3.9. ロッドの選択
まさかこのポストアポカリプス世界で『マッドマックス・怒りのデスロード』を再現することになろうとは思いもしなかった。特定の高周波の組み合わせが粘菌の活動を鈍らせ、感染したネズミも半休眠状態に陥ることが確認されると、〈連合〉のトラックの改造が始まった。沢山のスピーカが据え付けられ、アンプが積まれ、それこそドーフ・ワゴンさながらになる。あまりにも見覚えのあるデザインに、まさかなと思い陣頭指揮を執っているエスパルガロに尋ねると、彼は不敵な笑みを浮かべつつ応じた。
「あれは最高の映画だ。百回くらい観た。ギターのシーンだけしか残ってないが。それで、マックスって誰なんだ?」
「おっちゃんも年なんだから。ギター担いで粘菌に生演奏聞かせるとか言わないでよ?」
「誰が年だ。おれはまだ三十だ」
本気で驚いた。四十くらいだと思い込んでいた。〈月下〉の過酷な環境は老化を早める。
現実問題として、粘菌に影響を及ぼせるのは可聴範囲外の周波数だった。だからメタルの生演奏を聴かせても効果は薄い。アナログアンプを改造し、ワンスイッチで効果的な音波を発せられるよう作り込む。
「――何か、やったの?」
デモンストレーションを見たマーティンの反応が、それだった。説明しても理解できないだろうと踏んでいたが、このときばかりは何故か飲み込みが早かった。
「あぁ、高周波か。それで粘菌を眠らせると。凄い発見じゃないか! よくやった!」
「でも、少しでも特性が狂うと、逆に粘菌は狂ったように暴れ出す。装置の取り扱いは十分に注意してくれ」
エスパルガロの忠告など、マーティンは聞いていない様子だった。補佐官を呼び出し命じる。
「よし、早速実地で試しに行くぞ。袁山にピクニックだ。この街には一小隊を残して、〈アーカイバ〉たちを見張らせろ。いつ〈娘たち〉が襲ってくるかわからない。レールガンは半分持っていく。残りは月を見張っておいて、また落ちてくるやつがいたら全部撃ち落とせ。臨戦態勢だ。おい、何処かいいターゲットはあるか?」
問われたトキコはアカネに目を向ける。一瞬スペースXの施設を候補に挙げそうになった。しかし他のゴリラ熊はいいとして、プーさんが犠牲になっては可哀想だ。
「ここから真っ直ぐに袁山に行くと、三合目くらいにちょっとした台地がある。その辺は野犬が沢山いたから、丁度いいかも」
「よし。おまえ、それと髭のおっさん、あとトキコも一緒に来て貰う」
「ちょ、ちょっと待って。装置は私とエスパルガロのおっちゃんがいれば大丈夫だよ。トキコは残って〈アーカイバ〉の取りまとめをしないと――」
「いやいや、むしろおれのいない間に反乱でも起こされたら面倒だから。人質だから。そこんとこ、よろしく」
正面から言われては、反論の仕様もない。それでも言葉を探しかけたアカネの袖を、トキコは掴んだ。
「いいの。私も結果を見届けたい」
マーティンはよほど焦れていたのだろう、翌日の出発を宣言して準備を命じる。あまり時間がない。アカネはすぐにロッドを探し、物陰に引っ張り込んで事態を説明する。
「だから、すぐにセレネと連絡を取らないと。何か方法は?」
「先週からチャンウーが街に隠れてる。すぐ知らせるよ」
また精神的な主張をされるかと思ったが、ロッドは素直だった。それでもアカネは心配になり、去って行こうとする彼女の裾を捕らえ、言った。
「不満なのはわかる。でも〈アーカイバ〉の事は私が処理する。頼むから今は協力して」
「――わかった」
不安が募る。しかし今はロッドを信じるより他に手はなかった。
翌日の早朝、アカネ、トキコ、エスパルガロの三人は、ドーフ・ワゴンに乗り込んだ。そしてマーティンといえば、数十個並んだスピーカーの前に椅子を設えていて、満面の笑みで座っている。
「これこれ。こういう王様っぽいの、最高じゃない! よし、全軍出発!」
命じられ、二十台の車両からなる〈連合〉の一団は亥の街から出て行く。先頭を切るのは小型のバギーで、ロッドが搭乗している。斥候を命じられた彼女はぐんぐん隊列を引き離していき、あっという間に見えなくなる。計画では彼女は先行して目的地に向かい、セレネたちと共に〈連合〉を迎え撃つ予定だ。
そしてアカネは、戦闘が始まる直前に音響装置を不能にしなければならない。
「それ、どうやんの。きっと装置にはマーティンが張り付いてるよ」
ロッドに怖い顔で尋ねられ、アカネは小さな箱を見せていた。
「このスイッチを入れれば、メインアンプに過電圧がかかる。それで終わり。ドーフ・ワゴンは目立つから、それだけ攻撃を控えてくれればいい。わかった?」
マーティンは逆に音響装置を潰されては終わりだと考え、ドーフ・ワゴンを中心に円陣を構築している。実はこの車だけアカネがいることで安全が確保されているといういのは、なんとも皮肉な状況だ。
車列は半日をかけて袁山の麓にたどり着くと、そのまま山内に突入する。当然トキコは忠告した。日光が出ている間は粘菌も光合成に専念しているから、凶暴性が弱まる。行くなら昼の方がいいと。しかしマーティンは聞く耳を持たなかった。
「だって凶暴な状態じゃないと、装置がどれだけ効いてるかわからないだろ。あれ? おれ、何か変なこと言ってる?」
別に変な事は言っていない。ただ様々な事を検討した上での発言ならばいいのだが、きっと彼の場合は要素の殆どを無視している。それがマーティンの怖いところだ。
やがて辺りは霧に包まれ、頭上からは眩しいほどの月光が差し込む。〈連合〉の兵士たちはこの条件に慣れておらず、所々で車列が滞ってはマーティンの怒りを買う。しかし麓付近の荒れた地形を乗り越えれば、あとは殆どなだらかな斜面が続くだけになる。そこまで行くと次第に野犬の遠吠えや得体の知れない叫び声が聞こえるようになり、寒さに負けて車内に引っ込んだマーティンは怯えた様子を隠せないようになってきた。
「ちゃんとレールガンはいつでも撃てるようになってるんだろうな? ロッドは何処に行った。だれか見てないか? やばいって。戻らせろって」彼は近距離無線で無差別な指示を行い、最後に三人が閉じ込められている後部座席を振り向いた。「おい、そろそろ装置のスイッチを入れた方がいいんじゃないか?」
「敵を視界に捕らえてからの方がいいんじゃない? でないと効果がわからない」
「そう。そうだよな。あっ、あれが目的地か?」
斜面が途切れ、平地が現れる。前にここを通ったときは、見えただけで数十匹の野犬に追われることになった。しかし今は岩石の類いが散在しているだけで、動く影は見当たらない。マーティンは再度円陣の構築を命じると、ドーフ・ワゴンを中心として装甲車が壁を作り、地面に降り立った兵士たちが四方に銃口を向けた。レールガンも射撃準備を整え、コンプレッサが低いうなり声を立てている。
霧は数メートルの速度で流れ続け、時には作り出された濃淡が這う獣のように見える。怯えて誤射してもおかしくないが、〈連合〉の規律は相当に整っていた。無言で四方に目を配り、じっと命令を待ち続けていた。
一番落ち着きのないのがマーティンだ。彼はサンルーフから頭を突き出し、周囲を見渡し、また車内に引っ込んでは息を喘がせながら耳を澄ませる。
犬の遠吠えが次第に近づいてきていた。更には低く唸る声、硬い爪で砂利を掻く音、野太い叫び声が加わり、最後には等間隔で地面を叩く金属質な音が聞き取れるようになってきた。
霧の向こうが暗くなってくる。無数の影が蠢いていた。影の中にはやがて、緑色の蛍光が浮かんでくる。最初その数は一つ二つだったが、気がつくと数え切れないほどに増えていた。周囲は完全に、化け物に包囲されている。
「なんで? どうして? 話が違うだろ! 連中って適当に襲いかかってくる程度だったんじゃないのか?」
息が詰まるほどの圧力に、マーティンが言った時だ。最初の銃声が響き、霧の中からは数十匹の野犬の固まりが飛び出してきた。マーティンは驚き叫び、トキコは身を縮めて両手で耳を塞ぐ。エスパルガロは装置のスイッチに手をかけたまま凍り付き、血走った目で野犬の集団を凝視していた。
そして、視界の端で何かが吹き飛んだ。目を向けると数体のゴリラ熊が現れていて、その五百キロくらいありそうな筋肉の塊で装甲車に体当たりしている。上部に据え付けられた機関銃を兵士が乱射していたが、不意に彼の上半身は青白い光球を浴び、消失した。
見覚えがある。マーク7の主要投射兵器、プラズマ砲だ。
唐突に霧の中から、濃緑色の機械が飛んできた。横倒しになった装甲車を踏みつけ、プラズマ砲の充電を行う。あの動きには見覚えがあった。射撃に関しては随一の成績を上げていたイシュチェルに違いない。右手では変形を繰り返し兵士をかき回すMMWがいる。これはチャンウーだ。そして正面にある一際大きな岩の上で、セレネのMMWが膝を突いていた。彼女が粘菌への制御信号を発し、怪物たちを操っているに違いない。
無線からは捉えどころのない阿鼻叫喚が響いていた。助手席からも転がり落ちそうになっていたマーティンはようやく我に返り、無線を手に取り叫ぶ。
「〈娘たち〉だ! ロボットだ! レールガン、なにやってんの!」
『それが、ステータスに問題はないのに、射撃出来ません!』
「えっ? 何で!」そして後部座席を振り向き、唾を飛ばした。「なにやってんの! さっさとスイッチ入れろよ!」
すぐにエスパルガロは装置に備え付けられたボタンを叩き、ヴォリュームコントロールを最大に回す。アカネも装置を不能にするスイッチを握りしめていたが、タイミングを待った。少なくとも装置が上手く動くのかどうか、確かめておきたかったのだ。
可聴範囲外の音とはいえ、相当の出力がある。急に目眩を感じて座席に手を突くと、トキコも上体を揺らして倒れかかってきた。
「――どうだ?」
エスパルガロは息を詰め、鉄格子に覆われた窓の外を凝視する。
一瞬、怪物たちは動きを止めていた。誰かに呼ばれたかのように宙を見上げ、首を傾げ、表情からも凶暴さが失せていく。
「上手く、いった?」
トキコが呟いた時だった。穏やかさを取り戻すかに見えた怪物たちの表情は凶悪に歪み、一斉に牙を剥き出し、爪を高く掲げ、耳が潰れるほどの強大な叫び声を上げた。
「な、何? 何で?」
当惑してマーティンが呟くと同時に、ドーフ・ワゴンは強烈な衝撃を受けた。ゴリラ熊が岩を投げつけてきたらしい。サイドガラスは粉々に吹き飛び、車体が斜めになり、元の状態に戻る。それまで霧の中で様子を窺っていた集団も、一斉に混乱の中に飛び込んできた。数百、あるいは千に届くかも知れない。灰色の野犬は四方を飛び回り銃を乱射する兵士の首や腕に食らいつき、黒々としたゴリラ熊は装甲車を次々と踏みつけている。
驚くべき事に、彼らはそれを指揮しているはずのMMWをも襲い始めていた。チャンウーは犬にケーブルを食いちぎられ、ゴリラ熊に腕をもぎ取られ、必死でプラズマを乱射し拳を振るっている。イシュチェルは異常を察して集団から逃げかけたが、ゴリラ熊にタイヤを潰されて霧の中に吹き飛んでいった。
「周波パターンが狂ってる! 何で! どうして!」
叫びながらイコライザーを上下させるエスパルガロの肩を、マーティンが掴んだ。
「え? どういうこと? 何がどうなってるの!」
「誰かが装置に工作したんだ! これは粘菌を凶暴化させる音波パターンだ! 装置を止めないと!」
アカネは我に返り、ポケットの中のスイッチを握りしめる。それでメインアンプは停止するはずだったが、微かに聞こえる高周波は止まらない。焦って繰り返し押したが、何の変化も現れなかった。
それで全てを察した。ロッドはアカネではなく、〈母さん〉を選んだのだ。
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