピが金切り声を上げた。


『何がせっかくなんだか、ワタクシにはさっぱりわかりません! あんな凶暴な毛だらけの存在に、ワタクシを修理出来るとは思えません!』


「まぁまぁそういうなよ。私だったら、パーツを全部調べてー、からだから、何週間かかかるぜ? プーさんなら速攻で治るかも。ていうかもう、やる気まんまんだし。やってもらお?」


『何故です! 理解不能です! ギャー、助けて!』


 否応なくラスプーチンに担ぎ上げられる。それでもピピがピーピーガーガーと騒いでいると、ラスプーチンは喉元に爪を突っ込み、正確に一本のケーブルを引っこ抜いた。アカネが応急処置で繋いだ音声系だ。外見に比べて相当器用そうで、これならば安心して修理を任せられる。


 ピピは件の大型3Dプリンターらしき装置の上に横たえられる。ラスプーチンがコンソールを爪の先で叩くと、途端に三次元アームが縦横無尽に動き始めた。まずは状態を走査しているらしい。やがてコンソールにピピの現状が映し出されると、破却部と修理部を設定していく。随分手慣れた様子だ。最後に彼が、構築、のボタンを叩くと、現れた四本のアームが次々にピピの外装を剥がしていった。修復不可能な物は投げ捨て、傷ついた右腕も接合部から先を切り離し、トキコが拾い集めた旧式のパーツを組み入れていく。


「互換性あるの?」


 尋ねたアカネに、ラスプーチンはうなり声を上げた。


『問題ない、はず、電子タグ、コード、同じ』


 電子タグの存在なんて気づかなかった。すっかり感心して尋ねる。


「こないだここに来たときに、私ら襲われたんだけどさ。他の連中は話せないの?」


『他の熊、小さい、駄目。寝る、起きる、暴れる、それだけ』


「ふぅん。あんたは突然変異か何かなのかね。いつからここにいるの?」


『いつ、わからない』


 時間の概念がわからないということだろうか。それとも記憶がないということだろうか。そう問いを続けようとしたところで、アームの二本がピピの頭部に向かっていた。先端のモジュールが展開し、八つの点を同時に押す。外見からはわからなかったが、それが頭部装甲を外す方法だったらしい。途端に傷ついた金属はぱかんと五つに分かれ、内部の制御コアが露わになった。


「えっ」


 アカネは思わず呟いていた。中にあるのは数枚の電子基板の集積体だろうと思い込んでいた。しかし現れたのは、ぼんやりと光る緑の粘液だったのだ。


 粘液はガラス体の中に満たされていた。人間の脳と同じくらいのサイズで、脳髄の位置にある金属製の治具で固定されている。そこから数本の光ケーブルが差し込まれて、無数に枝分かれし、末端は粘液の中で泳ぐようにたゆっていた。


「これってまさか」


 脇から覗き込んでいたトキコが、声を震わせながら言う。


 アカネは何と答えていいかわからなかった。代わりにラスプーチンが、聞き取りづらい声で言う。


『モルダリー・コア、書かれてる、それ。実際、ここ、ない、でもあった』


「それ、見せて」


 アカネが鋭く言うと、ラスプーチンはのそのそと動き、傍らに置かれていた分厚いファイルを持ってきた。〈アーカイバ〉が手にしていたマニュアルの完全版らしく、最後の方に修理マニュアルが添付されている。そこには図入りで、モルダリー・コアという記載があった。しかし破損した場合は交換しろと記されているだけだ。


 アカネは考え込み、アームによって再び装甲の中に隠されようとしているコアを眺める。


「粘菌コア。粘菌コンピューティングか。量子焼きなまし?」呟き、ファイルを閉じる。「入出力を粘菌の分子レベル変動で解釈してる? 量子計算機の最終技術の実装が、これ?」


「やっぱり、粘菌は〈娘たち〉が作り出した物だったんだわ」


 トキコは全身を震わせていた。それはそうだ。〈月下〉を悩ます謎の病の原因が、〈娘たち〉のロボットに利用されている。その事実によって、〈娘たち〉と粘菌とを繋ぐ線が、より太くなった。つまるところ粘菌は〈娘たち〉のアキレス腱なのだ。もしこの仕組みを詳細に分析できたなら、彼女たちの弱点を掴む事に繋がるかも知れない。


 しかしそんなこと、〈アーカイバ〉たちに可能なのだろうか。量子計算の媒体として使われているのは確かだが、それはどういう効果を利用しているのか。どうしてそれが人や動物、果ては植物にまで寄生してしまうのか。わからないことが多すぎる。


 そして最後に行き着く先は、ここだ。


 そんな代物で動いているピピは、果たして信用できるのか。


「――ちょっと頭を冷やしてくるわ、アカネ」


 彼女も必死で何かを考えているらしい。外に出て行くトキコに生返事をしながら、アカネは何か見落としがないか、この両者を繋ぐ鍵が何かなかったかと、記憶を辿っていた。しかしそれを邪魔する大声が響く。


『アカネ! おまえ、アカネか?』


 ラスプーチンに肩を掴まれ、アカネは咄嗟に飛び退いた。彼はその反応に当惑したようだったが、宥めるように両手を上下させると、傍らの崩れた木箱を指し示した。


『アカネ、沢山! 全部アカネ! 誰、どこにもない!』


 何の話かわからなかったが、彼の指し示す場所には全て、荷受票のようなものが貼り付けられている。


 近づいて埃を払い、文字列を見る。それでアカネは、二度目の衝撃に襲われる。


 それらには全て、こう書かれていたのだ。


『輸送責任者:アカネ・ミズサワ』

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