3.8. 突破口

 現状はこれまで粘菌について想像されていた各種特性を裏付けられたに過ぎず、それ以上の事は何もない。そろそろマーティンは苛立ち始め、毎日のように現れては大騒ぎする。


「いい加減にしてくれ! 一体、おまえらに、幾らかけてると思ってるんだ!」無能な上司の怒りかたは、二百年経っても変わらないらしい。「おれは上に何て報告すりゃぁいい! おまえらの飯代も、ばかすか使う電気代も、ただじゃないんだぞ! おまえらが結果を出せなきゃ、それだけ〈月下〉の連中が苦しむことになるんだ! 少しは考えろよ!」


 責任転嫁も甚だしいが、それは〈アーカイバ〉たちに十分なプレッシャーを与えた。想像はしていた。軟禁状態とはいえ、自分たちは十分以上の資源を与えられている。果たしてそれが何処から来ているのかと。


「まぁ、やるこたやってるよ」ロッドは相変わらず、罪悪感というのを持ち合わせていない。「連中はこの街の倉庫にあったもんは、全部〈連合〉に送っちまったし。その辺のオアシスからも収奪しまくってる。ま、あたしゃそんな面倒なこと、関わってないけど」


 セレネは既に解放され、イシュチェル、チャンウーと合流すべく西に向かったらしい。しかし三人が隠しているMMWを出したところで、〈連合〉の収奪隊を潰すのが精々だろう。


「マーティンを警戒させるだけだ。下手に手を出さないように言っておいて」


「いいけどさ、いつまでこんな事してんの? あたしゃもう飽きたんだけど」


 アカネも考え続けているが、未だに何の解決策も浮かんでいない。とにかくロッドを宥め賺し、もう少し我慢するよう説得する。


 深刻なのは、〈アーカイバ〉の面々だった。自分たちの命が周辺住民の苦難に支えられている事を突きつけられ、次第に焦りを募らせていく。


「一度ここで、整理しよう」行き詰まったエスパルガロは、発想の転換を求めた。「一、粘菌は塩に弱い。二、ペニシリンのような抗菌剤にも弱い。三、強い圧力を加えられたり乾燥させると死滅し硬化する。四、水と光は逆効果。そこから導き出せる、マーティンの求める武器とは? 何でもいい。ネタをくれ」


 難しすぎる。アカネは考え込んだあげく、彼に尋ねた。


「そもそも〈月下〉の塩害ってさ。なんで存在すんの?」場に居合わせた全員が、不思議そうに見つめてくる。アカネは自分がマーティンになってしまったような気がした。「いやだって、ここってカリマンタン島でしょ? 昔は海だったわけでもないのに、どうして塩まみれになってるのさ。それに廃船が砂漠の真ん中にあるのも変だし。誰も疑問に思わなかったの?」


「単に、そういう地質なんだろうなぁって」


 曖昧に答えたトキコに、アカネは指を一本立てた。


「とにかくさ、粘菌は塩に弱いんだし、袁山に塩を撒きまくれば? 〈連合〉って飛行機も持ってるらしいじゃん。それで空から海水を蒔いちゃうとか――」


「あの辺は常に上昇気流だ。飛行機なんてとても飛べないだろ。だいたい袁山を塩まみれにするって、どんだけ時間がかかる。何十年とかかるぞ」


 馬鹿にしたようにエスパルガロが言う。アカネは口を尖らせながら応じた。


「何でもいいからネタをくれって言ったじゃん」


「でも、それ、使えるかも」今度はトキコが指を立てた。「酸性雨。植物には致命的だって聞いたわ。袁山に向かった気流は、気圧が低下して雲になり、雨や雪になる。酸性雨の原因は何だったかしら。硫黄酸化物? 窒素酸化物? もしそれを袁山に向かう大気に送り込めれば?」


「粘菌に硫黄は効かなかったが――他に酸性雨に出来そうな物質が効かないか、試してみよう」


 エスパルガロは立ち上がり、隔離エリアへ向かう。しかしアカネは望み薄だなと思っていた。月の接近が起こって二百年、火山の噴火で大気には相当の硫黄分やアルカリ分が噴出したはずだ。それでも粘菌は生きている。恐らく効果はないだろう。


 考えあぐねたあげく、アカネはロッドを捕まえて尋ねた。


「ピピを触りたい。じゃなきゃあんたのマーク7でもいい。出来る?」


「なんで」


「MMWには粘菌を制御する機構がある。それがどうなってるのか知りたい」


 途端、ロッドの全身から殺気が噴き出した。アカネが無表情でそれに耐えていると、彼女は一歩歩み寄り、顔を見上げてくる。


「わかってんの? それが〈魔女〉に知れたら、私ら終わりだよ」


「終わりじゃないよ。単に仕組みが知りたいだけ。作戦がある」今度はこちらからロッドに近づき、彼女の恐ろしい瞳を覗き込んだ。「粘菌を制御できる事をマーティンに証明する。すると連中、その仕組みを担いで袁山に向かう。セレネたちはゴリラ熊や野犬を集めて、そこで待ち伏せしてもらう。マーティンは驚いて粘菌を制御しようとする。でも、その装置は私が不能にしておく」


 自分たちや〈アーカイバ〉の安全を可能な限り守り、〈連合〉の部隊を確実に壊滅させる手は、それしかない。


 それはロッドにも、すぐにわかったはずだ。だが彼女はアカネから目を逸らさず、ほんの少しだけ首を傾げる。


「それで最後に〈魔女〉を片付ける。だろ?」


 確かに、そうでないと粘菌を制御する秘密が漏れる。〈娘たち〉の立場にとってみれば、それは必須だ。答えに詰まったアカネに、ロッドは更に身を寄せてくる。


「あんた、〈魔女〉は敵じゃないとか言ってたよね。色々考えてみたけど、やっぱりあたしにゃわからない。〈魔女〉は月を狙ってる。それを防ぐのが〈母さん〉からの〈声〉だ。だろう?」


 駄目だ。結局ロッドは、得体の知れない強迫観念に支配されたままだ。彼女が求めるのは理屈よりも明快さで、すべきことを命じてくれる存在。そこから脱することは出来ないのだ。


 わかった。最後に〈魔女〉は片付ける。


 そう応じかけた。こんな形で純粋な彼女を騙すのは断腸の思いだった。しかしアカネが声を発する前に、ロッドは踵を返していた。


「でも無理。マーク7は辰巳のあたりに隠したし。マーク4は駐屯地の真ん中だ。とてもあんたは連れて行けない」


 ロッドに嘘を吐かずに済んだ。そう安堵する半面、落胆もした。MMWを調べられれば、どうすれば粘菌を制御できるのか、その一端でも掴む事が出来たかもしれないのに――


 そこで急に閃いた。MMWは所詮、機械だ。機械には様々な定義があるとはいえ、それ単体で可能なことは物理的電子的な動きだけ。そこから生み出せて粘菌に影響を及ぼせる仕組みは限られる。


「おっちゃん、電磁波は試したの」


 隔離エリア付近で捕まえて尋ねると、彼は眠そうな目を擦りながら応じた。


「光は色々と試した。強度でどれくらい増殖率が変わるのかとか――」


「可視光線以外は? 粘菌が一番強い反応を示すのは光。じゃあ紫外線は? X線は? ガンマ線は? それに赤外線、電波、マイクロ波――」


 どうしてそれに気づかなかったんだろう。そんな風に目を見開かせ、エスパルガロは生化学班全員に招集をかけた。アカネも機械電子工学班を呼び集め、それぞれの周波数の電磁波を放出できる装置を探させる。


 電波類は比較的簡単だった。無線機もあるし、電子レンジもある。それらを調整すれば、殆どの周波数に対応できた。紫外線もUVライトが見つかったから良いが、問題は放射線だ。どうにかしてX線装置なり、放射性物質を見つける必要がある。


 アカネと機械電子工学班は散々〈連合〉の遺産を探し回ったが、さすがに危険物質だ、それらしい物はついぞ探し当てられず、そうしている間にエスパルガロは各種電磁波を様々なエネルギーレベルで粘菌に照射していた。


「当たりだ。特定の電磁波は粘菌に有意な影響を及ぼせる」初めての希望に、彼は髭の下の顔を紅潮させていた。「赤外線は粘菌の網目状構造の生成を加速させる。これには温度も影響しているらしい。電波類の反応はイマイチだが、マイクロ波近いところでは管状構造物内の流動体の流速が速くなる。その効果は不明だが――一方で紫外線。これを受けると逆に流速が下がるような気がする。是非放射線も試してみたい」


 しかし難題だった。放射性物質は旧世界でも厳重に管理されていた代物だ。マーティンに捜索を依頼したとしても、そう簡単に見つけられるとも思えない。だいたい彼に放射性物質という代物を理解させられるか、そちらの方が難題のように思えた。


 仕方がなくアカネは、エスパルガロの元にダクトテープを持って向かった。そして顕微鏡が据えられた台に、一メートルくらいの長さで貼り付けていく。


「一体、何をするつもりだ?」


「トライボルミネッセンス。いいから粘菌の動きを見てて」


 彼がレンズを覗き込むのを待ってから、テープを徐々に剥がしていく。するとベリベリという音に重ねて、エスパルガロの声も高くなっていった。


「何か起きてる! 何かあれだ! 違うぞ!」そして興奮した面持ちでアカネを見つめた。「何なんだ? 静電気?」


「いや。原理はよくわかんないけど、ダクトテープを剥がすときにX線が出るって記事を読んだ記憶があって。で、どう?」


「非常に何か、不安定な動きをする。導管内の流動体が不規則に揺らいだ。いいぞ。もっと色々試してみる」


「それはいいけど、この手法じゃとても安定したX線が出てるとは思えない。再現性が取れないよ。こっちももう少し考えてみる」


 アカネは資料を漁って、どうにかして簡易的に放射線を発生させられないかを考える。だが〈アーカイバ〉たちも有能だった。見慣れない溶接装置を弄ってる数人を見とがめ、話を聞く。


「電子ビーム溶接機だよ」


 それで彼らの意図がわかった。電子ビーム溶接は、高エネルギーの電子ビームを媒体にぶつけることで熱を発生させ、溶かしてくっつける。レントゲン装置は同じく電子ビームを銅や鉄にぶつけることでX線を発生させる仕組みで、原理的には同じだ。出力を調整すれば、安定したX線を出せるかもしれない。


 早速改造にとりかかり、翌日にはそれらしい装置が出来る。だがそれによって発生させたX線を粘菌に当てても、何の変化も起きなかった。


「どういうことだ」エスパルガロは不思議がり、再びダクトテープを机に貼り付け、剥がしてみる。「やっぱりこれだと変動が起きる。何が違う」


「出力の問題かも。もっと下げてみようか」


 しかし装置で出来るギリギリまで出力を下げても、あるいは上げても、粘菌に影響を及ぼすことは出来なかった。更には波長を変えるために電子ビームを当てる媒体を様々に変えてみたが、こちらも成果は出ない。


 これは不思議としか言いようがない現象だ。


 二日続けての徹夜に朦朧とし、アカネも机に伏せながら半ば眠りかけていた時だ。


「――ひょっとして、X線が原因じゃないのか?」


 エスパルガロは虚ろに言って、もう何百回目かになるダクトテープ剥がしの儀式を行う。それを何度か繰り返して首を傾げると、テープと粘菌の間に鉛の板を置き、顕微鏡を覗き込みながら再度テープを剥がした。


 途端、彼は椅子を蹴り倒して立ち上がる。驚いて飛び上がったアカネの肩を掴み、血走った目で叫んだ。


「見ろ! X線を鉛で遮蔽しても、粘菌は妙な動きをする!」


「えー。そんな馬鹿な」眠い目を擦りながら自分でも試してみると、確かに彼の言うとおり、粘菌は不規則な脈動をする。「ほんとだ。じゃあ何? X線以外に出てるものって――」


 粘菌はアカネが繰り返しペリペリと剥がす音に従うように、リズムを乗せて脈動する。いつの間にかエスパルガロは古い端末を手にしてその音を録音していた。そしてアカネが朦朧として繰り返していたテープ剥がしの手を止めさせると、スピーカーを粘菌に近づけて再生させる。


「――関係ないねぇ」


 動きはなかった。しかしその方向にエスパルガロは執着してしまったようで、忙しなく物置棚を漁り始めた。


「違う! これだからコンピュータの音はクソなんだ! 勝手に圧縮しやがって――畜生、おれのギターは〈連合〉の連中がどっかやっちまったし――これだ! これでいい!」


 引っ張り出してきたのは、一メートルほどの木の板だった。彼はその両端に乱暴に釘を打ち付けると、その内側に針金を何重にも巻いてブリッジを作る。そして最後にできるだけ細い銅線を張ると、慎重に弾いた。


 顕微鏡を覗き込むエスパルガロに、変化はない。だが彼は銅線に指を乗せると、繰り返し弾いて音を高周波の方に持っていった。やがて耳では聞き取れないくらい高い音になった頃、彼は奇声を上げながら原始的なギターを放り投げた。


「音波だ! 高周波だ! これは使えるぞ!」


『音楽でもかけます? ワルキューレの騎行でも聞いたら、気合いが入るかもしれませんよ?』


 不意にピピの声が聞こえた気がした。まさかな、とアカネは頭を振って、使えそうな音響装置を求めて飛び出していったエスパルガロを追った。

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